ままぴよ日記 75 「気が付けば、自然界は変わらぬ愛に満ちていた」

今回は、この2週間で、私の心の中で起こった変化を書きます。
笑ってお付き合いください。

この2週間、私の心は前回書いた記事の事でいっぱいでした。混乱している自分を見つめ、整理してカルマ軽減の祈りに臨みました。

自分に正直であることは安らぎにつながります。やっと冷静になれました。

私にできる事は心配より、抗議より、愛する事だと気が付きました。今まで、わかっているようでちっともわかっていなかった!

それに気が付いたら、この世は、どんな時も愛に満ちているのがわかりました。
(かんなまま)
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ワクチンファーストの激動の中


夫が図らずも地方医師会のワクチン責任者になり、有無を言わさずワクチンファーストの激動の中に巻き込まれました。これに巻き込まれたら個人の意見など言えない雰囲気になり、目的が変わっていくのも見えました。それを冷静に見ようとする自分と、本質論を言って夫を追い詰めたくなる自分が混在して、落ち着かなくなりました。

特に、家業の小児科で接種が始まった頃から無力感と、悲しさがピークになりました。ワクチンを打ってはいけないと確信しているのに、その収入で生計を立てています。夫や従業員を労わります。私は日頃から自分の良心に沿って、ヤマ・ニヤマに沿った行き方をしたいと思っているのに、結果的にワクチン接種に加担しているのではないかと、苦しくなりました。


夫の事も心配でした。もっと話せば気が変わるのではないか?自分の努力が足りないのでは?と。初め、夫はワクチン接種しないと言っていたのですが、結局打ちました。ショックでしたが、夫自身が考え抜いて決めた事だと思います。それを尊重するしかありません。次々に子育て広場のスタッフ、周りの人たちも打ち始めました。

私は自分の心に湧き上がる迷い、無力感、悲しみなどは全て私の問題だと思っています。この時事ブログの記事は、私の瞑想そのものです。毎回、自分の事を書くのに、この問題を素通りすることができなくなりました。だから、勇気をもって自分をさらけ出すことにしました。

でも、今は書いてよかったと思っています。何より、自分の思いを整理して、至らない自分を丸ごと認めて正直になれたことでホッとしました。等身大の自分に戻れた気がします。

2週間が経ち、ますます世界はワクチン一色になりました。そして、日本はオリンピック開催国としてのメンツを保つためにワクチンレースを始めました。それに伴って、自治体は毎日、接種人数を競わされています。慌てて集団接種会場を作り、不足する医者を日給17万円、旅費、宿泊食費付きの好条件で募集するところまで出てきました。



それなのに、次の日は、ワクチンの供給が間に合わなくなったので職域接種を止めるというニュースが飛び交います。なりふり構わずの計画で、振り回されるのはいつも現場です。

ファイザー社は、16歳以上の約4万人を対象とした臨床試験で、2回接種後のワクチン効果は95%と発表しました。ほとんどの人が、その効果を信じてワクチン接種を急いでいるのですが、これはワクチンを2回接種後に発症した人が約2万人のうち8人。プラセボ接種後に発症した人が2万人のうち162人から導き出された数字です。(『ワクチンの「有効率」とは? ワクチンの効果を正しく理解しよう』より)

更に、ファイザー社はアメリカで3月に12~15歳の2260人を対象に臨床試験をしました。ワクチン接種後の発症者は0、つまりコロナ発症予防効果が100%に上ったと発表しました。子どもに多い無症状の感染者は不明です。アメリカではすでに6ヶ月以上の治験が始まっています。


それを受けて、日本でも接種年齢を16歳から12歳に引き下げました。感染者0を更新している隣町が、ワクチンレースを優位にしようと、いち早く12歳以上のワクチン券を配ると言い出しました。

夫は「100%の予防効果はむしろ怖い。子どもに打つには長期的な検証が必要だ」と隣町を説得して止めさせたそうです。でも、いつまで個人の見解が通るのか疑問です。

日本の小児開業医の団体である日本小児科医会も12歳以上の接種を推奨しますとした上で、「この年齢層における効果や安全性についてのデータは得られておらず、諸外国においても接種後短期間での効果と安全性については全対象年齢においても評価されていないのが実情です」と書いています。

でも、一方で「今後新型コロナウイルスワクチン接種対象年齢が更に下げられることも予想され、より安全に実施する事、子ども達を守ることは小児科医にとって極めて重要な責務であると考えています」と、接種することを前提で伝えています。国の方針に逆らえないのです。日本小児科医会「12歳以上の小児への新型コロナウイルスワクチン接種についての提言」より)

さすがに文部科学省や厚生労働省は、学校での集団接種は推奨しないと言っていますが、もうすぐ夏休みです。休み期間中に接種を済ませてくださいというアナウンスも聞こえてきました。

小児への接種に疑問を持っている小児科医も多いはずです。夫もその一人ですが、悩みつつ患者さんや、医師会の先生方に「このワクチンは、体内のどの部分でこのスパイク蛋白が多く合成されるのか?例えば、もしかして細胞分裂の盛んな生殖細胞や腸管膜などが主な合成場所になるのか?一旦取り込まれた遺伝情報が分裂のたびに継代されて行かないか?などの疑問が残ります。

