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子どもの生活は親次第
私の身体は家にいながら心は娘家族を案じている毎日です。特に孫達の事を。
思えば日本に帰国して9ヶ月間。孫達も頑張ってきました。なんせ、子どもの生活は親次第。親が外国に行くと言えば嫌とは言えないし、帰国すると言えば「はい」と従うしかありません。
親は子どもに良かれと思って住む場所を選んだり学校を決めたりしたとしても子どもにとっては青天の霹靂です。特に言葉も習慣も違う外国の学校に1人で居るのは不安だったろうと、孫の立場になって想像してみたら胸が詰まります。
幼稚園もしかり。知らない場所にいきなり連れていかれて、置いて行かれる気分。ここがどんなところか?いつ迎えに来てくれるのか?不安だらけです。
でも、好奇心旺盛なお友達が次々に関わってくれるし、先生たちも言葉のわからない子に優しく接してくれたから、どうにか過ごすことができました。
何より、アメリカの学校は発表やテストで評価されることもないし宿題もありません。半分遊びみたいな授業で自分の思ったことを自由に言えるし、黙っていても受け入れて貰えたのでびっくりでした。重たいランドセルもないし、おやつも持って行けます!だんだん楽しさの方が増していきました。
だから一度も「学校に行きたくない」と言わずに通っていました。そして、すっかりアメリカの生活に慣れてきた4年後、いきなり「日本に帰国する」と親が告げたのです。
友だちと別れるのは寂しかったし、もう楽しい学校に行けないと思うと残念でたまりませんが、どうすることもできません。
ただ、日本に帰るのは嬉しくもありました。だって、じいじやばあばに会えるし、従妹たちと遊べる!とりあえず、おいしい日本食が食べられる!というノリで帰国しました。
子どもは今を生きる人です。先の事を想像してもよくわからないし、自分でどうすることもできません。過去の思い出が、まあまあだったのでどうにかなるだろうと思います。そして、好奇心と新しい事を覚えて適応する能力が高いので、意外と逞しいのです。
事の重大さを感じとった子ども達
ただ、それだけでは済まなかった。
帰国と同時に父親の病気がわかり、生活が一変しました。父親が突然入院して会えなくなりました。
10時間に及ぶ治験の手術の後、過酷な病名を告げられた娘。その足で面会に行ったら、もう目が見えなくなって目の前にいる妻を手探りで探している夫の姿を見たとたん、気丈にしていた心が折れました。
子ども達は、病院から帰ってきた母親が腑抜けのようになっていた事。そして、父親が長く生きられないと伝えた時の母親の涙を見て、事の重大さを感じとりました。
きっと、孫達は大きな不安を黙って飲みこんだのでしょう。事態がわからないけど質問してはいけない気配も感じました。それで、お互いの顔を見てへらへら笑うしかなかったのです。
余裕のない母親は「真剣に聞いているの?」と真顔で問い詰めました。そして、反応のない子ども達を嘆きながら部屋に籠りました。
私はその場にいたので、この時の情景を忘れません。
父親の元気な姿しか見ていないのに、いったいどうなっているのか事態が飲み込めません。そしていきなり「もう死ぬ」と言われても、どう表現していいのかもわからない。だって、引っ越しや転校だけでも嫌なのに、次から次へと大人が辛いことを押し付けてくるのです。
「そんなバカな!いやだ!」と叫べたら楽だけど、それを言っちゃダメだと思ってしまいます。事態を受け止められないから真剣に聞いていないような態度をするしかないのです。自分を守るためです。
大人は勝手です。受け入れたくない話をするだけじゃなくて「お母さんの気持ちを汲んでよ」と期待するのです。
娘が早く寝たので私は孫達とボードゲームをしながら話しました。「ねえ、ショックだったよね」と言ったらお姉ちゃんとお兄ちゃんが「うん」と答えました。「ショックなのは当たり前だよ。お母さんもかなりショックを受けてたね」「うん」「お父さんもショックだろうね」「うん」
「お母さんが真剣に話を聞いてないって言ってたけど、そんなことないよね」と言ったら、お姉ちゃんがしばらくして「私は本当の気持ちは半分も出さない」と言い、「僕も」とお兄ちゃんも言いました。
「そうか。でも、これからも本当の事が知りたい?」「うん」「わかった。そうするね。そして何か聞きたくなったらいつでも聞いていいよ。ばあばもわからない事ばかりだけど、一生懸命考えるよ。お母さんもだよ」と伝えました。
そして「これは誰のせいでもないからね」「もしもお父さんがいなくなっても、みんなの事はお母さんとじいじとばあばが守るからね」「お金のことも学校の事も心配しなくていいよ」と付け加えました。
