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ぴょんぴょんの「ヴォルィーニの悲劇」 ~第二次大戦中、ウクライナ・ネオナチはポーランドの村で何をしたのか

 ポーランドシリーズ、今回が一番ヤバイかもしれません。
 「呪われた兵士」が戦った相手は、ナチス・ドイツやソ連だけじゃなかった。3つ目の凶悪な敵がいた。それが、ナチスと組んだ、ステバン・バンデラ率いるウクライナ民族主義組織(OUN−B)、現在、ロシアが相手にしているウクライナ・ナチスだったのです。
 今回は、閲覧注意のオンパレードです。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「ヴォルィーニの悲劇」 ~第二次大戦中、ウクライナ・ネオナチはポーランドの村で何をしたのか

ウクライナを支援するポーランド


また、ポーランド? なんで、ポーランド?

ポーランドにはかわいい女子が多くてな・・じゃなくて、今も続くロシアのウクライナ侵攻と関係あってな。

へえ、ポーランド、かわいい女の子が多いんだ。

そっちしか、耳に入らねえようだな。じゃ、クイズだ。ロシアのウクライナ侵攻が始まった時、EUの中で唯一逃げ出さなかった大使は、どこの大使だ?

さあ?

ポーランド大使だ。もいっちょ、ウクライナ難民をもっともウェルカムで迎えた国はどこか?

ポーランド

そうだ。

お隣りだもんね。

Wikimedia_Commons[Public Domain]

ポーランドは、ロシアの侵攻開始直後、2022年3月12日にウクライナ人救済に関する法律を制定して、国を挙げて避難者をサポートした。この法律で、ウクライナ人にポーランドのマイナンバー(PESEL)を与えた。そのおかげでウクライナ人は、公的医療を無料で利用でき、教育も受けられ、労働もでき、給付金も受給できるようになった。東洋経済オンライン

なんという、好待遇!

それだけじゃない。NATOがウクライナに供給する、軍事装備と弾薬の80~90%の物流拠点も、ポーランドが提供している。

へえ〜。なんでこんなにポーランドは、ウクライナに親切なの?

ポーランドとウクライナは言語、食事、文化がよく似ている。ロシア侵攻前から、ポーランドには100万人のウクライナ人が住んでいた。過去には、ソ連に侵略された歴史も共有しているし、ポーランドがナチスとソ連に分断された時も、戦後にソ連共産党の支配になった時も、ウクライナはポーランドと苦しみを分かち合った仲だ。(東洋経済オンライン

ナチスやソ連にいじめられた者同士だからね。

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ぴょんぴょんの「昭恵の涙」 ~誰が、何のために、安倍昭恵を動かしているのか?

 モディと会う。トランプと会う。プーチンにも会った。そして頼清徳にも。
 最近の安倍昭恵さんは、立て続けに世界の要人と会っています。
 特に2025年5月29日、プーチンから大きな花束を受け取って涙ぐむ昭恵さんには、賛否両論の嵐が吹き荒れました。
 森友問題以来、「私人」と閣議決定された昭恵さんを動かしているのは誰なのか?
 はたまた、要人と会うための旅費や経費はどこから出ているのか?
 実は、あべぴょんが残した政治資金、パーティー券収入など約3億4000万円は、あべぴょんの死後、「寄付金」という名目で、資金管理団体「晋和会」に集められ、そのまま昭恵さんが非課税で引き継いだそうです。「私人であり、国会議員に立候補する意思もない人間が、政治資金をそっくり相続して、しかも、税金が原資となっている政党交付金を勝手に使いまわしていたわけだ。さすが、昭恵夫人ですね!という皮肉しか出てこない(MAG2NEWS)。」
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「昭恵の涙」 ~誰が、何のために、安倍昭恵を動かしているのか?

まるで国賓待遇だったプーチン大統領との面会


安倍昭恵さんプーチン大統領と面会

安倍昭恵さんがプーチンと会った。あれ、驚かなかった?

驚いたさ。日露のために尽力しているムネオならまだしも、なんで昭恵なんだ?

そうそう、鈴木宗男氏と言えば、6月20日、昭恵さんがプーチンに会って3週間後に、晴れて自民党復帰したね。YAHOO!ニュース)もしかして、つながってる?自民党も、昭恵さんに先を越されて、プーチンにアピールしたのかな?

鈴木宗男氏
Author:連邦院[CC BY]

いや、今度の参院選で自民党の負けが見えてるから、一人でも増やしたいだけだろ。

それにしても、どうやったら、プーチンと1対1で会えるの? プーチンと27回も首脳会談をした、あべぴょんの功績? プーチンが「彼は素晴らしい政治家だった」と言った時、昭恵さんも涙ぐんでたよね?

