アーカイブ: *軍事・戦争

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第32話 ― 原爆投下の全体像

 ハルマゲドン計画とは簡単には、地上世界にて最終戦争(ハルマゲドン)が勃発、この終末に救世主が降臨、最後の審判などを経て、最終的は新エルサレムが成立し神の王国が完成するというものです。しかし、ハルマゲドン計画とは、地上世界の統治の組み換えに終わるものでは全くありません。物質界と霊的世界の転換も含めた「天界のクーデター」の計画がハルマゲドン計画です。
 そのベースとなっているのは『マイトレーヤの使命』で言うところのサナット・クマーラの『大計画』です。これの実質的な中身は「スミワタルタカキホシノヒメミコ様の通信文」に明かされています。ホツマの神として高い地位にあったサナット・クマーラは、自身のその反逆行為の代償としてホツマの神から神霊に降格され、地球に叩き落とされます。これに対しサナット・クマーラはホツマの神々への復讐を誓い、全宇宙を自分の支配下に置こうとしたのです。これが『大計画』の実質です。
 ハルマゲドン計画は、基本的には地球の破局を利用して『大計画』を実現させるものです。このためには地上世界と銀河世界をつなげる必要性があり、そのためのプログラムが秘密の宇宙プログラムだったのです。地上の人類は、秘密の宇宙プログラムによってUFO技術と核兵器を保有することになります。核兵器は宇宙に影響を与えるものだから、地上の戦争が銀河世界にも繋がることになるのです。
 秘密の宇宙プログラムのバックにいたのはホワイト・ロッジのハイアラーキの覚者たちで、彼らは「人類の進歩を促すため」にとの文言を用いていましたが、秘密の宇宙プログラムは人類を進歩によって豊かに幸福にさせるためではなく、人類を犠牲にして彼らの野望を成就させるためのプログラムだったのです。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第32話 ― 原爆投下の全体像


人体実験された被爆者


  • 原爆製造の過程、その実際
  • 原爆投下の影響とその意味
  • 原爆と昭和天皇の関わり
上のb.を今回は追っていきたいと思います。

1945(昭和20)年の8月6日にヒロシマ、8月9日にナガサキに原子爆弾が投下されました。これにて広島市民約35万人のうち、半数近い14万人以上が亡くなったとされます。ただし、この14万人には軍関係者は含まれておらず、それを含めるとヒロシマ原爆の死者は20万人との説もあります。ナガサキでは7万人以上の市民が死亡との結果になっています。

爆心地では瞬時に人間も建物も全てが蒸発、その周辺では地獄絵巻が現出させられました。原爆は「地獄爆弾」とも称されます。


被爆者の苦痛苦難は原爆による被害だけでは終わりませんでした。原爆投下直後からヒロシマ・ナガサキに医師グループが駐在しますが、それは被爆者の治療のためではなく、データ収集のためでした。被爆者は被爆の苦痛と共に人体実験にも利用と、人間の尊厳を傷つけられ差別にも苦しめられます。

原爆関連のウィキペディア記事には次の記述があります。

東京帝国大学が、1945年8月6日の広島と9日の長崎の原爆による被爆者を使って、戦後2年以上に渡り、日本国憲法施行後も、あらゆる人体実験を実施したことを、NHKが2010年8月6日放映のNHKスペシャル『封印された原爆報告書』にて調査報道した。

この実施した人体実験の具体として番組ナレーターは次のように語っていたとのことです。

被曝者にアドレナリンと言う血圧を上昇させるホルモンを注射し、その反応を調べていました。12人の内6人は、わずかな反応しか示さなかった。山村さんたちは、こうした治療とは関係のない検査を毎日行っていました。調べられることは全て行うのが、調査の方針だったと言います。

