暑中お見舞い申し上げます。酷暑真っ只中だというのに、いけしゃあしゃあと前回の記事の続きという、……二重の意味で申し訳ございません。
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ナマステー!ぺりどっとです。インドと言えば、ターバンを巻いたインド人にインドカレーを思い浮かべるでしょうか。実はターバンを巻いてるインド人は少なく、人口のたった2%ほどのシーク教徒だけなのです。
また、インドカレーにはナンが付いてくるので、主食だと思っている方も多いかと思いますが、庶民はナンをあまり食べていません。家庭で日常的に食べられているのは、全粒粉で作るチャパティと呼ばれる茶色のパンです。僕は精製した小麦粉で作るナンよりも、チャパティの方が大好きです♪
さあ、ぺりどっとのカミングアウトです。
もう…かれこれ20年ほど前になりますが、ぺりどっとはほぼ一年間ほど自分の尿を毎朝飲んでおりました。飲み始めたきっかけは、インドの聖典「ダマール・タントラ」に書かれていた、ある一文です。
飲尿療法は、インドではシバンブ(シヴァ神の水)と呼ばれ、アーユルヴェーダの古典「ダマール・タントラ」(Damar Tantra)のなかで説かれている健康・精神的修養法(シバンブ・カルパ)です。そこにはオシッコを飲み続けると得られる効果効能が書かれています。一部抜粋します。
つまりこのシヴァ神の教えには、尿を飲み続けていると、体がどんどん浄化され、並々ならぬ活力を得て、全ての病を破壊し、全てのエレメントを征服して、9年目には解脱を得ると書かれているのです。
こ、これこそは!求道者の福音にして、やらずにはおれるか!という感じで始めたもんです。
ちなみにWikipediaによると、シベリアのコリャーク人(Koryaks)は、彼らの呪術の儀式中にベニテングタケとともにオシッコを摂取したりするそうですし、一部のヒンドゥー教徒は儀式用の神酒の成分として牛のオシッコを使うのだそうです。オシッコには意識をトリップさせたりする、何か霊的な働きがあるのやもしれません。
ちなみに、「ダマール・タントラ」には更にこんな記述も。。。
☆
以前僕が師事していた元師匠は、僕自身以上に僕のこと(体も心も)をよくお分かりの方で、こんなことがありました。その元師匠主催のセミナーで、数百人はいた皆の前で突然何の脈絡もなく、
「ぺりどっと君!あんたは柿ピー大好きなんやねー。でもいくら何でも食べすぎやろー。」
と言われたりしました。実はそのセミナー前日に大好きな柿ピーを袋1キロ全て平らげてしまったのですが、このことは誰にも一切話していないことなのです。
僕は高校生くらいの頃から足の付け根などにいろんな念を受けることが多かったのです。その僕が念を受けてびっこをひきながら歩きづらそうにしていると、その元師匠が近くに寄ってきて、
「お! 足、歩きづらいんか? 今、とってあげるからな」
と言うやいなや、瞬時にその念が取り除かれていました。
お陰様で今では、ガヤトリーマントラ 除霊と浄化の祈りでそうしたものを自分自身で一発で取り除くことが出来ます。詳しくは、竹下雅敏著書 ガヤトリー・マントラの祈りや映像配信をご覧ください。
そんな元師匠から、ある日こんなことを言われました。
「ぺりどっとくん、あんたはオシッコを飲むようになってから、胃がとんでもなく強くなったなー」
そう言われて、はたと気づいたのはこんなエピソードでした。
インドで修行する道中、道脇にあるポンプから水をペットボトルに補給しながら歩いていました。途中からあるご縁で、年配のインド人の方が一緒に歩いてくださるようになりました。この方はその辺りに住む大地主さんで、僕が日に当たらないようにとずっと傘をさして日陰を作って助けてくださったり、自分の娘さんの嫁ぎ先に僕を泊めてくださったり、食事をごちそうしてくださったりした方なのです。いつものように道脇にあるポンプから水を補給しようとすると、
「No Drinking Water!」
と激しく制止されたのです。インドでは慣れない生水は体調を崩す大敵です。しかも、現地の人でも飲まないような生水を飲み続けていたにも関わらず、胃腸がすぐれなくなることは一度もなかったのです。
そしてその後インドのあるアシュラムで、うちの元師匠がふざけながら、あるインド人(ものすごく直観力のある方で、連絡を取りたい(全く見知らぬ)人物の携帯番号が脳裏に浮かんだりするそうです)に僕をこう紹介したんです。
「このぺりどっとくんはね、毎日オシッコを飲むんやよー」
それを聞いて、その人はこう言われたのです。
「確かに、インドの聖典には尿を飲むことで得られる功徳などがたくさん書かれています。でもね、神の信者は尿を飲まない」
こうして僕の飲尿生活は終わりを遂げたのです。
☆
