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*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護9

 あい∞んさんのお見送りの時。
誰にとっても突然です。けれども、あい∞んさんのお話を伺っていると
介護されるお父様は静かに何かを感じておられたような気がしました。
(まのじ)
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あい∞ん在宅看取り介護9

Q.4月の終わり頃は、あい∞んさんもお父様も、最期の時を意識されていたのですね。

その頃は、生ハチミツやお水をちょこちょこ飲むくらいの食事になっていました。「お水飲む?」「飲み込める?」「最後まで飲み込んで」と声かけに気をつけていました。返事が無い時は、意識が無い時なので飲ませたら危険だそうです。


父のベッドに折り畳んだ柔らかい座布団を差し込んで、父の身体さんになるべく圧迫がないよう工夫をしていました。

髭剃りをしたり、顔と体の前面にホットタオルを当てたり。便の漏れ対策に夜用パットを脇に当てておいて浴衣を被せるなど、介護のコツはある程度つかめていましたが、ベッドの高さが中途半端なために、私の腰にひどく負担がかかっていました。また重心を掛けていた右足が少し不調をきたしました。介護する人に負担をかけない、安全な身体の使い方のコツを知っておくことは非常に大切かも!と感じました。

高さに合わせて重心低く(整体ノ先生直伝ヨリ)


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3.0次元の「5層」に転生に入っていた「ホツマの神々」の没落の始まり

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭の系図をご覧ください。ニニキネとアシツ姫 (コノハナサクヤ姫) の間に生まれた三つ子の三男である彦火火出見尊(ヒコホオデミ、山幸彦)は、第3代大物主の子守神の娘、イソヨリ姫を内侍とします。天皇の后は典侍(スケ)、内侍(ウチメ)、下侍(シモメ)に順に位が下がります。内侍は中位の后です。
 系図を見ると分かりますが、驚いたことに彦火火出見尊はイソヨリ姫を後に賀茂建角身命(カモタケツミ)の妻として下すのです。いくらでも美しい女性を妻に出来る身分とは言え、自分の妻を部下への褒美として与えるというのは、女性をモノだと見做しているとしか思えないものです。この辺りから3.0次元の「5層」に転生に入っていた「ホツマの神々」の没落が始まっていたのではないかという気がします。
 系図をご覧になると、彦火火出見尊の子・鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアワセズ)と、以前の妻のイソヨリ姫の子・玉依姫との間に生まれたのが神武天皇です。しかも、これから見るように、玉依姫に関しては略奪婚の可能性があります。
 私には相容れない感覚で、この一族が「天界の改革」で滅ぼされたのもやむを得ない所です。
(竹下雅敏)
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前回の記事で、玉依姫(タマヨリヒメ)が「白羽の矢」によって身籠り、後に御毛入尊(ミケイリノミコト)と名付けられる子を産んだという伝承を紹介しました。

https://www.gejirin.com/src/Ta/tamayorihime.html
タマヨリヒメ
→ 語義

玉依姫。 
カモタケズミイソヨリ姫娘。コモリおよびハテスミの孫。
なかなか子が出来なかった二人が、ワケツチ神に祈って賜った娘。 白羽の矢によりミケイリを生み、日似山麓の出雲路森(高野の森)に隠れ住む。 
その後ウガヤ内局になってイナイイを生み、さらにウガヤの内宮になってカンヤマトイハワレヒコを生む。


ホツマツタヱによれば、“人々はその矢を「別雷の神」だと噂した”という事でした。別雷神は「アマテルがニニキネに授けた名」であり、噂された「矢」はニニキネという事になるはずなのですが、前回の記事のコメントで「白羽の矢」は大山咋神(おおやまくいのかみ)であるとしました。
 今回はその根拠となる伝承を見て見ます。

https://www.gejirin.com/src/Ya/yamakui-yamakuhi.html
ヤマクヒ・ヤマクイ・ワカヤマクイ
→ やまくひ わかやまくい

