竹下雅敏氏からの情報です。
————————————————————————
配信元)
テルアビブ大学名誉教授シュロモ・サンドの告発
— ShortShort News (@ShortShort_News) October 22, 2023
・イスラエル建国の根拠「紀元70年に父祖の地パレスチナから追放された」は史実ではない空想
・ローマ帝国によるユダヤ人追放は「パレスチナへ」追放
・🇮🇱建国者は1919年に「現地の農民=パレスチナ人が古代ユダヤ人の子孫」と認識・記述 https://t.co/4Jj0AtOmD4 pic.twitter.com/dOit16eP2w
ホロコースト生存者ガボール・マテ「🇮🇱🇵🇸紛争は、20世紀から21世紀にかけての最も長い民族浄化作戦」 https://t.co/HxG9lejo0f pic.twitter.com/eTli5sX9bH
— ShortShort News (@ShortShort_News) October 22, 2023
ガザについてのドキュメンタリー(2019年、ダイジェスト予告編)
— ShortShort News (@ShortShort_News) October 23, 2023
1946年、パレスチナ人はユダヤ人入植者をイギリス軍から匿っていたとは知りませんでした。 https://t.co/U5nquN937X pic.twitter.com/0JTaAthuN9
ジャーナリスト @motaz_azaiza が、ドローンを使って、ガザ中心部の空爆後の映像をレポート。なお、彼のアカウントは凍結されている。 pic.twitter.com/2k1uGdySsD
— ShortShort News (@ShortShort_News) October 24, 2023
ダビデ王・ソロモン王の活躍した古代イスラエル王国の地は、現在のパレスチナ地方ではなく、アラビア半島のアシール地方だった、というのが『聖書アラビア起源説』です。
こちらの記事には、“三代国王ソロモンの時代に大変繁栄したが、その後、ユダ王国とイスラエル王国に分裂し、さらに、アッシリア帝国や新バビロニア王国の度重なる侵略をうけ、大変疲弊してしまう。そのために、アシール地方のユダヤ人たちは、当時の交易路でつながれていたパレスチナ地方に新天地を求めて多数移住していった。そして、移住したユダヤ人たちが、アシュール地方の出身地名をパレスチナ地方の移住地につけていった”と書かれています。
そして、シュロモ・サンド氏が言うように「追放は存在しなかった」のだとすれば、“現地(パレスチナ)のアラブ人こそがユダヤ人の真の子孫”だということになります。
シュロモ・サンド氏は「イスラエルの全ての大学において…ユダヤ民族史学部のことですが、この学部でシオニストと定義できない歴史学者は1人もいません(2分57秒)」と言っています。そしてシオニスト歴史学者は「追放は存在しなかったことなど私達は知っていた」と言っているわけです。即ち、“パレスチナ人こそがユダヤ人の真の子孫”だということを知っているわけです。
「イスラエルは決してユダヤ人の国家ではない。イスラエルはシオニスト国家である。」ということでしょう。
ガボール・マテ氏は、“私が最初のインティファーダの間に占領地を訪れたとき、私が目にしたものに衝撃を受け、2週間毎日泣きました。…パレスチナの権利を守るためには、ハマスの政策を支持する必要はありません。…ハマスについて言える最悪のことを千倍に増やしても、それでもイスラエルによるパレスチナ人の抑圧や殺害、追放には及びません”と語っています。
『ガザについてのドキュメンタリー』では、“軍政下では、平和的な抗議活動に参加することも、ビラを配ることも、パレスチナ国旗を掲げることさえも含め、あらゆる政治活動が違法とみなされる。パレスチナ人は日常的に家から追い出され、軍が新たな入植地への道を切り開く間、ブルドーザーで破壊されるのを見ることを余儀なくされた。必然的に、パレスチナ人全体による大規模な反乱が勃発し、第一次、第二次インティファーダとして知られるようになった。使用された戦術が暴力的であろうと非暴力的であろうと、それらは最大限の残酷さと残忍さで粉砕された(5分16秒)。…爆撃は定期的に続いている。それはたいてい、同じ脚本に従っている。…停戦協定に違反し、ガザがロケット弾で応戦し、イスラエルがマスメディアを従えて現実を逆さまに喧伝しながら、乱暴な攻撃を仕掛ける(9分17秒)”と言っています。