————————————————————————
多くの人が自分を生きていない現実
今、私は、ほとんどの時間を家の中で過ごしています。
コロナ禍でどこにも行けなくなったので、家業の小児科に来るママ達とおしゃべりをするのが楽しみです。特に、ママ達の悩みの種である子どもの困った行動が「子どもにはそうしたい理由がある」「子どもってすごい存在」に置き替わった時のママ達の嬉しそうな顔が好きです。
息子の家に手伝いに行く時と、広場でセミナーをする時は外出しますが、経理の仕事は家でできるし、会議も全てZOOMです。つまり、家に居ながら仕事ができています。
畑で取れた野菜と、ずっとお付き合いをしている農家さんの宅配、目の前にある安全な食料品店のおかげで食べ物にも困っていません。
犬の散歩や、近くに住む高齢の母達や叔母たちのお世話はありますが、それは生活の延長。このまま家に居ながら生きていける、と思うのですが、実は心が穏やかではありません。
その理由はワクチン接種が始まったからです。そして、これは起こるべくして起こった事だと感じています。
なぜなら、多くの人が自分を生きていないと思うからです。例えば、今の社会は、子どもが子どもらしくいる事を問題行動としています。子ども自身も、自由に遊びながら自分で学び取る時期なのに、興味のないことを学ばされて本当の学ぶ意欲を無くしています。学校教育も、先に正解や目標があり、自由に物事を考えられない人を作っています。
会社や行政もそうです。ますます専門化、分断化されて与えられた仕事をするだけで精一杯。「いったい私は何をしているのか?」全体像が見えなくなっています。
やがて、時の政治の意思がスタンダードになり、人は自分が自由であることを忘れてしまいます。
自分で考えて人と違う事をするにはエネルギーが要ります。大きな流れに乗っていた方が楽な社会です。でも、想定外の事態になった時に、自分で考えて行動できるでしょうか?
まさに今、そのことを問われる事態になっています。人間の社会生活を根底から揺るがすような未知のウイルスの出現で、どう対処していくのか?判断と行動を迫られています。
数ある選択肢の中で、世界の選ばれた科学者、政治家は未知のウイルスを未知のワクチンで解決しようと舵を切りました。
「これが最善の方法か?もっと検証しなければ、逆にウイルスの逆襲にあうかもしれない」「このワクチンを接種したら、私達の体内で何が起こるのか?」という素朴な疑問が出てきて当たり前なのに、かき消されています。
「こんな緊急事態だから、一致団結して国の方針に協力するのが当たり前」「社会が決めた一定の方向に向かって進まなければドロップアウトする」という集団意識が拍車をかけます。
マスコミもワクチンの効果をアピールして、接種を促す情報を流し続けています。子どもの頃から自分で考えて行動する事を体験していない国民。この大きな波に乗って、いったいどこに向かおうとしているのでしょうか?
私は日本の片隅の医療現場に居て、ワクチンが最善の方法だと国が決めたら行政も医療機関も社会も、その方向に大きなうねりとなって動き出すのを見せられています。
私の身近に起こったこと
身近に起こったことを書きます。
まず、ワクチンを打つと決めたら、国の接種人口を計算して、ワクチン確保や接種のためのお金が流れ始めます。厚生労働省が接種のスケジュールを机上で決めます。それを県や市町村に通達し、それを受けた市町村は地域の医師会に協力要請します。
すぐにワクチン接種対策本部が作られて、まだワクチンを入手できるのかわからないうちに、市役所の担当課と医師会が話し合います。資料も揃っていません。不確実な事ばかりの状態で接種会場をどこにするか?診療所でできるか?など打診が始まります。でも、何も決められないので先の不安ばかり募ります。
市町村の担当課も初めての事態です。ワクチンがどんなものか?どんな方法で接種するのか?まるでわからないので医師会に丸投げしてきました。医師会も、自分たちの通常の業務があるので協力はするけど、丸投げはおかしいと反論します。
この状況で、国は4月、5月まで・・・というスケジュールを押し付けてくるのです。県や市町村の行政と医師会の連携がうまくいくところ、いかない所の温度差が出てきました。
協力を募る医師会員や関係団体に説明する材料が揃わないまま、県の行政、県の医師会、市との会議が始まります。ZOOM会議もあります。慣れていない開業医はついていけません。ワクチンがいつ入ってくるのかわからないのに、新聞やテレビで国の方針やスケジュールがバンバン放送されるので、焦った住民から「いつ、どこで打つのか?」と言う問い合わせが殺到します。
日程も決められないので答えられない市。市民からは無能扱いです。追い詰められた市は、国が決めた予定のスケジュールをマスコミに伝えて、「大丈夫です」と答えてしまいます。でも、答弁に行き詰って「どうしたらいいですか?何と答えたらいいですか?」と聞いてくる始末です。
医師会も平均年齢60代です。本質的な、コロナの実態やワクチンの効果はほとんど議論されないまま、政府や日本医師会の決定事項として見切り発車状態で従わされます。通常の業務にも影響を与えるし、時間外や休日に協力する事になるので休日返上の覚悟もしなければいけません。医師会員同士の相互協力と医療従事者としての社会貢献の志がなければやれることではありません。
