アーカイブ: *生き方

*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護2

 大きな手術を終え、自宅に戻られたお父様のお世話をすることになった、
あい∞んさん。
介護保険では「要介護2」の判定を受けられ、訪問看護の助けを得ながらお世話を始めたようです。
なんくるない、、、かな?
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
あい∞ん在宅看取り介護2

Q.いよいよお父様が退院されて、自宅での介護が始まりました。その頃の様子はどうでしたか?

 始めは、良い手助けをしようと一生懸命に考えて、父の身体のために良いと思う食事を作り、残尿を取り、お風呂を見守り、ストーマの袋の取り外しや取り付けのお手伝いをし、訪問看護への対応、病院受診の付き添いをしてがんばりました。
ちなみに残尿は退院してすぐに正常な範囲に戻り、カテーテル無しでも大丈夫になりました!

退院後に始まった訪問看護では、血圧・脈・体温・酸素量の測定に加えて、近況報告の聞き取りがありました。専用のノートに測定値と、簡単なメモ(メッセージ)などを記入して下さり、父本人の状況を共有するのに役立ちました。

訪問看護の聞き取りは元気よく!?


 退院後、私が父のために考えた食事は、秋川牧園さんの野菜を使った野菜料理でした。
父の免疫力をあげる為には、なるべく無農薬・無化学肥料の野菜や放射能汚染の心配の少ない材料を使い、添加物を多く含むもの、遺伝子組み換えの食品も避けたいと考えました。
父は、311以降も毎日魚を食べていて、放射能大丈夫かな…と常々不安に思っていました。
すでにある癌が暴れないようにする為には、この際、東城百合子さんの「自然療法」を参考に食事を変えた方が良いかしら、良い「気」が通っている食べ物を選ぶことや、食事をガヤトリー・マントラで浄めるなど、できるだけ自分なりに努力することで、父の身体は変わるのではないかなとも期待しました。


 でも、、父は、それまでとはずいぶん違う食事に戸惑ったようでした。父は本当に魚が好きでしたので、それが全く無い献立は不満だったのだと思います。


また、父は元々几帳面な性格で、一度決めたことはキッチリやる人でした。自分のことは自分で出来るし、料理も自分と母の分まで作っていました。毎日血圧を測ってはメモし、トイレの度にお茶を飲むなどマメな人でした。
退院後も、そうした生活の「きまり」は果たそうとします。
それまでの習慣通り何時間も休みなく庭掃除をしたり、いくつもの大きな金魚鉢の水換えをしようとします。
そばに居る私にすれば、フラフラして危なかしくて見ていられないので、いつもいつも止めていました。でも父は、疲れても途中で止められない性格。毎日、頑張りすぎて具合が悪くなる、の繰り返しです。
なので、いつも最後にはケンカになるパターンでした。
一歩間違えたら死ぬよ!というようなことを何度説明しても、理解して貰えなくて苦労しました。

普段は薦めても全然散歩などしないのに、ある時、徒歩15分以上は掛かる散髪屋さんに、一人で歩いて行こうとしたこともあります。
転倒したら本当に大変なのに。。

それに、動きすぎるとストーマ(人工肛門)の袋が破れてしまうのも困ったことでした。

» 続きはこちらから

ままぴよ日記 36

 秋晴れの中、冒険遊び場には約300人の参加がありました。初めて参加する人の中から「何をして遊べばいいのですか?」「もっとマルシェみたいにお店を出してください」という声もありましたが・・・。
 子ども達は本物の木にぶら下げられたブランコを見つけて走り出します。揺れるたびに葉っぱを見上げて木を感じます。何だか楽しい!!いつものブランコと何が違うのでしょうか?きっと子ども達は自然が友達だったという事を思い出すのかもしれません。
(かんなまま)
————————————————————————

遊ぶ楽しさを親子で味わってほしい


冒険遊び場を作る活動を始めて13年になります。私達は毎年、この日のために公園を下見して、どんな遊びができるかを確認します。市にも占有許可をもらい「火を使います」「水遊びします」「木に登ります」と伝えておきます。元の通りに戻すことが条件で一日限りの許可を出してくれます。


でも、どうして?わざわざ?公園を貸し切ってまで、こんな遊び場を作るのでしょうか?なぜ遊びが深まるように仕掛けを考えるのでしょうか?

