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ぴょんぴょんの「できるかな? 僕にもできた!」
できるかな?
「今日よりも明日、今週よりも来週、同じ気持ちになってくれる、一つのテーマでも共感してくれる人をあなたが増やすキーマンになってくれませんか?
あなたが自分一人では何もできない、って洗脳から解かれたとき、
この国は変えられる。
あなたがそれを望めば。
あなたがいなきゃ始まらない。
国を変える力を結集するには、あなたがいなきゃ始まらない。
あなたの力を貸してくれませんか?」
あなたが自分一人では何もできない、って洗脳から解かれたとき、
この国は変えられる。
あなたがそれを望めば。
あなたがいなきゃ始まらない。
国を変える力を結集するには、あなたがいなきゃ始まらない。
あなたの力を貸してくれませんか?」
(僕にもできた!国会議員)
「できるかなOP」
議員に当選してからの山本太郎の6年間
この本の取材をした〈雨宮〉氏が、「あとがき」に書いている。
「山本太郎の6年間をふり返る取材は、とにかく楽しいものだった。
何しろ都内の公園で野宿する人に・・・インタビューしたかと思ったら、その数日後には議員会館で小沢一郎氏にインタビュー・・・ホームレス、被災者、避難者、DV被害者支援をする女性、被災地支援に駆け回る人、生活保護問題に取り組む弁護士、イラク支援を続ける人や戦場ジャーナリスト、入管収容所にいる外国人、経済学者、憲法学者などなど本書に登場する人はあまりにも多岐にわかる。
それがなんとも山本太郎らしいではないか。」
「山本太郎の6年間をふり返る取材は、とにかく楽しいものだった。
何しろ都内の公園で野宿する人に・・・インタビューしたかと思ったら、その数日後には議員会館で小沢一郎氏にインタビュー・・・ホームレス、被災者、避難者、DV被害者支援をする女性、被災地支援に駆け回る人、生活保護問題に取り組む弁護士、イラク支援を続ける人や戦場ジャーナリスト、入管収容所にいる外国人、経済学者、憲法学者などなど本書に登場する人はあまりにも多岐にわかる。
それがなんとも山本太郎らしいではないか。」
2013年7月、参議院議員になったはいいけど、
何がわからないかさえ、わからない、すべてがわからない。
プロが事務所に一人もいない、全員素人状態。
という状態からの、スタートだった。
専門家のレクチャーを受けても、小学生が大学の講義を聞くレベル。
何がわからないかさえ、わからない、すべてがわからない。
プロが事務所に一人もいない、全員素人状態。
という状態からの、スタートだった。
専門家のレクチャーを受けても、小学生が大学の講義を聞くレベル。
本の目次を追ってみよう。
第1章は、〈山本太郎〉の6年間の働きと、その成果が語られている。
国会議員は707人。707分の1で何ができるのか。
しかし、〈山本太郎〉という議員がたった一人いたことで、変わったこともある。
【そして、彼が寄り添ってきたのは、被災者やDV被害女性、生活保護世帯の子ども、野宿者、外国人といった〈もっとも弱い立場に置かれた〉人々だ。】
たとえば西日本豪雨では、「カジノ法案」で忙しい自民党に喝を入れ、被災地に小型重機100台を調達した。
第1章は、〈山本太郎〉の6年間の働きと、その成果が語られている。
国会議員は707人。707分の1で何ができるのか。
しかし、〈山本太郎〉という議員がたった一人いたことで、変わったこともある。
【そして、彼が寄り添ってきたのは、被災者やDV被害女性、生活保護世帯の子ども、野宿者、外国人といった〈もっとも弱い立場に置かれた〉人々だ。】
たとえば西日本豪雨では、「カジノ法案」で忙しい自民党に喝を入れ、被災地に小型重機100台を調達した。
すごい!!