原爆投下直後から日本政府と米国政府が原爆による傷害の実態を詳細に調査記録するため、日米合同調査団を編成、調査団はABCC(原爆傷害調査委員会)という機関となり、多数の学者や医師らが参加して、被爆者への治療を施すわけでなく被爆者の体で研究をしたのです。


日本側で当初からこの調査団に加わっていたのは陸軍医務局、東京帝国大学医学部でした。被爆者は米国が投下した原爆の被害という甚大な苦痛だけではなく、自国の日本政府からも冒涜の被害を受け続けたのです。

ABCCは1947年に広島赤十字病院の一部を借り受けて開設、1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加しています。

陸軍医務局東京帝国大学医学部、そして国立予防衛生研究所、お気づきでしょう。原爆被爆者の人体実験にも731部隊関係者が関連してもいるのです。彼らが戦後の日本医学界をリードしていったのです。


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第31話 ― ナチス原爆の真の所有者

  • 原爆製造の過程、その実際
  • 原爆投下の影響とその意味
  • 原爆と昭和天皇の関わり
以上の3点から原爆の実際についての洗い直しを今回も続けますが、a.原爆製造の過程、その実際、先にこれについての結論を示します。
「ナチス・ドイツがブラック・ロッジの協力による秘密の宇宙プログラム進展の一環として原爆を完成。ただし、これらは全てがホワイト・ロッジのコントロール下にあった。」
こうなるでしょう。

 さて、高橋五郎氏は「ベラスコの告白」記事などを通して「ナチスが原爆を完成させ、そのナチス原爆が米国に渡されて日本に投下された。」と示しています。これに多くの方が疑問に思うであろう点は「ナチスが原爆を完成させたにしてもなぜそれを米国に渡したのか?」でしょう。
 「ベラスコの告白」記事では、ロンメル将軍がナチス原爆を米国側に渡したとありますが、これには多くの人間たちが複雑に絡んでいます。ナチス側、連合国側の軍人たち、ユダヤ人科学者、そして国際金融家などです。
 この複雑な絡みがある「ロンメル将軍の裏切り行為」、これに最も重要な役割を果たした人物がカナリスです。公的には「裏切り者」として処刑されたナチス諜報部トップのカナリス、彼がナチス原爆引き渡しの裏で「橋渡し役」を担ったようです。
 これは無論、ヒトラーへの大変な裏切り行為の筈です。しかし、その「裏切り者」カナリスは、実際は死を偽装して地下に潜り、ナチスの第2代総統になっているのです。
これはどういうことか?
 ナチス原爆引き渡しはヒトラーも…、と見るしかないのです。そして、これら非常に複雑な地上の人間の動きなどを全てコントロール下に置いていたのがホワイト・ロッジ、そこに属する覚者たちや宇宙人グループだったということです。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第31話 ― ナチス原爆の真の所有者

早々に決定していた日本標的の原爆投下


前回は、ナチス・ドイツがUFO開発と並行して原爆を完成していた模様であることを見ました。

ナチス原爆が完成したのはいつか?

「ベラスコの告白」記事には、1942年(『天皇の金塊とヒロシマ原爆』のp160の記述では1943年、こちらが正確と思えます。)4月21日に、チェコのボヘミア地方の原生林にて原爆の段階的実験を大成功、とあります。

また記事によると、その完成したナチス原爆はベルギーに移送。1944年半ばにロンメル将軍側から米国のアイゼンハワー、当時の連合軍最高司令官に引き渡たされたとあります。

ロンメル将軍
アイゼンハワー
連合軍最高司令官
Wikimedia Commons
[Public Domain]

一方、定説では原爆を最初に製造したはずのロスアラモス研究所、そのスタッフの士気の無さと無統率ぶり、そして原爆開発総責任者オッペンハイマー博士のやる気のなさの報告をベラスコは出しており、ロスアラモスでは原爆完成などできていないとしたのでした。

