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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝12 ― 信用創造、ゴールドスミス・ノート
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『マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている』THINKER著
預かった金貨等の無断貸出 ~お金の需要が満ちていた時代
日銀のホームページの中に「紙幣(おさつ)の始まり」との題で次の記述があります。
「ヨーロッパでは、17世紀半ばに金細工師が金属の預り証(ゴールドスミス・ノート、goldsmith note)を発行し、これがおかねとして流通したのが紙幣の始めだとされています。」
このゴールドスミス・ノートについて「ことバンク」では次のように指摘しています。
「「金匠手形」と訳す。 17世紀にロンドンのゴールドスミス (金匠) が発行した手形で,銀行券の先駆となった紙券。元来ゴールドスミスとは両替商も営むロンドンの金細工師であったが,次第に貨幣,貴金属の保管から貸出しも行うようになり,17世紀には預金および貸出しの両業務を営むのが一般的になった。ゴールドスミス・ノートはこの預金に対する預り証書であったが,ゴールドスミスが貸出しに際してこの紙券を発行するにいたって,現金に代って広く一般に流通するようになった。兌換銀行券の先駆であり,またゴールドスミスは近代的銀行業の先駆である。」
金細工師(金匠)のゴールドスミスは堅牢な金庫を有しており、記事にあるとおり、貴族や商人たちが貨幣や貴金属を預けていました。金貨や貴金属の保管には常に盗難のリスクがあったからです。
お金の起源と歴史。信用創造という名の詐欺的行為。
【本記事関連部分】
🔯 1:20〜2:40 「預り証」による取引き(=紙幣)の始まり
🔯 2:50〜3:30 銀行業(=信用創造)の始まり
🔯 3:50〜4:10 詐欺的行為としての貸し出し
🔯 4:20〜4:50 同業者同士での金貨の融通
🔯 1:20〜2:40 「預り証」による取引き(=紙幣)の始まり
🔯 2:50〜3:30 銀行業(=信用創造)の始まり
🔯 3:50〜4:10 詐欺的行為としての貸し出し
🔯 4:20〜4:50 同業者同士での金貨の融通
ところが、ゴールドスミスは預かり保管した貨幣や貴金属の返還が、預け主からはほぼ求められない事を経験します。そこでゴールドスミスは預け主に無断で保管していた金貨などを貸出すようになります。
当然これは不法行為でしたが、市場の需要が満ちていたのです。当時、海に出て巨万の富を得ようと企てる者など、「一攫千金の夢を見て」その資金調達のために多額の借金を求めていた者はごまんといたわけです。リスクは大きいが成功によるリターンも莫大だったからです。
ゴールドスミスはこれらの者に対して、相当の高利で預かった金貨などの貸出しで利益を得たことでしょう。
一方市場では、金貨などの「現物貨幣」だけではなく、その金貨の「預かり証」でも商取引される例が出てきていました。これはゴールドスミスが貴族や商人から金貨等を預かった際に発行した「預かり証」です。
この「預かり証」は、誰であろうともその「預かり証」をゴールドスミスのところに持ち込めば、預かり証と同額の金貨に交換できましたから、金貨と同価値でお金そのものでもあったのです。金と等価で交換できる紙券、つまり兌換紙幣の走りとなったのです。
信用創造の始まり ~貸出で無からお金が生まれ、銀行預金が発生
ゴールドスミスは気付きました。お金を必要として借り受けを求める多くの者に対し、預かった現物の金貨などを貸出す必要が無かったことに。金貨の代わりに「金貨預かり証」を発行し貸出せばよいことに。
市場において「預かり証」は現物の金貨などと比較すれば、持ち運びは楽で保管もずっと容易、便利で使い勝手は格段に良いものでした。
ゴールドスミスにしても「預かり証」の貸出ならば、現物の金貨などを消失させるリスクはなくなる上に、「紙とペンだけ」でいくらでも創って発行できます。そして市場ではそのお金を待望する需要に満ちていたのです。
ゴールドスミスにとって問題は基本的には一つだけでした。「預かり証」を持ち込まれて返還を求められた際に、それに応じられる現物の金が手元に準備できているか、この一点です。
ゴールドスミスは、預かった現物のゴールド等を準備金として、それの数倍、5倍の「預かり証」を発行し有利子で貸出し始めます。部分準備預金制度に基づく金本位制「信用創造」の始まりです。現物のゴールドを種金に、それを根拠(信用)とし、それの数倍から5倍の紙幣としてのお金を創造したのです。
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例えば、50億円分のゴールドを準備金として250億円の「預かり証」、つまり紙幣のお金を発行すれば、250億円−50億円=200億円、200億円のお金を無から創造し貸出したことになります。
「ことバンク」でこのゴールドスミスの業務を「近代的銀行業の先駆」としていますが、準備金を根拠(信用)として無からお金を創造し貸出す、これが「信用創造」の秘密です。無からお金が出せることのできる「打ち出の小槌」、もしくは紙とペンを金に変えられる「錬金術」の完成とも言えそうですが、一般には感覚的にどうしても理解できない点があります。
銀行業とは
①借金の申し出に際し、無からお金を創造して貸出す
②その貸出した金額分が銀行の預金として発生
この2点です。
普通私たちの貸出しはこうなります。
自分の手元のお金(預金)が100万円あるとします。誰かに借金を頼まれ50万円貸したとします。すると自分の手元のお金(預金)100万円は50万円に目減りします。これはお金の移動の結果なのです。
しかし、もし私が銀行ならば違います。
同じように自分の手元に100万円あるとして50万円貸したとします。そうすると私の手元のお金(預金)100万円は50万円に減少するどころか、逆に50万円増えて150万円となるのです。貸出にて50万円のお金を新たに創造しているのです。
ヴェルナーの信用創造理論もかくもわかりやすく説明されてしまう時代なり。 pic.twitter.com/zxbsETanyD
— アルルの男・ヒロシ@消費増税大反対国民運動 (@bilderberg54) 2018年8月22日
そして銀行では、逆に返済で貸出した50万円が戻ってくると、貸出で手元のお金(預金)が150万円に増えていたものが、もとの100万円に戻ることになります。借金で新たに創造された50万円が返済で消失するのです。もちろん、この銀行の預金の創造と消失は銀行の帳簿の上でのことです。
しかし現実にこのように銀行による信用創造のマジックというか、詐欺によって生みだされたお金が市場を流通支配して今日に至っているのです。
信用創造が市場拡大に ~ゴールドスミスはロスチャイルド家の一統?
