ままぴよ日記 122 「お盆と母と私と孫に思いを馳せる夏」

 娘婿の病気が発症して2年経ちました。西洋医学では治療法がなく発症して2年以内の生存率はないと言われていました。確かに少しずつ進行しています。でも積極的な治療をやめて家庭で生活をしている娘婿は、自分で起きてご飯を食べ、一日2時間程度リモートの仕事をして、子ども達と会話をして、子どもと一緒にシャワーを浴びるという生活をしています。
 少しずつ生きる気力が出てきたようで、この夏1泊2日の家族旅行に行きました。1年半前のお正月には考えられなかったことです。

 この2年間、娘婿は身も心も不安と恐怖、怒り、悲しみ、後悔が押し寄せ、眠れない日々を過ごしました。それでも小さな幸せを見つけ、家族の愛に支えられてきました。

 始めは私も焦り、何か救える手立てはないかと西洋医学以外の提案をしたのですが、NOという本人の意思を尊重することしかできませんでした。そして祈り、必要とされる時に駆け付けました。
 自分を生きている娘婿。それでよかったのだと思えるようになりました。
(かんなまま)
————————————————————————

命のつながりを感じた9歳の孫


この夏は月の半分は娘の家に手伝いに行き、家で孫を預かる日々でした。5種体癖月のヴァータの私は動き回るのが得意分野なのですが、新幹線の移動と孫の相手、病院の決算業務などでヴァータが亢進して眠れなくなりました。わかっていてもどうすることもできないので家庭内雲隠れと銀のマーラーに助けられながら乗り切りました。

そして、義母の初盆と1周忌、叔母の初盆も終わりました。お寺で身内だけの法事を済ませましたが、家では久しぶりに来た夫の弟とお酒を飲みながら義母の思い出話をしたり、昔のアルバムの整理をしました。


見たことも無い祖父の写真を発見。義母が女学生の頃の寄せ書きの手帳も出てきました。義母は戦時中、長崎の爆心地に住んでいましたが、当時中国に赴任していた父親が日本が戦争に負けるのを感じて田舎に帰るように言ったそうです。いよいよ田舎に引っ越す時に友達が寄せ書きをしてくれたようです。

15歳とは思えないような文章で「又お会いしましょうね」と書き綴ってくれた級友は全員原爆で亡くなったと母から聞いたことがあります。きっと大事にしていたのでしょう。旧友の写真とともに大事に箱に入れてありました。


孫たちが15歳になった時に、この手帳と写真を見せて原爆記念館に行こうと思います。まだ9歳の孫も「このおばあちゃんが原爆で死んでいたら私はこの世に生まれていないの?」と聞きました。「そうね。おばあちゃんが生きていたからおじいちゃんと結婚して、じいじが生まれて、ばあばと結婚して、みんなのパパが生まれてママと結婚したからあなたが生まれたのよ」と話しました。孫は「そうなんだ~」と、初めて命のつながりを感じたようでした。


毎朝、仏壇で父と会話していた母


ご先祖様って何だろう?私達は当たり前のように仏事をして仏壇に手を合わせて先祖の供養をしているけれど、どれだけの人が仏教の教えを知っているのでしょうか?

私は子どもの頃からご先祖様を大事にする家で育ちました。特に祖母の躾で、毎朝仏壇に手を合わせる習慣が身に付いていました。

母は長男の嫁としてその習慣を守り、毎朝お茶とお水、ご飯をお供えして手を合わせていました。父が亡くなってからは法事が母の生きがいでした。

毎朝、仏壇で父と会話していた母。家族の名前を1人ずつ言って無事を祈っていました。仏教を信じているかと言えばそうでもない母でしたが亡き父と語らい、祈ることで父を感じ、自分の不安を安心に変えていたのでしょう。

一方、義理の母はあっさりしていました。いつも仏壇を閉め切っていました。ただ、父が亡くなってからは仏壇の前で手を合わせるようになり「私を置いて行ってひどい!」と文句を言っていました(笑)

亡くなった叔母は母一人子一人で、亡くなった母親の月命日には必ず和尚様にお参りに来てもらっていました。そして、自分が亡くなった後の法事や墓守などを心配していました。仏教を信じていたか?といえば違う気がします。身寄りのない自分の生きた証だったのかもしれません。