山咋(山構ひ)。若山咋(分山構ひ)。
ホツマツタヱには記述がないが、古事記の記事を信じれば、オオトシクラムスビの子。
ニニキネの命により山背の野を掘り、その土をオキツボの峰に盛って大日山を模した日似山(一枝山)を造る。

ワカヤマクイ (古事記に大山咋の甥とある) は「分山構ひ」の意で、「分山」とは「大日山」を写した「日似の山」を指すものと思われ、これはヤマクヒと同一人物と推測する。
 
一時シノ宮に居たらしく、シガの守が海幸彦の鉤を返しに行く時に招かれている。ウガヤは都を多賀に移して以降は、シノ宮の地域はヤマクイが治めを預かったと推測される。

高野の森に隠れ住んでワケツチ神を祭るタマヨリ姫への勅使となり、姫を宮に迎える。
(中略)
(以下略)
 
大山咋神(おおやまくいのかみ)は、大年神(おおとしのかみ)と天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)の間の子とされています。
 ホツマツタヱの伝承では、ニニキネの命により山背の野を掘り、その土をオキツボの峰に盛って日似山(比叡山)を造ったということです。
 この記事では、ワカヤマクイと同一視していますが別の神で、“古事記に大山咋の甥とある”と書かれている通りだと見て良いでしょう。

https://www.gejirin.com/src/Wa/waketuti.html
ワケツチ
→ 語義

分土。別地。
「(川に)分けられる土地」の意で、カモ(賀茂)カアヒ(河合)の同義語。
狭義には下賀茂の区域であるカアヒ(河合)に対して、上賀茂の区域を指す。
(中略)

ワケツチミヤ
→ 語義
  
分土宮。別雷宮。
当初は神山 (ワケツチ山) にあった。ワケイカツチ神 (ニニキネ) を祭る。 トヨタマ姫がこの山にニニキネを纏ったことが起源のようだ。
垂仁天皇オオカモツミをして現在地に遷したか。
ウガヤから三種八重垣剣を預かるタマヨリ姫は、世を去る前に、ここに八重垣剣を預ける。

京都府京都市北区上賀茂本山、賀茂別雷 (カモワケイカヅチ) 神社
 
ワケツチ(分土、別地)とは上賀茂の区域を指す言葉であり、ワケツチミヤ(分土宮)には別雷宮という漢字をあてて、“ワケイカツチ神 (ニニキネ) を祭る”とあります。また、賀茂別雷 (カモワケイカヅチ) 神社との関連を示しています。
 この辺りの伝承は混乱していて分かりにくいのですが、私は人々が噂した「白羽の矢」の正体である「別雷神」とは、ニニキネではなく、比叡山を造った功績によりこの辺りの地域を治めていた大山咋神(おおやまくいのかみ)だと考えています。
 
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玉依姫(タマヨリヒメ)が内宮となり神日本磐余彦尊(神武天皇)を生んだ紀元前711年の前後で、ホツマの神々の世界に異変が起こった!

