ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(8)」 ~ボスニア紛争で暗躍したアメリカのPR会社

セルビアが、どうやって「悪者」のレッテルを貼られたのか。
戦争広告代理店」を読んで、よくわかりました。
クライアントのためならばなんでもやる、PR会社が犯人だったのです。
相手を「悪者」に仕立てることなど、朝飯前。
国会の演説原稿から、憲法の草稿だって書いてくれます。
「真実はいつか世界に知れ渡る」と信じていた、素朴すぎるセルビア人は、
おカネをもらえれば何でもやるPR会社に、まんまとしてやられたのです。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(8)」 ~ボスニア紛争で暗躍したアメリカのPR会社

着々と独立国へと前進しているコソボ


あれから、コソボはどうしてるかな?

着々と、一人前の独立国へと前進しているよ。
4月25日の欧州評議会で、コソボの加盟申請を受理する投票が行われて、出席者の3分の2以上の賛成で、受理されることになった。(RT)

セルビアのイヴィツァ・ダチッチ外相 © AFP / Roman Pilipey

へえ、それは絶対にセルビアの気にくわないよ。

その通り。セルビアは怒っている。

で、セルビアが主張していた、セルビア自治体共同体(CSM)はどうなったの?
2013年のブリュッセル協定で、コソボとセルビアが決めたことなんでしょ?

でんでん、進んでない。
コソボ側には、CSMを認める気配すらない。
CSMができて、コソボ・セルビア人の安全さえ保証されたら、セルビアはコソボの言うこと何でも聞くとまでは行かなくても、国際社会への進出は大目に見ると言ってるのによ。

きっと、これからの会談で話し合われるんだよ。

5月2日にブリュッセルで第3回目の会談が予定されているが、ヴチッチ大統領は出席する意味がわからないと言っている。(b92)


ユーゴスラビアが解体された時代背景


ところで今さらなんだけど、セルビアはなんで悪者にされたんだろう?

おそらく、ユーゴスラビアを解体するために、セルビアを悪者にする必要があったんだな。

じゃあ、なんで、ユーゴスラビアは解体されたの?

そりゃあ、アメリカを脅かす存在だったからよ。

アメリカを?

ユーゴスラビアが解体された時代を思い出してみろ。
共産主義、社会主義の国が、バタバタと倒れていった時代だぞ。
そして、その後にナンバーワンになった国は?

アメリカ。

そうゆうこと。
1987年 バルト3国がソ連から独立
1998年〜 ソ連の内部分裂
1989年11月 ベルリンの壁崩壊
1989年12月 ルーマニア チャウシェスク政権崩壊
1991年12月 ソ連の解体
そして、
1991年6月、スロベニアとクロアチアの独立宣言。
ここから、ユーゴスラビア解体の幕が切って落とされた。


スロベニアとクロアチア、ユーゴスラビアの北部を占めていた国だよね。

Author:Ijanderson977[CC BY-SA]


セルビアを中心とするユーゴスラビア軍とクロアチア軍の戦争が泥沼化するうちに、その火の粉がボスニア・ヘルツゴビナに飛び火した。
モスレム人中心の国民投票によって、1992年3月、スロベニア、クロアチアの後を追ってボスニアも独立宣言をした。
それに対して、ボスニアに住むセルビア人は反発。

それまで仲良く暮らしてきたモスレム人、クロアチア人、セルビア人が互いに殺し合うことになってしまった。

その悲惨さは、全世界に知れ渡るほどだったね。



ボスニア紛争が世界の同情を集めたワケ


ああ。
だが、アフリカではもっと悲惨な紛争が起きているんだ。
なのに、なぜ、ボスニア紛争ばかりが、かように世界の同情を集めたのか?
そこには、PR会社が絡んでいたのよ。


PR会社?

ほら、覚えてるだろ?
1990年の湾岸危機の際、アメリカ議会の公聴会で「イラク兵が赤ちゃんを保育器から床に投げつけた」と泣いて訴えたナイラ。

ああ、クウェート大使の娘さんだったんだよね。

あれをやらせたのも、PR会社のヒル&ノールトン社だったんよ。

PR会社がやらせたんだ!