オッペンハイマー博士

他方、このオッペンハイマー博士は、ナチス原爆開発進捗状況を知る一人でもあったとのことでした。このオッペンハイマーのやる気のなさにも関連するであろう重要なことが「ベラスコの告白」記事に記載されています。

1943年5月5日、原爆投下目標地点を決定するアメリカ政府の暫定委員会は、自国の原爆がまだ未完成でしかもヒトラー・ドイツと戦っているにもかかわらず、なぜか早々と最初の原爆投下目標地点を決定した。戦後になってその投下目標地点名を記入した議事録が、「アメリカ国立公文書館」で戦史公開資料として一般公開された。

ロスアラモス研究所が創設されたのは1943年、無論この時点で原爆製造の目途は立っていません。その1943年の5月に米国の委員会では、原爆投下を目標地点と併せて決めたというのです。そして、目標地点が記入されたその議事録が公開されていたのです。(ただし、この公開資料を米国政府は後に回収し、非公開にしたとのこと。)

完成目途もない原爆の投下の標的はトラック島の日本軍でした。この委員会の決定に、原爆開発者たちの非難があがったと記事にはあります。米国原爆開発者の主力はナチス原爆完成を懸念した亡命ユダヤ人科学者たち、彼らの自分たちが完成させる原爆を日本側に向け投下は、いわばお門違いだとの非難は当然でもあるでしょう。

大日本帝国委任統治領時代のトラック島(チューク諸島)
Author:Milenioscuro [CC BY-SA]
Author:Los688 [CC BY-SA]

ただ、問題は、
自国でまだ完成目途のない原爆投下を、米国委員会が決定できたのはなぜか?
しかも、その標的はドイツではなく日本側であったのはなぜか?
この2つの謎です。

謎の解消の一つの鍵は、当時の核研究のトップでロスアラモスのスタッフともなったボーア博士、彼が教え子のハイゼンベルグ博士の訪問を受けた後に出した次のものです。

「オスロ・レポート」を通してチャーチル首相に早急にドイツ原爆製造工場の破壊と完成原爆の奪取を進言した。
(『天皇の金塊とヒロシマ原爆』より)

「完成原爆の奪取」、ここです。

1943年5月5日時点、ナチス原爆は完成しており、そのナチス原爆が密約でドイツから米国に引き渡されることが決まっていたならば…、原爆投下を決定することができます。

また、その投下先は密約した相手のナチス・ドイツではなく、交戦中の日本となるのは当然となるでしょう。

ロスアラモス研究所で原爆を誕生させなくても原爆が手中に…、
オッペンハイマーのやる気のなさも説明がつきます。


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第30話 ― ナチス・ドイツ製原爆

 2016/01/03の竹下さんの記事は、「ベラスコの告白 広島原爆はナチス製だった」の題で『ヘブライの館2』の「ベラスコの告白」記事にリンクされていました。
 記事の内容はごく簡単にはスパイのベラスコによって明かされたこと、ナチスによって製造された原爆がロンメル将軍によって米国に渡されたというものです。記事をレポートしたのは高橋五郎氏、ベラスコに対する取材でその激しいやり取りの中で互いに親しくなり、ベラスコからは高橋氏は「息子」と、高橋氏はベラスコを「義父」と呼ぶような仲となります。
 このスパイのベラスコですが、戦時中TO機関(日本名では東機関)という謀略機関があり、米国などからの機密情報が日本に、そしてナチスにもたらされました。それにはマンハッタン計画など貴重な軍事情報があり、正確な情報でした。ただし、日本側はその貴重な情報を活かすことができませんでしたが…。このTO機関の実質的な主幹がベラスコです。
 更に驚くべきは、ベラスコはSS情報部に居住の後ベルリン陥落寸前までベルリンの地下官邸でヒトラーらと共に過ごし、1945年4月21日にヒトラーと地下官邸を脱出したというのです。このことは高橋五郎氏著『天皇の金塊とヒロシマ原爆』に記されていることです。
 さらに刮目は高橋五郎氏の喝破、ベラスコの実体は日本やナチスに所属するスパイではなく、高橋五郎氏の言葉では「結社の秘密諜報員」であり、むしろ日本とヒトラーを監視していたというのです。戦争の実情、その奥深くの裏の裏まで見ていた人物がベラスコと言えるでしょう。
 「金の百合」情報を含めて『ヘブライの館2』の「ベラスコの告白」記事を更に詳細にした内容となっているのが『天皇の金塊とヒロシマ原爆』、今回はこの本を参照しながら原爆の実態を探っていきます。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第30話 ― ナチス・ドイツ製原爆

