「女彌太郎」と呼ばれた女傑
「エリザベス・サンダース・ホーム」、聞いたことあるか?

たしか、
戦争孤児を集めて育てた施設で、女性一人で立ち上げたんだよね。
沢田美喜さんだっけ?
うちのばあちゃんが、沢田美喜のファンでなあ。
「財閥の令嬢なのに、戦災孤児のために生涯を捧げた」って尊敬してた。

美喜さんは、三菱財閥のご令嬢だったね。
いくら、有り余る財産があっても、目の前の捨てられた孤児を助けるとなると、
勇気がいると思う。

それも、ただの孤児じゃねえ。
ついさっきまで戦争してた鬼畜米英との混血で、中には肌の黒いのもいるし。

ふつうの人なら、見てみぬふりだろうねえ。

ふつうの人、じゃなかったんだな。
美喜、「ママちゃま」を周囲の者はこう見ていた。
「
ママちゃまは普通の人ではない。生きていることそのものが素晴らしい。化粧もしていない。けれど凄い人。
昼間はオニババ、夜はマリア・・」(16p)。

はあ? 昼はオニババ??
なんたって、三菱の創始者、岩崎彌太郎の孫だからな。

岩崎彌太郎のマゴ?!

祖父のDNAを引き継いだのだろう、
「女彌太郎」と呼ばれた女傑だった。
塀の中で守られて暮らすのはキライ。
宗教も、岩崎家が反対するキリスト教を選ぶ。
結婚も、退屈な華族とはイヤ。

まさに、ワガママ令嬢って感じだね。

なんせ、
とんでもない大金持ちだからな。
美喜の生まれた岩崎家本邸を見りゃわかる。

うわあ、貴族のやかただ!
この洋館は、上野博物館、鹿鳴館を手がけ、三菱の顧問だったジョサイア・コンドルの作で、現在、国と都の文化財「旧岩崎邸庭園」として一般公開されてる。(
mitsubishi.com)

へえ、コンドルって三菱の顧問だったの。
当時の敷地は、東京ドームと同じ広さで、テニス場、馬場、20棟の建物があり、そこに家族9名と、50名の使用人が住んでいた。(16p)

維持費と人件費だけで破産しそう。
岩崎家は、ここ以外にも日本中津々浦々に、たくさんの別邸を持っていた。
「三菱財閥の築いた富がどれほど巨大なものであったか、現在では想像もつかないほどである。その多くは初代の岩崎彌太郎が台湾出兵や西南戦争によって手にした、まさに巨万の富の結果であった。」(65p)

はあ〜。

ところで
美喜は、自分と同じ教会「聖公会」所属の外交官、澤田廉三(さわだれんぞう)と結婚した。
彼を紹介したのは、加藤高明(かとうたかあき)と幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)。

もしかして、どっかで名前を聞いたことあるような。

二人とも当時外交官で、美喜の父の二人の妹、つまり叔母たちの夫。
幣原は、総理大臣になったヒトだよ。

てことは、総理大臣が親戚!

夫について海外を回り、赴任先ニューヨークに行った美喜は、超一流ホテルに滞在し、高級店で小切手切り放題の買い物三昧。
それも、夫のショボい財布からじゃなく、岩崎家の財布から出てる。(82p)

へえ、結婚しても、実家がおカネ出してくれたの?
ニューヨークではロックフェラーももてなしてくれたと、美喜は自伝に書いている。

やっぱセレブは、ロックフェラーとオトモダチなんだ。

結婚して、塀の中から開放され、世界中を飛び回る生活。
あこがれた生活のはずなのに、現実は三つ指ついて夫を送り出し、三歩離れて夫の後ろを歩く時代。

女彌太郎にしたら、エネルギーを持て余すね。
「エリザベス・サンダース・ホーム」を作った理由

子どもたちも育ち上がり、「妻の座」にも飽きたらなくなり。
そこに
敗戦、そしてGHQによる財閥解体。
大好きだった「大磯の別荘」も国に没収されちまって。
美喜は「大磯の別荘」を取り戻すため、GHQまで直談判しに行ったんだぜ。

うわあ! さすが女彌太郎!
ふつうの人には、マネできない。

小さい頃から、津田塾大学の津田梅子に英語を習ってたし、5ヶ国語は話せたしな。

なるほど、それなら、GHQに直談判できたかもしれない。

それで、
「大磯の別荘」を買い戻せることになったんだが、条件として、個人所有は認められない。
結局、「エリザベス・サンダース・ホーム」兼、澤田夫妻の住居になった。

なんかホームは、別荘を取り戻す、口実のように聞こえるけど?