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「信用創造」の秘密についてのもう少し詳しくは2016年5月23日投稿記事を読んで頂くとして、最終的には、ゴールドスミスは手元の種金の準備金を元に、その約十倍の「預かり証」を貸出に用います。この「預かり証」が市場に出回ったのです。手元の準備金100億円ならば約1000億円、準備金200億円ならば約2000億円の「ゴールドスミス・ノート、goldsmith note」が発行されたのです。
日銀の記述では「17世紀の半ば」、つまり清教徒革命(1642−1649年)の頃には、英国でこの「紙幣」が相当量流通していたのでしょう。このいわば「現物貨幣」の約十倍まで自由に融資供給できる「ゴールドスミス・ノート」が「一攫千金を夢見る」男たちの手元へ渡ります。
彼らはその「紙幣」によって、ある者は船を作り、船員を募集し海に乗り出します。またある者はその「紙幣」を海賊団に投資し、その投資が新たな船の建造や船員の雇用に繋がります。「現物貨幣」を十倍まで自由に膨らませ流通させられる「紙幣」が、新たな船の建造や人々の雇用に姿を変え、大きく市場を拡大させたのです。
無論その元々の「ゴールドスミス・ノート」はありもせず、持ってもいないゴールドや金貨を、あるように見せかけ、持っていると思わせた上の、偽りの信用によって創造された「紙幣」です。インチキの詐欺で創造されたお金に他なりません。
しかしそれがどういうお金であれ、お金のあるところに全てが集まるのも全くの事実です。お金の下に、人々が、物が、技術が、知識情報が集まり世界が動いてきたのです。
「信用創造」の秘密は「信用創造権」としてその持ち主に独占されました。そしてその独占使用によって現在の世界が構築されてきたのです。世界の苦の元でもあったのです。
銀行の正体 https://t.co/0ZRmznYKKk その諸悪の根源は、信用創造特権 pic.twitter.com/CiuW4YQP0u
— あかつき英心 (@hanamizuki32) 2016年4月12日
しかし「信用創造」の仕組み自体は非常に便利でもあります。使用する側の心根次第ではこの世界を物質的に豊かに、それも速やかに変化させることの出来るグッズとしても使用できるのです。
さて、ゴールドスミスの末裔たちは? ゴールドスミス・ノートを発行したロンドンのゴールドスミスの個人情報は特定できていないので、その血縁関係は不明ですが、その名を冠したゴールドスミス家は、ロスチャイルド家と幾度も婚姻関係を結んでおり、ロスチャイルド家の一統と見ることができます。
最終的には、イギリス東インド会社が成功し、世界中に植民地を拡げ、麻薬貿易や奴隷貿易などで巨利を得て、イギリス東インド会社の株主など関係者は莫大な富を蓄積していきました。
これらの始まりとなった17世紀当時の英国では、ハイリスクではあるけれど一攫千金のチャンスは存在し、それにつき動かされる多くの人々がいた時代でした。この背景として、この時代を創出させる源泉となるものが生みだされていました。「量的に自由に融通できるお金」です。
それまで市場における商取引の決済にされたのが金貨や銀貨の「現物貨幣」です。この決済方法では、市場での一回一回の商取引の範囲は、「現物貨幣」の存在量の内に限定されることになります。「現物貨幣」は「量的に市場を限定させるお金」でもありました。
しかし、その限定された市場商取引の様相を一変させるものが生まれたのです。「紙幣」です。市場へのお金の供給量を自由に出来るのが「紙幣」であり、これのある意味の破壊力の凄まじさと影響力は決定的で絶大でした。「紙幣」の登場によって、市場規模は一気に飛躍的に拡大したのです。
信用創造で生みだされるお金が、後の世界を支配する大英帝国の原動力でもあった、いや、もっといえば「紙幣」そのものが世界のあり方を一変させたとも言えるのです。