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[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜10の倫理原則:ヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)〜 【第4回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 プラウトの核となるのはその世界観ですが、次に重要なのが高い倫理です。これはヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)として知られる10の倫理原則です。実は、この原則は宇宙の普遍的原理で、私たちの宇宙が消滅しても、このヤマ・ニヤマという倫理原則は消滅しません。宇宙は我々の宇宙だけではありませんが、全ての宇宙でこのヤマ・ニヤマは普遍的原理となっています。
 私たちの宇宙が出現して1兆年になりますが、天界においてもこの倫理原則が廃れたために、不正が蔓延しました。特に仏教の出現によって空の思想が現れ、宇宙の真理をも否定するようになってからは、堕落は甚だしいものになりました。密教の一部では、あらゆる倫理観を否定することが解脱への近道だと錯覚する始末で、一部の行者は修行と称して甚だしい悪に陥る始末です。
 天界の改革によって、こうした認識の誤りは一掃されました。現在の天界では、ヤマ・ニヤマに基づく統治が進んでいます。これに従わないものは、天帝であっても裁かれます。非暴力とは何か、正直とは何かは、小さな子供でも知っています。誰に教えられることもなく、初めから知っているものなのです。
 ヤマ・ニヤマに反する生活を続けていると、波動は闇に落ちます。そのことで、宇宙からの光を受け取れなくなるのです。自己と宇宙に分離感が生じ、そうした苦しみから、他人の物を奪い取ろうとするようになります。
 例えて言うと、両親の愛情をたっぷりともらっている子供はとても落ち着いており、他人のものを奪おうとはしませんが、両親に相手にされない子供は、愛情の確認のために、しょっちゅう親の気を引こうとします。その極端な形が、手に追えない悪戯で、両親を困らせる事までして親の気を引こうとするのです。問題の根本が、親子の分離感にある事は明らかだと思います。
 自らの愚かな行為によって宇宙と分離した現代人は、本質的な不安から、ひたすら他人の物を奪おうとします。根本的な治療法は、波動を元に戻して、もう一度宇宙と繋がることなのです。ヤマ・ニヤマは、あらゆる生命が守るべき普遍的な原理なのです。
(竹下雅敏)
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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん

2、支柱2、運動推進の両輪:高い倫理。 

 「人間社会を揺さぶる、全ての衝突、全ての不信、全ての暴力は、知性の間違った発揮という誤りの結果である。『至高の慈悲心』から切り離された知性は、高潔な道を歩まない。もし人間の心が変化しないならば、どんな問題にも永続的な解決を見出すことはできない。」(『〃』p173)

・誤ったモラル(二重基準は法になり得ない) 

 米国のダブルスタンダート、二重基準の適用、その問題は多くの識者が指摘するところです。2003年春、米国は国連査察団の報告、そして国際法をも完全に無視し、サダムフセインのイラクが「大量破壊兵器を保持している。」との虚偽事実のいいがかりにて一方的に先制攻撃し戦争を開始しました。(日本も支持!!)以来今日までイラクでは数百万人単位での人々が死傷し国土は蹂躙され続け国民はその生活権を略奪されたままです。本来であるならこの無法行為、甚大な暴力、欺瞞、略奪はあがないきれないほどの大罪です。しかし、一切咎められません。法の適用外になっているのです。彼ら世界の支配層権力者はうそぶくでしょう。「我々は特別なのだ。我々がすることそれが全て正義になるのだ。お前たちとは違う。基準が全く異なるのだ。」と。これは一般人では罪であっても支配層権力者は咎めにすらならない二重基準の典型ですが、この構図は地球上どこでも見られます。日本での卑近な例では「白紙領収書」です。一般社会常識では全く通用しないものが、与党の政治家特に閣僚には適法となってしまい、マスコミも沈黙します。日本は民主主義の法治国家との建前ですが、独裁主義の呆痴国家ではないかといいたくなります。今日、倫理の欠如道徳的な荒廃が進んでいることを多くの方が感じていますが当然です。リーダーとして範を垂れるべき支配層権力者に倫理観が全く欠如し、不法行為を合法にとねじ曲げるのを当たり前とするのですから。彼らは「慈悲」(愛)からでなく「貪欲」から知性を発揮します。倫理の欠如道徳的退廃は社会を腐敗させやがて崩壊させます。世界の現状です。現状のほとんどのモラルは「富裕者と強者の利益が投影され、」彼らの「搾取に都合の良い利益にかなう法律を作り正当化している」(『〃』p175)とサーカー氏が指摘しているとおりです。本来、法とは真理を意味し、「いつであっても、どこであっても、誰にであっても」通じ適用されてこそ法として成立するのです。法が適用されないとするものは「無法者」です。別名「ならず者」とも言いますが・・・。