— VOTE for DEMOCRACY (@supportV4D) 2018年7月13日
山本太郎の12日の国会での「被災地で集落ごとに小型重機を数台稼働できるように」という提案を受けて、
🚜ショベルカー100台が14日に被災地へ
山本太郎→石井国交相→国交省→レンタル重機屋の素早い連携パス。
山本太郎、マジ頼りになる! https://t.co/ReLwli3mrn
また、女性活躍・推進法に、DV・ストーカー問題を盛り込んだ「附帯決議」を追加。
この「附帯決議」のおかげで、多くの女性たちが救われたんだ。
また、生活保護世帯の子どもが大学に進学すると、一家の受給額が減らされることに声を上げた。
2015.8.25内閣委「女性活躍法案~DVについて」 - 山本太郎 附帯決議⇒女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案に対する附帯決議(案)資料⇒配偶者からの暴力に関するデータ○山本太郎君 ありがとうございます。生活の党… http://t.co/IYMCoFxVnr
— ブロサーフ (@blosurf) 2015年8月26日
この「附帯決議」のおかげで、多くの女性たちが救われたんだ。
また、生活保護世帯の子どもが大学に進学すると、一家の受給額が減らされることに声を上げた。
昨日の国会。山本太郎、鋭いところ、突いてる。特に生活保護世帯の大学進学について。厚生省の酷い考え方をあぶり出している https://t.co/Zta7XazhtU
— ガイチ (@gaitifuji) 2019年5月21日
オリンピックのせいで、明治公園から追い出される野宿者を守る。
野宿者の代表、小久保氏は言う。
「年末年始にはホームレスの人たちの炊き出しにも行かれたり、すごい地道な活動もされるし、そういう国会議員らしくない、でも本当は国会議員はこうあってほしいっていう活動をして頂いてるなって思います。」
【明治公園野宿者に対する強制排除問題】JSC(日本スポーツ振興センター)に対する質問書と回答書 https://t.co/8MtQiHPgJ0
— 山本太郎事務所・広報 (@taro_koho) 2016年4月12日
野宿者の代表、小久保氏は言う。
「年末年始にはホームレスの人たちの炊き出しにも行かれたり、すごい地道な活動もされるし、そういう国会議員らしくない、でも本当は国会議員はこうあってほしいっていう活動をして頂いてるなって思います。」
住民票のないホームレスは、1票にもならないからね。
なんで票にもならない野宿者の声に、ていねいに耳を傾けるのか?
「だって、自分が当事者だったら動いてくれる政治家、欲しいでしょ?
それだけかな(笑)。」と、〈山本太郎〉は言う。
なんで票にもならない野宿者の声に、ていねいに耳を傾けるのか?
「だって、自分が当事者だったら動いてくれる政治家、欲しいでしょ?
それだけかな(笑)。」と、〈山本太郎〉は言う。
そう、一票にもならない。
だけど彼が動いたことで、入管収容所で、夜間もクーラーがつけられるようになり、朝もお湯のシャワーが出るようになった。
〈山本太郎〉「それくらいのことは議員一人でもできるということがわかった。」
だけど彼が動いたことで、入管収容所で、夜間もクーラーがつけられるようになり、朝もお湯のシャワーが出るようになった。
〈山本太郎〉「それくらいのことは議員一人でもできるということがわかった。」
〈山本太郎〉の成し遂げた偉業の一つ、「11回の牛歩」についても振り返る。
取材した雨宮氏は、国会のすべての本会議を傍聴していたのだが、結果的にすべての「ひとり牛歩」を見ることになった。
【それは、あまりにも残酷な光景だった。自民党席からの激しいヤジ、怒号・・罵声・・精神的な公開処刑。そんな言葉が浮かんだが・・・たった一人で怖くはなかったのだろうか?】
取材した雨宮氏は、国会のすべての本会議を傍聴していたのだが、結果的にすべての「ひとり牛歩」を見ることになった。
【それは、あまりにも残酷な光景だった。自民党席からの激しいヤジ、怒号・・罵声・・精神的な公開処刑。そんな言葉が浮かんだが・・・たった一人で怖くはなかったのだろうか?】
いや、彼の「牛歩」は、決してパフォーマンスなんかじゃねえ。
おれたち国民一人一人の、汗と涙を背負った「牛歩」だったんだ。
だから彼は、あの時、「たった一人」ではなかったはずだ。
すべての怒れる国民を代表して、おれたちの怒りを表現してくれたんだ。
山本君、ありがとう!!