僕はもう飲んでおりませんが、現在でも世界中で尿療法を続けている人たちがいます。外資系の保険会社に勤めて年収は2000万円超の30代なかばでイケメンな彼は、今では数少なくなった“飲尿健康法”の実践者。その彼がこう語っています。。。
このように現在の飲尿療法実践者はとてもつらい状況に陥っています。人々の汚物への嫌悪感や偏見はかくのごとき、計り知れないものです。これも洗脳あるいはDNAレベルで刷り込まされたアチラ側の陰謀の類なのかもしれません。
弾圧され迫害を受けた異端の教えが地下に潜ったように、飲尿療法も地下へと潜っていくのでしょうか。やるなら誰にも言わず、こっそりと。。。
前回と今回の記事で、何だか…極少にしてコアなぺりどっとファンですら、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっ……そんな気がしてなりませぬ。
(まの爺)
そこには「見えない壁」が存在するのぢゃ。
なぜか、自分の身体から離れた途端に受け入れ不可能のスイッチがON、
嫌悪感や偏見を思い出す以前に、身体が負の質量を持って逆方向へとふっ飛ぶのじゃ。
ここだけの話、シャンティ・フーラのスタッフの中には、健康オタクが複数潜んでおる。
数々の技と経験を誇る彼らが、ぺりさんの「飲尿話」を聞いた途端、凍りつき、その場に言い知れぬ敗北感が漂ったのを、まの爺は確かに見た。
巨大な見えない壁を軽々越えてしまった者、そのタガの外れた探究心、底抜けの偏見の無さ、強靭な求道精神、もしかすると単なるミーハー能天気、、、
「できない、どうしてもマネできない!」
ぺりさんの偉大さは、それすらもあっさり止めてしまえる執著の無さかもしれぬ、、。
■ 勝手に編集後記 ■
アレの味は毎回毎回違うものでして、今自分にとって何が余分で何が足りないのかが非常によく分かりました。
液体があれば、いずれ固体の方も…?!
また、インドカレーにはナンが付いてくるので、主食だと思っている方も多いかと思いますが、庶民はナンをあまり食べていません。家庭で日常的に食べられているのは、全粒粉で作るチャパティと呼ばれる茶色のパンです。僕は精製した小麦粉で作るナンよりも、チャパティの方が大好きです♪
さあ、ぺりどっとのカミングアウトです。
もう…かれこれ20年ほど前になりますが、ぺりどっとはほぼ一年間ほど自分の尿を毎朝飲んでおりました。飲み始めたきっかけは、インドの聖典「ダマール・タントラ」に書かれていた、ある一文です。
飲尿療法は、インドではシバンブ(シヴァ神の水)と呼ばれ、アーユルヴェーダの古典「ダマール・タントラ」(Damar Tantra)のなかで説かれている健康・精神的修養法(シバンブ・カルパ)です。そこにはオシッコを飲み続けると得られる効果効能が書かれています。一部抜粋します。
1ヵ月後には・・・体内が清浄になる。
3ヵ月後には・・・すべての病を破壊し、すべてのトラブルから解放される。
6ヵ月後には・・・叡智にあふれ、聖典を堪能するようになる。
11ヵ月後には・・・体内の臓器すべてが清浄になる。
1年後には・・・太陽のかがやきと同じものになる。
2年後には・・・地球(土)のエレメントを征服する。
3年後には・・・水のエレメントを征服する。
4年後には・・・光のエレメントをも征服する。
5年後には・・・空気のエレメントを征服する。
8年後には・・・自然のすべての重要なエレメントを征服する。
9年後には・・・誕生と死という輪廻から解脱する。
つまりこのシヴァ神の教えには、尿を飲み続けていると、体がどんどん浄化され、並々ならぬ活力を得て、全ての病を破壊し、全てのエレメントを征服して、9年目には解脱を得ると書かれているのです。
こ、これこそは!求道者の福音にして、やらずにはおれるか!という感じで始めたもんです。
ちなみにWikipediaによると、シベリアのコリャーク人(Koryaks)は、彼らの呪術の儀式中にベニテングタケとともにオシッコを摂取したりするそうですし、一部のヒンドゥー教徒は儀式用の神酒の成分として牛のオシッコを使うのだそうです。オシッコには意識をトリップさせたりする、何か霊的な働きがあるのやもしれません。
ちなみに、「ダマール・タントラ」には更にこんな記述も。。。
日中2~3回、夜2~3回、尿で全身をマッサージしてもよい。これは関節を強化し、長寿を約束するものである。毎日1回飲尿し、全身を尿でマッサージする者こそ、壮健なる身体を享受し、未来永劫、病を遠くに追っ払い、知能を高め、その長命たるや、天空の星や月のごときであろうぞ
アマロリより
以前僕が師事していた元師匠は、僕自身以上に僕のこと(体も心も)をよくお分かりの方で、こんなことがありました。その元師匠主催のセミナーで、数百人はいた皆の前で突然何の脈絡もなく、
「ぺりどっと君!あんたは柿ピー大好きなんやねー。でもいくら何でも食べすぎやろー。」