竹下雅敏氏からの情報です。
 鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアワセズノミコト)と玉依姫(タマヨリヒメ)の子が神武天皇(カンヤマト・イワワレヒコ)です。玉依姫には不思議な伝承があって、賀茂川で禊をしていたところ、白羽の矢が飛んできて河合の館の軒に刺さり子を身籠ったというのです。この子は後に御毛入尊(ミケイリノミコト)と名付けられます。
 ホツマツタヱの年表から分かるように、玉依姫が後にミケイリと名付けられる子を産んだのは、紀元前118,624年です。また、鵜葺草葺不合命が玉依姫を内局に迎え、連れ子を御毛入尊と名付けたのは、紀元前66,055年になります。
 紀元前60,687年に、天照大神が神上がります。そして、玉依姫が内宮となり神日本磐余彦尊(神武天皇)を生んだのは、紀元前711年です。
 記事で触れたように、別雷神(ワケイカヅチノカミ)は「アマテルがニニキネに授けた名」なのですが、玉依姫は「白羽の矢」によって身籠り、“矢は「別雷の神」だと噂された”というのですが、後に御毛入尊と名付けられた子の父親はニニキネではなく、大山咋神(おおやまくいのかみ)だと私は考えています。
 この部分の伝承は混乱しており、恐らくはわざと混乱させていると思われるのですが、この伝承に関しては次回に詳しく解説するつもりです。
 いずれにせよ、玉依姫が内宮となり神日本磐余彦尊(神武天皇)を生んだ紀元前711年の前後で、ホツマの神々の世界に異変が起こったようです。神武天皇誕生以前では、鵜葺草葺不合命と玉依姫、天児屋根命(あめのこやねのみこと)積葉八重命(つみはやえのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと)などのホツマの神々は、図に示した「3.0次元の5層」に肉体(狭義)の「身体」の焦点があるのですが、神武天皇誕生以降では「3.0次元の6層」に変化しているのです。
 天児屋根命は、先の年表によれば紀元前685年に1,560,025歳で神上がり、積葉八重事代主命は、紀元前668年に843,048歳で神上がっています。神武東征で神武天皇のもとに下った饒速日命は、この時少なくとも89万歳でした。ところが、神武天皇は紀元前711年に生まれ、紀元前660年に52歳で即位し、紀元前585年3月10日に、わずか128歳で崩御しているのです。
 神武天皇以降は寿命が急激に短くなるのですが、「ホツマの神々」が神武天皇の誕生の前後で、3.0次元の「5層」から「6層」に降下した理由は、今のところ「謎」のままです。
(竹下雅敏)
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【27 御祖神船魂の紋】


hotumatutaye.com/wp/wp-content/uploads/2014/06/260610ほつまつたゑ全文.pdf より一部抜粋
御祖神(ミヲヤカミ)船魂(フナタマ)の紋(アヤ)
    (前略)
    レノサキ   カモタケツミト  これの先  カモタケツミと 
    イソヨリト  ソミスズマデモ  イソヨリと 十三スズ迄も 
    コナキユエ  ワケツチカミニ  子なき故  ワケツチ神に 
27-25 イノルヨノ  ユメニタマワル  祈る夜の  夢に賜わる 
    タマノナノ  タマヨリヒメヲ  玉の名の  タマヨリ姫を 
    ウミテノチ  ヒタシテヨハヒ  生みて後  養して齢 
    ソヨスズニ  タラチネトモニ  十四スズに タラチネ共に
    カミトナル  アカヒノカミゾ  神となる  アカヒの神ぞ
    (中略)
    ミソギナス シラハノヤキテ  ミソギなす 白羽の矢来て 
    ノキニサス アルジノオケノ  軒に刺す  主の月経の
    トトマリテ オモハズヲノコ  留まりて  思はず男子  
    ウミソダツ ミツナルトキニ  生み育つ  三歳なる時に 
    ヤオサシテ チチトイウトキ  矢お指して 「父」と云う時 
    ヤハノボル ワケイカツチノ  矢は昇る  ワケイカツチの 
    カミナリト ヨニナリワタル  神なりと  世に鳴り渡る

「完訳 秀真伝 下巻 鳥居礼編著 八幡書店」を参考にすると、意味は次のようになる。

河合の館に暮らしていた賀茂建角身命と五十依姫は、十三鈴経っても子供が出来ないので、別雷神(ワケイカヅチノカミ)に祈ると、夢に玉が現れ子供が出来たので、その子を玉依姫と名付けました。産み育てて十四鈴の時に両親は神上がりました。
 玉依姫はある日、禊をしていると白羽の矢が飛んできて河合の館の軒に刺さりました。すると姫の月経が止まり子を身籠りました。その子が3歳になった時、白羽の矢を指して、「父」と言うと矢は空に飛び上がりました。この噂はたちまち広がり、その矢は「別雷の神」だと噂しました。
 