今の親世代は高度経済成長期に育ちました。日本中に都市化の波が押し寄せてきて車社会になり、ビルやマンション建設で子どもの遊び場が一気に失われていきました。その代わりに大型レジャーランドができ、子ども達は家の中でテレビやファミコンに夢中になっていきました。同時に高学歴=成功という価値観が生まれて塾やおけいこ事が子どもの遊ぶ時間も奪ってしまったのです。

与えられた遊びしか経験したことがない世代です。いい親になろうとして真剣に「どんなおもちゃを買い与えたらいいですか?」「遊園地を教えてください」「体操教室は何歳から行かせた方がいいですか?」と聞いてきます。だから「躾にいい」「知育」「早期教育」などの宣伝文句に飛びつきます。

逆にテレビやゲームの面白さは知っているから乳幼児のうちから与えます。全く悪気はないし、それが赤ちゃんにどんな影響を与えるかも知りません。だって子どもの成長を何も知らないで親になったのです。


というより、子育ては当たり前すぎて子ども達の育ちのことに誰も関心を持っていなかったし、伝えなかったのかもしれません。だから経済成長で都市化が進んだ時にあっさり子どもの時間と遊び場を手放してしまったのだと思います。子どもの姿がおかしくなって初めて、その失ったものの大切さを知る・・・というよくある話です。

そして子育てにかかわるたくさんの研究者、教育者、医者がこのままでは大変なことになると言い出したのです。

私達も身近にいるママ達に「子どもの育ちには遊びが大切ですよ」と伝えてきました。ママも子どものために良かれと近くの公園に遊びに行きます。ところが誰もいません。遊具もすぐに飽きて面白くありません。そもそも何をしたらいいかもわからないし、楽しくなければ続きません。

でも、楽(ラク)で楽しい!子どもがすごく喜んだ!お利巧になった!という体験があれば、そこから何かが変わります。実は本物の遊びは親は楽で、子どもは自由で楽しいし、賢くなるのです!!

私達はこの遊ぶ楽しさを親子で味わってほしいのです。


» 続きはこちらから

[Twitter]ハロウィンの良き出来事

読者の方からの情報です。
この子様な、他者への思いやり。
ハロウィン否定的な私ですが
ほっこりできました
(DFR)
————————————————————————
配信元)

ぺりどっと通信52 食いしん坊バンザイ


すっかり寒くなりましたね。
うちの方では、先日朝の気温が2℃ほどでした。
いよいよ、冬が始まります。
(ぺりどっと)
————————————————————————
今日のお題は、お料理です。
ぺりどっとは、好きなときに好きなものを好きなだけ好きなようにして食べとりますわ。食いしん坊バンザイ!

お茶碗に入ったアツアツご飯の中にバターを埋めて溶かし、その上から醤油をかけて食べる、バター醤油ご飯。おかずなしで、これだけでパクパクすすむ♪

バター醤油ご飯が可愛く見えてしまうのが、
伝説的料理研究家として有名な平野レミ先生の代表作「まるごとブロッコリー」。

出典: あさイチ 2014年10月16日 ©NHK

レミ先生は常識なんぞにはとらわれず、お魚でさえ立てて魅せてしまう♪

出典: あさイチ 2018年1月8日 ©NHK

ちなみにこの「おったて鯛」は、ケバブ式に肉を削いで食べるようです。

ケバブ

果たして、レミ先生のレシピを真似して、作った方がいるのやろかと要らぬ心配をせずにはおられません。

» 続きはこちらから

*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護1

 いつも時事ブログに可愛らしい挿絵を提供して下さる、あい∞んさんが、先頃お父様を見送られました。病気の発覚、手術をされた後の在宅での看護、そして在宅での看取りを経験されたそうです。
 日本もいよいよ高齢化社会に入り、身近な方の看取りは珍しいことではなくなりました。そして、やがて来る自分自身の最期のことも考える時、にわかに「在宅」というキーワードが現れます。
 「在宅」での最期はご本人にとっても家族にとっても理想的なように思えます。実際はどうだろう? あい∞んさんの体験やお気持ちはどうだったのだろう? 様々なケースがある中で、あい∞んさんに当時のお話を伺うことにしました。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
あい∞ん在宅看取り介護1

Q.あい∞んさん、さっそくですがお父様の闘病はどのようにして始まったのですか?

 病気が見つかったきっかけは、排便の具合に変調があったことでした。
平成28年3月頃のことです。
検査の結果「直腸癌」と診断され、手術をして腫瘍を取り除く事になりました。診断の説明があった時、私は同伴していなかったので、診断の内容がよく分からず、父と母に「手術する以外の方法は無いのか聞いてみた方がいいよ。手術した後で困った事になった場合は取り返しつかなくなるだろうから…」と伝えてはみましたが。。。。

結局、両親の意思で、平成28年3月8日に入院し、翌日に手術。
87歳での大きな手術だったし、薬に対する耐性が弱い体質だということが過去の手術の経験から分かっていたので「麻酔から戻ってこれるかな」など、とても心配でしたが、その手術は無事に乗り越えることができ、終わった時はひと安心でした。

手術は無事に終わりました


 けれども、手術の後の父は可哀想な様子でした。
やっぱり大きな開腹手術でダメージが大きかったらしくて、、、発熱が続き、認知機能も急激に低下して、食事や会話もうまくできなくなっていました。

食事の際にお膳を前にぼぉ。。。としたり、お箸が解らずメガネで食べようとしたり、、、


» 続きはこちらから