アーカイブ: かんなまま

ままぴよ日記 105 「家族団らん」

 久しぶりにコンサートに行きました。

 ショパン作曲のピアノ協奏曲第1番。オーケストラの演奏に導かれてピアノが始まり、突然悲しくて切ないメロディが流れてきました。不意に私の胸が震えて涙が溢れてきました。なぜ泣くのだろうと思いながらも止まりません。
 「ああ、私は悲しかったのだ」と思いました。それも自分の事ではなく、娘と一体になって悲しみに耐えている、と知りました。
 恥ずかしいのですが、このまま泣いていいと思い、鼻水じゅるじゅるのコンサートでした。

 さて、今回はお正月の里帰り第2弾です。
(かんなまま)
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涙、涙、涙の再会


娘家族を乗せた車が家に着きました。

それを待ちわびていたのはオーストラリアの妹とフィンランドの弟でした。お姉ちゃんは2人の顔を見て気が緩んだのか涙が溢れてきたようです。みんなウンウンと頷きながら抱き合って泣いています。言葉になりません。

あらあら、気が付けば、向こうで、やっと椅子に座ったばかりの娘婿を抱きしめながら夫が泣いています。最初に病気の知らせを受けたのは夫です。それから半年。病状を心配しながらも一度も会いに行けなかったのです。人前で泣く人ではなかったのに、年を取って涙もろくなったようです。

従妹同士になる子ども達も小さいころに会ったきり。でも、すぐに打ち解けて遊び始めました。あれれ?子ども達も大人もみんな英語で話しています。日本語がわからない人が3人居るので自然にそうなったのでしょう。日本の我が家で家族同志が英語で話しているという不思議な光景です。


賑やかな家族の団らん


さあ、賑やかな家族が戻ってきました。そして・・・私は一気に料理マシーンになりました。

お持ち帰りのうどんを作るだけでも大騒動です。大きなどんぶりが足りないのでバイキングのようにテーブルに具を並べて何度でもお代わりができる方式にしました。「どうぞ、好きなものを好きな場所で食べてくださーい!」と叫びます。

一瞬で家が散らかり、子ども達は家中を探検してまわります。最初に愛犬にだけは注意を払うようにと言いましたが、当の本人(犬)は見えないし、聞こえないのが幸いして安全なテーブルの下でグーグーいびきをかいて眠っています。

娘婿も会話に入りながらニコニコしていますが、実は帰る3日前に急に意識が遠くなり、何を聞いても「うんうん」と頷くだけで、身体も動かなくなっていたのです。

早く対処できたので1日の入院だけでよかったのですが、その時、先生に里帰りをする予定だと伝えたら「今のうちに帰った方がいいですよ」と言ってくださったそうです。何が何でも連れて帰りたいという思いが奇跡的な生還に繋がりました。

だから、お互いに顔を見ることができた時の喜びもひとしおでした。家族同志だから泣いていい。わかり合った上で一緒に前を向いて普通の生活をするために集まったのです。幸い、子ども達の存在が容赦なく日常に戻してくれるので助かります。

娘婿も初めは疲れた様子でしたが、家族のおしゃべり、子ども達のはしゃぐ声、生活の様々な音を聞きながら、だんだん穏かな笑顔になっていきました。

食欲も出てきたようで、何でも「おいしい!」と食べてくれました。一緒の食卓に座れたのには驚きました。娘から病状を聞いていたので介護用のお箸やスプーン、特別食まで用意していたのですがそっと隠しました。

その日はちょうどクリスマスだったのでオーストラリアの娘婿が特別のケーキを焼いてくれました。

子ども達は中学生のお姉ちゃん以外は皆でお風呂に入ります。


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ままぴよ日記 104 「家族全員が揃った特別なお正月」

 12月と1月が一気に駆け抜けていきました。
 毎日、目の前の事をしているだけで過ぎていき、昨日何をしたのかさえ思い出せません。今をしっかり生きていれば、それはそれでいいのですが、湧き上がる様々な感情を見つめて自分を理解するには、やはり落ち着いて書き留めて、整理する必要があると感じます。
 それをすることで私自身が楽になり、救われるからです。

 そう言う意味で、私事ですが今回はお正月に家族全員集合した時の事を書きます。
(かんなまま)
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娘婿の願い