この伝承にあるように、玉依姫の両親は別雷神(ワケイカヅチノカミ)に祈り、子を授かったので、玉依姫は両親が神上がった後も別雷神を祠に祀っていました。別雷神とは、「田水のために各地に池川を掘り、その土を盛って山を造るというニニキネの大いなる功績を称えて、アマテルがニニキネに授けた名」で、ニニキネのことです。

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya27.html
タマヨリ姫に白羽の矢
神武天皇の誕生
(前略)
怪しくも、お美しい姫御子(ひめみこ)の元に、諸国の国神からの結婚の申込が殺到しますが、姫は頷かずに、タカノの森に御子共々隠れ家(かくれが)を造り、世間から身を隠して住まわれ、そこにワケイカツチ神の小祠(ほこら)を造り、常に御陰(みかげ)を慕いてお祭りしておりました。
 この噂が、いよいよ君のお耳にも入り、真実を確かめよとの詔が伝えられました。
(中略)
君が親しく姓名(うじな)をお尋ねになると、姫はりんとした声でお答えになり、
 「私の父はタケズミで、母の名はイソヨリと申し、両親が私の名前をタマヨリと名付けました。ハデズミの孫でございます。私のこの子には、父はございません。神に授けられた子です。父がなければ、イミナもできず、人は皆イツモの御子と呼んでおります」
(中略)
君は詔りされ、姫を内局(うちつぼね)として迎え、イツセ御子を養育されることになり、イツモの御子には、ミケイリ御子と名を賜わりました。その後、局の時に産んだ御子の名はイナイイ君ともうします。
 中宮になられてからお生まれになった御子の名こそ、カンヤマト・イワワレヒコの御子となられ、その時アメタネコがタケヒト君と実名(いみな)を捧げました。
(以下略)
 
鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアワセズノミコト)は、八瀬姫(ヤセヒメ)との間に五瀬尊(イツセノミコト)を儲けたのですが、八瀬姫は身罷り御子に与える乳が無いので、御乳姫(おちつも)を求めるお触れを出しました。
 お触れを見た民が、“一枝山(比叡山)の麓にお姫さまが住んでおり、たいそう良い乳が出る”と申し上げると、鵜葺草葺不合命は玉依姫を内侍として迎えて、五瀬尊を養育させました。玉依姫の連れ子(イツモの御子)は御毛入尊(ミケイリノミコト)と名付けられました。

https://www.gejirin.com/src/Ta/tamayorihime.html
タマヨリヒメ
→ 語義

玉依姫。
カモタケズミイソヨリ姫の娘。コモリおよびハテスミの孫。
なかなか子が出来なかった二人が、ワケツチ神に祈って賜った娘。
白羽の矢によりミケイリを生み、日似山麓の出雲路森(高野の森)に隠れ住む。
その後ウガヤ内局になってイナイイを生み、さらにウガヤの内宮になってカンヤマトイハワレヒコを生む。


(以下略)

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ぴょんぴょんの「質問に答える」 〜野口晴哉の考え方

 野口晴哉が設立した、整体協会の月刊誌「全生」には、「質問に答える」というシリーズがあります。それが、なかなかにおもしろいので、いくつか抜粋してみました。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「質問に答える」 〜野口晴哉の考え方


教育の前提として、人間の動きをていねいに観察し、そこから出発して導いていくのでなかったら、教育は単なる、知識の着物になってしまう。あくまで、人の本性を伸ばすことを考えねばならぬ。
(月刊全生 昭和57年3月号)


質問:小学校2年生の男子。学校の成績もよく、自動車についてとても詳しいが、口にしまりがなく、よくよだれを垂らし、食事の時はガツガツして、手づかみで食べる。この子の指導法を教えてほしい。
(月刊全生 昭和57年3月号)

頭はいいのに、ポカンと口開けて、よだれを垂らすって?

生理的な「よだれ」は1〜3歳までだから、この子はどっかおかしい。

体が原因かな? 胃でも弱いんだろうか?