ところが突然、市長がマスコミの質問に「○月までに○○人接種します」と爆弾発言をしました。寝耳に水の行政職員と医師会は、市長に不信感を持つのですが、実は、内閣府から直接市長に「国が示した日程で始めないと交付金を減らす」と言うお叱りの電話があったとの事。
市はオンラインの環境が整っていません。行政はこんな事態になっても縦割りです。緊急事態の時は、担当課が全体を俯瞰して合理的なシステムを作る事から始めなければいけないのに、何事もトップに聞かなければ動けないのです。わからないことがあったら市は県に聞きます。県は国に聞きます。その返事を待って動きます。現場の事情がそれぞれ違うので現場に裁量権を与えるべきです。行政マン自体もその力をつけていないようです。
それでも、予約リストを作り、クレームや問い合わせの窓口を作り、市民に郵送、予約受付までたどり着きました。今は電子予約ができない市民が朝から長蛇の列を作っています。市役所の駐車場はパンク状態です。
国の動きも不可解です。当初、厚生労働省が担当だったのに、いつの間にか内閣府が加わり、通達もバラバラ。現場は予約、管理、集計報告を同時に2か所にしなければいけなくなりました。デジタルの専門家が取り組めば一括入力で済むはずなのに、なぜしないのか?まるで権力争いをするように別々の報告様式と機器が各開業医あてに送られてきました。システムのトラブルも重なって、立ち上げるだけでも大変な作業です。
現場の医者が毎日毎日、予約を受けて、待合室を確保して、他の患者さんとのソーシャルディスタンスをとり、問診をして接種。15分の観察。その後、その日のうちに厚生労働省と内閣府に、それぞれから届けられた機器を使って報告しなければいけないのです。通常の業務を抱えている開業医にとっては超ストレスです。そして1人2070円。割が合いません。
その上、予定通りに接種が終わらないので、日祭日に集団接種です。医師会員が診療所の看護師を連れて出向きます。休日返上なので全医師会員が協力しないと不満が出ます。
そもそも「ワクチンは安全なのか?」と言う声は、その煩雑な準備段階でかき消されて行きます。市町村との関係も政府の大本営発表に従う戦友となり、なぜか絆を深めていきます。そして、目の前に立ちはだかる仕事をこなすことが目的にすり替わります。
1人1人は、いい人たちです。助けあうという精神も美談です。市民も戦時中の庶民の精神状態と同じになっていきました。会えば、ワクチンの話題。みんなが「早く打ちたいね」と話す中で「いえ、私は打ちません。理由は・・・」と言いづらくなります。こうして人は新型コロナウイルスとの戦争に向かうのです。悲しいです。「愚かだった」と、過去の歴史で何度も学んだはずなのに・・・。
今回はそれが世界中で起きています。あまり流行っていない国、お金がなくてワクチンが手に入らない国へもワクチンが行き渡るように支援が始まりました。誰も客観的な意見を言えないまま突き進んでいます。
早い段階でワクチン接種後の死者が出た時も、厚生労働省のHPの片隅に載せてあるだけでした。医者でさえ自分で調べない限り知ることはできません。ニュースで副反応の情報は流しても、死亡数は言いません。因果関係は証明できないとの事。そもそもワクチンは一定のリスクがあるものだから、そのような事は想定済み。全体の抗体をあげるためには少々の犠牲者が出ても仕方のない事だという理論がまかり通ります。
医師会でイベルメクチンの話題を出しても、まだ承認されていないとの事で立ち消えになりました。自分で手に入れようとしましたが、全ての製薬会社に入手困難と言われました。個人輸入して処方しても、何かあったら責任を問われます。そんなリスクを冒す医者は少数です。それに引き換え、ワクチン接種は、重い後遺症や死亡例が出ても、医師に責任は問われないし、国が守ってくれるのです。
人は努力すれば努力するほど、自分が関わる仕事の有益性を信じたくなります。ワクチンの有効性は国を上げてマスコミで流してくれます。そして、目の前に患者さんがいて、感染者を防ぐ手段がワクチンしか与えられていないなら多くの医者は、迷うことなく協力する事でしょう。美談と共に同調圧力も強くなっていきます。
そして、いつの間にかそれが正しい道になります。
実は、私の夫は、ちょうどこの時期に医師会の理事をしていたので、ワクチン担当理事にさせられてしまいました。今まで書いたことは私の目の前で夫が体験している事です。
夫は医師会ともいい関係を築き、助け合ってきました。行政職員とも、母子保健の担当課なのでいい関係を築いていました。
この、有無を言わさぬ事態に巻き込まれて、担当者会議に何度も出席し、分厚い資料を読み解いて医師会員に説明しなければいけません。国の方針がコロコロ変わるから更に厄介です。何度も行政と打ち合わせをする中で、いつの間にか、行政と医師会員から頼りにされて、結果的にワクチン接種の協力者になってしまいました。
このようにして世の中の流れが作られていくのか・・・。善良な人が巻き込まれていくのか・・・。現場に居ながら、まるで台風の目の中にいるような感覚で見せられています。このまま人類はウイルスと言う未知の小さな小さな存在に簡単に分断させられ、自滅していくのでしょうか?愚かです。辛いです。悲しいです。
私は妻として何ができるのでしょうか?