40歳の若さで進行の早い癌に侵された娘婿。病院で治療して少しの延命ができるより、残された時間を家族と共に過ごしたいと願い、家に帰ってきました。「家がホスピス。主治医は妻」だと話してくれました。

日々体の機能が低下して目がほとんど見えなくなり、今では自力で起き上がることもできません。

その娘婿が、目の前の目標としたのがお正月に里帰りをする事でした。それは自分のためと言うより、家族のためでした。

夫の介護と子どもの世話、家事に追われている娘に少し楽をさせてあげたい、休みの日にどこにも行けない子ども達を従妹と遊ばせてあげたい、と言う願いでした。

でも道中が大変です。新幹線のチケットを手配して、乗り降りの介助をお願いしつつ、その日の体調によっては全部キャンセルになるのも覚悟の上で準備をしました。駅の混雑も避けたいので子ども達の冬休みが始まってすぐに帰省し、お正月過ぎに戻るという計画です。



久しぶりに皆に会える!


それに合わせて、外国に住む子どもたちも里帰りをすることになりました。コロナ規制が少し緩和されたので帰れるようになったのです。フィンランドに住む息子は何と6年ぶり。オーストラリアの娘家族は4年ぶりです。

皆に会える!それも一堂に!!夢のようです。でも、全員で会えるのはこれが最後かもしれません。色々な思いがこみ上げてきました。

そして、現実的な問題も。「えっ?どこに寝るの」「寝具はあるの?」「食卓に座る椅子は足りる?」「毎日の食事は?」


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ままぴよ日記 103 「今まで培ってきた子育ての知恵を、祈りと共に孫のために」

 お盆前、ままぴよ日記で「2回お休みします」と書きました。でも今日は11月23日。ずいぶん長く筆が止まってしまいました。
(かんなまま)
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一瞬にして住んでいる世界の色が変わったかのような衝撃


8月中旬に娘家族がアメリカから帰国して、バタバタと引っ越して行きました。そして新しい家に着いた2日後に、娘のパートナーにステージ4の腫瘍が見つかりました。いきなり余命いくばくもないと告げられたのです。その病気は進行が早い上に、手術もできない場所にできていたので、今の西洋医学では治療法がありません。

この事に関しては、詳細を書ける状態ではありません。

娘は引っ越しの段ボールも開けないまま、病気の検査、入院、手続きに追われました。まだ住所変更もしていないし、保険証もありませんでした。

私は、娘の所に行くためにスーパーに買い出しに行ってレジに並んでいる時に夫からこの知らせを受け取りました。検査をした直後に本人から夫に電話がかかって来たそうです。「落ち着いて聞いてくれ」と、話し始めた夫の言葉に、一瞬にして住んでいる世界の色が変わったかのような衝撃を受けました。まだ40歳です。ありえない・・・。

娘のパートナーはその日から入院しました。

母や愛犬の介護が気になりつつも、優先順位が逆転して娘の家に駆け付けました。家に入ると、家中が段ボールで埋まっていました。娘は私を見ると涙ぐみましたが、気丈にしています。私も「そばに居るから大丈夫。家事全般任せて」と目で伝えました。それ以上言うと涙が溢れて立ち上がれなくなります。


アメリカからの荷物がまだ届いていないので鍋が1つしかありません。包丁は子ども用です。食器も段ボールの中から探し出しました。エアコンと電気だけはすぐに取り付けてもらいましたが、洗濯機が間に合っていません。

着いたその時から1個ずつ段ボールを片付けていきましたが、子ども達はお手伝いどころか、せっかく片づけた段ボールで遊びだします。それでも届いた家具を組み立てたりして、やっと床が見えるようになっていきました。

その時の事は記憶がないくらい無我夢中で働きました。

身体を動かしていないと心が折れそうになるのです。この時ほど、ガヤトリー・マントラがありがたいと思ったことはありません。マントラを唱えていると、いらぬことを考えないで済みます。そして、ネガティブにならないのが救いでした。


孫達に寄り添う時間


住民票ができ、やっと、子ども達の学校が決まりました。教科書、タブレットも貰いました。帰国子女の多い学校を選んだので、日本語がわからない子どものための先生がついてくれる事になりました。特に小学2年生の子は漢字が読めません。日本語の意味も分かっていないようです。

