“パレスチナ人こそがユダヤ人の真の子孫” 〜 イスラエルはユダヤ人の国家ではなくシオニスト国家|マスメディアを従えて現実を逆さまに喧伝しながら、パレスチナに乱暴な攻撃を仕掛けるイスラエル

竹下雅敏氏からの情報です。
 テルアビブ大学名誉教授のシュロモ・サンド氏は、“古代に一つの民族があり、彼らの土地から引き離されたことを私達は知っています。2000年前に引き離され、追放され、世界中をさまよい始め、モスクワに辿り着き、Uターンして戻ってきた。多かれ少なかれ、これが私達の集団的記憶の枠組みを成す考え方です。…私は探しに探しましたが、紀元後初期のユダヤ人追放に関する本はたった一冊も見つけられませんでした。…私は古代ユダヤ史の学者に尋ね始めました。…世界中の人々がユダヤ人はかつての彼らの土地から引き離されたことを知っています。全ての専門家がそれが嘘だと知っています。…ですから、私の本が出た時、皆が「追放は存在しなかったことなど私達は知っていた」と。本当です。「シュロモ・サンドの説には何も新しいものはない。皆知っていた」と。…ダヴィド・ベングリオンはイスラエルの真の建国者です。…2代目の大統領ベンスヴィと共に彼は非常に重要な研究書を書きました。その本の中で彼らはこう言っています。「現地の農民は古代ユダヤ人、古代ヘブライ人の子孫である」。つまり、シオニスト達はアラブ人が反乱を起こした1929年まで、現地のアラブ人こそがユダヤ人の真の子孫だと信じていたのです”と言っています。
 ダビデ王・ソロモン王の活躍した古代イスラエル王国の地は、現在のパレスチナ地方ではなく、アラビア半島のアシール地方だった、というのが『聖書アラビア起源説』です。
 こちらの記事には、“三代国王ソロモンの時代に大変繁栄したが、その後、ユダ王国とイスラエル王国に分裂し、さらに、アッシリア帝国や新バビロニア王国の度重なる侵略をうけ、大変疲弊してしまう。そのために、アシール地方のユダヤ人たちは、当時の交易路でつながれていたパレスチナ地方に新天地を求めて多数移住していった。そして、移住したユダヤ人たちが、アシュール地方の出身地名をパレスチナ地方の移住地につけていった”と書かれています。
 そして、シュロモ・サンド氏が言うように「追放は存在しなかった」のだとすれば、“現地(パレスチナ)のアラブ人こそがユダヤ人の真の子孫”だということになります。
 シュロモ・サンド氏は「イスラエルの全ての大学において…ユダヤ民族史学部のことですが、この学部でシオニストと定義できない歴史学者は1人もいません(2分57秒)」と言っています。そしてシオニスト歴史学者は「追放は存在しなかったことなど私達は知っていた」と言っているわけです。即ち、“パレスチナ人こそがユダヤ人の真の子孫”だということを知っているわけです。
 「イスラエルは決してユダヤ人の国家ではない。イスラエルはシオニスト国家である。」ということでしょう。
 ガボール・マテ氏は、“私が最初のインティファーダの間に占領地を訪れたとき、私が目にしたものに衝撃を受け、2週間毎日泣きました。…パレスチナの権利を守るためには、ハマスの政策を支持する必要はありません。…ハマスについて言える最悪のことを千倍に増やしても、それでもイスラエルによるパレスチナ人の抑圧や殺害、追放には及びません”と語っています。
 『ガザについてのドキュメンタリー』では、“軍政下では、平和的な抗議活動に参加することも、ビラを配ることも、パレスチナ国旗を掲げることさえも含め、あらゆる政治活動が違法とみなされる。パレスチナ人は日常的に家から追い出され、軍が新たな入植地への道を切り開く間、ブルドーザーで破壊されるのを見ることを余儀なくされた。必然的に、パレスチナ人全体による大規模な反乱が勃発し、第一次、第二次インティファーダとして知られるようになった。使用された戦術が暴力的であろうと非暴力的であろうと、それらは最大限の残酷さと残忍さで粉砕された(5分16秒)。…爆撃は定期的に続いている。それはたいてい、同じ脚本に従っている。…停戦協定に違反し、ガザがロケット弾で応戦し、イスラエルがマスメディアを従えて現実を逆さまに喧伝しながら、乱暴な攻撃を仕掛ける(9分17秒)”と言っています。
(竹下雅敏)
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