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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝13 ― 中央銀行イングランド銀行設立へ
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信用創造の実態 ~信用創造の開発者は?
日銀の記事によると、その後の世界を一変させる働きとなった「紙幣」の始まりは「ゴールドスミス・ノート」で、その流通は1600年代半ばとされており、このロンドンのゴールドスミスが発行した「紙幣」が、金(ゴールド)本位制の部分準備金による「信用創造」の始まりであったことを前回記しました。
部分準備金による信用創造とは何か?
ゴールドスミスの時代は、準備の金(ゴールド)に対し約10倍の紙幣を発行し貸出しました。裏返すと、これは発行される全部の紙幣の約10分の一という全体の一部分でしかない準備の金(ゴールド)で、その約10倍の紙幣の貸出がされていたのが実態だったのです。
さてところが、現在の信用創造はもっとすごいことになっており、ゴールドでもない準備金の約100倍のお金が通帳に印字されて貸し出されているのが実態です。銀行は顧客から100万円預かるとそれを準備金としてその100倍の約1億円を貸し出しているのです。これが現在の銀行の通常業務です。
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もちろん、この信用創造の業務実態は現在まで世界の一般人には秘密にされてきたのですが、日銀等によると、この近代銀行の先駆けと表現された「信用創造」は、ロンドンのゴールドスミスという個人が発見し、開始した業務とされているわけで、この見解がオーソドックスなものだと見て良いでしょう。
しかし一方、この部分準備金による信用創造の方式は、ゴールドスミス個人もしくはゴールドスミス・ゴールドシュミットネットワークの個々人が発見し実行を始めた、とは異なる見方をジョン・コールマン博士は示しています。『新版300人委員会』で以下の通り記されています。
「東インド会社は、設立から25年間は、歴代ムガール皇帝やインドの商人、銀行家と良好な関係を築いた。彼らは1625年までにインド金融の秘密を手に入れ、その内容を熱烈な報告書にしたためてイギリス国王に届けている。」
同著でジョン・コールマン博士は「インド金融の秘密」を「バビロン式部分準備銀行制度にもとづくインドの商業銀行制度」としています。
つまり、部分準備金制度の信用創造はバビロンが起源であり、その金融方式が採用され残っていたインドで、そのインドの銀行家などから、イギリス東インド会社が1625年までにそれを学び習得し、その報告書を英国王にも届けているとしているのです。
このジョン・コールマン博士の記述によると、部分準備金によるお金の信用創造はゴールドスミスの個人による発見ではないとなります。
紙幣である「ゴールドスミス・ノート」がロンドン中心に流通したとされるのが1600年代半ば、それに先立ち、イギリス東インド会社の本来所有者「黒い貴族」たちが1625年までに部分準備金制度の信用創造の金融方式を習得していたならば、年数的に符合はします。
バビロン式部分準備銀行制度を習得したイギリス東インド会社の「黒い貴族」がバックにあって、その指示で、ロンドンのゴールドスミスが社会実験として紙幣となる「ゴールドスミス・ノート」の発行と流通をさせた、という筋書きが浮かぶのです。この筋書きは不明ながら可能性としては確かにありそうです。
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黒い貴族とゴールドスミスの関係は? ~個人銀行も中央銀行も業務内容は同じ
既述しているように、イギリス東インド会社は、レヴァント貿易を独占的支配していたヴェネチアやジェノヴァの黒い貴族の組合(レヴァント会社)に、ドレーク海賊団が合流したのがその起源となっています。
部分準備信用創造の起源がバビロン(このバビロン起源説は、ベンジャミン・フルフォード氏も折々に言及しています)となると、東インド会社の「黒い貴族」の源流カナン族がその最初から絡んでいることになります。
さて、1600年代半ばの信用創造による紙幣の流通に関して、謎というか問題は、紙幣を信用創造流通させた主体がゴールドスミスだったのか「黒い貴族」だったのか? ロンドンのゴールドスミスたちと「黒い貴族」との関係はどうだったのか?です。
しかし、残念ながらロンドンのゴールドスミス個人の情報を見つけることが出来ないので、ゴールドスミスと「黒い貴族」との関係は不明であり、「どちらが主体者として紙幣を流通させたか?」の謎は残ったままではあります。
ただし、ゴールドスミス(ゴールドシュミット)は金融に関する職能ユダヤ人グループの一統であり、両替商として欧州全体にネットワークを構築していたはずです。
一方「黒い貴族」は自称ユダヤの「宮廷ユダヤ人、特権ユダヤ人」グループで、金融をその主な業種の一つにしていたのです。ゴールドスミス・ゴールドシュミットのネットワークと「黒い貴族」が無関係だったと見る方が困難で、ゴールドスミスたちも「黒い貴族」と業務提携していた仲間内だったと見る方が自然に思えます。
ともあれ、具体的な形で実施されたゴールドスミスの部分準備金による信用創造の実施業務が、そのまま世界初の近代中央銀行イングランド銀行の業務稼働へと繋がりました。もちろん、ゴールドスミスの業務は、近代銀行の先駆だとしてもそれはあくまでも個人として商取引です。
それに比してイングランド銀行は、これも私有銀行ではあるのですが、国王の認可による中央銀行として公的権限が付与された上での業務となり、商取引の規模も桁違いで、対象も国家相手のものとなりました。この点で全く異なります。しかし業務内容それ自体は全く同じなのです。
1692年から現在までのイギリスの国家債務(対GDP比)
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イングランド銀行の信用創造もゴールドスミスと同様で、部分準備金制度による、つまり、ありもせず持ってもいないゴールドや金貨を、あるように見せかけ持っていると思わせた上の、偽りの信用によって創造された「お金」に他ならなかったのです。
詐欺の内容は同じでもその規模が格段に拡大したというべきかも知れません。
イングランド銀行設立時の株主たち ~東インド会社の株主と同じ?
