霊的な進化段階と心の清らかさは全く無関係 ~どれほど進化段階が高くても、善人も居れば悪人も居る

竹下雅敏氏からの情報です。
 以前の記事で、「私」=意識・心・身体、「自己」=意識(気づき)だということを説明しました。冒頭の動画は、そのことをわかりやすく説明しています。
 こうした「気づき」によって得られる「悟り」は、霊的な進化における1.0段階で得られるものです。ヒンズー教では、「知識の7つの段階」として、“光明への発願”から“超越”までの7段階を規定しています。神智学では、“ベツレヘムの誕生”から“昇天”の6段階を、各進化段階に割り当てています。進化段階が高くなるにつれて、その人の意識と心は拡がります。
 一般に、禅も含めて、顕教は進化段階1.0に至る道です。密教は、進化段階2.0に至る道です。ヨーガには様々なものがありますが、主に、進化段階1.0段階に至る道が、カルマ・ヨーガ、マントラ・ヨーガです。主に進化段階2.0段階に至る道は、クンダリニー・ヨーガ、タントラ・ヨーガです。主に進化段階3.0に至る道は、ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガです。主に進化段階4.0に至る道は、ジュニャーナ・ヨーガです。ハタ・ヨーガは、3.0段階未満のすべての段階に対応します。
 さて、先の「知識の7つの段階」で、4.0段階に相当する「自己実現」以降の4つの段階に入った者は、“解放に達した者”と言われます。また、神智学では5.0段階以上の者を覚者(マスター)と呼んでいるようです。要するに、進化段階が高いほど、高い崇敬の対象になっているわけです。
 さて、ここが重要なところなのですが、実は、進化段階と心の清らかさは全く無関係なのです。どれほど進化段階が高くても、善人も居れば悪人も居ます。ホツマの神は進化段階が60.0を超えていますが、とても清らかな神が居ると同時に、根性の悪い神も居ます。
 地球上の混乱の原因の一つは、宗教的に高い位階に到達した者が、心が浄められた聖者だと錯覚していることです。実態は、それとはかけ離れており、むしろ逆に近いと言えます。このことは、地球上の権力者に当てはめてみるとよくわかるかも知れません。
 世界で何が起こっているかにあまり関心がなく、自分の仕事と家族のことにもっぱら関心がある人と、世界を駆け回って動いており、世界情勢に広く関心を持っている人がいるとします。例外はあるにしても、一例として、前者は専業主婦を、後者は首相あるいは大統領を考えればよいでしょう。通常こうした場合、前者よりも後者の方が進化段階は高いのが普通です。なぜなら、意識・心の拡がりと進化段階は相応しているからです。
 しかし、前者と後者を比べて、どちらが善良な人間であるかは比べられないのです。往々にして、国のトップはどうしょうもないほど邪悪な人間であることが多いです。実は、進化段階も同じなのです。進化段階が高いからといって、心が清らかであるとは限らないのです。
 心を浄めるには、人間関係を通じて、しかも濃密な人間関係を通じて浄めるしかありません。特に、夫婦関係、親子関係という濃密な関係の中でこそ、浄められていくものなのです。
 ところが、宗教関係者は、こうした本当に重要な修行の場から、常に逃避しています。なので、彼らの心はいつまでたっても浄化されることがないのです。
 天界の改革で、名だたる宗教家、高名な神々が軒並み消滅してしまったのは、こうしたことが背景にあります。
(竹下雅敏)
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【思考を止める実験】量子の同調 純粋な気づき フランク・キンズロー
配信元)
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【霊的な進化段階】

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