ままぴよ日記 120 「足元の思いやり。お互い様だよと自分から繋がる力 自分で向き合う力さえあれば、世の中捨てたもんじゃない」

 麦刈りが終わったら、田んぼに水が張られて一面の鏡の世界です。私たちも無事に玉ねぎとジャガイモを収穫しました。キイチゴを摘み、ブルーベリーを山ほど摘んでジャムやジュースを作ります。ヤマモモは収穫する前に落ちてしまいました。お友達から分けてもらうあんずの実の種を乾かして、実はジャムにします、赤しそも出回り始めたので孫が好きなジュースを作ります。
 自然の恵みは待ってくれない。私は一日のほとんどを台所で過ごしています。
(かんなまま)
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子どもは無駄なことばかりする


最近、タイムパフォーマンス(タイパ)、コストパフォーマンス(コスパ)、タスク管理、効率よく管理・実行・見える化する、費用対効果という言葉を聞くようになりました。聞いているだけで緊張します。



仕事ではリモートワークや会議が増え、家庭では掃除ロボット、乾燥までしてくれる洗濯機、ほったらかし調理器、食洗器、ミールキットなど時短で快適な生活がおくれるようになりました。もちろん停電しなければの話ですが。

このように一見、効率よく仕事をして快適な生活を送れるようになったのですが、ひとり一人に焦点を当ててみると、ちっとも幸せそうじゃありません。むしろ、戦士のように働き、こんな道具が必要なほど1人で家事、子育て、介護を抱え込んでいるように見えます。

そもそも子どもは効率よく育つはずがなく、このような生活で一番迷惑している存在です。

子どもは無駄なことばかりします。電動鉛筆削りより、自分で回して削る方が好き。もっと言えば肥後守で削るのが一番面白いでしょう。だって、している事の結果がわかるから実感できます。

時間は気持ちと連動していて、面白かったら時間を忘れて何度もやります。自分の五感を使って、確かめて、又発見して、展開して、次のことを思いついてやってみるのです。

だから遊びにタイトルはつけられません。だってままごとしていたら水遊びになって穴を掘り始めるかもしれません。めあて、目的もないのです。

遊びながら自分の身体感覚や身体の使い方、自分の生きている世界を認識して広げていくのです、それが成長。


そんな子どもをみるのが好きです。輝いています。


子育ての基準が赤ちゃんではない


でも、子ども達をタイパやコスパ、費用対効果の世界観に押し込めて育てたらどうなるでしょうか?まさに今、それが始まっています。

子どものいる生活なんて想像できない妊婦さんは自分の職場復帰を効率よくするために産む前から保育園を調べます。そして母乳があふれるほど出るのにミルクを受け付けてくれないと相談に来ます。理由は夜中の授乳はパパ当番。保育園や人に預ける時にミルクに慣れさせておかないと困るからです。

おっぱいをやる時にスマホを横に置いてタイマーを設定します。まだ欲しがっているのに時間が来たら切り上げます。

抱っこしてほしいと泣き始めた赤ちゃん。抱く前におむつを替えないと落ち着かないママ。おむつの準備が周到なので時間がかかります。その間泣き叫んでとうとう怒ってしまいました。もうこうなったら本当に泣き止みません。ママに「怒っているよ。まずは抱っこしてあげたら?」と言っても「おむつを替えたら抱っこします」と頑なです。

そんなママ達は子育ての基準が赤ちゃんではないのです。赤ちゃんにとってはどうなのか?を感じるスイッチが入っていません。発達にいいと聞くとその部分だけ切り取って頑張ります。でも赤ちゃんの要求に応えてあげない子育てはうまくいきません。

早く仕事復帰する背景には、仕事や経済的な問題、保育園事情もありますが、子育てのストレスで預けたいというニーズも増えました。誰でも通園制度も始まります。孤立している家庭などの育児負担を軽減することで虐待予防になるといわれていますが、待機児童問題で保育園の定員を増やしたものの少子化が進みすぎたので園児確保の狙いもあるようです。子どもを経済のために振り回さないで欲しい。