あれは、本物のあべぴょんが亡くなってから、それを隠し続けるつらい日々を思い出して、涙が出たんだよ。

それに、プーチンの待遇もすばらしすぎた。昭恵さんをプーチンの専用車に乗せたりして。まるで、国賓待遇だよね?

よっぽどの権力者が、よっぽどのカネを積んで、土下座でもしたんだろ。

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ぴょんぴょんの「どうした?R・F・K Jr.」 ~4年以内にアメリカ国民にウェアラブルを義務化する?

 時事ブログのおかげで、トランプさんがおかしいことはわかりますが、まさか、ロバート・F・ケネディ・ジュニアまでおかしくなるとは。
 トランプを推したアメリカの皆さんは、どんなにガッカリされたことでしょう。
 政界に入って、要職に着いて、いろいろプレッシャーもあるとは思いますが、「らしくない」と思いました。
 むしろ、「こんな脅しを受けているので、この職には留まれない」と公表して、いさぎよく辞めるのが本筋じゃないでしょうか。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「どうした?R・F・K Jr.」 ~4年以内にアメリカ国民にウェアラブルを義務化する?

予防接種実施諮問委員会(ACIP)の新メンバーを任命


ねえねえ、すごいよ! ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏。トランプ大統領が彼を、アメリカの最高保健機関「保健社会福祉省」の長官に指名したのは知ってるよね。

Wikimedia_Commons[Public Domain]

うん。

彼、着々と改革を始めたよ。6月9日に突然、米国疾病予防管理センター(CDC)の予防接種実施諮問委員会(ACIP)のメンバー17人を全員、解任しちゃって、2日後、8人の新メンバーを任命したそうだよ。ars TECHNICA

スゲえな! 全とっかえかよ!

たぶん、クビにしたメンバーは、製薬会社からおカネをもらうような人たちだったんじゃない? でもね、新しい8人は、気骨のありそうな人ばかり。

ほお、どんなヤツらか知りたいな。


Author:Thérèse Soukar[CC BY-SA]

スウェーデン人、生物統計学者、感染症疫学者。21年間、ハーバード大学の医学教授をやっていたけど、2024年に解雇された。

解雇された?

そのワケを話すね。そもそも、コロナが流行りだした2020年3月頃、学校は対面授業をやめて、オンラインに切り替えたよね。でも、クルドルフ氏の故郷、スウェーデンは学校閉鎖しなかったんだ。それでも2020年7月時点で、1歳〜15歳のコロナによる死亡者はゼロ。教師の死亡率は、他の職業の平均と同じだったのに。(City Journal

つまり、ロックダウンしなくても、子どもはコロナで死なない。

クルドルフ氏は、スウェーデンを支持する論文を書いて、アメリカでも同じようにすることを提案した。ところが、その論文はアメリカで発表されなかった。

これからロックダウンの実験だ!ってのに、ロックダウンしなくていいのがバレたらマズいわ。

そこでクルドルフ氏は、2人の学者とともにロックダウンや学校閉鎖に反対する、「グレート・バリントン宣言」を発表したんだけど、バッシングがひどかった。/CITY JOURNAL


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ぴょんぴょんの「呪われた兵士」 ~ナチス・共産主義に抵抗するために戦った市民たち

 ポーランドの新大統領、ナヴロツキ氏について調べていた時に、気になったことがあります。
 ナヴロツキ氏は歴史学者で、これまでに「第二次世界大戦博物館」館長、「国家記憶研究所」所長を務めた経歴があります。そんなナヴロツキ氏が、「『呪われた兵士』をポーランドの国民的英雄と称し、彼らを記念する『国家記憶の日』を制定した〈法と正義党〉を称賛した」というのです。(Wikipedia
 「呪われた兵士」って何?
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「呪われた兵士」 ~ナチス・共産主義に抵抗するために戦った市民たち

最後の「呪われた兵士」と呼ばれるジョゼフ・フランチャク


むか〜し、むかし、「呪われた兵士」という一団がおったそうじゃ。

へえ? 今日は暑いから怪談かな?

いや、これは、「呪われた」と言っても怪談じゃない。実際に起きた話じゃ。

なあんだ、で、どんな話?

1963年、共産党支配下のポーランドの話だ。ある農家の納屋を、軍事警察が取り囲んでいた。中にいるヤツに、投降するよう呼びかけている。だが、中のヤツは「地元の農民だ」と言って出てこない。身分証明書の提示を求めると、そいつが発砲したので、銃撃戦が始まった。そして、そいつは死んだ。彼は、最後の「呪われた兵士」と呼ばれる、ジョゼフ・フランチャク(1918年 – 1963年)だった。Wikipedia

ジョゼフ・フランチャク
Wikimedia_Commons[Public Domain]

カッコいいなあ。ポーランド版ラスト・サムライだね。

そう、45年の生涯のうち、24年間を抵抗運動の戦士として生きたフランチャクの人生は、まるで映画を見るようだ。

どんな一生だったの?