近所に96歳の叔母が1人暮らしをしていますが、今でも母の命日にお参りに来ては自分が亡くなった後の葬式や法事はどうなるのだろうかと心配しています。

このように私達は何も考えずに、お寺に言われたとおりに死者を弔い、ご先祖の供養とともに家族の繁栄を先祖にお願いしてきました。私も漠然と先祖を敬うのはいいことだと思っていました。

竹下先生の宗教講座が本格的に始まり、宗教についての隠されてきた真実が明らかになるにつれ自分の漠然とした宗教観がガラガラと崩れ去りました。でも、私が無知でよかったのかもしれません。素直に腑に落ちるものがあり、受け入れる自分がいました。


生活のすべてに通じる私のスタンス


コロナ以降は竹下先生の話を裏付ける衝撃の真実が目の前で繰り広げられました。ずっとお話しされていたことが次々に証明されて行き、今では確信になっています。

そして、今の世界情勢を見るたびに「昔から何も変わっていない!」と無力感に陥ります。でも、私たちはそれに気づき、その環境の中で生きて行くのです。私は世界の片隅の小さな1人。でもヤマ・ニヤマの生き方とその祈りは神様につながっていると信じています。

ただ、付き合う家族や親戚が多い分、その数だけ考えも価値観も違います。これが正しいと主張しても壁が立ちはだかり孤立を深めるだけです。だからお葬式も法事も普通にします。

でも、自分に嘘はつきたくないから何をするにも自分の想いや信念を問い続けています。それと同時にその人の想いも尊重します。法事も故人が望むことをしてあげるというスタンスです。私自身は法事に関して囚われがないので気持ちは軽く、義母や叔母を想って花を活けて「ありがとう」と手を合わせます。


これは、生活のすべてに通じる私のスタンスです。夫も子ども達も私とは違う1人の人間。正直に自分のことを話してよく議論をする家族ですが、みんな自分を持っています。それぞれの生き方を尊重するしかありません。私はその人の幸せを祈るだけです。

そして、絶えず私が間違っているかもしれないと思っています。至らない事、知らない事だらけなのです。でも、今の自分に正直に生きるしかありません。


いつか誰かにお世話になる日が来る


さて、やっと普通の生活に戻ったので、久しぶりに母の施設へ行きました。101歳の母は夢の中にいる時間が多くなり、ずっと寝ているようです。でも、生きていてくれる今、会いたい人です。

最近は夕方に行って母の食事を手伝うようになりました。ストレッチャーを立てて、大きなエプロンをします。全て流動食ですが、おかずごとに分けてあるので結構な量です。

母に食べるかどうかを聞きながら母のペースでスプーンを口元に運びます。歯のない口を大きく開けて、もぐもぐして一生懸命飲み込む母。甘いと「おいしい~」と笑顔。すっぱいと子どものように顔で表現してくれます。

母が完食したお皿

我が子の離乳食を思い出しました。そして、私もこの母からこうして育てられたのだと思いを馳せます。やがては自分もできることが減っていき、誰かにお世話になる日が来るでしょう。そんな時に出会った詩があります。

「親愛なる子ども達へ」作者不明

年老いた私が ある日 今までと違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解してほしい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れてもあなたに色んなことを教えたように見守ってほしい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結果をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 
消え去ってゆくように見える私の心へ励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 
旅立ちの前の準備をしている私に祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえできなくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど 
私を理解して支える心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き合ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

私の子供達へ
愛する子供たちへ

私達は自分では何もできない状態で生まれ、親にお世話をしてもらいながら育ち、愛する人と結婚して我が子のお世話をしながら育てます。やがては親が年老いて何もできなくなり、お世話をしてあげる側になる。そして今度は自分が老いて何もできなくなってお世話してもらいながら息絶えるのです。

今は子育てさえ「子育て罰」と言われます。自分のキャリアアップや社会の生産性をあげるために子育てをしている母親が犠牲になっていると考えられているのです。介護も然り。ヤングケアラー、親の介護で子どもが犠牲になるという話が後を絶ちません。

家族をずっと家に縛り付けようと言っているのではありません。そこで愛がはぐくまれたら、世界が変わるかもしれないと思うのです。



Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
かんなままの子育て万華鏡はこちら


Comments are closed.