逆に、預かってくれる園がたくさんあると子育てがストレスだから預けるという人が増えるのが心配です。親には伴走しながら子育ての喜びを伝えたいし子どもには安心して子ども時間を過ごしてほしいのです。

ママの言い分もわかります。効率よく仕事して成績を上げるために仕事をして、子育ても用意周到に調べて頑張っているのに成果が見えません。1日15回もおむつを替えて、うんちしたら洋服にもべっとり付くし、泣く、吐く、寝ない、よだれだらけ、舐めまわす、汚い、叫ぶ、何でも口に入れる、飛び出す、いなくなる、落ちる、何回言っても同じことをする、好きなことしかしない、親の都合など考えないのが子どもです。「電池を抜きたい」と言ったママがいました。


今思えば夢のような母親時間だった


でも、子どもってそんな生き物なのです。子育てには生活丸ごとを変えて子どもに向き合う力がいるのです。観察していたら子どもの行動に意味があります。自分の価値観をひっくり返されます。凄い!面白い!と感動します。

私も初めからこんな風に思えたわけではありません。それがわかるには子どものそばにずっと居て観察しなければ見えてこないのです。

今や専業主婦は絶滅危惧種。一日中、子どもに合わせた生活をしてくれる人がいなくなりました。私の時代は8割が専業主婦の時代だったので4人の子ども達を無我夢中で育ててきました。夫はほとんど家に居ませんでした。私だからやれたのではなく、その環境だったからやるしかなかったのです。

始めは子どもを躾けていい親になろうと頑張りました。でも相手は年齢の違う怪獣集団です。言うことを聞かせたい時は大きな声で怒った方が早いとわかりました。でも、怒りの連鎖が始まります。もっとひどいことになります。

何より怒ってばかりの自分が情けなくて嫌いでした。ちっとも幸せではありません。「私はいったい何をしているのだろう」と落ち込みました。現場にいない夫に話してもわかってくれません。今のような子育て支援もありませんでした。

でも、いっぽ外に出ると近所の子どもとそのお母さんがいました。みんな同じ思いで子育てをしていたのです。子どもが一緒に遊びだすと自然にお母さんとも話すようになりました。

やがて、時間を決めて一緒に外に出て遊ぶようになり、交代で子どもをみたり、預かったりし合うようになりました。

子育て世帯が10軒以上はあったので子どもも20人くらいいました。お料理上手な人がレシピを教えてくれたり、編み物、洋裁の得意な人が先生になって子ども服を作ったりしました。子ども達もよその家でご飯を食べてお風呂に入るようになり、みんなで子育てをし合いました。

自然発生的な生活共同体です。年齢も性格も違う子どもはその中で喧嘩したり事件を起こしたりしましたが、親同士が分かり合っていたので、みんなで解決しました。自然も近くにあって、子ども達は季節を感じながら成長しました。そこには今求められている多様性、インクルーシブな環境が当たり前のようにありました。子育ての悩みを薄めてくれ、喜びが何倍にもなる社会でした。

下の子が成長するまでの27年間は子育てどっぷりの生活でした。人から「趣味は?」と聞かれたときに答えられない自分がいてびっくりしました。自分の趣味なんて考えたことがなかったのです。

PTAで行ったカラオケで歌を歌えない事にもびっくりしました。子どもの歌や出まかせの歌はたくさん歌えましたが、今はやりの歌なんて知りませんでした。

私は、別世界に住んでいるのだと思い知らされましたが不幸ではありませんでした。子どもが面白かったのです。

今のように子ども時間を奪うスマホもゲームもありません。テレビはありましたが、テレビを見る暇はありませんでした。絵本を読み、家で子ども達と劇を作りました。今思えば夢のような子ども時間、いいえ母親時間だったと思います。

あれから40年。時代は大きく変わり、子育ての孤立化と、公的な子育て支援が始まりました。子育てや福祉を効率的に支援するために分断化が始まりました。子どもは同年齢が集められて安全で快適な箱もの施設で過ごします。カリキュラムに沿って与えられた遊びを時間を決めてするようになりました。もう自由に遊ぶ場所も仲間も時間も無くなりました。