次の日、娘は普段通りに起きてきて子どもの世話をしていました。そして、2人きりになった時、子どもの本心を伝えたら「わかってる。子どもにわかるように何でも正直に話したいと思うし、向き合いたいと思っている」と答えました。
そして、娘に「これからの経済的な問題は一緒に考えよう。私達もしっかり応援するから心配しないで。あなたは今、夫や子ども達を支える事に専念しなさい」と伝えました。
それを聞いた娘は号泣。昨晩はショックで余裕がなかったし、娘の態度も当たり前だと思います。私はそんな娘の最大の理解者でありたいと思いました。
それ以来吹っ切れたのか、いつものお母さんになりました。だって、現実は感傷にふけってばかりはいられません。引っ越しの片付け、病院の手続き、学校の手続き、通院などに追われて子ども達を構ってあげる時間も少なくなりました。
一番ストレートに表現するのは4歳の孫です。なぜ構ってあげられないのか説明するけど我慢できなくて泣きます。癇癪をおこして親を困らせるようになりました。
まあ、泣き声も大きい!体当たりでぶつかってくる!それでも怒らないで抱きしめていれば収まりました。
やっと幼稚園に行き始めても、言葉が通じないので面白くない。言いたいことがあってもわかってもらえないというストレスで行き渋るようになりました。
娘はそうなるのがわかっていたので、あえて自然の中で遊ばせてくれる園を選び、夜の8時には絵本を読み、ベビーマッサージをして抱きしめて寝るという生活を始めました。どんなに癇癪を起した日でも、ママに抱きしめられたら魔法がかかってコトンと寝るのです。
心配なのは学校組です。日本の学校はハンディがあっても全員同じ授業、宿題、テストです。同じカリキュラムを課せられます。担任の先生の配慮があるとはいえ限界があります。
日本語の意味が分からない。漢字を読めない。習ったことのない科目を皆と同じように評価されるのは酷です。毎回泣きそうになります。学校では黙って耐えているので家で発散します。「宿題なんかやりたくない!」「学校嫌い!」と叫びます。
そして、子どもはすぐに日本語を覚えると思っていたのですが、家でも英語、ゲームも英語です。子ども達は今の生活が苦しくて「アメリカに戻りたい!」が口癖になりました。そんな気持ちが働いて日本語を拒否していたのかもしれません。
娘はそんな学校組が気になっていたので、私に寝る前に絵本を読んであげて欲しいと頼みました。毎晩7時半から8時半までZOOMで絵本の読み聞かせとおしゃべりを始めました。好きな車や生き物の話をする時の楽しそうな顔。私にとっても幸せなひと時でした。
でも、お友達もできて学校も楽しくなってきたのでばあばの出番も少なくなってきたようです。4歳の孫も嫌がらずに幼稚園に行くようになったとか。春休みにお母さんと離れて過ごせたことが自信になったのかな?「I‘m big boyでしょ!」と誇らしそうです。
それにしても、今の社会はみんなが混乱しています。大事なものの優先順位を間違えています。大切であるはずの我が子の心をどれだけの親が理解しようとしているでしょうか?ひとつ1つ丁寧に対処すれば、子ども達の心が解放されて自分の力で成長できるのに、力でねじ伏せてしまうか、放任してしまいます。だから何も言えない子ども達が犠牲になるのです。
私自身も、そのことを肝に銘じながら、目の前にいる娘や孫に寄り添っていきたいと思っています。その瞬間にどんな言葉をかけてあげるのか?心を砕くのか?どう後押しするのか?とにかく、理屈抜きに愛で満たしてあげたいのです。
それが社会を変える一番の近道だと信じています。
余裕のない母親は「真剣に聞いているの?」と真顔で問い詰めました。そして、反応のない子ども達を嘆きながら部屋に籠りました。
私はその場にいたので、この時の情景を忘れません。
父親の元気な姿しか見ていないのに、いったいどうなっているのか事態が飲み込めません。そしていきなり「もう死ぬ」と言われても、どう表現していいのかもわからない。だって、引っ越しや転校だけでも嫌なのに、次から次へと大人が辛いことを押し付けてくるのです。
「そんなバカな!いやだ!」と叫べたら楽だけど、それを言っちゃダメだと思ってしまいます。事態を受け止められないから真剣に聞いていないような態度をするしかないのです。自分を守るためです。
大人は勝手です。受け入れたくない話をするだけじゃなくて「お母さんの気持ちを汲んでよ」と期待するのです。
娘が早く寝たので私は孫達とボードゲームをしながら話しました。「ねえ、ショックだったよね」と言ったらお姉ちゃんとお兄ちゃんが「うん」と答えました。「ショックなのは当たり前だよ。お母さんもかなりショックを受けてたね」「うん」「お父さんもショックだろうね」「うん」
