ぴょんぴょんの「しなかった」罪 〜『しかたなかったと言ってはならんのです』を見て

NHKのドラマを、しぶしぶ見た。
しぶしぶ、というのは「九大生体解剖事件」をテーマにした話だったからだ。
それでも、事件について知っておきたいと思って、しぶしぶ見た。
長かった・・・見終わったら、全身が緊張していた・・・。
だけど、見てよかった、今、見るべきドラマだと思った。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「しなかった」罪 〜『しかたなかったと言ってはならんのです』を見て

事実は怪談よりもコワし


内側に誰から与えられたのでもない規範をもち、自身の良心にしたがって生きている人は、たとえ確実に利益があるとわかっていても、道義に反することを行うことはありません。


いやあ、事実は怪談よりもコワかった・・。

何のはなし?

「しかたなかったと言ってはならんのです」。

なにが、「しかたなかった」って?

これ、ドラマのタイトル。

へ?

たまたま、地元のニュースで知ったのよ、
今日は8月13日ですね、今晩「九州大学生体解剖事件」のドラマがあります、ぜひご覧ください、ってな。

生体解剖だってえ?!?

若いヤツは、知らねえだろな。
1945年、九州帝国大学、今の九大医学部の解剖実習室で、アメリカ軍捕虜が実験手術された事件。

それ、ホントの話?!

ああ、ホントだとも。
立ち会った人々の証言も残されている。
ドラマの原案「九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実」の著者、熊野氏は、実験手術に参加して戦犯として死刑判決(後に減刑)を受けた、鳥巣太郎元助教授の姪。



姪ごさんが、本を?

彼女の伯父、鳥巣助教授は、軍や教授の命令に逆らえず、医の倫理を踏み外したことを晩年まで悔いていた。

でも、生体解剖のシーンとか、コワくて眠れなくなりそう。

おれだって、コワいのは苦手だ。
裏番組の「もののけ姫」の方が見たかったし、なんども番組予約を取り消そうと思ったが。


でも、コワイもの見たさで、見たんだね。

コワイより重かった・・息苦しかった・・考えさせられた・・
1時間ちょっととは思えないくらい長かった・・
しょっぱなから解剖室のシーンで、あとはほとんど、巣鴨プリズンの中。

寝る前に見るにはちょっと、だね。

だが、結果的には、見てよかったと思う。
どたんばに追い込まれた時、人は正しい選択ができるのか、ヤマ・ニヤマを守れるのか、考えさせられた。

どたんば?

考えようによっては今だって、どたんばだろ?

あ、そっか、戦時中だったね。

今よりさらにもっと、どたんばになった時、どうやって正気を保つのか。
それを、シミュレーションするのにいいドラマだった。

なるほど、シミュレーションかあ。


事件となったその背景


物語は、終戦の3ヶ月前、大分と熊本の県境での、B29の墜落から始まる。
パラシュートで脱出したアメリカ兵のうち、生き残った18名が捕虜になった。
機長だけ、東京へ移送され、8名は学校の校庭で斬首された。

Wikipedia[Public Domain]

学校の校庭で?! 

、残りは裁判なしの死刑に決まったが、九大卒の軍医が8名を生体実験に使いたいと提案した。

だから、九大が舞台になったのか!

1台のトラックに乗せられたアメリカ兵8名が、九大医学部に運ばれた。
彼らは、予防接種だとダマされて来たので、医者に「サンキュー」と言ったという。

ああ!

捕虜の肺から銃弾を取り除く手術、ということで始められたが、手術が進むにつれ、助手だった鳥巣助教授は、これはおかしい、もしかして実験手術か?と気づいた。
教授に中止を求めたが、「軍の命令だ」と聞き入れられなかった。
西日本新聞

ああ!! 

実験の最大の目的は、輸血の代わりに海水を使えるかの人体実験。
使われたのは、博多湾の海水。
「海水ですよ、代用血液。本土決戦になったら1000万人の日本人が血を流すであろう。血が足りないと…」。(テレビ西日本

博多湾
Author:そらみみ[CC BY-SA]

日本人を救うため、というお題目。

捕虜の片肺が切除されると、大出血になった。
捕虜の腕に海水が500ccほど注入されました。この時捕虜はまだ生きていましたが10分ほどして捕虜は死にました。— 筒井シズ子看護婦長」(Wiki

海水で死んだの?
生理食塩水は、輸血の代わりになるって言うのに?
ツイブロ

悪いのは海水じゃなくて、ヘタな手術。
おそらく、輸血も間に合わねえようなヘタをしたんだろな。
GHQ取調官に「なぜ肺を切除したのか?」と聞かれて、鳥巣助教授はこう答えている。
当時の外科医局のトップ「石山先生の手術の狙いは新しい手術方法を試すことだったと思います。」Wiki

新しい手術法も、人体実験だった。
それでも、止められなかった。

「先生に反対するなんてことは考えられません。私達は大学を辞めたあとも一生医者として石山先生との関係が続くのです。また当時軍がやることに口を挟むことなんて出来ませんでした。— 平尾健一助教授」(Wiki
と言ってるが、一生だったはずの関係も、あっと言う間に崩れ去った。
「石山先生」は戦後、GHQに逮捕され、独房で自殺したんだ。
「一切は軍の命令なり、すべての責任は余にあり」と遺書を残してな。

将来なんて考えずに、止めれば良かった。

ところが、生体実験の首謀だった「石山先生」が自殺して事態が変わった。
ドラマの主人公、鳥巣助教授が首謀と見なされ、絞首刑の判決が下されてしまった
んだ。


うわ!