と言われたりしました。実はそのセミナー前日に大好きな柿ピーを袋1キロ全て平らげてしまったのですが、このことは誰にも一切話していないことなのです。
僕は高校生くらいの頃から足の付け根などにいろんな念を受けることが多かったのです。その僕が念を受けてびっこをひきながら歩きづらそうにしていると、その元師匠が近くに寄ってきて、
「お! 足、歩きづらいんか? 今、とってあげるからな」
と言うやいなや、瞬時にその念が取り除かれていました。
お陰様で今では、ガヤトリーマントラ 除霊と浄化の祈りでそうしたものを自分自身で一発で取り除くことが出来ます。詳しくは、竹下雅敏著書 ガヤトリー・マントラの祈りや映像配信をご覧ください。
そんな元師匠から、ある日こんなことを言われました。
「ぺりどっとくん、あんたはオシッコを飲むようになってから、胃がとんでもなく強くなったなー」
そう言われて、はたと気づいたのはこんなエピソードでした。
インドで修行する道中、道脇にあるポンプから水をペットボトルに補給しながら歩いていました。途中からあるご縁で、年配のインド人の方が一緒に歩いてくださるようになりました。この方はその辺りに住む大地主さんで、僕が日に当たらないようにとずっと傘をさして日陰を作って助けてくださったり、自分の娘さんの嫁ぎ先に僕を泊めてくださったり、食事をごちそうしてくださったりした方なのです。いつものように道脇にあるポンプから水を補給しようとすると、
「No Drinking Water!」
と激しく制止されたのです。インドでは慣れない生水は体調を崩す大敵です。しかも、現地の人でも飲まないような生水を飲み続けていたにも関わらず、胃腸がすぐれなくなることは一度もなかったのです。
そしてその後インドのあるアシュラムで、うちの元師匠がふざけながら、あるインド人(ものすごく直観力のある方で、連絡を取りたい(全く見知らぬ)人物の携帯番号が脳裏に浮かんだりするそうです)に僕をこう紹介したんです。
「このぺりどっとくんはね、毎日オシッコを飲むんやよー」
それを聞いて、その人はこう言われたのです。
「確かに、インドの聖典には尿を飲むことで得られる功徳などがたくさん書かれています。でもね、神の信者は尿を飲まない」
こうして僕の飲尿生活は終わりを遂げたのです。
僕はもう飲んでおりませんが、現在でも世界中で尿療法を続けている人たちがいます。外資系の保険会社に勤めて年収は2000万円超の30代なかばでイケメンな彼は、今では数少なくなった“飲尿健康法”の実践者。その彼がこう語っています。。。
今じゃあどこも尿療法は変態扱いです。僕に好意のある女性から『よかったら』なんて言われて、ペットボトルに入ったオシッコを渡されたこともありました。
スカトロ野郎なんてさんざん言われてきました(笑)。(中略)...体育会系のアホな同僚たちなんかに『俺の尿飲めよ』とかね。昔友人たちが家に遊びに来た時、誰もコーヒーカップを使おうとしなかったのには笑いました。みんなそのカップで普段から僕が尿を飲んでると思ってたんですよ(苦笑)
交際しようとした女性にも特殊性癖だと思われて、「尿療法やるかぎり、絶対付き合えない」などと言われてきた。
このように現在の飲尿療法実践者はとてもつらい状況に陥っています。人々の汚物への嫌悪感や偏見はかくのごとき、計り知れないものです。これも洗脳あるいはDNAレベルで刷り込まされたアチラ側の陰謀の類なのかもしれません。
弾圧され迫害を受けた異端の教えが地下に潜ったように、飲尿療法も地下へと潜っていくのでしょうか。やるなら誰にも言わず、こっそりと。。。
前回と今回の記事で、何だか…極少にしてコアなぺりどっとファンですら、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっ……そんな気がしてなりませぬ。
(まの爺)
そこには「見えない壁」が存在するのぢゃ。
なぜか、自分の身体から離れた途端に受け入れ不可能のスイッチがON、
嫌悪感や偏見を思い出す以前に、身体が負の質量を持って逆方向へとふっ飛ぶのじゃ。
ここだけの話、シャンティ・フーラのスタッフの中には、健康オタクが複数潜んでおる。
数々の技と経験を誇る彼らが、ぺりさんの「飲尿話」を聞いた途端、凍りつき、その場に言い知れぬ敗北感が漂ったのを、まの爺は確かに見た。
巨大な見えない壁を軽々越えてしまった者、そのタガの外れた探究心、底抜けの偏見の無さ、強靭な求道精神、もしかすると単なるミーハー能天気、、、
「できない、どうしてもマネできない!」
ぺりさんの偉大さは、それすらもあっさり止めてしまえる執著の無さかもしれぬ、、。
Writer
アレの味は毎回毎回違うものでして、今自分にとって何が余分で何が足りないのかが非常によく分かりました。
液体があれば、いずれ固体の方も…?!