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送った荷物と、送られてきた写真や動画
アメリカに住む娘家族に荷物を送りました。コロナ禍で一時ストップしていた国際小包が再開されたのです。でも、送るものが限定されている上に、事前に住所を登録して、全ての内容を詳しく入力したものを印刷して持って行くシステムになりました。窓口でも中身をチェックされて、おもちゃに電池が入っていないか?化粧品にアルコールは入っていないか?成分まで書きなさいと言われます。送る作業だけでくたくたです。
これは、オーストラリアもフィンランドもそうです。この作業が全てネット。これでは高齢者やネット環境がない人たちは送れない。更に、高い!!孫達のリクエストのお菓子と海苔と、お茶とふりかけと絵本で総額5,000円以下の品物に対して送料18,000円⁈
送る手間と手続きの煩雑さと値段でノックダウンです。でも、受け取った孫の顔を見るのが嬉しくて、送ってしまう、ばあばです。
1週間後、朝早く電話がありました。アメリカは夕方です。荷物が着いたらしくて大騒ぎ!久しぶりのチョコボール!。お姉ちゃんはさっそくチョコボール自動販売機を作り始めました。レゴです。
しばらくして動画が送られてきました。ピタゴラスイッチの音楽付きで、5セントを入れるとその重さでチョコボールが落ちてくる仕掛けです。以前、レゴのからくり箱にハマっていたので簡単だったようです。それにしても天才!弟たちが、この魅力的な罠にハマって、お小遣いの5セントをせっせと貢いでいるようです(笑)
レゴのチョコボール自販機
最近は孫と直接ネットでつながっています。自分で作ったいろいろな作品を写真や動画で送ってくれます。お兄ちゃんは絵が得意。と言うより、自分で作った落書きの世界に住んでいます。生き物図鑑を舐めるように眺めて、動物を精巧に書いていたのですが、最近は架空の生き物を作り出して楽しんでいるようです。
お猿と犬が一体になっている???次々に変な生き物が生まれます。
その勢いで架空の図鑑を書きました。ちゃんとEWとかLCなどのConservation Status(保全状況)まで付いています。もう笑っちゃう!
孫達にはヒマという概念がないようです。いつでもどこでもすぐに自分たちの世界に入って行けます。弟はお兄ちゃんの一番弟子で、お兄ちゃんの絵に刺激を受けて自分なりの世界を描くようになりました。憧れのお兄ちゃんです。
久しぶりに友達家族とバーベキューを楽しんだ後、お兄ちゃんが描いたのはバーベキューの森。マシュマロの木。肉の木。ロールペーパーの木もあります。風が吹いたら匂いもするとか。そんな子ども達のために、娘はいつでも描けるように山のような紙と色鉛筆、クレヨン、マーカーを用意しています。
孫にとって、自然に触れる日常がある事も幸いでした。学校に通う道を歩いているだけでも様々な鳥や小動物に遭遇します。雨の日も、芽吹きや花の季節も、大雪の日や湖が凍っている時も休まずに歩いて行きます。その中で動物の子育てや冬眠などの生態をその目で見ます。
ボストンはCity Nature Challengeを表明していて、市民が動植物の写真を撮って投稿したら科学者が名前を教えてくれるアプリを作っています。学者側の利点としては新種を発見したり、動植物の分布や生息域を把握するのに役に立つという仕組みです。孫達もそれに挑戦していますが、近くのNational parkのVernal pool(春の雪解けの時に現れる水たまり)で珍しいサラマンダを見つけて大興奮!子どもの好奇心を専門の科学者が満たしてくれる取り組みがたくさんあります。
自分らしさを取り戻す子どもたち
日本にいた頃は喧嘩ばかりしていた子ども達。学校では一斉授業について行くために気を使い、給食の時間も制限され、宿題は漢字のはねまでチェックされるので何度も書き直していました。最後は時間割。忘れ物がないようにランドセルを確認する日々です。
登校する姿をマンションの窓から見送っていましたが、うつむいてトボトボ歩いて行っていました。小さな体に大きなランドセル。水筒や上靴、給食袋、図書バックも重たくて、見ていて胸が痛くなっていました。
コロナ禍で授業時数が足りなくなった日本の学校は、ますます宿題を増やす傾向にあります。そして、不登校の子ども達が増えました。孫達も、あのまま日本の学校に行っていたらどうなっていたのでしょうか?運よく、いい先生に出会っていたでしょうか?