いやいや、そんな甘い考えじゃ、延べ2500人の戦災孤児を育て上げるなんか、できやしねえ。
親友の黒人歌手ジョセフィン・ベーカーが、貧民街で奉仕するのに同行したり、彼女が
アメリカで黒人差別を受けるのを目のあたりにしたり。
美喜自身、肌の黒いえい児が置き去りにされた現場で勘違いされ、「パンパン」呼ばわりされたこともある。

有り余る財力とエネルギーと、それまでの人生経験の相乗効果。

だが改めて、
美喜はなぜ「エリザベス・サンダース・ホーム」を作ったんだろう?
美喜の長男は言う、
「みんないろいろ憶測がありまして、
三つくらいの説があるんです。
一つ目は、大磯の別荘が人手に渡るのを何とか防ごうとした。
二つ目は、おれたちをこんな目に合わせた占領軍に赤恥をかかせてやりたい。
三つ目が、本心、慈悲深く、気の毒な子どもたちを心から面倒見てあげよう、と。
私の知る限りでは、この三番目がいちばん嘘だと思う」。(186p)

ぶっ!!
美喜さん、どんなお母さんだったんだろうねえ。

へええ、そうなんだ!

美喜が、
ホームをやると言った時、長男はどう思ったのか。
「誰か他にやる奴がいるだろう、
何も母がやる必要はないと思ったんですね。
それで子どもたち三人、死んだ弟をのぞいて、時折集まると、チルドレン・ビカム・オーファンズ、オーファンズ・ビカム・チルドレンなんていい合いました。
実子が孤児になり、孤児が実子になった、と」。(187p)

子どもたち、不満だったんだ。
そう言えば、
なんで「エリザベス・サンダース・ホーム」なの?
「沢田美喜ホーム」で、いいのに。
エリザベス・サンダースというのは、イギリス人女性の名前。
彼女は、イギリスで三井家の保母として雇われ、日本までついてきて、日本に骨を埋めた。
遺言によって彼女の貯金のすべてが聖公会に寄付され、美喜のホーム設立に使われた。
だから彼女の名をとって「エリザベス・サンダース・ホーム」。(49p )
実は、澤田家にもイギリス人保母がいて、太平洋戦争が始まるまで一緒だった。(113p)

なるほど、エリートの家には保母がいるのが当たり前なんだ。

もしも、その保母がロスチャイルド家の娘だったら?
日本人エリートとロスチャイルドの混血ができるチャンスがある。

なるほど!
日本人に見えても、ロスチャイルドの血を引く人がけっこういるのは、そういうことだね。
日本の政治にも影響が大きかった澤田夫妻

さて、ここに
もう一人、聖公会つながりのアメリカ人、ポール・ラッシュがいる。

ポール・ラッシュ?
彼は、戦前からの美喜の友人。
サンダース・ホームの寄付集めなどに、力を貸した。
日本になじみが深く、
清里高原の開発や、日本で初めてアメフトを紹介したことで有名。
戦後は、GHQの情報局員として日本にやってきて、美喜の麹町の住まいを借りた。
俗に言う「サワダハウス」だ。
なのに、美喜は自伝でまったく触れてねえ。

おかしいね。
彼はGHQで、何をしてたの?
東京裁判にかける、戦争犯罪人の情報収集、つまり裁判の準備をしていた。

ひえ!
東京裁判にかかわってる人なら、知ってるって言いにくいよなあ。

だが、彼にはかなり世話になってたようだ。
たとえば、GHQに貸した自分の家。
ふつう「接収」されたら、家賃なんかもらえないだろ。
それが美喜は、当時のカネで毎月20万円くらいの家賃をもらっていた。
しかも食糧など、物資の援助ももらい、ホームの運営に使っていた。

へえ、いろいろ交渉したんだ。

そうだ、交渉があったはず。

外務省のご主人からの情報とかは?

そこはわかんねえが、
澤田夫妻は日本の政治にも影響が大きかった。
たとえば、吉田茂。
澤田夫妻がいなかったら、首相になってなかったかもしれない。

え!
戦後初めての選挙で、鳩山一郎が首相になるはずだった。
だが、GHQからNOが出て、鳩山は公職追放になっちまった。
つぎに候補に上がったのは吉田茂だが、ポール・ラッシュは吉田もNOと考えていた。

なのに、吉田茂は首相になった、なんで?