普遍的原理(倫理原則):「ジャーマ」(和名「禁戒」)、「ニヤーマ」(和名「勧戒」) 

 上記のように現状モラルの問題点を指摘しながら「プラウト社会を建設するには、モラルを欠かすことができない」(『〃』p175)としたサーカー氏が、倫理規範としたのが古代インドで成立した普遍的原理である「ジャーマ」(和名「禁戒」)、「ニヤーマ」(和名「勧戒」)の10の倫理原則です。普遍的原理とは本当の法(ダルマ、真理)ということです。従って「いつであっても、どこであっても、誰にであっても」通じ適用されます。二重規範など成立しないものです。きわめて重要なもので「ジャーマ」(和名「禁戒」)が5つ、「ニヤーマ」(和名「勧戒」)が5つ、以下の計10の倫理原則になります。(『〃』p177~p184)

*「ジャーマ」【禁戒】“破るのが禁じられる、いましめ” 

1、「アヒンサー」非暴力:身体、言葉、想念いずれの行為においても傷つけない。自らを含め全に対し無害であるよう努めること。暴力を振るわず振るわせないようにすることも含む。
2、「サティヤ」  正直 :嘘、偽りのないこと。誰に対しても、自分自身に対しても偽らず正直であること。騙さないと同時に騙されないよう努めることも含む。
3、「アステーヤ」 不盗 :与えられていないものをとらないこと。他者の財産や権利等を奪わない、盗まないこと。
4、「ブラフマチュリア」
禁欲 
:自然、生理に従った無理の無い生活、敬愛を持って全てに接すること。
5、「アパリグラハ」不貪 :貪らない、余計なものを持たないこと。シンプルに生活すること。 

*「ニヤーマ」【勧戒】“心にいましめて、積極的に行なうべきこと” 

1、「シャオチャ」清浄  :心を清め、身体と環境の清浄さを維持すること。
2、「サントシャ」知足  :足る、を知ること。感謝の姿勢。
3、「タパ」   苦行  :奉仕と犠牲を提供する。本質的にはいかなる環境におかれても、心を乱さず平安を保つこと。
4、「スヴァディヤーヤ」読誦 :狭義では聖典を学ぶ。心を豊かに、理性を高めてくれる本等を視聴すること。まがい物でなく本物と接すること。
5、「イーシュヴァラ・プラニダーナ」最高神への信仰 :「宇宙意識」真理の導きに従う。裡にあるインスピレーションや良心の声に従う。

普遍的原理の具現化がプラウトの本質 

 現状のモラルいわばちゃちな「仮の道徳」では支柱にはならず倫理は普遍的原理に基づかなければいけない、その普遍的原理が和名の禁戒と勧戒の計10の法(徳目ともいう)。この高い倫理がプラウトの支柱であり、運動推進の両輪の一つであると記しました。しかしより本質的に分析するならばプラウトを推進するのに禁戒と勧戒を支柱とし運動の主軸するのは事実ですが、「普遍的な法、禁戒と勧戒の経済、つまり物質的な具現化、日常の実践こそがプラウトである。」と表現するのがより正確とさえいえそうです。経済活動は物質的活動です。プラウトは経済活動ではありますがそれは単なる物質的活動ではなく高い哲学、高い精神性をその物質的活動の中に込めた経済システムです。これがプラウトの独自性特質だからです。(この点は後述。) 