玉音放送の謎の部分


玉音放送を聞く日本国民
Wikimedia_Commons [Public Domain]

昭和20(1945年8月15日、日本に玉音放送が流れました。昭和天皇による「ポツダム宣言」受諾、日本の終戦を告げるものでした。

「ポツダム宣言」は、米英中の三国が日本に対して発した降伏勧告の宣言です。このポツダム宣言の受諾の理由として、意訳としては次の内容が昭和天皇によって述べられました。

戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我々に不利である。そればかりでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷し、惨害がどこまで広がるかはかり知れない。なおも戦争を続けるなら、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも打ち壊すことになるであろう。
ハフポストより)

この文言では、ポツダム宣言の受諾の大きな理由となったのが原子爆弾投下であったとしているのは明らかです。

原爆投下映像 広島と長崎 リトルボーイとファットマン

ただし、この取り上げた玉音放送の最後のところは何を意味しているのか謎でもあります。戦争を続けるならば「日本民族の滅亡を招くだろう」、この部分は分かります。しかし問題は次です。この続きは原語では次の言葉になっています。

人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
Wikipediaより)

戦争を続けたならば「人類ノ文明ヲモ破却」することにもなる?…、
戦争の継続がなぜ日本滅亡だけでなく、「人類ノ文明ヲモ破却」に繋がるのか?

日本はこの玉音放送の時点では完全に自国の制空権も失っており、いわば「刀折れ矢尽きる」状態のはずであるにもかかわらず…

「人類ノ文明ヲモ破却」?
逆に言えば「人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」の状態になるのはどういう場合か?

これは日本と連合国側で、互いに原爆炸裂の応酬以外には考えにくいものです。これは「まさか、ありえない」事態です。ところが実際に、昭和天皇はこのことをどうも強く懸念していたようなのです。



いずれにしても、当時の原爆についての実際を洗い直す必要はあるでしょう。それも幾つかの違った角度からの見直しです。

  • 原爆製造の過程、その実際
  • 原爆投下の影響とその意味
  • 原爆と昭和天皇の関わり

以上の3点から、原爆の実際について今回から洗い直しをしていきたいと思います。


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第27話 ― 「代理戦争」の意味

 911テロから20年となりました。20年前、言いがかりで空爆を開始し、派兵したアフガニスタンからの撤兵で米国の敗戦です。911テロで始まった対テロ戦争の時代が、20年を経てとうとう終了したとの感慨があります。
 ミエミエの嘘と捏造の自作自演911テロ、この911テロで「愛国者法」が成立し、合衆国憲法が完全に停止。合衆国憲法こそは、建国の父たちの悪魔崇拝の英東インド会社からの支配から逃れ、独立するという建国の精神が詰まったものです。その憲法が完全に停止したことは、独立国家としての米国の乗っ取りが完了し、無法国家となったのを意味します。
乗っ取りの実行犯は?
いうまでもなく、911テロはブッシュ・ジュニアのネオコン政権で起こされました。
 ベンジャミン・フルフォード氏は、度々ブッシュ・シニアをナチス総統と指摘しており、これは事実です。ヒトラーは初代ナチス総統、第3代ナチス総統がブッシュ・シニアです。
 サダム・フセインを罠にかけ湾岸戦争を引き起こしたナチス総統で米大統領のブッシュ・シニア、その後の911テロにてナチス実働隊による米国の乗っ取りは完了し、世界も席捲。今にして思えば第3次世界大戦即ちハルマゲドン(最終戦争)がグッと近づいていたのでした。
 第2次世界大戦以降のナチスの動向、第2次世界大戦そのものの意味、これらが「コブラによる地球解放年表」に表れています。これらを辿っていけば秘密の宇宙プログラムが進められた理由も見えてきます。
 コブラのグループはホワイト・ロッジの銀河連合に所属しますが、救世主や神を名乗っていた彼らの正体も明瞭になっていきます。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第27話 ― 「代理戦争」の意味