いや、体じゃなくて、心の問題だと野口晴哉は言う。
赤ん坊でもないのに、よだれを垂らすのは、心の中に何か抑えてるものがあって、感情に出せなくなっていると言うんだ。
「子どもの感情を抑えつける度合いとよだれの量とは、かなり密接な関連を持っているのです。・・生理的な異常がなければ、これは感情の中に抑圧があるのです。一度感情にまで運んできてしまった心を抑えるという傾向が、よだれの分泌を多くしているのです。」(月刊全生 昭和57年3月号)  

まさか、よだれが感情に関係していたとは・・。

そして、発散できない感情が積み重なると、どこかで突然、爆発する。

そっか! それが「ガツガツ食べる」「手づかみで食べる」に現れているんだね。

対処法だが、貯めこんだ感情を大そうじしなければいけない。
思いっきり泣かせる、怒らせるなりして、相手の中にあるものを全部吐き出させればいい。(月刊全生 昭和57年3月号)


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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第9話 ― 地底民族の地上への介入

 リットン著の『来たるべき種族』では、地上で生活していた一部族が地底民族「ヴリル・ヤ」になったとしています。「ヴリル・ヤ」の地底王国をハウスホーファーは「アガルタ」と称し、「ヴリル・ヤ」をアーリア人種と見なした人間たちが歴史を動かしました。
 しかし、3000万年前に宇宙から地球に入植して地底民族となったのがアガルタ人、10万年前に地球で生まれた若い魂の人種がアーリア人種、両者は全くの別種です。
 従って、リットンの「地上の部族が地底民族に」のこの記述内容は、事実からは離れたものだと思えるのですが、ところが間違いでもないのです。リットンは間接的にホワイト・ロッジの大師からの情報を得て、それによって『来たるべき種族』を著したのです。
 今回は取り上げませんが、確かに地上のある部族が地底民族になってもいるのです。地底民族にはアガルタ人だけでなく宇宙から入植した様々な種類があり、ホワイト・ロッジのみならずブラック・ロッジ所属の地底人もいました。地上の人間から地底人となったのも含めて地底民族の総称を、コーリー・グッド氏の言葉では「古代地球離脱文明」といいます。
 『来たるべき種族』がナチス・ドイツを成立させ、それが第2次世界大戦に繋がったともいえます。ただし、より正確には「古代地球離脱文明」が地上の世界に介入し、ナチス・ドイツが成立したともいえます。そのあたりのことを改めて「コブラによる地球解放年表」と照らし合わせながら確認していきたいと思います。
 予め「年表」の幾つかの分かりにくい言葉の説明をしておきます。
 「アルデバラン星系」のアルデバランとは、ホワイト・ロッジ所属の宇宙人グループで、プレアデス人と密接な関係のようです。
 そのプレアデス人、プレアデスはプレアデスに在住している宇宙人というよりは、地球に移植してきたプレアデスに起源を持つ地底民族を主にさすようで、地上に交信してくる宇宙人はその多くが地底に基地があり、そこからの交信だったようです。ホワイト・ロッジの構成組織の「光の銀河連邦」、その最高意思決定機関がプレアデス評議会とのことであり、「光の銀河連邦」はプレアデスに起源をもつものが主体で構成されてあったようです。
 そしてキメラとドラコについて。ブラック・ロッジの支配体系は4層で、上から1. キメラ、2. レプティリアン、3. オリオン人、4. グレイの順です。キメラが頂点で、レプリティアン層の王がドラコです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第9話 ― 地底民族の地上への介入

