ままぴよ日記 25

 同じ環境で暮らしているとそれが当たり前になって気づかないことが多いもの。いいことも悪いことも、ちがう環境に接して初めて気が付きます。今、娘家族はあまりにも違う環境に身を置いて、その違いに驚きながらも自分の中で消化吸収していることでしょう。願わくば、世の中にはいろいろな生き物、人、文化、価値観がある事を当たり前のこととして尊重できる人になってほしいと思っています。でも、その前に自分が自由である事。人の自由を認める事。それはとても難しいことです。
 私自身、違う文化に触れて強く思ったのは{日本の子ども達は画一化されて多様性を知らない。自由に遊ぶ事も自由に発想することも、それを表現することも体験しないまま育っている}ということです。
 それはその子の人生において大きな損失であり社会の損失です。
(かんなまま)
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住む場所探しと学校への入学


まだ日本にいる時のことです。留学が決まって一番先にしたことは住む場所を探すことでした。残念ながらアメリカは住む場所によって治安や教育環境がちがいます。まずはどんな学校か?子ども達が安心して暮らせるか?を中心に調べていたらよさそうな物件が色々出てきました。

でも、そういう物件は家賃が高い!お金がないと安全でいい教育が受けられないというのもアメリカです。そして家族6人となると条件まで厳しくなります。一人当たりの最低床面積や部屋数を満たさなければいけないのです。家族みんなで寝るから狭くていいですと言っても貸してくれません。

画像はイメージです

アメリカは親子一緒に寝る習慣がありません。子どもであっても性別の違う親や兄弟と寝ていることがわかると問題視されます。そして、親子一緒にお風呂に入るなんて人前では絶対に話せません。幼児虐待では?と疑われるようなお国柄です。

メールでやり取りをして、やっと見つけた郊外の物件は幸いなことに通学路(バイクパス)に面している環境のいいところでした。そのバイクパスは電車の駅に沿ってあります。その途中に小学校もあり通勤通学、散歩に使われています。

校区の小学校はキンダー(6歳。就学前)から5年生まで。6年生は別にシックスグレードスクールに通い、7―8年生が中学校。9-12年生が高校です。孫たちは日本にいる時からこの小学校に入学することがわかっていたのでメールで連絡を取り合っていました。入学するには日本での在学証明書、成績証明書、健康診断書、予防注射の履歴証明書が必須書類です。

それらの書類は日本の学校から直接メールで送ってくださいとのことでしたが、日本の学校がネットでの手続きに対応していなくて大変でした。英語の証明書を書ける先生がいないということで時間もかかりました。何度も学校とやり取りをして書類を娘が直接預かって持って行くことになりました。予防注射も学校だけでなく、仕事や幼稚園に至るまで英語の履歴証明書を提出して漏れていれば強制的に有料で打たされます。

打つ年齢も決まっているので孫の場合はアメリカの規定より1か月早かったとのことで、養護の先生からもう一度打ち直して証明書を持ってくるように、と言われました。娘が小児科医なので説明して打たずに済みましたが書類の不備は容赦なくアウトです。

これで学校への入学は許可されましたが、いつから、どの学年に編入するのかは決まっていません。面接して、簡単な英語のテストをして決めるとのことでした。


ボストンに着いた2日後に市の教育委員会に行き、正式な手続きと説明を受けてきました。そして面接の日が決められました。

面接の日に学校に行くと校長先生と事務の先生、養護の先生(看護師)、ESLの先生(英語を母語としない生徒担当)が満面の笑みで迎えてくれました。

孫たちを連れて学校内を案内してくれたのですが授業中にもかかわらず各クラスから子ども達が飛び出してきて「日本人?」「新入生?」「ウェルカム!」「どのクラスに入るの?」と口々に声をかけてくれます。

「えっ?授業中じゃないの?みんな教室から出てきていいの?」と思っていたら先生までも教室から出てきて「うちのクラスにおいでよ!」と大騒ぎです。何と先生の手にはマグカップとポップコーンが握られていました。あまりの歓迎ぶりに孫たちは口をあんぐり!でも戸惑いながらもうれしそうでした。


