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ぴょんぴょんの「昼はオニババ、夜マリア」 〜沢田美喜を通して見る、占領時の日本
「女彌太郎」と呼ばれた女傑
ふつうの人、じゃなかったんだな。
美喜、「ママちゃま」を周囲の者はこう見ていた。
「ママちゃまは普通の人ではない。生きていることそのものが素晴らしい。化粧もしていない。けれど凄い人。昼間はオニババ、夜はマリア・・」(16p)。
美喜、「ママちゃま」を周囲の者はこう見ていた。
「ママちゃまは普通の人ではない。生きていることそのものが素晴らしい。化粧もしていない。けれど凄い人。昼間はオニババ、夜はマリア・・」(16p)。
岩崎彌太郎
Wikipedia[Public Domain]
【臨時休園】【7月26日~7月30日まで】
— 旧岩崎邸庭園 (@kyuiwasakitei) July 25, 2021
芝庭の復元工事の一部作業実施に当たり
来園者の安全を確保するため
下記の通り休園させていただきます。
詳しくは東京都東部公園緑地事務所の資料をご覧ください。https://t.co/QgzcS7ba1h pic.twitter.com/m8BHLkoQ78
ジョサイア・コンドル
Author:Otraff[CC BY-SA]
岩崎家は、ここ以外にも日本中津々浦々に、たくさんの別邸を持っていた。
「三菱財閥の築いた富がどれほど巨大なものであったか、現在では想像もつかないほどである。その多くは初代の岩崎彌太郎が台湾出兵や西南戦争によって手にした、まさに巨万の富の結果であった。」(65p)
「三菱財閥の築いた富がどれほど巨大なものであったか、現在では想像もつかないほどである。その多くは初代の岩崎彌太郎が台湾出兵や西南戦争によって手にした、まさに巨万の富の結果であった。」(65p)
澤田廉三
Wikimedia_Commons[Public Domain]
幣原喜重郎
Wikipedia[Public Domain]
「エリザベス・サンダース・ホーム」を作った理由
子どもたちも育ち上がり、「妻の座」にも飽きたらなくなり。
そこに敗戦、そしてGHQによる財閥解体。
大好きだった「大磯の別荘」も国に没収されちまって。
美喜は「大磯の別荘」を取り戻すため、GHQまで直談判しに行ったんだぜ。
そこに敗戦、そしてGHQによる財閥解体。
大好きだった「大磯の別荘」も国に没収されちまって。
美喜は「大磯の別荘」を取り戻すため、GHQまで直談判しに行ったんだぜ。
いやいや、そんな甘い考えじゃ、延べ2500人の戦災孤児を育て上げるなんか、できやしねえ。
親友の黒人歌手ジョセフィン・ベーカーが、貧民街で奉仕するのに同行したり、彼女がアメリカで黒人差別を受けるのを目のあたりにしたり。
美喜自身、肌の黒いえい児が置き去りにされた現場で勘違いされ、「パンパン」呼ばわりされたこともある。
親友の黒人歌手ジョセフィン・ベーカーが、貧民街で奉仕するのに同行したり、彼女がアメリカで黒人差別を受けるのを目のあたりにしたり。
美喜自身、肌の黒いえい児が置き去りにされた現場で勘違いされ、「パンパン」呼ばわりされたこともある。
ジョセフィン・ベーカー
Wikimedia_Commons[Public Domain]
だが改めて、美喜はなぜ「エリザベス・サンダース・ホーム」を作ったんだろう?