フランチャクは憲兵学校を卒業して、ポーランド軍に入隊した。その後、ナチスの捕虜になったが、脱走してAKに入隊した。

AKって何?

ポーランド語で「アーミア・クロヨーヴァ(Armia Krajowa)」、略してAK。日本語では「国内軍」「地下軍」、英語では「Home Army(ホーム・アーミー)」とも呼ばれる。

Author:Topory[CC BY-SA]

ポーランド軍に戻ったんじゃないの?

ポーランド軍はとっくに国外に出て、連合国側について戦ってたの。

ええ?! 国を見捨てたってこと?

う〜ん、しかたない、最初っから話してやるか。

お願いします。

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ままぴよ日記 132 「母を思う」

 今回は母の事を書きます。
 どんな母だったかは子どもが主観的に感じるもの。
 娘として、結婚して子どもを育てた母として、そしておばあちゃんとして、年を重ねるごとに母に対する思いが変わっていきました。
 晩年は老後の生き方を教えてくれる存在となり、今は寝たきりで何もできない102歳の母が赤ちゃんのように愛おしく思えてくるから不思議です。

 私の中の母は大いに美化されていると思います(笑)
(かんなまま)
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看取りの病院に転院


土砂降りの雨です。今日も高速道路を飛ばします。もう命の炎が消えようとしている母に会いに行くのが日課になりました。

2ヵ月前、102歳の母は肺炎や尿路感染症を併発して施設から救急車で病院に運ばれましたが奇跡的に一命を取り留めました。

もう治療法がないので看取りの病院に転院しました。私の家からは遠くなりましたが受けいれてくれるところがないので仕方ありません。

もう何も口から入らず、点滴だけで生きながらえています。点滴も含め延命はしないという約束でしたが一旦病院に入院した以上、叶いませんでした。


ただ、母に会いに行く道のりは楽しく、母の人生を思う時間になっています。


たくさんの人が暮らす家の中心的存在だった


思えば母は、一生を家の中だけで過ごした人でした。お母さんを早く亡くし、寂しい思いをしたけれど母の祖父が手遊びやわらべ歌を教えてくれたそうです。そのわらべ歌はずっと母の中にあり、晩年、1人暮らしになった時に母を支えてくれました。

やがて新しいお母さんが来て次々に姉妹が生まれました。そのお母さんも優しかったのでしょう、一度もお母さんの悪口を聞いたことがありません。むしろ姉妹ができて賑やかになったのが嬉しかったそうです。やがて町医者だったお父さんは軍医として南方の激戦地に行き、爆撃を受けた時のケガで亡くなりました。

戦後、当時は当たり前だったそうですが、会ったことも無い人のもとに嫁いだ母。そこには2人の幼子がいて、厳しいお姑さんが君臨していました。家は入院施設もある開業医。その結婚は夫婦水入らずどころか姑、2人の子ども、入院患者さんと住み込みの看護師さん、父の弟のお世話をする事を意味していました。

幸いなことに父が優しかったので母を大事にしたようです。銭湯に歩いていく時だけが2人きりの時間。晩年、南こうせつの神田川の歌が好きだと話してくれました。


朝から寝るまで働いていた母。子どもの世話に専念することはできませんでしたが、子どもを構ってくれる大人がたくさんいましたし、いつも母の姿が近くにあったので寂しいとは思いませんでした。

家長は祖母。厳しい人で、孫の躾もしていました。圧倒的な力の差があり、母が祖母に逆らう姿を見たことがありません。陰口を言うこともなく「厳しかったけど間違ったことは言わない人だった」と偉さを認めていました。

親戚の出入りも多く、母は1人になる場所も時間もありません。我慢することも多かったと思いますが、私が結婚するときに「義母さんとケンカしたり口答えしてはダメよ。攻撃した言葉はずっと残ります」「落ち着いて対処しなさい」と言われたことがあります。きっと、その心構えで生きてきたのでしょう。

やがて祖母が年を重ねて母を頼るようになりました。自宅で死ぬのがあたり前の時代です。母は祖母を看取り、母の腕に抱かれて逝きました。子ども達もそれを身近に見ていました。

子ども達が家を出て父と2人になった時、初めて夫婦水入らずの時間ができて嬉しそうでした。でも、父は家事はもちろん自分の事もできない人でしたので相変わらず父の世話で忙しくしていました。


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