以前に取り上げた麹町中学校の工藤勇一先生は「運動会や体育祭の目的が、競争心を養うことや運動能力の優劣をつけることにあるのなら、クラス対抗全員リレーは適切かもしれない。しかし校長として示したミッションはたった一つ。生徒全員を楽しませること。」これによって生徒さんは議論を重ね、最終的には全員一致で「クラス対抗」「全員リレー」をやめ、ユニークなプログラムを次々と編み出して、とても感動的な体育祭になったそうです。生徒さんにとっては思い出すだけでも楽しいものになったことでしょう。
かんなまま様の「ままぴよ日記」では、国内外の教育や子ども達の環境を見つめてこられ、いつも通底する願いは「子ども達が主役であってほしい」というものです。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
日本の小学校の運動会を見た
— こっちゃこ15歳@99%SideUnites (@koccyakojugosai) October 2, 2020
フィンランドの学校校長の反応が真っ当すぎる
日本の教育は小学校から大学まで世界から取り残されてしまった
pic.twitter.com/Ifd2z5NuTd
学校の体育が運動嫌いを生み出していることを見抜かれているね。
— トネリコ@未来の教育 (@sutanavi) October 3, 2020
「評価してあげる」って言うけど、誰も頼んでないよね。しかも他者との相対評価だし。
運動をすることが、子どもにとってどんな意味を持つのか、何のためにやっているのかを考え抜いていないことがよく分かる。
もちろんそうです。日本の学校教育は、知性、芸術、外国語などへの嫌悪感と敗北感を叩き込み、一生そのようなものに興味を持たない、服従と屈服だけが取り柄の労働者を生産しています。 https://t.co/L8rANVbpM1
— 烏賀陽 弘道 (@hirougaya) October 4, 2020
日本人の多くは「考える力がない」のではありません。学校で知性への嫌悪感と敗北感を叩き込まれた結果、それを忌避しているに過ぎないのです。 https://t.co/5WAzS5W4ED
— 烏賀陽 弘道 (@hirougaya) October 4, 2020
日本のいわゆるネトウヨが主張することを精査してみると、それは「教師が言っていたこと」「教職員組合がいっていたこと」「朝日新聞・岩波書店系左翼メディアが言っていたこと」を無原則、ランダムに否定しているに過ぎません。 https://t.co/xF80LOYYvr
— 烏賀陽 弘道 (@hirougaya) October 4, 2020
生徒たちが自ら考え、判断し、生徒会の中で話し合って廃止が決定されたものもあります。体育祭における「クラス対抗」の廃止がその一つです。その理由も「目的」を達成する「手段」として、適切ではないと生徒たち自身が判断したからです。
(中略)
校長としての私は、生徒たちに体育祭について、たった一つのミッションを示しました。それは「生徒全員を楽しませること」というものです。運動が必ずしも得意ではない生徒も、また、体育祭を楽しみにしている生徒も、全員が楽しめるものにしてほしいと生徒たちに話しました。
(中略)
「全員が楽しむ」ためには、運動が苦手な子にも居場所を作る必要があります。もし「クラス対抗」の形で勝敗を意識すれば、勝ったクラスを除く大半の生徒は悔しい思いをし、運動が苦手な子は肩身の狭い思いをします。当然、「全員が楽しむ」ことなどできません。
(中略)
学校における体育の目的については、技能を高めることや競争心を養うことよりも、運動の楽しさを求めることの方が大切だと考えています。スポーツは自分の人生を楽しませる、友達のようなものであってほしいと思っています。
(以下略)
戦って上にいく、その「過程」を学校は、評価すると。
過程の評価できてないよね。
「結果」だけよね。
はい、基本、運動嫌いです。