注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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配信元)
※五輪に関してのニュースは国内メディアのものは完全に大本営発表と化していて、無価値だし鵜呑みにするのは危険ですらある。
— 🏕インドア派キャンパー 📣ⒻⒸⓀⓁⒹⓅ🔥 (@I_hate_camp) July 27, 2021
海外メディアとの落差を追ったほうが良いです。それこそ、AI技術の深化で自動翻訳でも充分に意味が解るようになっている。 pic.twitter.com/JZA8VNM3Ng
山崎「政府が言ったことをそのまま流している。中止の選択肢がある事を隠している」
— Choose Life Project (@ChooselifePj) July 27, 2021
鮫島「安倍さん菅さんによるメディア支配が完成してしまった」
小島「検証し、変えていかないといけない」
7/27 コロナ禍の五輪開催を考えるVol.6 メディアの役割とは何なのか?#Tokyo2020 https://t.co/DTKb7k8bLu pic.twitter.com/DxxH3QGwyi
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7/27 コロナ禍の五輪開催を考えるVol.6 メディアの役割とは何なのか?
配信元)
YouTube 21/7/28
(主要な部分を取り上げました。)
20:35〜
オフィシャルパートナーとなっている読売、朝日、日経、毎日。普通は一業種一社のところ大手横並びで参加する珍しいパターンとなった。
安部政権がマスコミ支配を強めるためにマスコミを取り込み、マスコミ側も経営難に押されるようにこぞって乗ってしまった。大政翼賛的な談合体質を作ってしまい、批判的に報じる大手新聞がない。
新聞社にとってスポンサーになるということは広告を確保すること。今の経営難の朝日に60億円を払う能力はなく、むしろ60億円を払うかわりに広告を確保する、もしくは将来の広告をディスカウントして載せるなどの不透明な約束があったのではないか。あらかじめ決められていた広告枠のためにスポンサーを降りることはできなかったという、広告優先、ビジネス優先があったと見られる。
29:00〜
さらに、社内の広告部門は広告を取ることしか興味がない。記者部門は開催か否かには興味がなく、与えられた仕事をソツなくこなして評価されたいというサラリーマン記者がほとんど。また本来一番権力を批判すべき社会部長が今回はオリンピック担当部長になっていて、オリンピック報道の責任を兼ねている。「オリンピックを盛り上げなければいけない」という目的で準備を重ね、もはや「オリンピックがどうあるべきか」という視点ではなく、たとえ「コロナが発生した異常事態」であっても、もはや後には引けない。走り出したら止まらない先の大戦と同じ、日本政府の中で起きたことが朝日新聞の中でも起きていた。
33:00〜
テレビのキー局のプロデューサーや幹部は、
「どうせやるなら、やってよかったと思えるようにしたい」
「ここまできたら楽しんで伝えたい」と述べている。
しかしメディアは現状追認はやってはいけない。戦争の時も同じだった。
「始まってしまったら勝つために」ではなく「始まってもやめるべきだ」と言い続けるべきだ。
「挙国一致」「一つになる」「絆を〜」など一つのかたまりになって進み、異論を許さず、犠牲を強いるような、メディアがその方向を加速させる可能性がある。メディアの持つ危険性を自覚する必要がある。たとえ視聴者をガッカリさせてでも訴えるべきだ。
満州事変の時、新聞は戦争を煽れば煽るほど売り上げを伸ばした。五輪も国策で、例えば子どもの動員をすることで五輪も戦争も当事者意識を植え付け、反対しづらい空気となる。
50:00〜
五輪は莫大な税金を投入する国策だ。戦争も五輪も莫大な税金をばら撒き、儲けようとしてそれに企業が群がった構造は全く同じだ。
2013年以降、安部政権に近く、五輪の担当になり五輪に参加することを主導した人間は皆出世している。安部政権は人事を通じてマスコミを牛耳り、それで出世したような人間が今、言論界を牛耳っている。
1:07:41〜
非常時にメディアがしなくてはならないことは「国の指導部に今のやり方を続けさせても良いか否かの判断材料を市民に提供すること」で、逆にしてはいけないことは「国の指導部が出す情報をそのまま流すこと」。
中止の選択肢は常にある。今のメディアは、現にある選択肢を無いもののように錯覚させている。
満州事変が起きた時、新聞各社は戦争を煽れば煽るほど売り上げを伸ばしました。盧溝橋事件の4日後、近衛首相は新聞各社を集めて挙国一の政策に協力要請をし、メディア側も協力すべきと答えていました。「始まってしまったからには、やってよかったと言えるように」「みんな一つになって」「子ども達を動員して」これらは戦時の「始まったからには勝つべき」「挙国一致」「子ども達の慰問袋」と同じものです。異論を許さず、一方向に向かって突き進む危険をメディアが加速させています。
2013年以降、政府でもメディアでも安倍政権に近い人間で、五輪の担当になり五輪に参加することを主導した人間は皆あからさまに出世しているそうです。そのような人間が今、メディアの言論を牛耳っていると思えば、大変分かりやすいです。本来、始まろうが反対されようがメディアは「中止すべき」と訴え続ける責任があることを、過去の戦争からも学びます。
動画の参加者は、現にメディアにいる人々に向かって「勇気を持って」「主体性を持って」と語りかけますが、果たしてこの言葉が届いているかどうか、それは私たちがチェックしなければなりません。