おれたち国民一人一人の、汗と涙を背負った「牛歩」だったんだ。
だから彼は、あの時、「たった一人」ではなかったはずだ。
すべての怒れる国民を代表して、おれたちの怒りを表現してくれたんだ。
山本君、ありがとう!!
相手が巨悪すぎだよね。
しかも、「デマを言うな」「歩く風評被害」という言葉が、背後から投げつけてられる。
でも、原発の被害者にとっては偉大な味方だ。
議員になりたての頃、〈山本太郎〉が集会に来たとき、ある避難者はこう思ったと言う。
「国会議員が初めて自分の目の高さまで降りてきた瞬間でした。
この人だったら私たちの言葉を聞いてくれるかもしれないと。」
なのに彼は、会うたびに「すまない」「せっかく議員にしてもらったのに一人も助けられてない」と謝る。そしていつも、避難者の話を真剣に聞き、「教えてください」と頭を下げる。
しかも、「デマを言うな」「歩く風評被害」という言葉が、背後から投げつけてられる。
でも、原発の被害者にとっては偉大な味方だ。
議員になりたての頃、〈山本太郎〉が集会に来たとき、ある避難者はこう思ったと言う。
「国会議員が初めて自分の目の高さまで降りてきた瞬間でした。
この人だったら私たちの言葉を聞いてくれるかもしれないと。」
なのに彼は、会うたびに「すまない」「せっかく議員にしてもらったのに一人も助けられてない」と謝る。そしていつも、避難者の話を真剣に聞き、「教えてください」と頭を下げる。
しっかし・・・・・そんな満身創痍で、よくここまで生き残れたもんだ。
これでもか、これでもかと、予防接種・添加物・電磁波・学校教育やテレビによる洗脳を無制限に浴びせられ・・・・・こんだけされたら、どんなツワモノも、ヘナチョコにされちまう日本の社会で、よくこれだけ、根性ある日本人が、生き残れたもんだ。
そのこと自体、脅威だな。
これでもか、これでもかと、予防接種・添加物・電磁波・学校教育やテレビによる洗脳を無制限に浴びせられ・・・・・こんだけされたら、どんなツワモノも、ヘナチョコにされちまう日本の社会で、よくこれだけ、根性ある日本人が、生き残れたもんだ。
そのこと自体、脅威だな。
〈山本太郎〉の結論。
「放射能汚染の問題。これは、一人で動かせる話ではない。・・・
国家として方向性を決めた上に、この国に生きる多くの人々がそのことに関してあまり関心を払わない時、一人で動かせることには限界がある。」
「放射能汚染の問題。これは、一人で動かせる話ではない。・・・
国家として方向性を決めた上に、この国に生きる多くの人々がそのことに関してあまり関心を払わない時、一人で動かせることには限界がある。」
第5章はQ&A。
「今後の展望を教えてください。」という問いに、〈山本太郎〉はこう答えている。
「一応、総理になります(笑)。代わりにやってくれる人がいれば、その人を応援するというスタンスですが、どうやらいなさそうなので(笑)。」
「今後の展望を教えてください。」という問いに、〈山本太郎〉はこう答えている。
「一応、総理になります(笑)。代わりにやってくれる人がいれば、その人を応援するというスタンスですが、どうやらいなさそうなので(笑)。」
ハイサイおじさん 喜納昌吉
ハイサイ岡田秘書は言う。
「僕はいろんな議員の秘書経験があるんですが、こんなに働いてる国会議員は数少ないと思いますよ。」
他の事務所の秘書からも、よく聞かれるそうだ。
「あの質問、誰が作ってるの?」って。