[Sputnik]髪の毛の定期的染め変えは統合失調症の恐れあり!? / 心理学者:セルフィー愛好家はセックスの不足に悩む 〜真偽を見極める波動測定〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 とても納得できる記事を2つ紹介します。初めの方は、いわゆるコスプレなど頻繁にイメージチェンジをする人は、ひどいケースだと、統合失調症になるとのことです。記事では、こうした傾向の人は、初めから心理的不調に苦しんでいるとあります。確かにネットの情報では、こうした人たちの手首をよく見ると、リストカットの傷跡が頻繁に見られるという事でした。
 常識で考えても、自己肯定感が高く、現状に不満がない人が、自分以外の誰かになろうとするとは思えません。現実からの逃避願望が元にあると思われます。
 下の記事は、自撮り写真をSNSに載せることが好きな人は、基本的に欲求不満であるとのことです。これもとてもよくわかります。この記事のケースとは異なりますが、SNS上でいわゆるリア充を見せつけるような写真をたくさん掲載するような人のほとんどは演技であって、実際に2人が仲睦まじいとは思えません。2人の関係が良好でお互いに幸せであれば、そのような場所で表現する必要がないからです。このように、見た目と実体は真逆であることがほとんどです。
 事の真偽を見破るには、波動を確認すれば一発です。一見どんなに幸せそうなふりをしていても、波動がスワディスターナ・チャクラであれば悲しみを、ムーラーダーラ・チャクラであれば苦しみを示しています。逆に、何も財産と言える物を持たないホームレスの人がアナーハタ・チャクラ以上の波動であれば、その人は幸せなのです。波動を見極める能力はとても大切なものです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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髪の毛の定期的染め変えは統合失調症の恐れあり!?
転載元)
ポルトガルの学者グループは、髪の毛を他の色に染め変えたり、スタイルやメイクアップ、行動を変えたりすると、心理的不調につながる恐れがあることを明らかにした。

彼らによれば、精神的健康に害がないようにするには、イメージチェンジは6年から7年に一回が妥当だという。これを頻繁に行った場合、精神的に不安定な人は、様々な心理的変調をきたす恐れがあり、ひどいケースだと統合失調症になる。これは、人が、新しい姿に夢中になり、それを、追いかけてゆくと、安定した個人としての自分自身を見失ってしまうからだ。

ロシアの心理学者でセラピストのオレグ・シェフチェンコ氏は、次のように分析している-「自分の姿を頻繁に根本的に変える傾向のある人達は、初めから心理的な不調に苦しんでいる。彼らはナルシズムに陥りやすく、他の人に対し優越感を味わいたいとの心理的病にかかっている。ナルシズムも度が過ぎると、治療が必要となる場合がある。」

(以下略) 

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心理学者:セルフィー愛好家はセックスの不足に悩む
転載元)
アメリカの心理学者らは、セルフィーの愛好者はセックスの不足に悩んでいると明らかににした。マサチューセッツの大学の研究者たちは、ソーシャルネットワーク上にある約22万3000のページを分析し、自撮りと性生活との間には因果関係があることを発見した。

心理学者たちは、もしその人物にパートナーがいない、またはセックスの機会が稀である場合、その人物はセルフィーが好きであるという結論を出した。研究の総合結果によれば、ソーシャルネットワークに自分の写真を載せることが好きな女性のうち82パーセントは、異性との関係が満足でないか、または全く性生活がないかだという。セルフィー好きの男性のうち60パーセントは、女性の注意を十分にひくことができていない。

