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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝11 ― 黒い貴族による英国攻撃の意味
英国を攻撃した「黒い貴族」 ~その中心にあったのがオレンジ家
1600年代後半に三次に渡る英蘭戦争を戦った英国とオランダ。このオランダ王室のオレンジ家のウィリアム3世が名誉革命にて英国王に就き、1600年代末にイングランド銀行が設立されます。「オランダのオレンジ家が英王室を乗っ取った」。このこと自体は紛れもない事実です。
1649年に英国王チャールズ1世が処刑、それまでの英王室が転覆されることになったのが清教徒革命です。その清教徒革命の旗手であるオリーバー・クロムウェルは、マナセ・ベン・イズラエルたちオランダアムステルダムの金融家に買収されていたのが内実です。彼ら「黒い貴族」の要請によって革命と英国王処刑が決行されたのです。
さらに、それに先立ち清教徒革命の源泉となったのが、英国に入り込んだ清教徒の存在です。清教徒が英国に入り込み、特に下院議会の中に席を占め、発言力を強めたのがベースとなり、清教徒革命と名誉革命へと結びついているのです。
そして外伝8で見たように、この清教徒と分かちがたく深く結びついていたのがオレンジ家なのです。
三次に渡る英蘭戦争、それに清教徒革命と名誉革命、これら英国における1600年代中頃から後半にかけて起き上がった非常に重大な出来事、これらは全てが一連の計画に基づいた動きだと見なすべきなのです。
Wikimedia Commons [Public Domain]
現実にこの一連の動きで生じた結果は、以下の通りです。
①イギリス東インド会社が改組の上に超国家的特権を獲得
②(長年追放されていた)自称ユダヤ人たちの英国への帰還
③オレンジ家の英王室乗っ取り
④国家に金を貸し付け通貨発行するイングランド銀行設立
一連の動きによって得られた①から④は、「黒い貴族」が世界を植民地化支配していく計画を立て、その拠点にすべく、英国並びに英王室に狙いを定めた結果だと見えます。事実、その後大英帝国の看板のもと世界を植民支配するのです。そして、その世界支配の最重要機関がイギリス東インド会社とイングランド銀行です。
これら1600年代を通しての「黒い貴族」による英国への総攻撃、この中心の一角にあったのがオレンジ家であったのはどう見ても間違いが無いのです。この総攻撃の仕上げとして亡命に追いやられたのがジェームズ2世です。
ユースタス・マリンズは『カナンの呪い』の中で、ジェームズ2世の重臣側近たちで、アムステルダムの銀行家から賄賂を受け取り寝返った面々を記しています。筆頭はマールバラ公爵ジョン・チャーチル(ウィンストン・チャーチルの先祖)。彼は「35万ポンドの賄賂をメディナ家およびマシャド家から受け取った」とのこと。
その他シュールズベリー卿、シドニー・ゴドルフィン、サンダーランド公爵、ポーツマス公女、ポルワース卿、ハンス・ペンティングなどの名が上がっています。
ウィリアム、ウィレム、ヴィルヘルム、ギョームの名の意味 ~ダヴィデ王の正統子孫との思い込み
大英帝国の看板のもと、18世紀、19世紀と七つの海を股にかけ勢力を拡大し世界を植民地支配していった英国。ところがその英国自体が、それに先だって既に「黒い貴族」に乗っ取られていたわけです。
英国への攻撃をかけた「黒い貴族」の中心にあったのがオレンジ家で、乗っ取りにてオレンジ家のウィリアム3世が英国王になったのは事実です。ただし以前に触れたように「王家とはその血流である」との見方に沿えば、オレンジ家が英王室を乗っ取った、との表現は非常に微妙にもなってしまうのです。
どういう意味か?