1694年、17世紀末に設立されたイングランド銀行は、19世紀末には世界の経済金融の支配者となります。ただ今回は紙面の関係上、イングランド銀行の具体的な業務の事実には触れずに、銀行設立時の株主たちを紹介するに留めます。
ユースタス・マリンズは『世界権力構造の秘密』で「イングランド銀行の創立者たち」との題で次のように記しています。
「イングランド銀行の株主たちは初期には「1300人協会」と呼ばれた。株主にはイングランド国王と女王も名を連ね、それぞれ1万ポンドずつの価値に相当する株式割り当てを受けた。」
私有企業のイングランド銀行を中央銀行として認可したのが、言うまでもなくオレンジ公ウィリアム3世です。彼はイングランド銀行から120万もしくは125万ポンドを借り受け、その債務を国家の債務(国債)としたのでした。その後、この方式で英国のイングランド銀行への債務は膨張していくのですが、この債務は英国民の重税であがなわれていきました。
そのご褒美なのでしょう。ウィリアム3世はイングランド銀行から妻のメアリ2世と共々に1万ポンド分づつの株式を譲り受けた模様です。
ウィリアム3世とメアリー2世
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このオレンジ家のイングランド銀行への多大な権限は現在も堅持しているでしょう。同著の記述では続いてお馴染みの名前が続きます。
「マールボロ公爵は1万ポンドを出資した。彼は1697年には例の「仲介手数料」のなかから多額の金を東インド会社(1600年設立)にも投資した。のちに彼はハドソン湾会社の総督になるが、この会社は75%の配当金を出した。シュローズベリー卿は1万ポンド、ゴドルフィンは7000ポンドを投資した。イングランド銀行特許状の応募者にはさらにウィリアム・ペンディングがいた。」
マールボロ公爵(マールバラ公爵)、シュローズベリー卿、ゴドルフィン、ウィリアム・ペンディング、彼らは例のアムステルダムの銀行家たちに買収されて寝返った面々です。
ウィリアム3世、マールバラ公爵以下英国国家中枢に座すこの面々が、イングランド銀行の株主となっていたのです。英国中枢の彼らがまず行ったことは、イングランド銀行を通して英国、英国民を食い荒らすことだったわけです。また、マールバラ公爵への記述を見ると、英国中枢の彼らは、東インド会社の権限も買い取っていたであろうことは容易に察しがでつきます。
つまり、麻薬貿易などで莫大な利益を得ていたのが彼らでもあったわけです。
近代から、世界の金融システムは金(ゴールド)を通貨の価値の根拠とする金本位制としてまとめられました。しかし、その金本位制は1971年のニクソンショックで一方的な形で破棄されました。
金本位制に取って代わったのがいわゆるオイルダラーです。世界基軸通貨であるドルの価値の根拠を、中東のオイルを中心としたエネルギー資源とするもので、オイルなどの取引はドルのみとしました。これでドルの価値を担保したのです。
この金融システムにて、中東の石油利権の覇者デービッド・ロックフェラーが世界帝王の一人として君臨することになりました。しかしそれも今は昔で、石油取引などの決済にドル以外の通貨が現在使われており、ドルの基軸通貨としての根拠は既に失われているのです。
現在進められている新たな金融システムはブロックチェーン技術を用いた金本位制の復権の模様です。
さて、今回も改めて現在にまで通じてきた金融システム、それがどのように立ち上がり成立していったのかを見ていきます。