「みんな、ものすごいシンクタンクくらいのブレーンがいるって思ってるみたいなんですよ(笑)。『事務所のみんなで作ってます』って言うと、本当に驚かれますね。」
「僕はいろんな議員の秘書経験があるんですが、こんなに働いてる国会議員は数少ないと思いますよ。」
他の事務所の秘書からも、よく聞かれるそうだ。
「あの質問、誰が作ってるの?」って。
「みんな、ものすごいシンクタンクくらいのブレーンがいるって思ってるみたいなんですよ(笑)。『事務所のみんなで作ってます』って言うと、本当に驚かれますね。」
他にも、ギタリスト、ブロガー、Twitterからスカウトされた人など、バラエティに富んだ人たちが集まってる。
取材した〈雨宮〉氏も言う。
【ちなみに山本太郎事務所に入るにあたって学歴、職歴などはまったく不問とのこと、なぜなら議員本人が「中卒みたいなもんだから」(高校中退)ということだ。】
取材した〈雨宮〉氏も言う。
【ちなみに山本太郎事務所に入るにあたって学歴、職歴などはまったく不問とのこと、なぜなら議員本人が「中卒みたいなもんだから」(高校中退)ということだ。】
ところで、このハイサイ岡田秘書の話がおもしろい。
〈山本太郎〉からスカウトされたとき、彼は、他の議員の事務所にいた。
が、そこは〈山本太郎〉事務所より楽だったので、どうしようか悩んでいて・・・・・
どうやって決めたか知ってる?
〈山本太郎〉からスカウトされたとき、彼は、他の議員の事務所にいた。
が、そこは〈山本太郎〉事務所より楽だったので、どうしようか悩んでいて・・・・・
どうやって決めたか知ってる?
「世界を変えるのは、いつの時代も『空気を読まないバカ』である!」
「山本代表は5月31日までに寄付金1億円を集めると述べた。
困難な道と思われたが、同党は・・・5月20日の段階で1億1215万円が集まったと報告した。
確かにクラウドファンディングで資金集めをした最高額は音喜多駿「あたらしい党」代表の約1,000万円。その12倍の額を山本太郎氏は40日間で集めたのだ。確かに、これは事件である。」(ネタリか)
山本太郎の新党・れいわ新選組、1ヶ月で寄付金1億以上が集まる 各界から支援の声も https://t.co/x2n7gx30iP #ネタりか
— 雨宮処凛 (@karin_amamiya) 2019年5月26日
「山本代表は5月31日までに寄付金1億円を集めると述べた。
困難な道と思われたが、同党は・・・5月20日の段階で1億1215万円が集まったと報告した。
確かにクラウドファンディングで資金集めをした最高額は音喜多駿「あたらしい党」代表の約1,000万円。その12倍の額を山本太郎氏は40日間で集めたのだ。確かに、これは事件である。」(ネタリか)
1回目は沖縄の抗議集会で、「山田太郎さんです」と紹介されて登場したのが、山本太郎さんでした。
頭をかきながら、「そうなんです、いつも山田太郎とまちがえられます。」と司会者をかばったのが印象的でした。
2回目は、沖縄・高江のテントで。
土砂降りの中、外出から帰ってみると、奥のN1ヘリパッド見学から戻ってきた、びしょぬれの山本太郎ご一行と鉢合わせました。借りた雨具を、ていねいにたたんで返すと、私たち一同に深々とお辞儀をして退場して行きました。その風景が、今でも目に焼きついています。
今回、山本太郎さんの本、「僕にもできた!国会議員」を読んで、山本太郎さんの全体像が、よりヴィヴィッドになりました。