必読スレッド。私は新型コロナ問題(研究所起源、ワクチン副反応)と水俣病の類似性を何度か指摘してきた。この方は明示されていないが、それを意識されての水俣病に関する言及と思われる。 https://t.co/DP2X2aRh2e
— Hideki Kakeya, Dr.Eng. (@hkakeya) May 17, 2023
水俣病の病原がチッソ廃水中の有機水銀であることを熊大より早く突き止めたのはチッソ付属病院の細川一。彼は最初チッソを守ろうと工場廃水を猫に飲ませる。その猫400号が水俣病を発症。チッソ側はこれを極秘とする。廃水の採取も禁止される。細川は悔しいが実験を進める機会を窺うために従った。1/
— しゅん(高木俊介) (@ragshun) May 17, 2023
同時にチッソの製造過程から有機水銀が生じることをチッソの新入りの若い技術者も実験で成功させたが、その男はすぐに左遷されている。2/
— しゅん(高木俊介) (@ragshun) May 17, 2023
60年になって水俣病はもう終わったとされる中、東大の宇井純がこの「極秘実験」の細川ノートを突き止め、猫400号の記載はチッソ廃水原因説の決定打となる。細川はその後も胎児性水俣病患者を診続けその存在を認定させる重要な記録を残したが、自分の行動を公開できたのはその死の直前であった。
— しゅん(高木俊介) (@ragshun) May 17, 2023
そのような執拗な運動と科学的証拠の積み上がる中、政府はチッソ原因説を否定し続け、チッソによる有機水銀原因説が公式に認められたのは1969年である。この時までにはチッソの製造工程は有機水銀を排泄しないものに変えられていた。4/
— しゅん(高木俊介) (@ragshun) May 17, 2023
細川は表面的には会社に屈したが、その陰の地道な診療活動は、多くの識者大学人が水俣から去った後、原田正純によって遺志として引き継がれた。原田のもと多くの医学生のボランティアによる水俣での自主健診活動が続けられ、水俣病の全容が有明海全体に及ぶ途方もない被害であることが明らかになる。5/
— しゅん(高木俊介) (@ragshun) May 17, 2023
細川一は生存中は会社側の人間でありながらもその人柄の誠実さから多くの水俣病患者や支援者から慕われたという。陰に陽に運動に協力はしただろうが表にでることはなかった。
— しゅん(高木俊介) (@ragshun) May 17, 2023
置かれた立場やかかわる経緯や時期がそれぞれ違う中、患者を救うという気概と国チッソへの怒りが共通して水俣運動は続く。了
※表に出ることはなかった、と書きましたが、水俣病裁判でがんに侵された死の床から患者側に立った証言を行っています。少し訂正です。
— しゅん(高木俊介) (@ragshun) May 17, 2023
水俣では1942年に水俣病らしき症例が現れ始めます。1952年には胎児性患者が出生しました。細川氏は1956年にチッソの工場廃水で水俣病を発症することを確認しましたが、会社側はこれを極秘とし、細川氏の研究も阻みます。「政府はチッソ原因説を否定し続け」「チッソによる有機水銀原因説が公式に認められたのは1969年」になっていました。しかもこの間にチッソの製造工程は有機水銀を排泄しないものに変えられました。またチッソの製造過程で有機水銀が生じることを確認した技術者はすぐに左遷されます。会社も政府も実態解明に努めるどころか、意図的に隠蔽につぐ隠蔽を重ねています。
企業も国も被害を受けた人々を救うどころか、無かったことにしようとしています。まるで今のワクチン禍のようです。
細川氏は表面的には会社に屈し、表に出ることなく地道に診療活動を続けられました。しかしその貴重な記録のおかげでチッソ廃水原因説が認められ、胎児性水俣病の初の認定にも繋がります。「置かれた立場やかかわる経緯や時期がそれぞれ違う中、患者を救うという気概と国チッソへの怒りが共通して水俣運動は続く。」
今も細川氏のように国や製薬会社への怒りを秘め、人々のために勤めている人が大勢いる。長い戦いになったとしても真実を明らかにして一人でも多くの人を救いたいと願う人が大勢いると信じたい。