昔に戻りたいとは思いませんが、子ども時間とそれを愛でながら育ちあう親の喜びは取り戻したいと思います。

でも、一旦分断した社会は問題が発生するたびに、もっと責任の所在が明確になり、クレーム対策のための監視、管理社会になっていきます。個人の力ではどうすることもできません。


1人暮らしの私の友達の場合


でも、身近なところで自然発生的に人が集まって助け合っている居場所ができ始めました。

私の友達は1人暮らし。ご主人が亡くなったのでかわいい犬を飼うことにしました。その犬が人懐こくて下校中の子どもに向かって千切れるほどしっぽを振るのです。

垣根越しに子ども達が声をかけて行くようになりました。「おばちゃん、犬の名前はなあに?」と聞くので教えてあげると次々に名前を呼んで挨拶していくようになりました。どうも、学校で話題になっているようでした。


暑い日に、犬を撫でて帰る子どもを見たらべっとり汗をかいています。冷たいお茶をあげました。縁側で犬を抱きながらお茶を飲み、時々学校の話をするようになりました。

その子がほかの子を連れてくるようになりました。1年たち、2年たつ頃には子ども達が家に上がっておしゃべりをするようになりました。そこには近所の高齢者も遊びに来るのでいつの間にかお互いを名前で呼び合うようになりました。

家のジュースを勝手に飲んだりするようになったので、みんなでルールを作ることにしました。親にも許可をもらってくるようになりました。

「ただいま~」と帰ってくる子ども達。その時間に合わせて近所のおばちゃん達もやってきます。学校や家では話さない事も話しはじめ、家では教えてもらえないような昔の話や体験を教えてもらって楽しそうです。今はひょっとこ踊りにハマっていて、わが家のひょっとことおかめのお面を持っていったらおばちゃんたちが衣装を作ってくれて練習に励んでいます。「今日はおばちゃん遅いね~」と、80歳の年の差でお互いの安否確認をしています。

子どもの家庭の問題も様々で、いろいろな親の事情も見えてきます。でも、ここでは皆が対等に扱われて可愛がられます。

子ども達の孤立化、貧困化対策のために安心して過ごせる居場所づくりが公的支援として始まりましたが、行政主導ではこんな居場所は作れないでしょう。


96歳の叔母の場合


私の叔母は96歳。家で1人暮らしです。若いときから手芸や料理が得意でした。それを習いたいと人が集まりはじめ、今では午前中に手芸をして、昼ごはんを一緒に作って食べて、夕方まで誰かが居るという生活をしています。

叔母の介護をお願いしますとか、手芸を教えます、などのアナウンスをしたわけではないのに人が人を呼んで自然にそうなったのです。叔母は手芸代や食事代を貰っていないそうです。だから家にある野菜やおかずを持ち寄って食べるようになったそうです。

来る方も楽しそうで、おしゃべりしながら手仕事をして元気が出ると言ってくれています。帰る時は叔母の夕ご飯まで作ってくれるし、叔母がお風呂に入る日は誰かが見守ってくれます。


叔母は1人になったので施設に入ろうかと思い悩んだ時期がありましたが入所しなくてよかった!こんなに素敵な仲間に囲まれて幸せそうです。


その気になれば自然に助け合う関係を築くことができる


こんな人たちを身近に見ていたら、この世は捨てたもんじゃないと思えます。人はその気になれば自然に助け合う関係を築くことができます。社会が人を分断しようとしても、その隙間で、足元で、自分達に合った生き方を作り出せるのです。愛があれば。

ただ、食べ物の確保は必要です。一緒に農業をして、生活を助け合い、子どもを育て合い、年をとっても自然に看取れる小さな共同体が生まれるといいな。子どもはそこでいろいろな人の知恵を見ながら育つのです。

学校では東洋医学セミナーを習い、ヤマ・ニヤマの大切さを学び、心の清らかさが価値基準になる、そんな社会・・・。妄想が続きますが、まずはそんな生き方をしなくちゃ!


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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