先に、科学者らは姿勢を変えれば、うつ病を直す助けになる、との説を発表した

18才のアイドルが突然死亡 インフルエンザ時に解熱剤を飲んだインフルエンザ脳症が原因か 〜致死率が極めて低いインフルエンザの恐怖を煽る意味〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 18才のアイドルが突然死亡したとのニュースです。Twitterでは、原因がインフルエンザ脳症ではないかとして、インフルエンザの時に解熱剤を飲むとインフルエンザ脳症になることがあるとの情報が拡散しているとのことです。NHKによると、“これまで詳しい研究が行われたことはなく科学的な証拠はない”としながらも、インフルエンザ脳症に詳しい森島院長によると、“インフルエンザになった段階で…解熱鎮痛剤は、使用すべきではない”ということのようです。記事では、具体的な解熱鎮痛剤の成分の名称が出ています。
 私は素人なので、風邪とインフルエンザの違いを明確に理解しているわけではありません。ただ、風邪の中で比較的症状が重く、原因となるウイルスが特定されているものをインフルエンザと言っているのではないかと思っている位です。要するに、私の認識では風邪の一部です。
 以前、野口晴哉氏の「風邪の効用」(全生社)を紹介しました。野口氏の思想は、西洋医学では思いもつかないもので、風邪は治すものではなく経過するものとしています。上手に風邪を経過することで、身体から毒素を排出し、身体の柔軟性を取り戻すことが出来るということです。
 以前In Deepの記事を紹介しましたが、この時の記事も参考にしてください。In Deepではさらに、“補足資料:今期の季節性インフルエンザの「恐ろしい」致死率…それは0.…”と題する興味深い記事が出ていました。記事によると、今の時点での、日本での季節性インフルエンザの致死率は0.0001%ではないかというのです。厳密な数値ではないとしても、インフルエンザの致死率が、考えられているよりはずっと少ないという事は間違いないようです。記事では、“死の恐怖を1億人を越える日本人すべてに「厳重に注意」と呼びかけて、ほとんど意味がないともいえる恐怖を煽る意味があるのでしょうか”と指摘しています。確かにその通りで、常識で考えると、製薬会社の利益のためにこのような報道をしているとしか思えません。
 医療関係者はきちんと科学的に調査をして、インフルエンザの死亡率が何%なのかを発表すべきです。その時に重要なのは、インフルエンザワクチンを打った人と打たなかった人で死亡率に違いがあるか否か、そして解熱鎮痛剤の使用の有無で死亡率に変化があるか否かをきちんと調べるべきだと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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エビ中の松野莉奈さんの早すぎる死 悲しみに沈むファンたち
転載元)
アイドルグループ私立恵比寿中学(エビ中)の松野莉奈さん(18)が8日朝、死亡した。

松野さんは7日のコンサートに出演する予定だったが、体調不良のため自宅で療養していた。8日早朝、自宅で意識を失ったため、救急車によって病院に搬送されたがとうとう意識は戻らず亡くなった。

松野さんの所属する私立恵比寿中学は女性8人組のグループ。小学1年生でスカウトさた松野さんはファッション誌のモデルとしても活躍し、透明感のある美しさで多くの人に愛され、将来の成長を楽しみにされていた。

松野さんの突然の訃報にファンも松野さんを応援していた芸能人もショックを隠せない状態。次々に驚きや無念の声があげられている。

松野さんの所属していたエビ中の公式サイトは日本時間15時54分現在、松野さんの突然の死に驚いたファンたちのアクセスが多すぎるせいか表示できない状態にある。事務所の公式的なコメントには、訃報とともに今までのファンたちの支援への感謝がつづられている。

先に伝えられたところ、先日急死した英国の歌手ジョージ・マイケルさんは死ぬまでの1年、ヘロイン中毒と闘っていた。

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アイドル急死 ”解熱剤でインフル脳症”がネットに拡散
引用元)
人気女性アイドルグループの18歳のメンバーが8日亡くなった(中略)…亡くなったのは「私立恵比寿中学」のメンバーの松野莉奈さん(18)で、(中略)…ツイッターなどには、松野さんが亡くなった原因は「インフルエンザ脳症」だとして「インフルエンザのときに解熱剤を飲むとインフルエンザ脳症になることがあるらしい」という情報が拡散しました。

インフルエンザ脳症に詳しい岡山ろうさい病院の森島恒雄院長によりますと、(中略)…「ジクロフェナクナトリウム」や「メフェナム酸」といった薬を脳症の患者に単剤で使った場合の死亡率は40%と、薬を使わなかった場合の死亡率25%に対し、高い結果になったということで、脳症になっていなくてもインフルエンザになった段階でこれらの解熱鎮痛剤は、使用すべきではないということです。

(以下略) 