そして案内してくださる先生がいきなり4年生の教室に入って「ちょっと借りるわよ」と日本人の子を連れだして一緒に案内させてくれました。通訳係です。その子はアメリカ生活3年目でしたが英語の方が流暢で日本語がおかしくなっていました。学校だから英語モードになっているのか、家でもそうなのかはわかりませんが子どもの適応力は凄いと思いました。

別の部屋にテーブルが用意されていて学校の生活について説明がありました。教科書、ノート、筆記用具はすべて学校にあり、宿題は先生によって違うけれど基本的に低学年はなし。高学年も週末と長期休暇は宿題なし。「いろいろな体験をしながら学ぶことが大切です」と言われて孫の顔がぱっと明るくなりました。さらに「時間割は決まっているけど何も準備しなくていいから知る必要もないわね」と言われてびっくりしました。

何と、持っていくものはお弁当とスナックと水筒のみ!!その上、授業中であっても自由にトイレに行っていいし先生がお話している時以外はスナックを食べたりお茶を飲んだりしてもいいそうです。給食用のエプロン、帽子も、体操服もなし。マニキュアもピアスもOK!

孫たちは日本の学校との違いに唖然としていました。保健室の前にはかごが置いてあってリンゴやスナックが入っています。「おなかがすいた子は自由に食べていいよ」と書いてあり、事情があって満足に食べていない子も気軽に食べられるように配慮してありました。

面接が終わり、ほっとしながら帰っていたら孫が思い出したように「あれ?試験は?」と言いました。きっとお話ししたことが試験だったのでしょう。

数日後に連絡が来て、お姉ちゃんは4年生。弟は1年生のクラスに決まりました。日本では4月から2年生と5年生になるはずでしたが英語がわからないのでアメリカの9月の新学期までは保留ということになりました。どちらも日本人の子がいるクラスです。お姉ちゃんはマグカップ片手に「私のクラスにおいでよ!」と言ってくれた先生のクラスになりました。


過ごすのが楽しみな図書館


登校日まで数日間あったので、この機会にハーバード大学自然史博物館や科学博物館、子ども博物館、図書館などに行くことにしました。入館料は高いけど地域住民に限り曜日によって無料の日が設定されていました。ちなみに先生は後学のためか無料でした。

Author:Pingswept[CC BY-SA]
ハーバード大学自然史博物館

圧倒的な資料数で鉱物、植物、微生物から昆虫、動物、大型恐竜までの展示があり大興奮でした。学芸員の方もいて恐竜の骨を触らせてもらったりしました。でも大好きな玉虫が絵画のように並べて飾られているケースの前で「何で死んでいるのばかりなの?」と素朴な質問。ホントにそうだよね!

Author:平野武[CC BY-SA]


歴史的建物の図書館はアメリカで最初に児童図書館ができたところだそうです。地下のフロア全体が子どものスペースで絵本や児童書がたくさん並べられていました。

日当たりのいい窓辺に椅子やソファーが置いてあり、のんびり本を読んだり、読み聞かせをしたりして過ごせます。自由に遊ぶコーナーや寝転がって本を読めるクッションもいたるところに置いてありました。おもちゃの貸し出しもあって、孫はさっそく恐竜を借りて遊んでいました。船便が着かないのでおもちゃがないのです。貸し出しは一部のDVDを除いてすべて無料で1人1回につき、おもちゃ、ボードゲーム、DVD、パソコン、ミシン、アイロンも含めて150冊まで!びっくりしていたら「足りない?」と笑われました。


未就学児やホームスクールなどで学校に行っていない子ども用のイベントも多く用意されていました。毎週開催される「子どものための一緒に歌う日」はバークリー音楽大学の先生や生徒が来てくれて大人も見応えのあるものになっています。

おもちゃや服などのリユースコーナーもあり、娘は子ども用の椅子やヘルメットなどを5ドルくらいで買いました。その収益は図書館運営に回されるそうです。日本では「静かにしなさい」と注意されるので本を借りるだけの図書館でしたが、これからは図書館で過ごすことも楽しみになりました。


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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