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EUと入国スタンプ
まずは、1月31日でイギリスがEUからさよならをしました(Brexit)ので、議会では、最後に蛍の光を歌っている光景です。
日本でもこのような楽しさ・・・が欲しいかな・・と思いましたがどうでしょうか・・。ロンドンとパリ間のユーロスターの電車に乗ると、以前はなかったのですが、パスポート検査がこれからはあり、入国スタンプがもらえるということですね・・。EU内で旅行をしても、EU範囲内では入国スタンプがもらえませんので、そんな意味では嬉しいかもしれません。アメリカのシアトルからカナダのバンクーバまで電車で行った時は、バンクーバの駅を降りてすぐに、簡単な入国検査がありましたので、そんな感じでしょうか・・。アジアの入国の場合は、入国スタンプはやたらに大きかったりしますが、ヨーロッパは、まじめにスタンプを押してくれずに、スタンプも小さく、入国した証拠がもっと欲しいのに・・と思ってしまうのです。
まじめと真面目
まじめですね・・よく日本人が使う言葉でもあり、私自身よく小さい頃からも、まじめですね・・など言われる方で、女性が言われる言葉としては、なんともつまらない言葉であると感じています。女性に対する褒め言葉としては、美しい、可愛い、魅力があるなどを聞きたいものですが・・。まじめといえば、言われたことをきちんとやるという意味で使う場合が多いですが、本当の真面目の意味は、下記が語源のようです。この真面目の意味でしたら、嬉しいことなのですが・・。
真面目の語源は、宋の時代に蘇東坡が読んだ漢詩に遡ります。漢詩には「柳は緑、花は紅、真面目(しんめんもく)」とあり、この「しんめんもく」が現在日本人が使っている真面目の語源とされています。この漢詩は「柳には柳の色、花には花の色があり、それぞれがそれぞれの個性や役割を発揮している」という意味で、自分らしく生きている、本質的に生きているという意味になります。
真面目とは、本質を追求している、真実を追求していると言っていいのかもしれません。私自身8種のねじれ体癖なので、本質を求めたい気持ちであふれています。
(この記事では、日本でよく使う規則を守るなどのまじめ・・はひらがなで、本質を追求した真面目は、漢字で表現したいと思います)
しかし、私たちがよく使うまじめ・・・とは、学校や会社などで、きちんと規則を守る、言われた通りに行動しているなどを示すことが多いものです。まじめ・・・でいいのでしょうか・・というのが今回問いかけたいことです。ドイツのニュースでも、現在のコロナウィルスの情報に注視しているところがあります。ベルリンの日本大使館からもコロナウィルスの情報が送られてきます。時事ブログの情報なども見比べながら、まじめな行動とは?・・真面目な行動とは?・・などと考えてしまいます。
学校崇拝主義の祖母
小さい頃から母親がよく言っていたことを思い出します。母親のお兄さんは、昭和一桁の時代当時に流行していたスペイン風邪のため5歳で亡くなったのです。長男で相当大切に育てられていたので、両親はかなりショックが大きかったそうです。母親といろいろと話していて、最新の予防接種とか勧められて受けたんじゃない? とかも話したりして・・。母親は、昭和10年代の幼稚園時代に、扁桃腺を切除されたと言っていました。当時は、扁桃腺炎で熱が高くなり脳がやられるといけないので、扁桃腺を切除するのが流行りだったと聞きました。こんな話を聞くと、その後、収集して研究したのだろうな・・・と想像してしまいます。母親によると、その後小学校1年生のころには、腎臓なども悪くなったと言っていました。
母親が言っていたことは、祖母は、特待生を命じる・・といわれたまじめな模範生であり、学校崇拝主義で、融通がきかない・・とよくぼやいていたのです。祖母は、早くからお母さんを亡くして、学校で習うことがすべてで大事であるように育ってきたようです。ですので、医者から言われたことなど、疑わずにすぐに鵜呑みにするでしょうし、こんな原因で、もしかして、長男を失ったり、当時流行っていた扁桃腺切除を子供にもさせたのかも・・・。こんな風に書いている私自身も、真面目・・でなく、まじめ・・だったが故に、2011年以前は、情報をキャッチできずにすべての予防接種を息子に受けさせてしまっているので、まじめ・・にしていると流されてしまいがちです。