スクープ:昭恵夫人が名誉校長に就任している新設小学校に国有地が10分の1の価格で売却されていたことが判明

 園児に軍艦マーチの演奏教育勅語の暗唱をさせ、「安倍首相ってどんな人ですか?」という問いかけには「日本を守ってくれる人」と答えさせる塚本幼稚園を以前取り上げました。また理事長(園長)の籠池泰典氏は、日本会議のメンバーで、今年の4月に開校予定の私立小学校は、明恵夫人が名誉校長に就任していました。
 今回、朝日のスクープ記事によると、その私立小学校が建設されている国有地が、破格の安値で売却されていることが発覚しました。国有地の売却価格は「原則公表」にも関わらず、地元市議や朝日新聞が情報公開請求しても非公開のままにされていましたが、朝日新聞が登記簿を調べた結果、約1億3400万円で売却されていることが判明しました。近隣の同規模の国有地が約14億2300万円で売却されていることから、これは相場の10分の1の価格になるようです。
 この国有地は、以前、別の学校法人が「7億円前後」で売却を求めていたようですが、財務局から「価格が低い」と断られていたようです。財務局は、直近の3年間で36件の国有地を随意契約で売却し、今回の件を除き、すべて価格を公表しているようです。今回の件が頑なに非公開にされているのは、知られると相当まずいということでしょう。
 なぜ昭恵夫人が名誉校長だと10分の1の価格で国有地を取得できるのか、これは、ぜひ国会でも夫を追求してほしいものです。
(編集長)
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配信元)


[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜プラウトの世界観と資本主義の世界観〜 【第3回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 今回から「プラウト(進歩的活用理論)」の詳しい説明に入って行きます。記事では、プラウトの世界観と資本主義の世界観の違いが書かれています。プラウトの世界観は、いわば東洋の世界観です。簡単に言えば、プラウトでは、宇宙を生命を持った実在と見ているわけです。これに対し資本主義は、宇宙は単なる物であり資源でしかありません。驚いたことに、資本主義の価値観に染まっている人にとっては、人間ですらも資源なのです。そうでないと奴隷売買が出来るはずがありません。
 自分は奴隷売買と関係がないと思っている人も多いかと思いますが、事実として安倍政権が進めている政策は、労働者を奴隷として扱うものです。さらに様々な形態で、女性を性的に搾取する現代社会のあり方は、人間よりもお金を優先した価値観の現れだと思います。まさに資本主義であり、資本=お金がここでは神なのです。要するに、女性の人権、人格はここでは否定されます。
お金はただの紙切れであり、金(ゴールド)は食べることも出来ない単なる金属に過ぎません。それがなぜここまで重要なものになるのか、私にはわかりません。
 ホピ族の長老だったか、誰の言葉だったかはっきりしませんが、白人のあまりの傍若無人ぶりに呆れて「金(ゴールド)は食えないということをいずれ悟るだろう」というようなことを言っていました。現状では一向に悟る気配がないという位、現代人は既に狂ってしまったかのようです。
 皆さんは、プラウトの世界観と資本主義の世界観の、どちらがまともだと思うでしょうか。日本人はひょっとしたら、プラウトの世界観を自然なものとして受け止めるかも知れません。実は、私はこれが本来の意味での宗教性ではないかと思っています。
(竹下雅敏)
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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん

プラウト(進歩的活用理論)の3本柱。 

 全てのものはそれをそれとして成立させる支柱があります。その支柱の多くは三つ組となっています。たとえば机は基本的に3本の柱があって初めて机として成立します。この机は柱の一本でも欠けると机として成立しないのです。こういった3本は個別の柱でありながら相互に深く関連し不可分で一体のものとして機能します。キリスト教的に言えば三位一体と表現できるでしょうか。

 P・Rサーカー(以下サーカー氏と表記)が提唱したプラウト(進歩的活用理論)は全生命の幸福を目指し、先ずは個人、家族、地域からその実践を開始しますが、それを成立させていく3本の柱は以下になるように思えます。