周りの人たちも、私は医療従事者の妻で、当然ワクチン接種を推進していると思っています。「もう、打った?」「大変ねえ、頑張って」と労われます。でも聞かれたら「打ちません」と、正直に言います。
そんな中で、私と言う軸を持とうとすればするほど孤立します。いえ、もうとっくに孤立しています。本音が言いにくくなりました。私は皆を愛しているのになぜ?それが悲しい。
最近、私の心が穏やかでないのは、こういう理由です。
私は、夫に加担してほしくない。ワクチンも打ってほしくないのが本音です。夫が聞いてくれそうなタイミングを計り、祈るような気持ちでシャンティ・フーラの文献を伝えています。
夫は聞いてくれます。
夫の意思でイベルメクチンも飲んでいます。従業員にも飲んでもらっています。この未知のワクチンを子どもに打つのは反対だとはっきり言っています。身近な、わかってくれそうな人には伝えています。でも、地元医師会の代表としての立場があります。医師個人として次々に発表される文献も調べているので揺れています。
判断して行動するのは夫自身です。夫は医者であり、院長であり、小児科の方針を決めるのも夫です。私にはどうする事もできません。悲しい気持ちに襲われますが、私自身が誠実に向き合うしかない事を思い知らされています。
私の家族は医療従事者が多いので、ワクチンを打ってしまうのでしょうか?せめて孫達には打たないでほしいと祈ります。アメリカは2歳からのワクチン接種を考えているようです。アメリカもオーストラリアもワクチンパスポートがないと自由に動けなくなってきました。対面授業も受けられなくなると聞きます。
子ども達にも、私の気持ちは伝えています。ワクチンの事で激論しても、夫や家族は私の考えに理解を示してくれています。変わっている母、良き母として認めてくれています。このようなことで壊れる家族ではないことが救いです。
夫も大切な存在です。どんな事があっても愛は別次元だと信じています。今の私にできる事は私自身の軸をぶらさない事。必要があれば、その気持ちと情報を冷静に伝えます。過激に強要しません。
夫が冷静に物事を判断できるように、健康的なおいしい食事を作り続けます。休みの日は付き合います。こんな時こそ、夫への愛、家族への愛、隣人への愛を意識します。無心のペットや庭に来る鳥たち、野に咲く花が私に不変の愛を教えてくれます。
そして祈るような気持ちで夫と家族へ愛のマントラを唱えます。ガヤトリー・マントラを唱えます。それだけは続けて行きたいと思います。夫に対して、もっと何かできる事があるでしょうか?涙が出てきます。
家業の小児科でワクチン接種が始まりました。ショックです。我が家に来たワクチンさんに愛のマントラを送っています。私も加担していることになるのでしょうか?罪を犯していたらお許しください。
今までは、自分の思いや関心ごとをそのまま書いてきたので、タイトルが決まれば、一気に書けていました。自分本位の日記のようなものですが、書いていると気持ちの整理ができるので、ありがたく思っています。
でも最近、気になっていることがあるので手が止まっています。自分自身もその激動の中にいるのに、自分ではどうすることもできない事が多すぎて気持ちの整理ができないでいます。でも不思議な事に、それを大局的に眺めている自分は静かです。
とりあえず他の事を書く事にしました。書いては止め、書いては止め・・。まとまりません。
どうも、私は正直に、今の自分をそのまま書く事しかできないようです。お付き合いください