地下に潜り、地球外基地を築くナチス


ナチス・ドイツは第2次世界大戦時には既にUFO技術を入手し、月に火星にも行っていたことに触れました。これに関わることが「コブラによる地球解放年表」に記されてあります。これまで見てきた続きの欄で、以下です。

コブラによる地球解放年表
1939-1945年 第二次世界大戦はドラコと銀河連合の間の代理戦争だった。第二次世界大戦という代理戦争を通じて、銀河の大半はきれいになった。それは地球の物質界にアンカーをおろす銀河戦争の一部だった。そして銀河連合は部分的に勝利し、ナチスは地下に潜らなければならなかった。そのためナチスの中には南極に向かった者、ペーパークリップ作戦を通じてアメリカへ渡った者がいた。
1945年 (中略)
戦後のペーパークリップ作戦により、約2000人のナチス技術者が米国へ移送され、のちの影の政府を支えた。もとからドラコの謀略だった。
戦後、数十万トンの山下金塊が注ぎ込まれ、地下で大規模の軍事基地システムが構築され、2000年代のドラコ侵略のベースとなった。1950年代には、秘密宇宙プログラムが拡張され、月と火星での基地構築が計画された。
(中略)
(中略)
1954年 (中略)
1950年代半ばの凄まじい戦闘で、ドラコ・レプティリアン艦隊によってナチスの地球外植民地は全て跡形もなく消し去られた。
(一部抜粋)

年表の記述から、先ずナチス関連については以下のような事実があったことが窺えます。
【1939-1945年、1945年の欄より】
 ★ナチスは滅亡したのではなく南極など地下に潜った。
また、その別の一部(約2000人のナチス技術者)は、ペーパークリップ作戦で米国に渡り、米国乗っ取りに働いた。
【最後の欄より】
 ★ナチスは1950年代半ばまでには、地球外(地球内部にも)に植民地基地を築いていた。

米国のペーパークリップ作戦は、ウィキペディア記事「第二次世界大戦末から終戦直後にかけてアメリカ軍が、ドイツ人の優秀な科学者をドイツからアメリカに連行した一連の作戦のコード名である。と記されていて、裏ではなく表情報であり、結構有名でもあります。この作戦で、ドイツの優秀な科学者たちが米国に連行されたとあります。

✒ツイート文の機械翻訳
1945年9月3日 アメリカ大統領ハリー・トルーマンは、ナチスの科学者や戦争犯罪者1,500人以上をアメリカに連行する極秘計画「ペーパークリップ作戦」を正式に承認、拡大した。アメリカでは宇宙開発や生物・化学兵器の開発が行われた。

しかし、ドイツの本当に優秀で有望な科学者たち、そして軍隊は、既にナチスが基地を築いていた南極の地下などにドイツ敗戦前に潜ったのです。ヒトラーの戦法変更によるもので、無論ヒトラーも、敗戦時のベルリンで自殺してはいないのです。

そして、地下に潜った彼らによって秘密の宇宙プログラムは更に進められ、地球の地下基地だけでなく、月に火星にと地球外植民地基地を築いていたことになります。


また、潜ったナチスが秘密の宇宙プログラムを拡張する一方で、ペーパークリップ作戦で米国に渡った者たちの中で、「のちの影の政府を支えた」というように、内部から米国の乗っ取りに動いたグループがあったわけです。