「お母さんが真剣に話を聞いてないって言ってたけど、そんなことないよね」と言ったら、お姉ちゃんがしばらくして「私は本当の気持ちは半分も出さない」と言い、「僕も」とお兄ちゃんも言いました。
「そうか。でも、これからも本当の事が知りたい?」「うん」「わかった。そうするね。そして何か聞きたくなったらいつでも聞いていいよ。ばあばもわからない事ばかりだけど、一生懸命考えるよ。お母さんもだよ」と伝えました。
そして「これは誰のせいでもないからね」「もしもお父さんがいなくなっても、みんなの事はお母さんとじいじとばあばが守るからね」「お金のことも学校の事も心配しなくていいよ」と付け加えました。
私は娘の最大の理解者でありたい
次の日、娘は普段通りに起きてきて子どもの世話をしていました。そして、2人きりになった時、子どもの本心を伝えたら「わかってる。子どもにわかるように何でも正直に話したいと思うし、向き合いたいと思っている」と答えました。
そして、娘に「これからの経済的な問題は一緒に考えよう。私達もしっかり応援するから心配しないで。あなたは今、夫や子ども達を支える事に専念しなさい」と伝えました。
それを聞いた娘は号泣。昨晩はショックで余裕がなかったし、娘の態度も当たり前だと思います。私はそんな娘の最大の理解者でありたいと思いました。
それ以来吹っ切れたのか、いつものお母さんになりました。だって、現実は感傷にふけってばかりはいられません。引っ越しの片付け、病院の手続き、学校の手続き、通院などに追われて子ども達を構ってあげる時間も少なくなりました。
「アメリカに戻りたい!」が口癖になった
一番ストレートに表現するのは4歳の孫です。なぜ構ってあげられないのか説明するけど我慢できなくて泣きます。癇癪をおこして親を困らせるようになりました。
まあ、泣き声も大きい!体当たりでぶつかってくる!それでも怒らないで抱きしめていれば収まりました。
やっと幼稚園に行き始めても、言葉が通じないので面白くない。言いたいことがあってもわかってもらえないというストレスで行き渋るようになりました。
娘はそうなるのがわかっていたので、あえて自然の中で遊ばせてくれる園を選び、夜の8時には絵本を読み、ベビーマッサージをして抱きしめて寝るという生活を始めました。どんなに癇癪を起した日でも、ママに抱きしめられたら魔法がかかってコトンと寝るのです。
心配なのは学校組です。日本の学校はハンディがあっても全員同じ授業、宿題、テストです。同じカリキュラムを課せられます。担任の先生の配慮があるとはいえ限界があります。
日本語の意味が分からない。漢字を読めない。習ったことのない科目を皆と同じように評価されるのは酷です。毎回泣きそうになります。学校では黙って耐えているので家で発散します。「宿題なんかやりたくない!」「学校嫌い!」と叫びます。
そして、子どもはすぐに日本語を覚えると思っていたのですが、家でも英語、ゲームも英語です。子ども達は今の生活が苦しくて「アメリカに戻りたい!」が口癖になりました。そんな気持ちが働いて日本語を拒否していたのかもしれません。
理屈抜きに愛で満たしてあげたい
娘はそんな学校組が気になっていたので、私に寝る前に絵本を読んであげて欲しいと頼みました。毎晩7時半から8時半までZOOMで絵本の読み聞かせとおしゃべりを始めました。好きな車や生き物の話をする時の楽しそうな顔。私にとっても幸せなひと時でした。
でも、お友達もできて学校も楽しくなってきたのでばあばの出番も少なくなってきたようです。4歳の孫も嫌がらずに幼稚園に行くようになったとか。春休みにお母さんと離れて過ごせたことが自信になったのかな?「I‘m big boyでしょ!」と誇らしそうです。
それにしても、今の社会はみんなが混乱しています。大事なものの優先順位を間違えています。大切であるはずの我が子の心をどれだけの親が理解しようとしているでしょうか?ひとつ1つ丁寧に対処すれば、子ども達の心が解放されて自分の力で成長できるのに、力でねじ伏せてしまうか、放任してしまいます。だから何も言えない子ども達が犠牲になるのです。
私自身も、そのことを肝に銘じながら、目の前にいる娘や孫に寄り添っていきたいと思っています。その瞬間にどんな言葉をかけてあげるのか?心を砕くのか?どう後押しするのか?とにかく、理屈抜きに愛で満たしてあげたいのです。
それが社会を変える一番の近道だと信じています。
「こんなことしかできなくて・・」と電話口で言ってくれましたが、私達では想像できないほど過酷な状況の中で生きていてくれているだけで感謝です。
今回は娘家族に起こった一連の事件を孫の視点で綴ってみたいと思います。