【27 御祖神船魂の紋】
hotumatutaye.com/wp/wp-content/uploads/2014/06/260610ほつまつたゑ全文.pdf より一部抜粋
御祖神(ミヲヤカミ)船魂(フナタマ)の紋(アヤ)
(前略)
レノサキ カモタケツミト これの先 カモタケツミと
イソヨリト ソミスズマデモ イソヨリと 十三スズ迄も
コナキユエ ワケツチカミニ 子なき故 ワケツチ神に
27-25
イノルヨノ ユメニタマワル 祈る夜の 夢に賜わる
タマノナノ タマヨリヒメヲ 玉の名の タマヨリ姫を
ウミテノチ ヒタシテヨハヒ 生みて後 養して齢
ソヨスズニ タラチネトモニ 十四スズに タラチネ共に
カミトナル アカヒノカミゾ 神となる アカヒの神ぞ
(中略)
ミソギナス シラハノヤキテ ミソギなす 白羽の矢来て
ノキニサス アルジノオケノ 軒に刺す 主の月経の
トトマリテ オモハズヲノコ 留まりて 思はず男子
ウミソダツ ミツナルトキニ 生み育つ 三歳なる時に
ヤオサシテ チチトイウトキ 矢お指して 「父」と云う時
ヤハノボル ワケイカツチノ 矢は昇る ワケイカツチの
カミナリト ヨニナリワタル 神なりと 世に鳴り渡る
「完訳 秀真伝 下巻 鳥居礼編著 八幡書店」を参考にすると、意味は次のようになる。
河合の館に暮らしていた賀茂建角身命と五十依姫は、十三鈴経っても子供が出来ないので、
別雷神(ワケイカヅチノカミ)に祈ると、夢に玉が現れ子供が出来たので、その子を玉依姫と名付けました。産み育てて十四鈴の時に両親は神上がりました。
玉依姫はある日、禊をしていると白羽の矢が飛んできて河合の館の軒に刺さりました。すると姫の月経が止まり子を身籠りました。その子が3歳になった時、白羽の矢を指して、「父」と言うと矢は空に飛び上がりました。この噂はたちまち広がり、その矢は「別雷の神」だと噂しました。
この伝承にあるように、玉依姫の両親は別雷神(ワケイカヅチノカミ)に祈り、子を授かったので、玉依姫は両親が神上がった後も別雷神を祠に祀っていました。
別雷神とは、「田水のために各地に池川を掘り、その土を盛って山を造るというニニキネの大いなる功績を称えて、アマテルがニニキネに授けた名」で、
ニニキネのことです。
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya27.html
タマヨリ姫に白羽の矢
神武天皇の誕生
(前略)
怪しくも、お美しい姫御子(ひめみこ)の元に、諸国の国神からの結婚の申込が殺到しますが、
姫は頷かずに、
タカノの森に御子共々隠れ家(かくれが)を造り、世間から
身を隠して住まわれ、そこにワケイカツチ神の小祠(ほこら)を造り、常に御陰(みかげ)を慕いてお祭りしておりました。
この噂が、いよいよ君のお耳にも入り、真実を確かめよとの詔が伝えられました。
(中略)
君が親しく姓名(うじな)をお尋ねになると、姫はりんとした声でお答えになり、
「私の父はタケズミで、母の名はイソヨリと申し、両親が私の名前をタマヨリと名付けました。ハデズミの孫でございます。
私のこの子には、父はございません。神に授けられた子です。父がなければ、イミナもできず、人は皆イツモの御子と呼んでおります」
(中略)
君は詔りされ、
姫を内局(うちつぼね)として迎え、イツセ御子を養育されることになり、イツモの御子には、ミケイリ御子と名を賜わりました。その後、局の時に産んだ御子の名はイナイイ君ともうします。
中宮になられてからお生まれになった御子の名こそ、カンヤマト・イワワレヒコの御子となられ、その時アメタネコがタケヒト君と実名(いみな)を捧げました。
(以下略)
鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアワセズノミコト)は、八瀬姫(ヤセヒメ)との間に五瀬尊(イツセノミコト)を儲けたのですが、八瀬姫は身罷り御子に与える乳が無いので、御乳姫(おちつも)を求めるお触れを出しました。
お触れを見た民が、“一枝山(比叡山)の麓にお姫さまが住んでおり、たいそう良い乳が出る”と申し上げると、鵜葺草葺不合命は玉依姫を内侍として迎えて、五瀬尊を養育させました。玉依姫の連れ子(イツモの御子)は御毛入尊(ミケイリノミコト)と名付けられました。
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誰にとっても突然です。けれども、あい∞んさんのお話を伺っていると
介護されるお父様は静かに何かを感じておられたような気がしました。