いずれにせよ、このタイプのワクチンの長期にわたる作用はまだわからない部分があります。今から子どもを作る世代に対して、このワクチン接種をするのは慎重でありたいと思います」と、言葉を選びながら自分の考えを伝えたようです。

Wikipedia[Public Domain]

これを受けて、他の先生方から「同感です」という返事が多く寄せられました。みんなが勇気をもって発言し始めたら流れが変わるかもしれません。頑張れ!みんな自分に正直になって!と言いたいです。せめて、個別接種の時に、先生方が保護者や本人にアドバイスされることを望みます。


ヤマ・ニヤマの生き方とカルマ軽減の祈り


それにしても、良心に沿ってヤマ・ニヤマの生き方をしたいと思えば思うほど、生きづらい世の中になってしまいました。私は、日本の小さな町で「今日のご飯は何しようか?」と考えるのと同じように、ワクチンの事も「本当の事を知りたい」「良心に基づいて判断したい」と思っているだけです。

でも、ヤマ・ニヤマの生き方は絶対に正しいという私の強い信念を夫や子どもにも押し付けようとしていました。「道を外さないで!こっちが正しい選択よ!」と。それが正しい事であれ、人に押し付けてはいけません。

少し自分の気持ちが整理できたので、気持ちを込めてカルマ軽減の祈りをしました。

カルマ軽減の祈りは怖いです。生半可な気持ちではできません。過去に何度も何度もしましたが、過去に大失敗をしたことがあります。カルマ軽減に慣れて早くできるようになった頃です。

気持ちを込めて祈った後に、もう一度やれそうな気がしました。1回目が終わった直後に始めれば、まだ潜在意識と無意識につながっていると思い込んだのです。それで、祈りを飛ばしてしまいました。

終わってすぐに出かけたのですが、家の門を出たとたん、ドーン!と言う衝撃が来ました。車にぶつかったのです。初め、何があったのかわかりませんでした。「事故?今、カルマ軽減の祈りをしたばっかりなのに???」でも現実でした。

冷静に考えたら、私が勝手な祈りをしたおかげで大きなカルマを積んでいたことがわかりました。怖かったです。すぐに謝罪の祈りをしましたが、自分の思い上がりを猛省しました。

それ以後、相当の覚悟を持ってするようになりました。家に居たら誰かが訪ねてきます。電話がかかります。病院から呼びだしもあります。気が散ってできません。だから「私は何があっても返事をしません」という宣言をすることにしました。


夫に「今から私はいません」「どこに行くの?」「どこにも行きませんが、いないと思ってください。電話も玄関のチャイムも聞こえません」と言いました。夫はお祈りのために籠ることを知っています。笑いながら「はいはい」と言ってくれます。人に介入しないところが夫のいいところです。

初め、祈りながら色々な感情や思いがこみ上げてきました。涙が止まりません。でも、次第に落ち着いた気持で取り組むことができました。カルマ軽減の祈りを終えて、ほっとしました。多分、これからも続けなければいけないと感じています。

カルマ軽減の祈りをしながら、私の中で大きな変化が起こりました。「大切な夫であっても家族であっても、心配したり、憂いたりする必要はない。ましてや、それを判断したりジャッジしてはいけない」という思いが確信になりました。そして、「何を心配しているの?どんな時でも、ただ愛すればいいのよという思いがこみ上げてきました。

それを感じた時、深い深い感動に包まれました。友人が「試練は神様からの祝福」と教えてくれましたが、本当にそうだと思います。神様から大切なものに気づくためのプレゼントだったのです。

そして、思い出しました。

私の人生の中で、とても辛い年月の頃を。
その時の私は、もう何が大切なのかもわからなくなっていました。その苦しみの中で、「いったい私は何を大切にしたいの?」と自分に問い続けました。そして人は変えられないけど、自分は変わる事ができる。せめて「自分の本心に誠実に生きよう」と思いました。

それは表面の荒れ狂う感情ではなく、自分の本心に嘘をつかないということです。そして、シンプルな答えが返ってきました。「本当に夫を愛しているなら、周りでどんなことがあっても愛すればいい」と。

相手がこんな事を言った、こんなことをした、という感情を全て脱いだら、それだけが残ったのです。私は何をしていたのだろう?それは、初めから何も変わらず、そこにあったのだと気が付きました。

不思議なことに、事態は何も変わらないのに世界が変わりました。そんな経験を何度もして、また今度もしています。情けないなあ~。

今でも見回せば、人間だけが「大変だ!大変だ!」と言っているだけ。いつもと変わらず咲いてくれる名もなき花。家のデッキでは、親雀がせっせと小雀に餌をあげています。明日の保障もないのに、嘆かず疑わずに今を生きています。


こんな時は、自然の一員に戻ろう!ただ愛することに徹しよう!世界は変わらず神様の愛で満ちています。感謝です。


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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