5年生のお兄ちゃんは、1年生まで日本の学校でしたが、いい思い出がないので不安でした。2人ともアメリカの学校との違いに戸惑いを隠せません。早速その日から漢字のドリル、計算ドリル、音読などの宿題が出て気が遠くなります。


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ままぴよ日記 102 「私達の町にこんな学校が欲しい!」

 夏休みです。猛暑続きで夏バテしそうな毎日ですが、いよいよアメリカから娘家族が帰ってきます。楽しかった学校生活にお別れして、日本の学校に再入学します。幼稚園、小学校2人、中学校です。

 そんな孫の目に日本の学校はどう映るでしょか?うまく適合していけるでしょうか?動じないで切り抜けるでしょうか?心配でもあり、楽しみでもあります。

 さて、我が町では先日紹介した「夢見る小学校」の映画を見たママ達の心に火が付いてしまいました。今回はそのことを書きます。

お知らせ:次回から2回、お休みをいただく予定です。娘家族の引っ越しの手伝いに奔走します。
(かんなまま)
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我が子の不登校に悩むママ達


最近、不登校の話をよく聞くようになりました。1クラスに2~3人いるのは当たり前。そして、行き渋りながら学校に行っている子もたくさんいます。子育て広場でも保育園や幼稚園の行き渋りのテーマでおしゃべり会をすると、困っているママ達がたくさん集まってきます。

その家の中を覗くと毎日、毎日、親子の葛藤がくりひろげられています。

ママは自分で起きてこない子を無理やり起こすところから始まります。又は、緊張の為に夜明け前に起きて学校に行きたくないと泣き出す子の話を聞きます。食べてくれそうな朝ごはんを用意してテンションをあげ、学校に行ってくれるか?その日によって変わる子どもの態度に細心の注意を払いながらあの手この手で励まします。それでも行かない時は「いいのよ、家にいて」と言いながら、へこみます。そして気持ちを切り替えて、バタバタ自分の仕事に向かうのです。

いつも平常心でいるのは難しく、時には声を荒げて「もう、いい加減にしてよ!」「何であなただけ行けないの?」「それくらい我慢できなきゃ社会に通用しないのよ」「いい加減にしてよ!」と、捨て台詞を言って、後悔します。

そして、自分の子育てが間違っていたのではないか?子ども自身に問題があるのではないかと悩み続けるのです。


普通に学校に行っている子でも宿題をさせるのは一苦労。最近は採点、見直しまで親がします。給食を食べない、忘れ物が多いと先生から注意されてばかり。子ども達は先生がいつも怒っているだの、友達が意地悪をしただの、親に訴えます。時間割をさせるのも一苦労。夜遅くまでゲームをして朝起きられません。親も疲れてみて見ぬふり。そんな生活が当たり前になってしまいました。

先生も、熱心に不登校の子どもを学校に来させようと頑張ります。毎日家に迎えに行く。保健室登校でもいいよ、と促します。親にも連絡を取ります。熱心な先生はクラス中で声をかけあうように促します。

不登校の子にとっては、その熱意が苦しい事もあります。親を困らせたいわけではないけど、行けない自分をうまく説明できません。

聞かれれば、皆が納得してくれそうな答えを探します。頭が痛くなったり、吐いたり、熱まで出て体で表現することもあります。

日本は、子どもは学校に行くのが当たり前なのです。文科省は不登校の子どもの再登校を目指しているため、学校以外の多様な学びの場を保障するという発想がありませんでした。だから、先生も親もどうにかして学校に行かせようと頑張るのです。行けない子どもは社会から落ちこぼれるし、問題児と言われます。


衝撃を受けた映画「夢見る小学校」


でも、心の中で、こんなに嫌がっているのに無理やり行かせる必要があるのだろうか?学校にも問題があるのではないか?と思っていたママ達が、「夢見る小学校」の映画を見て衝撃を受けたのです。

えっ?こんなに自由なのに文科省が認めている学校?先生がいない?宿題がない?黒板を見ながら学年別の一斉委授業がない?テストがない?通知表がない?教科の勉強ではなくプロジェクトで家まで作る?1年から6年まで一緒に取り組む?職員室は遊びに行くところ?校則など大事なことは子どもと大人が会議で決める?とびっくりです。

映画の中の子ども達は一生懸命に自分で考えています。友達と話し合っています。身体も手も動かしています。大人と対等に話し、電話して交渉までしています。多分、一年生の時からそんな上級生を見ているのでやり方を学んでいるのでしょう。

農業、大工、食べ物のプロジェクトチームがクラスです。1年かけて大人顔負けのものを作っていますが、多分失敗も含めて色々な体験をしてきたでしょう。でも大人が「失敗していいよ、責任は大人が取るから」と言ってくれるので安心してチャレンジしています。


ママ達は、我が子と比べながら映画を見て、考え込んでしまいました。我が子はこんな顔をしているだろうか?私は子どもにしたいことをやらせているだろうか?でも、楽しいだけで成績は上がるのだろうか?