美喜の長男は言う、
「みんないろいろ憶測がありまして、三つくらいの説があるんです。
一つ目は、大磯の別荘が人手に渡るのを何とか防ごうとした。
二つ目は、おれたちをこんな目に合わせた占領軍に赤恥をかかせてやりたい。
三つ目が、本心、慈悲深く、気の毒な子どもたちを心から面倒見てあげよう、と。
私の知る限りでは、この三番目がいちばん嘘だと思う」。(186p)
美喜の長男は言う、
「みんないろいろ憶測がありまして、三つくらいの説があるんです。
一つ目は、大磯の別荘が人手に渡るのを何とか防ごうとした。
二つ目は、おれたちをこんな目に合わせた占領軍に赤恥をかかせてやりたい。
三つ目が、本心、慈悲深く、気の毒な子どもたちを心から面倒見てあげよう、と。
私の知る限りでは、この三番目がいちばん嘘だと思う」。(186p)
美喜が、ホームをやると言った時、長男はどう思ったのか。
「誰か他にやる奴がいるだろう、何も母がやる必要はないと思ったんですね。
それで子どもたち三人、死んだ弟をのぞいて、時折集まると、チルドレン・ビカム・オーファンズ、オーファンズ・ビカム・チルドレンなんていい合いました。
実子が孤児になり、孤児が実子になった、と」。(187p)
「誰か他にやる奴がいるだろう、何も母がやる必要はないと思ったんですね。
それで子どもたち三人、死んだ弟をのぞいて、時折集まると、チルドレン・ビカム・オーファンズ、オーファンズ・ビカム・チルドレンなんていい合いました。
実子が孤児になり、孤児が実子になった、と」。(187p)
エリザベス・サンダースというのは、イギリス人女性の名前。
彼女は、イギリスで三井家の保母として雇われ、日本までついてきて、日本に骨を埋めた。
遺言によって彼女の貯金のすべてが聖公会に寄付され、美喜のホーム設立に使われた。
だから彼女の名をとって「エリザベス・サンダース・ホーム」。(49p )
実は、澤田家にもイギリス人保母がいて、太平洋戦争が始まるまで一緒だった。(113p)
彼女は、イギリスで三井家の保母として雇われ、日本までついてきて、日本に骨を埋めた。
遺言によって彼女の貯金のすべてが聖公会に寄付され、美喜のホーム設立に使われた。
だから彼女の名をとって「エリザベス・サンダース・ホーム」。(49p )
実は、澤田家にもイギリス人保母がいて、太平洋戦争が始まるまで一緒だった。(113p)
エリザベス・サンダース・ホーム
Wikimedia_Commons[Public Domain]
日本の政治にも影響が大きかった澤田夫妻
ポール・ラッシュ
Wikipedia[Public Domain]
彼は、戦前からの美喜の友人。
サンダース・ホームの寄付集めなどに、力を貸した。
日本になじみが深く、清里高原の開発や、日本で初めてアメフトを紹介したことで有名。
戦後は、GHQの情報局員として日本にやってきて、美喜の麹町の住まいを借りた。
俗に言う「サワダハウス」だ。
なのに、美喜は自伝でまったく触れてねえ。
サンダース・ホームの寄付集めなどに、力を貸した。
日本になじみが深く、清里高原の開発や、日本で初めてアメフトを紹介したことで有名。
戦後は、GHQの情報局員として日本にやってきて、美喜の麹町の住まいを借りた。
俗に言う「サワダハウス」だ。
なのに、美喜は自伝でまったく触れてねえ。
極東国際軍事裁判(東京裁判)
Wikipedia[Public Domain]
だが、彼にはかなり世話になってたようだ。
たとえば、GHQに貸した自分の家。
ふつう「接収」されたら、家賃なんかもらえないだろ。
それが美喜は、当時のカネで毎月20万円くらいの家賃をもらっていた。
しかも食糧など、物資の援助ももらい、ホームの運営に使っていた。
たとえば、GHQに貸した自分の家。
ふつう「接収」されたら、家賃なんかもらえないだろ。
それが美喜は、当時のカネで毎月20万円くらいの家賃をもらっていた。
しかも食糧など、物資の援助ももらい、ホームの運営に使っていた。
吉田茂
Wikipedia[Public Domain]
ここからは著者青木氏の推測だが、ポール・ラッシュは澤田夫妻に相談したんじゃないかと。
吉田茂は、外務省で澤田廉三の先輩。
岩崎家は、吉田と同じ土佐出身、同郷のよしみで古くからの知り合いだ。