アメリカの教育が全て優れているとは思いません。州によって教育施策が違うし、貧困問題による格差がありすぎます。治安、福祉や医療面でも日本の方がずっと安心して暮らせます。
それなのに、なぜ、今はこんなに楽しそうで、自分の好きな事に没頭できているのでしょうか?まるで別人です。
娘も、子ども達の教育に思うところがあったのでしょう。マンションや車を売り払って、大学病院の医局も辞めて、4人の子どもを連れて人生の大冒険をしました。渡米する前にボストン周辺の公立の学校をくまなく調べました。教育方針や言葉の配慮はあるか?通学路は?などを吟味して学校を選びました。その上で、住む場所を決めたようです。
いい学校に出会えてラッキーでした。日本の学校で窮屈な思いをしていた孫達は宿題なしの気楽さに安堵。「夏休みは勉強の事は忘れて思いっきり遊びなさい」という校長先生の言葉に感激。何をするにも「どう思う?どうしたい?」と聞いてくれる。「凄い」と褒めてくれる。「やってごらん」と後押ししてくれる。学ぶ方法を教えてくれる学校が楽しい場所になりました。クラスメイトも無邪気に受け入れてくれて、すぐに仲良くなりました。
小さいころから自分の世界を持っていた孫達は、早い段階からクラスの中で自分らしさを出すことができたようです。お姉ちゃんは日本では目立たないように自分を抑えてストレスを溜めていました。ここではそのままの自分を出していい事がわかり、はじけました。本を片っ端から読んで、まるで学習に飢えた子どものように吸収して、興味のある事にチャレンジしました。
ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学が提供するサイエンスクラスに参加したり、バークレー音楽大学の先生からトランペットを習ったり・・・それが普通の公立小学校で無料で受けられるのです。学園都市で環境も良かったと思います。
いつの間にか、英語が話せない生徒のための特別クラスを卒業して、今度は日本語が怪しくなってきました。特に孫の生活に関係のない日本語が消えていきました。「銀行?なにそれ?」と言う感じです。本を読むのも英語の方が楽になり、寝言も英語。家庭では日本語で話していても子ども同士の会話は英語になっていきました。子どもは簡単な方を使うようです。2歳の子も単語は英語の方が多くなりました。
日本の領事館から送られてくる教科書を娘が教えているのですが、興味がない事が多すぎて面白くありません。そもそも、日本の歴史を暗記してどうするの?なぜ源頼朝が鎌倉に幕府を開いたの?高校受験に出るから暗記する?モチベーションが上がりません。
娘は、子どもの様子を見て日本の学校に戻れるのか心配になってきました。もしも2年後に日本に帰ることになったら子ども達は受験に合格できるだろうか?行きたい学校があるだろうか?やっと、学ぶ楽しさを味わい始めた子ども達です。そのまま伸ばしてやりたい!
さて、お姉ちゃんは、今まで中学1年生だけの学校に通っていました。9月からは2・3年生だけの新しい中学校です。先日学校から連絡が来て、Gifted childrenのためのintelligence and talentedの授業を受ける事になりました。毎日1時間、普通のカリキュラムでは学べないような踏み込んだ内容まで教えてくれる少人数制のクラスに参加します。これもインクルーシブ教育の一環だそうです。
AEC(Academic challenge and enrichment)専門の講師陣が来て、Intelligence theory(知能理論),Creative problem solving(創造的な問題解決),The art of mathematical thinking(数学的思考の芸術),Critical perspectives(批判的な見方)を軸にカリキュラムが組まれるそうです。
日本の学校教育は言語的知能や論理数学的知能、事実の暗記のみに重点が置かれていますが、世界の傾向は子ども達の未来を見据え、社会人としての基礎的能力、日々変化するグローバル・ビジネスの現場におけるチャレンジ精神、さらに、多様な文化・社会の中におけるコミュニケーション能力と異文化への適応力、芸術などの広義の知能を育てる教育に変わりつつあるようです。
そのクラスに参加するためには学力面の成績ではなく、今までの学習意欲、好奇心、モチベーションの高さが評価されたようです。全くガリ勉をしていないお姉ちゃん。宿題がないおかげで、興味のまま自由に探求してきました。これから何が始まるのか、本人が一番楽しみにしているようです。
お姉ちゃんの親友はブラジル人です。ELLクラスで一緒でした。その子はELLのクラスを継続しますが、サッカーの才能があったようで、サッカーの強化チームに入ることになったそうです。体育や音楽、芸術は小学校の時から選択性です。3ヶ月続けて、興味があれば続ける。無ければ違うものを選択する方式だそうです。道具も楽器も学校が貸してくれます。
子どもの頃はすぐに気が変わります。やりたい事の基礎を教えて面白かったら続けるというやり方は理にかなっていると思います。別に体育全般やれなくてもいい。音楽もクラシックや歴史から教えなくてもいいと思います。
自分の好きな世界から学べばいいのです。やる気が出たら、なぜか生活そのものも楽しくなります。人に気を使ったり、いじめたりする必要がありません。無邪気でいられます。小さないじめはありますが、不登校がないというのもここにヒントがありそうです。