ここからは
著者青木氏の推測だが、ポール・ラッシュは澤田夫妻に相談したんじゃないかと。
吉田茂は、外務省で澤田廉三の先輩。
岩崎家は、吉田と同じ土佐出身、同郷のよしみで古くからの知り合いだ。
しかも、「エリザベス・サンダース・ホーム」のある大磯の別荘は、吉田茂ん家の近く。

そりゃ、
自分たちのためにも、吉田茂を推したくなるよね。
晴れて首相となった吉田は、以降、澤田夫妻に頭が上がらなかったという。(179p)
だから、こんなことがささやかれる。
「エリザベス・サンダース・ホームは表向きは慈善施設だけれどね。
裏では確かに、何かをやってたんだよな・・」。(160p)

なるほど〜。
「エリザベス・サンダース・ホーム」の闇

もう一人、美喜がまったく触れなかった男がいる。
美喜の私設秘書で、孤児たちの戸籍を取るなど、事務をやってた真木一英。(154p)
こいつには過去があった。

どんな過去?
大陸で殺し屋をやってた・・。

ウッソー!!

「
真木という『殺し屋』がいたんだ。一時、下山事件の実行犯の一人として名前が上がった男なんだけれどね。その
真木の身辺を洗っていくと、エリザベス・サンダース・ホームの沢田美喜に行き当たるんだよ・・」。(155p)

子どもの施設に、殺し屋がいたらマズイでしょ。
下山事件というのは、下山定則・初代国鉄総裁が線路上で轢死体となって発見された、今なお迷宮入りの事件だ。
真木は、陸軍の手先で、中国の裏社会にも通じていた。
「この男なら、下山事件くらいは、一人でやりかねないし、また、事と次第では、もっと重大な仕事を仕出かす能力をもっている」。(157p)
大陸でいろいろあった真木が消されずにすんだのは、「エリザベス・サンダース・ホーム」に逃げ込んだから。
「
戦時中は三菱商事の社員という肩書を持っていたしね。それでCIA(原文のママ)も手を出せなかったんだろうな」。(159p)

三菱の社員だったのか。

もう一人、美喜がまったく触れなかった男が、
本家岩崎邸を貸したジャック・キャノン。
キャノン
は、GHQの情報部門を統括する「G2」、通称キャノン機関の将校だ。

おっかなそうな人だねえ。

だが、「
キャノンは美喜さんには頭があがらなくてね。一度、岩崎邸の部屋で銃を射って、壁の穴を見つかっちゃったんだ。そうしたら
美喜さんに怒られて、出て行けといわれてしょぼんとしていた。美喜さんに言わせれば、キャノンなんかただのわんぱく坊主なんだよ」。(160p)

なのに、美喜さんはキャノンに触れてない。

実は、
下山事件で限りなくクロに近い、矢板機関(亜細亜産業)の矢板玄(くろし)という人物がいる。

クロに近い「くろし」!
こいつはキャノンに会うため「岩崎のお嬢さんに間に入ってもらった」と言ってる。

「くろし」とキャノンを引き合わせたのは、美喜さん!
その「くろし」が言う。
「エリザベス・サンダーズ・ホーム」は一時期、CIAの出先の本部だった。(
村本尚立のウェブサイト)

ほお!

ヤバ! ご主人も「くろし」とつながってた?

ところで、
「アメリカ対日協議会(ACJ)」なんて聞いたことねえだろ。
今で言うジャパン・ハンドラーの、
「ニューズウィーク」外信部長ハリー・カーンが立ち上げたんだが、目的は、財閥復活と、日本経済をアメリカの資本家に開かせること。

財閥復活? 美喜さん、喜んだでしょ。

澤田廉三は、このハリー・カーンと親しかった。
さらに
ハリー・カーンは、岸信介を首相に推していた。
澤田廉三も岸信介と親しかったが、「岸が首相になってすぐに創設した日華強力委員会の常任委員などをつとめている。」(182p)

ジャパン・ハンドラーと岸信介、そこに澤田廉三がつながってる?
ACJは、国鉄を民営化して、アメリカ資本を日本に呼び込みたかった。
だがそれには、国鉄再編を目指す下山総裁がジャマだった。

それが下山事件?

「くろし」の亜細亜産業が、ACJの命令で手をくだしたとしたら?
ACJと亜細亜産業の両者をつなぐ、三菱のパシリ、澤田廉三の図が見えてこねえか?!
ちなみに、ACJの日本側の主要メンバーは澤田夫妻だった。(
村本尚立のウェブサイト)

ほえ〜〜〜〜!!
孤児を助ける美談が、怪談になっちゃったー!!
Writer
ぴょんぴょん
1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)
その惨状を見て立ち上がったのが、「エリザベス・サンダース・ホーム」を立ち上げた沢田美喜さん。彼女について書かれた「GHQと戦った女 沢田美喜」を参考に、書きました。
(文中のページ数は本のページ、また本に準じて、沢田美喜、澤田廉三と記載しました)