さすがにあれはやり過ぎだが、戦争に勝つためにPR会社を使うのはもはや常識なのさ。
ボスニアも、独立を宣言したはいいが、セルビアがだまって見過ごすはずはない。
かと言って、武力では圧倒的にセルビアが有利だ。
じゃあ、どうすればいいのか?
そこで、ボスニア政府は、紛争をインターナショナルにしようと考えた。
そこからどうなったかは、「戦争広告代理店」に詳しく書かれている。


「広告代理店」というと、電◯が頭に浮かぶ。

ここでの「広告代理店」は、さまざまなテクニックでクライアントに有利な世論形成をする、国を相手にした情報工作会社のことだ。
たとえば、ボスニア政府が契約したアメリカのPR会社、ルーダー・フィン。
ルーダー・フィン社の幹部ジム・ハーフこそ、セルビアを悪者に仕立て上げて、最終的にユーゴスラビアを国連から追放した張本人だ。

ひええ、そうだったのか。

そして、ボスニアにジム・ハーフ紹介したのは、デビッド・フィリップスという人権活動家だ。
フィリップスは人権活動家でありながら、国防省や国連など、国際政治の関係者に幅広い人脈をもち、そいつらを動かす力もあった。
フィリップスは、ボスニアのイゼトベゴヴィッチ大統領に、ボスニアの憲法制定を手伝う提案までしていたんだぞ。
(「戦争広告代理店」280p)

なんか、フィクサーって感じ?

実は、ボスニアの前に、クロアチアもルーダー・フィン社と契約していたんだ。
フィリップスとルーダー・フィン社のジム・ハーフは、クロアチアで知り合ったことになっているが、おそらくこいつらグルだぞ。

へえ、彼らがグルになって、セルビアと敵対する二つの国をお得意さまにしてた?
でも、著者の高木氏はどうやって、ルーダー・フィン社のことを知ったんだろう。

NHKのディレクターだった高木氏は、2000年に放送された「NHKスペシャル 民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕~」を担当した。
ボスニア紛争のニュースを追いかけていた彼は、感じた。
世界中がセルビアを非難し始めている、おかしいと。

高木氏「具体的な証拠が判明していないのに、一方的に批判されていることに違和感というか、その『世論形成の流れ』に不思議な感じを抱いていたんです」。
現代ビジネス

そういう感覚、大事だね。

それから3年後、コソボ紛争(1998〜99)の番組を担当したときも、再び「セルビア側が悪い」という論調になって行く。
そして、セルビア側のサイトにこういうコメントを見つけた。
「いつもセルビアが悪者になるのは、実はボスニア紛争の時に始まっていた。それを陰で仕掛けたのは、ジム・ハーフという奴だ」。

ルーダー・フィン社のジム・ハーフ!

そして、高木氏がジム・ハーフに連絡をとることから取材が始まった。
現代ビジネス

ジム・ハーフ、どんな人だったんだろう?

自分の仕事に誇りを持つ、ふつうのビジネスマン。
だが、ちょっとばかしズレているようだ。
ハーフは、国家をクライアントにしたPRを得意としていた。
紛争や戦争、その国の国益がかかわる場面で、その政府に代わってPRを担当する。
ハーフはこう言っている。
「私たちの仕事は、一言で言えば、“メッセージのマーケティング”です。マクドナルドはハンバーガーをマーケティングしています。それと同じように私たちはメッセージをマーケティングしているんです。ボスニア・ヘルツェゴビナ政府との仕事では、セルビアのミロシェビッチ大統領がいかに残虐な行為に及んでいるのか、それがマーケティングすべきメッセージでした」。(「戦争広告代理店」113p)

Author:bobbsled[CC BY-SA]

あきれた!
国の評判を左右するメッセージが、ハンバーガーと同列だって?

高木氏が訪れたハーフの仕事部屋には、ボスニア政府との仕事で表彰された時のトロフィーが飾られてあった。
その一方、ユーゴスラビア当局からは、「セルビア人を世界の孤児に仕立て上げた男」「ペリソナ・ノングラータ(好ましからざる人物)」の指定を受け、国内への立ち入りを拒絶されたと言う。

やっぱり!
セルビアを「悪者」に仕立てた、張本人だもんね。


セルビアを悪役に仕立てるためのキャッチコピー「民族浄化」「強制収容所」


彼の作戦は、まず、メディアを動かすことだった。
そして、そのために重要なのが、キャッチコピーだ。
ハーフが、セルビアを悪役に仕立てるために考えたキャッチコピーは「民族浄化」と「強制収容所」だった。