下の弟も9月から1年生。学校に併設されたキンダーで通いなれた学校です。とても楽しみにしています。お兄ちゃんも4年生。4年生の先生は個性派ぞろいで授業が面白いそうです。4年生が楽しそうにしているのを見ていたお兄ちゃんは早く学校に行きたいと話しています。憧れって大事です。
孫の体験だけの話ですが、日本とアメリカの学校に通って、子どもの姿が全く変わるのに驚かされています。教育システムがあまりにも違うので、一言で語れませんが、1番の問題点は、日本の教育者が、子ども不在のまま教育カリキュラムを決めているという事ではないでしょうか。
子どもの生活とは関係ないことを教えて、競争させて、落とすための試験をする意味が分かりません。不登校が増えたり、子どもの行動がおかしくなっても子どもの個人の問題にすり替えられています。
早く何とかしないと、子ども達は自分でものを考えない子どもに育ち、先生も目の前の子どもの姿より、決められた指導しかできない先生になり、親も、子どものSOSを子ども自身の問題行動と勘違いして追い詰めてしまうような気がします。
外国で暮らすという選択は、そう簡単にできるものではありませんが、若いころに違う文化に触れるのはとてもいい事だと思います。先生方も半年くらい先進地の学校に研修に行けばいい。そして、その目で子ども達のイキイキした姿を見てほしいと思います。
娘に、「子ども達が楽しそうに学んでいるね。よくここまで育てたね」と言ったら、すぐに「当たり前よ。私はそのために仕事を辞めたのよ。私は自分のキャリアより、この子達の成長を大事にしたかったの。そばに居なければ子どもが見えなくなる。ここぞ!と言う時に後押しできない」と言いました。
4番目のちびちゃんは、もうすぐ3歳になります。アメリカは保育料が高いので、9月から週2回預ける事にしていましたが、パートナーが新しい仕事に変わって給料も少し上がったので「今のうちに現地の子ども達と遊ばせるのもいい経験だよ。自分も少しやりたい事を始めたら?」と言ってくれたそうです。
家でエネルギーを持て余している4番目のちびちゃん。毎日大事件を起こします!自分の洋服をはさみで切る。お兄ちゃんの大事な絵を破る。完成したレゴを壊す。隠れてお菓子を全部食べる。うんちをドアに塗って遊ぶ。学校に迎えに行くのに片道2時間かかる。出会った動物を見境なく追いかける怖いものなしの3歳児です。
試しに幼稚園に遊びに行ったら大喜び。周りの子ども達と仲良く遊び始めたそうです。その様子を見て、週に5日預ける事にしたとの事。と言っても12時には帰ってきます。
その間、娘は自分の勉強を始める事にしました。子どもの心相談医の資格は取っていますが、もっと子どもの事を勉強したい。子どもの育つ環境を考えたい。小児科医として役に立ちたいと思うようになったそうです。
娘は2人目の子どもが生まれた10年前に仕事を辞めました。お金があったから仕事を辞めたわけではありません。パートナーも給料の安定がない研究者です。今の生活もギリギリ。貯金もないようです。それでも、子どものそばに居て、子どもがやりたい事にとことん付き合い、子どもが冒険をしたくなった時に「やってごらん!」と後押しして、挫折したら「いい経験したね」と励ましてあげられる生活を選んだのです。
不思議だなあと思います。仕事を辞めて大切なものに専念したから広がった世界。目の前の事を誠実にやっていたら、やりたい事が見えてきます。それは自分の想像を超えるものです。初めから決められた道などありません。今を生きる連続が未来なのです。
家庭によって事情はありますから全ての親に「仕事を辞めて子育てに専念しなさい」とは言えませんが、自分の人生で何が大切なのか?社会の都合に流されるのではなく、もっと主体的な生き方をしてほしいと思います。
先日、母の日に「パパとママが自分のやりたい事に突っ走れる環境を作ってくれたから、今、興味ある分野で活躍できているよ、ありがとう!息子にもそうしてあげたいと思う」と、オーストラリアで野生動物保護の研究をしている娘が言ってくれました。無我夢中の子育てでしたが、親として何よりうれしい言葉でした。
そして、ワクチンの解毒の情報はとてもありがたかったです。我が家の庭に琵琶の木が2本あります。まだ種が落ちていたので洗ってかじってみました。苦くて何個も食べられないけどイケる!救いは足元にあると思いました。感謝でいっぱいです。
さて、そんな時でも変わらず癒してくれる孫達。遠くの孫はネットでつながり、近くの孫は、息子が当直の日にイソイソと会いに行きます。口実はお手伝い。
子どもが4人いるので、お嫁ちゃんは大忙しです。
先日も、子ども3人が学校や幼稚園から一気に帰ってきて、口々に「ねえ、ママ!」「あのね、ママ」と話しかけていました。ハイハイを始めた赤ちゃんも、お兄ちゃん達を玄関に迎えに行きました。赤ちゃんは皆のアイドルです。お兄ちゃん達はランドセルを置くのももどかしく次々に抱き上げて頬ずりします。
そんな喧騒の中、赤ちゃんがいないのに気が付いたママ。
さっきまで確かに抱いていたお兄ちゃん。ママはお兄ちゃんに大声で「〇〇ちゃんはどこ?」と叫びました。
お兄ちゃんはきょとんとして、ママを指さしました。そこにはママにしっかり抱かれた〇〇ちゃんが・・・。
ママは無意識に抱いていたのです。おかしくて大爆笑。
まるで眼鏡を頭にかけて眼鏡を探し回っている誰かさんみたい。
「忙しいからね。無意識に抱くなんて母の鏡!」とほめたたえました。