1.世界・宇宙(自己)観(感)の拡大。
2.高い倫理。
3.高い透明性(情報の共有)。

実践に当たってこの三つ組は互いに連動し合って機能します。ただしあえて運動する中でのその役割による位置づけを整理してみますと以下になるように思えます。

・中核(哲学、思想):世界(自己)観(感)の拡大。
・運動推進の両輪  :①高い倫理。
・運動推進の両輪 :②高い透明性(情報の共有)。

1、支柱1.プラウトの中核:世界観(感)自己観(感)の拡大。

・源流:プラウトの世界観自己観
 

私たちは、一瞬たりとも忘れてはいけない。命あるものの世界全体が広大な結合家族であることを。自然はこの富のどの部分をもいかなる特定の個人には割り当てなかった。…宇宙の富の全てが生きとし生けるものの共有財産であるとするならば、あるものが贅沢にふけり、あるものが食べるに事欠いて徐々に衰弱し餓死していくというようなシステムをどうして正当化できるであろうか。」(『資本主義を超えて』p7)

 中核とは「それに関するあらゆるものが発生する源であると同時にそれらのすべて帰結するところ」という意味です。世界(宇宙)と私(自己)は不可分です。私を離れて世界はないし世界と離れて私もありません。従って世界(宇宙)をどう観るかは同時に私(自己)をどう観ているかを表します。観と表記しましたがこれは頭で思考した観というより実感としていかに体感経験しているかが本質になります。ここから実際の言動、行為実践が派生してくるのです。生命の息吹を感じられない荒涼とした卑小で薄っぺらな世界(自己)と観(感)ずるなら行為はそれに準じます。そうではなく生き生きとした限りない豊かさ美しさ神聖さを実感として観じられたなら実践運動もそれに伴ったものになります。世界観自己観が運動の源流になるのです。

 プラウトはこの世界(宇宙、自然)が「至高存在」の現われと捉えます。(『〃』p38)「至高存在」(世界各地では神、絶対者、創造主、無限の生命等でも称される)の2面である「純粋意識」(父)と「自然エネルギー」(母)が干渉し展開されたのがこの世界(宇宙)であり万物と観ます。この全体を自然とよび自己(私)も無論その一員です。「至高存在」と自己(私)の関係は火(至高存在)と火花(自己)でよく表現されます。大きさや形態等は比較にならないが本質は同じと言うことです。そしてこの見方は日本の伝統的自然観と通じます。自然万物に神が宿るというのが「八百万神」。もしくは万物は本質として仏との「悉有仏性」も相通じます。自然・万物が至高存在の投影だから「世界全体が広大な結合家族」であり「宇宙の富の全てが生きとし生けるものの共有財産である」となります。自己を含め全ての存在に無限の豊かさ美しさ神聖さを見出しています。ここから全生命の幸福を目指すプラウトの実践が展開していきます。

・資本主義の世界観自己観 

 プラウト世界観に対し世界を席巻してきた資本主義の世界観自己観はいかなるものだったのでしょうか?次のように指摘しています。「資本主義は17世紀のイギリスの哲学者ジョンロックの考え方に依拠…「森の中に自分の区画を定め…所有する権利、好きなように使用する権利を獲得する、」と。私的所有という疑う余地のない至上の信念は資本主義の根本をなす。」(『〃』p34)。資本主義では世界・自然を所有する対象と観ています。所有したもの例えば森ならそこにある鉱物から動植物、そして先住の人間までも、好き放題支配改変し搾取できるとの見方です。そして事実それに基づいた行為をやり続けています。先住者は奴隷として売買、多くの動植物が種として絶滅しています。世界・自然に真の豊かさ美しさ神聖さを観るならば、それを回復不可能なぐらい改変汚染し暴力で傷つけることができるでしょうか?所有支配すべき対象、荒涼とした卑小で薄っぺらな世界観これが資本主義の世界観です。付随する資本主義の自己観は?万物を私的所有支配できる“偉大な”「自己(私)」ということでしょう。しかし裏返すと裸の自己、本来元来の何も所有できていない自己(私)は矮小で惨めな存在という自己観でしょう。コンプレックスの裏返しです。ここには世界(宇宙、自然)と自己(私)との深刻な乖離・離反があります。貧しく不幸な世界観自己観は当然貧しく不幸な行為を展開します。資本主義の虚飾の裏で延々と繰り広げる隠蔽、暴力、詐欺、略奪。この不法行為が更に貧しく不幸な世界と自己を形成してきました。資本主義賛美者は世界の事実を見た上でこの見解を否定できるでしょうか?

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