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ままぴよ日記 101 「シングルマザーの覚悟と涙」

 コロナが落ち着いてきたと思っていたら、今度はオミクロンBA.5が一気に蔓延してきました。近隣の開業医は発熱外来をしない所も多い上に、子どもの感染者が増えていることもあって小児科はコロナ感染者で溢れています。
 うちの小児科は従業員6人の小さな診療所ですが、毎日30人ほどの陽性者が出ます。幸い、重症者は1人も出ていません。

 とうとう、看護師2人と事務員1人が感染してしまいました。それぞれ10日間の出勤停止です。夫と残りのスタッフは休みなしで乗り切らなければいけません。もう1人でもスタッフが感染したら閉院です。
 他の小児科もすでに閉院しているところがあり、町医者の医療崩壊が始まりそうな気配です。

 コロナの現場に居ながら3年近く感染せずに頑張ってきました。でもBA.5は感染力が強いので従業員にも毎日イベルメクチンを飲ませたり、安定化二酸化塩素のうがいをしていたのですが、効かなかったようです。私以外はみんな3回ワクチンを打っています。大人の感染者も85%以上がワクチン接種済の人です。2回感染した人もちらほら出てきました。

 幸い、夫と私は元気です。でも、健康管理に気を抜けません。
 この緊張感がいつまで続くのでしょうか?

 さて、今回は私が出会ったシングルマザーのお話です。
(かんなまま)
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3人のシングルマザーの苦悩


子育て広場が新しくなって、来場者も増えています。
私達の広場はスタッフが親子のそばに居るので、ママ達が抱えている問題や不安が見えてきます。

「同居している人にしかわからない悩みを話したい」「離乳食の事をもっと知りたい」「兄弟げんか、皆どうしてる?」「子どもを預けて働きに行ったらどんな生活になるのか知りたい」などの不安は、私達が繋いであげたら解決できる事も多いのです。

特にコロナ禍で人と話す機会がなくなっているので、興味のある話題についておしゃべり会を開催する事にしました。参加したママ達は「共感してもらえた」「話したことで心が軽くなった」「前向きになれた」と、好評でした。

そして、「もっと続きを話したい」「私も参加したい」という声が広がっていきました。

そんな時に、スタッフが足りなくて私にSOSが来ました。それも、あと30分後に始まる「シングルの会」のファシリテーションをしてほしいとの事。最近、立て続けに深刻なシングルのママの相談を受けていたこともあり、引き受ける事にしました。

集まったママは、この広場で顔見知りのママ達でした。年齢は17歳、21歳、32歳。お互いに相手がシングルである事を知らなかったのでびっくりしていました。それほど、普段の広場ではお互いのプライベートな話はしないものなのです。

先ず、安心して話すために「話したくない事は話さなくていい」「個人名を出して他言しない」と言うルールを決めました。

自己紹介をしてびっくりしたのは、みんな未婚だったのです。

事情は色々ですが、妊娠がわかって相手の煮え切らない態度に振り回されながらお腹が大きくなり、産むと決めた時に相手が逃げ腰になったので『こちらから切り捨てた!』という点で意気投合!!

「相手をぶった切った!」と過激に発言したママですが、その言葉を初めて人前で言えたのです。3人とも「そうだ!そうだ!」とばかりにジェスチャー交じりで一刀両断のポーズまでして盛り上がりました。そして笑い飛ばしました。

それからは、話が止まりません。

1人で出産に向かう時の不安、産院で誰もそばに居ない寂しさ、目の前にある経済的不安、子育てと仕事の不安、そして、父親がいないという子どもへの負い目、子どもの為に父親の役もしなければいけないのではないか?という気負いで押しつぶされそうになっていました。


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