「民族浄化」「強制収容所」、どちらもナチス的だね。

そう思わせるのがねらいだよ。
「民族浄化」というワードは、以前からバルカンにある言葉で、第二次大戦のときのセルビア人とクロアチア人の民族紛争で使われたそうだ。
これをハーフに教えたのは、クロアチアだ。
当時クロアチアにはナチスの傀儡政権があり、異民族であるセルビア人狩りを行った。
クロアチアに住む190万人のセルビア人のうち、おおよそ6人に1人が殺されるというすさまじい虐殺だった。そのときに使われたのが「民族浄化」だった。
(「戦争広告代理店」118p)

クロアチア紛争で最も戦闘が激しかった街 ヴコヴァルの給水塔(2003年)
Author:El capitan[CC BY-SA]

でも、クロアチア人は「民族浄化」で叩かれていない。

その通り。
クロアチア人がセルビア人を「強制収容所」に入れて虐殺しても、それは「民族浄化」に問われない。
ボスニアでも、モスレム人やクロアチア人がセルビア人を虐殺しても、それは「民族浄化」と言われない。

セルビア人の時だけ「民族浄化」が使われるなんて、不公平だ。

当初、ハーフは「ホロコースト」をキャッチコピーにしたかった。
ところが、ユダヤ系ネットワークの反感が強すぎて「民族浄化」にせざるをえなかった。
というのも、ハーフのルーダー・フィン社はCEOがユダヤ人で、ユダヤ系ネットワークと密接につながっていたからだ。

へえ、なるほどねえ。

ユダヤ系と言っても、銀行家に代表されるアシュケナジー・ユダヤ人だろう。
中東・北アフリカ出身のスファラディ・ユダヤ人じゃなくて、ハザール・カガン国出身の方の。

つまり、悪魔崇拝の方のユダヤ人だね。

その通り。
自分は戦わずに、誰かを戦わして漁夫の利を得る、まさにヤツらのやり方だ。

で、「強制収容所」はほんとにあったの?

サラエボで国連軍の司令官だった、カナダのマッケンジー将軍の証言がある。
国連での記者会見で、「強制収容所」について聞かれたマッケンジー将軍はこう言った。
セルビア人とモスレム人の双方が、互いに相手のところに強制収容所があると非難しているが、「強制収容所」の存在は知らない、情報がない、見ていないと。

なかったんだ。

だが、これじゃまずい。セルビアを悪者にできない。
ハーフは、この男をどう始末するかを考えた。
ハーフは、マッケンジーの母国カナダの外務大臣に手紙を書いたり、マッケンジーを攻撃する情報を広めたりした。
将軍の妻はスコットランド人なのにセルビア人だと言いふらされたり、ボスニアでモスレム人の女性をレイプしたことがあると言われたり。
結局、マッケンジー将軍は、定年まで数年を残して軍を去ることを余儀なくされた。

ひどい話だ!

マッケンジー氏は言う、
「単純な質問に単純に答えたまでのことです。自分は本当に強制収容所について何も知らなかったんですから。」(「戦争広告代理店」277p)
後になって彼は気づいた、それがPR会社の仕業だったことに。

結局、セルビアに「悪者」のレッテルを貼ったのはハーフ、いやルーダー・フィン社だったんだ。


う〜ん?
ハーフもルーダー・フィン社も、ただの手先にすぎない。
ルーダー・フィン社に命令した黒幕がいるはずだ。

黒幕ねえ!

この本は、読んでいて、とてもおもしろかった。
だが、戦争を操る諸悪の根源が、まるでアメリカのPR会社のように書かれている。
もっと上からPR会社に指令を送っているものなど、いないかのように見える。

そんなこと書いたら消されちゃうから、書けなかったんじゃない?

だが、ほんとはそこまで触れないと、真相は伝わらない。
その黒幕は、ユーゴスラビアの解体を望んでいた。
スロベニアとクロアチアを独立に向かわせ、クロアチア対セルビアの泥沼戦争になった時、クロアチアにルーダー・フィン社を紹介し、「セルビア=悪」をPRし始めた。
お次はボスニアという流れで、ボスニアには、戦争でセルビアに勝つには国際化したほうがいいと耳打ちして、人権活動家フィリップスが送り込まれる。
フィリップスは、アメリカにやって来たボスニアのシライジッチ外務大臣を、クロアチアと同じルーダー・フィン社に引き合わせて、視聴者に訴える役者に育て上げ、テレビを通じて「セルビア=悪」をアメリカ中、そして世界に広めていった。

そして今なおセルビアは、その汚名を負わされ続けている。



Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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