日本の義務教育の元になったプロイセンモデル
日本人は世界中からみても、まじめ・・な人が多いのですが、それは、学校が影響をしているのかもしれません。日本の現在の学校制度は、明治時代に義務教育の元であるプロイセンモデルを元にして導入されました。
現代的な学校の形態の起源は1807年よりプロイセンで行われた教育改革に求めることができる。1806年にフランスとの戦争に敗れたプロイセンでは、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトに意見を乞い、逃亡しない従順な徴集兵候補を育てることを目標とした厳格な義務教育プログラムを策定した。あらかじめ決められたカリキュラムを時間割で管理し、個々人の習熟度を度外視して学年単位で教授する教育法はプロイセン・モデルと呼ばれ、アメリカをはじめとした諸国の教育に影響を与えた。
学校制度がまだ存在しない古代から現代の義務教育制度に通ずる社会制度は存在した。古くはスパルタにおける7歳から30歳の男性に対しての義務的な教育制度が存在し、自由民に対する文武両道の教育が行われていた。また、シャルルマーニュは802年に貴族の子弟に限定されない義務教育令を公布した。
中世になると、ルター派の諸国では民衆に対する教育に力を入れ始めたが、中でも、ドイツのゴータ公国のエルンスト敬虔公が1642年に公布したゴータ教育令は、現代の教育法規と同様に、授業時間、学級編成、教科書などの細密な規定がなされている点でかなり先進的なものであった。ゴータ教育令では義務教育の終了は「12歳を超えるか、文字が読めるようになるまで」と定められており、必ずしも一定年齢までの在学を義務付けていないという点で終了基準は課程主義(前述)と年齢主義の併用であったといえる。こういった教育制度はプロイセンのフリードリヒ2世の時代まで主流であったが、基本的には下層階級の救済という目的は薄かった。
学校制度がまだ存在しない古代から現代の義務教育制度に通ずる社会制度は存在した。古くはスパルタにおける7歳から30歳の男性に対しての義務的な教育制度が存在し、自由民に対する文武両道の教育が行われていた。また、シャルルマーニュは802年に貴族の子弟に限定されない義務教育令を公布した。
中世になると、ルター派の諸国では民衆に対する教育に力を入れ始めたが、中でも、ドイツのゴータ公国のエルンスト敬虔公が1642年に公布したゴータ教育令は、現代の教育法規と同様に、授業時間、学級編成、教科書などの細密な規定がなされている点でかなり先進的なものであった。ゴータ教育令では義務教育の終了は「12歳を超えるか、文字が読めるようになるまで」と定められており、必ずしも一定年齢までの在学を義務付けていないという点で終了基準は課程主義(前述)と年齢主義の併用であったといえる。こういった教育制度はプロイセンのフリードリヒ2世の時代まで主流であったが、基本的には下層階級の救済という目的は薄かった。
プロイセンとは、ドイツの真ん中より上の部分とポーランド、ロシアを含めた地域で、軍隊的な国家でした。しかし、雰囲気は意外にも自由だったとも言われています。ドイツ国の元になっています。日本の世界史では、プロシアと習っていますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3
南のボーデン湖出身の先生は、先祖がプロイセンに殺されたので、プロイセンの軍隊的な四角四面が嫌いで、フランスやイタリアのような雰囲気が好きであると言っていました。このようにみていくと、日本の江戸時代の寺子屋の学校制度などは、学年単位などもなく、自由で臨機応変な雰囲気で良かったのではないかと思われます。まじめ・・の元は、プロイセン時代の価値観が由来しているのですね。義務教育は、従順な兵隊を育てることが目的となっているということになりますので、日本が戦後のアメリカによる3S政策で支配される前にもうすでに、義務教育で従順さを洗脳されて、実践されていたことになります。真面目・・ではなく、まじめ・・が出来上がるわけです。
現在の子供への方針にも、子供を飼い馴らすと書いてありましたし・・。
ベルリンフィル首席指揮者サイモン・ラトルによる音楽教育プログラム