しかも、「エリザベス・サンダース・ホーム」のある大磯の別荘は、吉田茂ん家の近く。
吉田茂は、外務省で澤田廉三の先輩。
岩崎家は、吉田と同じ土佐出身、同郷のよしみで古くからの知り合いだ。
しかも、「エリザベス・サンダース・ホーム」のある大磯の別荘は、吉田茂ん家の近く。
晴れて首相となった吉田は、以降、澤田夫妻に頭が上がらなかったという。(179p)
だから、こんなことがささやかれる。
「エリザベス・サンダース・ホームは表向きは慈善施設だけれどね。
裏では確かに、何かをやってたんだよな・・」。(160p)
だから、こんなことがささやかれる。
「エリザベス・サンダース・ホームは表向きは慈善施設だけれどね。
裏では確かに、何かをやってたんだよな・・」。(160p)
「エリザベス・サンダース・ホーム」の闇
「真木という『殺し屋』がいたんだ。一時、下山事件の実行犯の一人として名前が上がった男なんだけれどね。その真木の身辺を洗っていくと、エリザベス・サンダース・ホームの沢田美喜に行き当たるんだよ・・」。(155p)
下山事件というのは、下山定則・初代国鉄総裁が線路上で轢死体となって発見された、今なお迷宮入りの事件だ。
真木は、陸軍の手先で、中国の裏社会にも通じていた。
「この男なら、下山事件くらいは、一人でやりかねないし、また、事と次第では、もっと重大な仕事を仕出かす能力をもっている」。(157p)
真木は、陸軍の手先で、中国の裏社会にも通じていた。
「この男なら、下山事件くらいは、一人でやりかねないし、また、事と次第では、もっと重大な仕事を仕出かす能力をもっている」。(157p)
下山総裁を轢いた機関車の捜査
Wikimedia_Commons[Public Domain]
大陸でいろいろあった真木が消されずにすんだのは、「エリザベス・サンダース・ホーム」に逃げ込んだから。
「戦時中は三菱商事の社員という肩書を持っていたしね。それでCIA(原文のママ)も手を出せなかったんだろうな」。(159p)
「戦時中は三菱商事の社員という肩書を持っていたしね。それでCIA(原文のママ)も手を出せなかったんだろうな」。(159p)
だが、「キャノンは美喜さんには頭があがらなくてね。一度、岩崎邸の部屋で銃を射って、壁の穴を見つかっちゃったんだ。そうしたら美喜さんに怒られて、出て行けといわれてしょぼんとしていた。美喜さんに言わせれば、キャノンなんかただのわんぱく坊主なんだよ」。(160p)
ところで、「アメリカ対日協議会(ACJ)」なんて聞いたことねえだろ。
今で言うジャパン・ハンドラーの、「ニューズウィーク」外信部長ハリー・カーンが立ち上げたんだが、目的は、財閥復活と、日本経済をアメリカの資本家に開かせること。
今で言うジャパン・ハンドラーの、「ニューズウィーク」外信部長ハリー・カーンが立ち上げたんだが、目的は、財閥復活と、日本経済をアメリカの資本家に開かせること。
澤田廉三は、このハリー・カーンと親しかった。
さらにハリー・カーンは、岸信介を首相に推していた。
澤田廉三も岸信介と親しかったが、「岸が首相になってすぐに創設した日華強力委員会の常任委員などをつとめている。」(182p)
さらにハリー・カーンは、岸信介を首相に推していた。
澤田廉三も岸信介と親しかったが、「岸が首相になってすぐに創設した日華強力委員会の常任委員などをつとめている。」(182p)
岸信介
Author:Government of Japan[CC BY-SA]
「くろし」の亜細亜産業が、ACJの命令で手をくだしたとしたら?
ACJと亜細亜産業の両者をつなぐ、三菱のパシリ、澤田廉三の図が見えてこねえか?!
ちなみに、ACJの日本側の主要メンバーは澤田夫妻だった。(村本尚立のウェブサイト)
ACJと亜細亜産業の両者をつなぐ、三菱のパシリ、澤田廉三の図が見えてこねえか?!
ちなみに、ACJの日本側の主要メンバーは澤田夫妻だった。(村本尚立のウェブサイト)
その惨状を見て立ち上がったのが、「エリザベス・サンダース・ホーム」を立ち上げた沢田美喜さん。彼女について書かれた「GHQと戦った女 沢田美喜」を参考に、書きました。
(文中のページ数は本のページ、また本に準じて、沢田美喜、澤田廉三と記載しました)