それまでの英王室の「王家の血流」も「オレンジ家の血流」も多分間違いなく同じ血流だという意味です。同じ血流同士ならば、「血流」の視点からは乗っ取りすり替わったわけでもないということです。
名前に注目して下さい。ウィリアム3世のウィリアム、オランダ読みではウィレムです。ドイツ語ではヴィルヘルム、そしてフランス語ではギョームです。そして英王室の始祖の名は征服王ノルマンディー公ウィリアムなのです。ウィリアム3世と同じくウィリアムの名です。
pixabay [CC0]
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更にノルマンディー公ウィリアムはギョーム2世とも名乗っています。ギョーム2世と名乗るということは、ギョーム1世そしてその始祖がいるということです。初代英国王がウィリアム、ギョームという名前に非常に強いこだわりがあったことが分かります。
このウィリアム、ウィレム、ヴィルヘルム、ギョーム、更にはヴィレヘルムの名前の中に込められていたのがマグダラのマリアの血流だったのです。ウィリアムやウィレム、ギョームと名乗った彼らは、自分たちがマグダラのマリアの血流を受け継いでいたことを秘かに伝えられ自覚していたでしょう。更には、マグダラの血流を通し、自らはダヴィデ王の子孫であるとの強い思い込みも。
そして、だからこそダヴィデ王の血流を引き継ぐ自分が、この地上世界全体を統率する正統な帝王の筋だ、との思い込みは強くあったでしょう。この世界帝王への思い込みは現在までも続いており、それが各国王家の紋章の姿になって現れているように私には見受けられます。
王家の紋章が示すもの ~「ユダ族の」紋章が獅子
戦争の形態は、最終的には敵味方が入り乱れての「白兵戦」となります。戦争最終形態の白兵戦で最重要になってくるのが、当然ながら同士討ちを避けるための敵と味方を別ける識別の刻印です。そのため、欧州王家では、それぞれが敵味方共に一目でそれと認識できるエンブレム紋章が採用されてきたのです。
さて現代、直接の殺し合いをするわけにはいかないので、現代版「白兵戦」の代用となっているものがあります。その最たるものが「サッカー」でしょう。
今年のロシアW杯も各国の代表選手がそれぞれ各国の紋章を胸に世界戦を戦いました。これは、国によってはその各王家の紋章を背負って、王の代理者として世界戦を戦ったという意味もあるはずなのです。
このロシアW杯でのイングランドの紋章はどのようなものだったか?「三匹の獅子に五弁の薔薇」デザインの紋章です。
獅子はダヴィデ王が所属していた「ユダ族」の紋章なのです。従って紋章の獅子はダヴィデ王の子孫を表現すると思えます。それに五弁の薔薇はマグダラのマリアを表現しているでしょう。
つまりイングランの紋章は自らがダヴィデ王とマグダラのマリア直流の正統子孫であるとのアピールであるように見受けられます。
The team at @PGLettings wish the boys in the England national football team the best of luck this evening against Croatia in the FIFA World Cup! 🇬🇧️⚽
— PalaceGateLettings (@PGLettings) 2018年7月11日
It's coming home!#FIFA18 #FIFAWorldcup2018 #Property #FIFAWorldCup #LettingAgent pic.twitter.com/xeRVVCjFyR
また、オランダの場合は王家オレンジ家のシンボルカラーであるオレンジ色の素地に、冠を被った獅子がその紋章になっています。オレンジ家がダヴィデ王の正統子孫であると同時に、「王家の中の王」であるとアピールしているように見受けられます。
#Soutien 🙌
— Morocco 2026 (@Morocco2026_FR) 2018年6月12日
Merci à la Fédération royale néerlandaise de #Football (@KNVB) d’avoir exprimé son soutien à la candidature #Maroc2026 >>> https://t.co/CIb4J9BJgx#EnsemblePourLeMêmeBut 🇲🇦 pic.twitter.com/kuzrc3YjhR
ウィリアム、ウィレム、ヴィルヘルム、ギョームの名前に冠せられたマグダラのマリアの血流は、既に欧州の各王家の全体に流れ込んでいるのです。ノルマンディー公ウィリアムから始まった英王室の血流と、それを乗っ取ったオレンジ家の血流も同じマグダラのマリアからの血流で、英王室もオレンジ家も共にダヴィデ王の正統子孫であるとの強い思い込みがあったでしょう。
さて、それではジェームズ2世以前の英王室とオレンジ家の相違は? それは悪魔崇拝か?否か?の相違です。
征服王ノルマンディー公ウィリアムから始まった英王室、ノルマン人とはバイキング、つまり海賊で、その末裔が英王室の始まりで、英国はその最初から海賊国家だったのです。更に時代が下れば同族同士で王位を巡る「薔薇戦争」で骨肉の争いを演じています。
またぴょんぴょん先生の8月8日記事で教えられましたが、アイルランド人への仕打ちなどはまさに悪魔的でした。
しかし、まともとは言いがたい面も多々ありますが、それでもジェームズ2世以前の英王室は悪魔崇拝ではなかったと思えます。「黒い貴族」にはカウントされてはいないのです。
その意味で「黒い貴族」、つまり悪魔崇拝勢力が世界支配計画を進めるのに英王室は邪魔だったのでしょう。そこで「黒い貴族」の主要ファミリー(注)であり、かつ、英王室と同じくマグダラの血流を強く受け継いでいたオレンジ家が、英王室を乗っ取ったように見受けられるのです。
チャールズ1世の公開処刑を代表とした1600年代の英国の変質は、「黒い貴族」による波状攻撃に晒された結果であったのです。そしてその攻撃の背後の中心にいたのがオレンジ家と見るのが当然です。
「黒い貴族」の攻撃はその対象相手の内部に「工作員」を送り込むことから開始されます。英国の場合は、その「工作員」は英国で「清教徒」と呼ばれるカルヴァン派と見なせます。清教徒の工作から更なる攻撃が続行します。英国内の重臣など有力者への賄賂による「買収です」。
清教徒革命ではオリヴァー・クロムウェルが、名誉革命では、後のウィンストン・チャーチル首相の先祖にあたるマールバラ公爵たちが、アムステルダムの銀行家たちに買収されました。この結果オランダのオレンジ家ウィレム3世が、英国でウィリアム3世の名前となって英国王に就任したのです。
ただし「王家の血流」の視点から見れば、ノルマンディー公ウィリアムから始まる英王室とオレンジ家の血流は同じに見えます。英国ではウィリアム、オランダではウィレム、そしてフランスではギョーム、この名前の下に流れる血流こそが「王家の血流」つまり「マグダラのマリアの血流」となるのです。