さてさて、ドイツの教育の一面として、ベルリンの6つの学校の生徒が集まって、ベルリンフィルハーモニーにて、以前のベルリンフィル首席指揮者のサイモン・ラトル指揮者の指導を受けるという音楽教育プログラムの動画がありましたので、ご紹介をしたいと思います。
2013年当時のものです。生徒たちがどのように指導を受けているのかに大変興味がありました。グリークの『ペールギュント、山の魔王の宮殿にて』という曲の演奏ですが、多くの方が題名を知らなくても、曲を聞いたことがあるかと思います。動画の中でサイモン・ラトルは生徒たちに、この曲の恐怖感、恐ろしさ、おどろおどろしさをもっと的確に表現して、もっとテンポ早めに、もっとはっきりと強調して演奏をするようにという指導をしています。最後には、曲の雰囲気のおどろおどろしさの酷さが完璧に表現できるようになったと言っています。
有名なマエストロ指揮者から教えてもらうことは、生徒たちにとっても非常に良い機会であると思います。サイモン・ラトルは、クラシック音楽のエリート主義の敷居を下げて、普通の人でも楽しめるようにしたという功績もあったようです。この動画を見ると、アジア人数人だけで、西洋人ばかりの生徒に見えますが、最近では、ベルリンの街中でも、イスラム系のヒジャブかぶった女子生徒がバイオリンを抱えている姿も見ますので、有色人種の生徒も今後増えるといいなと思ってしまいます。マエストロに習うことは非常に良い機会ではありますが、本音を言うなら、音楽に進む生徒もそんなに多くはないわけで、結局、有名な指揮者からテクニックだけでなく他に何を得るのかということが大切です。言われた通りきちんと演奏するだけなら、まじめ・・であり、その範疇を超えて、マエストロから音楽への思いやパッションを受け取るなら、音楽に対して真面目・・な姿勢なのかもしれません。
こちらペールギュントの作品について、ウィキペディアをみてみると、このように書いてありました。
グリーグは自分の作風が小品向きであり、劇的でスケールの大きな舞台作品には向かないと考えていて、一旦は依頼を断わろうともしたが、報酬と、民族的な題材への作曲に興味を引かれたこともあり、作曲を引き受けた。作曲は同年に開始したが難航し、翌1875年に完成した。
ウィキぺディアより
あらまあ・・グリークは、報酬が良かったから作曲を引き受けたのですね・・・と少しがっかりしてしまいました。私個人的な意見としては、このような曲を思春期の子供たちに演奏させる意味はどこにあるのかな・・・という疑問も持ってしまいました。曲の表現力の練習ということもあるのでしょうが・・曲調やテンポが面白いというのもあると思いますが・・・もっと他の曲の選択もあるような気がしますが・・・。私が曲の選択をするなら、この曲は選ばないかな・・・。
クラシック音楽にあまり興味がない息子は、この動画を見て、『ワオ・・!まじめで、固い生徒たちの集まりだ・・』という表現をしていまして、固いという表現も面白いなと思いました。つまりは、まじめである、楽器の演奏などは、よほど好きであるか、または、小さい頃から親の言うことをよく聞いて、まじめちゃんでないと練習が継続できないものだからです。生徒たちも、有名な指揮者の指導を受けて、音楽の範疇を超えて、何か大切なものを掴んでいってほしいものです。現実としては、音楽で大成をするのは難しいものですので・・。
結局、私たちは、まじめ・・がいいのか、真面目・・がいいのか・・・。まじめ・・から本質が追求できる本当の真面目・・に変換していくことが大事だと思います。ただ、ただ言われたことをする、規則だけを守るまじめだけなら、いつかは壁につきあたってしまいます。本当に真面目・・になり、物事の本質なところ、真実なところを見てきたいと思ってしまいます。そして、シャンティフーラのサイトで学ぶことのすべて、時事ブログも、映像配信も、東洋医学セミナーも・・、すべて、真面目・・であると・・・そんな風にいつも思っています。
本日の動画
本日の最後の動画は、この方は、本当にピアノが好きなのではないのか・・と言う視点から選んでみました。外見とピアノ演奏のギャップが面白く、演奏を聴いてみると、音がとても綺麗で、ピアノが大好きであるという真面目・・さが感じられます。ピアノを製作している方でいらっしゃいますね・・・。
第55楽章は、まじめなのか・・、真面目なのか・・です。