最終的には、真実を訴えて減刑になったが。
結局このドラマは、悩みながらも生体実験に関わり、死刑判決を受けて悩み苦しみ、家族の支えで減刑され釈放されるまでの、主人公の心の葛藤を描いたドラマだったんだ。

そんな波乱万丈な体験、したくないなあ。
でもなんで、捕虜を生きたまま実験台にするなんて思いついたんだろう。
狂ってるよ。

それは、今だから言えることであって、当時の日本はB29の無差別攻撃で多くの日本人が、身内を殺されていたんだ。
その怒りの対象になったのが、アメリカ軍捕虜だった。
「日本国土を無差別爆撃し無辜の市民を殺害した敵国軍人が殺されるのは当然だと思った。ましてたった一人の倅をレイテ島で失った私にすれば、それが戦争であり自然のなりゆきだと信じていた。— 平光吾一教授(当時の解剖実習室管理者)の手記より」(Wiki

Wikimedia_Commons[Public Domain]

だからって、捕虜に何をしてもいいとは思わない。
まして、捕虜を実験台にして、お互いさまだとは思わないよ。

だが、戦争とはそういうものさ。
狂気で、倫理や人間の尊厳さえも失った殺し合いだからな。
テレビ西日本

お互いを憎ませて、お互いを殺し合わせる。
まさに、悪魔の計画。


何もできなかった、じゃなくて、何もしなかったことも罪になる


だが問題は、生体実験を目の前にして、「止めろ」「自分はやらない」と声を上げられるか?ってことなんだ。

それは、難しい。
医局では教授が絶対、教授に命令した軍人はもっと絶対でしょ。

おそらく、逆らったら即、軍に連行、拷問、たぶん死刑だな。
自分の家族も親戚も、みな「非国民」と見なされ、つらい目に合うだろう。

それがわかってて、反対なんてできないや。
やっぱ、目をつむるかもしれない。

だが、ほんとにそれでいいんか?ってことだ。
実際、目の前で、生きた人間が殺されている、それを自分が手伝ってるとしたら?


う〜〜〜〜〜〜ん。

逃げたい気持ちも、よくわかる。
だが、その一瞬の判断を、ずっと死ぬまで後悔するとしたら?
なんとしても止めるべきだった、殺されてでも止めるべきだったと、
一生引きづって生きるとしたら?

それもつらい。

当時、医学生として実験に参加し、今年の4月に95歳で亡くなった東野利夫氏も、ずうっと、深い心の傷を抱えていた。
「医者をやめようという気持ちはかなりありましたね。やめたい…。これが医者のすることかなって。戦争するしないに関わらず、医者というのは人を助けるのが仕事でしょ。」(テレビ西日本


でも、軍や教授がコワくて「何もできなかった」から。

たしかに、言い訳はいくらでもできる。
だがドラマの中で、部下の罪をかぶって絞首刑になった元陸軍中将は、こう言った。
「何もできなかった、じゃなくて、何もしなかったことも罪になるのではないでしょうか。」

グサッ!!

なんで、教授を止めた自分が死刑にならなければならないのかと、
葛藤していた主人公鳥巣氏も、これを聞いて死刑を受け入れる心境に変わっていく。
自分は何もしなかった、それも罪かもしれないと。


そんなあ、やっぱ悪いのは戦争だよ。
戦争という異常な状況で、正常な判断もできなかったから、「しかたなかった」んだよ。

いや、そうじゃない、と鳥巣氏は言う。
「たとえ焼き殺されても抗議すべきだった」
「(戦争中だから)しかたなかったと言うてはいかんのです」。
ドラマの題名にもなったこのセリフは、生体実験手術を手伝った鳥巣助教授の言葉だ。


そうだったの!

姪の熊野氏「これは戦争中のひどい出来事という昔話にとどまらない。私たちは、大きなあらがいがたい流れの中で『もう止められない』『仕方ない』と目をつむり、それがとんでもない結果を生み出す。今に通じる話だ」。  
西日本新聞

たしかに、今に通じる話かもしれない。
今のコロナワクチンだって、解剖台に寝かされていないだけで、明らかに生体実験だよね。多くの人が、ワクチンのせいで病気になったり、死んでる。
それも、「もう止められない」「仕方ない」?


実験と知ってやっていたら、軍や教授と同じ悪魔だ。
だが、ワクチンを信じるほとんどの医者は、無知だ。

無知・・・なら、ぼくはこう言いたい。
「知らなかった、無知だったとは、言うてはいけんのです!」


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声


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