既に近・現代編 第14話にて、ナチスが米国のブッシュ家を首魁とするネオコンに変貌していたこと、ナチス諜報部からCIAが生み出されたこと、つまり、ナチスが姿と名称を変え、米国を支配するに至っていた部分に触れています。

ナチスは「敗者に成りすまし」地下に潜り、米国をその「内部から乗っ取り」を成功させていた、このことをコブラの年表から見れるのです。

また、コブラ年表の「第二次世界大戦はドラコと銀河連合の間の代理戦争」の記述(これには決定的に重要なことが見えますが、後回しとして)、先ずこの表現は、英仏米の連合国側には銀河連合(ホワイト・ロッジ)が、日独伊の枢軸国側にはドラコ(ブラック・ロッジ)がついていたことを示します。

実は、今回取り上げた年表欄はナチスの動向などの情報もありますが、他にも決定的に重要なことも記されてもいます。


» 続きはこちらから

タリバン非難一辺倒のメディア、米への「抱きつき外交」で判断停止の日本政府、国民は「ポイ捨て」対象

 タリバンが政権掌握後、日本の大手メディアはタリバンを一方的に悪とし「テロの脅威」「民主主義の破壊」などとする論調ですが、そういった記事の一つ一つ丁寧に軌道修正のコメントを出しておられる内藤正典先生のツイートが勉強になります。これまでのアメリカの覇権主義を省みることなく、タリバンを知ることなく、中村哲先生の言葉を思い返すこともなく今のアフガニスタンを適切に判断することはできないと思いました。もし今、緒方貞子氏がいらしたら邦人の安全確保をタリバンと交渉したかもしれないともありました。
 一方で、8/15には日本の岡田大使が真っ先に脱出し、続いて日本大使館員が撤退し、結局JICAの日本人職員やアフガン人スタッフは脱出できませんでした。茂木外相に至っては、自衛隊機が現地に向かう頃、中東歴訪中でカタールにあるタリバン事務所で交渉することも可能でした。しかしスルーしています。米国への「抱きつき外交」の結果、自立的な日本政府としての判断ができず、結果、TOCANA記事にあるように日本政府の「上級国民ファースト、それ以外はポイ捨て」外交が明らかになりました。しかしそれすらも隠蔽しようとする政権とメディアによる情報隠しは依然続いています。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
配信元)
————————————————————————
アフガン撤退でみえた「上級国民による日本人ポイ捨て」のリアル! 日本政府らは平気で人を見殺しにする…ジェームズ斉藤
引用元)
(前略)
(中略)今回のアフガンを見ていると米国にポイ捨てされる前に、日本人は日本政府にポイ捨てされる可能性も出てきています。それが8月26日の事件です。この日、自衛隊機がカブール空港に到着し、JICAの日本人職員やアフガン人スタッフを脱出させる予定でしたが、結局、1人しか救出出来ませんでした。
(中略)
(中略)日本の場合はいろいろ問題点があります。まず、日本大使館職員は岡田隆大使を含みすべて撤退していますが、問題は大使が真っ先に逃亡したことです。岡田大使は8月15日のカブール陥落時にすでにアフガンを脱出しており、8月17日には大使館員が全員英軍機で脱出しています。米国大使ですらカブール空港でアフガン人のためにビザを発行し続けていたのに、日本の大使は民間人もアフガン人の現地採用等すべてポイ捨てです。これは大使としてありえない大失態です

──そんな早く脱出していたんですか。

ジェームズ これが日本大使館の実態です。以前の記事でも日本の外交官は、困った日本人旅行者を助けないという話をしましたが、まさにその通りのことをしています。たぶん、自分たちは上級国民だから一般人よりも命の重みが違うと本気で思っているのかもしれません
(以下略)