『来たるべき種族』の情報源 ~アセンデッド・マスターの存在


1820-1830 プレアデス人がポジティブな秘密宇宙プログラム(Secret Space Program)の種を導入する機会だと考え、ドイツ国内の多くの人々にテレパシーで接触し、ドイツ人たち自身の宇宙船を建造し始めるように彼らに促した。
(中略)
1875 エソテリック同胞団は神智学協会をH.P.ブラヴァッキーを通して創始させた。エソテリック同胞団はテレパシーで着想を送り、特にニコラ・テスラを通して科学の進歩を導いた。
(中略)
1917 光の勢力がドイツでトゥーレ協会を結成。
アルデバラン星系からのポジティブなプレアデス人がマリア・オルシックを通してテレパシーで接触し、実際に稼働する宇宙船の作り方の指示を与えた。
時をおかず、アルコン支配下のロスチャイルド工作員、その名をアドルフ・シックルグルーバー(ヒトラー)が潜入。
(中略)
1920-1930年代 トゥーレソサエティは闇の手先になり、さらにブリル協会(Vril society)に姿を変え、秘密裏にドイツの宇宙プログラム(SSP)を発達させた。
ドイツ人のプログラムがブレイクスルーの可能性があり、プレアデス人と接触し、ファーストコンタクトが公になるであろう利用可能な宇宙船を建造し始める真の可能性を見たとき、キメラグループは介入を決断した。チベットからドラコ派閥を送り、カール・ハウスホーファーと接触させた。彼はヒトラーと接触し、ヒトラーはドラコとの協定に署名した。
1934
(中略)
第二次世界大戦前に、プレアデス人はヒトラーとの契約に署名した。プレアデス人はヒトラーが大量殺戮を行わないことと交換に、彼にテクノロジーを与える約束をしたが、これが大量殺戮を防ぐ最後の試みだった。この約束が反故にされたとき、プレアデス人はヒトラーやナチスとの全ての接触を断ち、それからドラコがヒトラーにテクノロジーを与えた。

リットン著の『来たるべき種族』が後世に凄まじい影響を与え、結果としてドイツを動かし、第2次世界大戦という形となって地上世界を激しく大いに揺るがしています。それだけリットンの描いた地底民族「ヴリル・ヤ」が単なる空想物語ではなく、リアルだったわけですが、「ヴリル・ヤ」は次のように記されていました。

*元は地上の一部族が地下に移住し 、地底民族「ヴリル・ヤ」となった。彼らは「ヴリル・パワー」を発見
*その地底民族「ヴリル・ヤ」は超科学を駆使し、更にはサイキック能力を開花させるようになった。

リットンの「ヴリル・ヤ」の地底王国をハウスホーファーは「アガルタ」と称しているのですが、リットンの「ヴリル・ヤ」に対する着想と知識はどこから来たのか?
間違いなくブラヴァツキー夫人からです。

英国諜報部のトップも勤めていたリットンは、ブラヴァツキー夫人とは非常に密接な関係で、ブラヴァツキー夫人が世界の様々なところに行ったその情報は、リットンに報告されていたはずなのです。

特にブラヴァツキー夫人はインド奥地に入り込み、チベット内部にまで入ろうとしていました。そこに住するホワイト・ロッジの大師・覚者からブラヴァツキー夫人は霊導を受けていて、テレパシーでやり取りしていたのです。その情報をリットンは得ていたわけです。

コブラによる地球解放年表」に「1875年にエソテリック同胞団は神智学協会をH.P.ブラヴァッキーを通して創始させた。」とあります。

自称“光の勢力”であるホワイト・ロッジでは、「進化段階」がほぼ全てというところがあり、進化段階が5.0以上を覚者、6.0以上をアセンデッド・マスターと呼ぶようです。

2017/06/22の竹下さんの記事を読むと、エソテリック同胞団とはアセンデッド・マスターの直接の弟子の集団です。彼らによって神智学協会は設立されたとのことです。ブラヴァツキー夫人自身がエソテリック同胞団の一員で、アセンデッド・マスターからの情報を得て活動していたわけです。

そして2017/06/22の竹下さんの記事から、アセンデッド・マスターが地下王国「アガルタ」「シャンバラ」の中核的存在であることが分かります。シャンバラからの直接的な情報をブラヴァツキー夫人を通してリットンは受け取り、『来たるべき種族』を記したわけです。


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