竹下雅敏氏からの情報(記事2点)です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
——————————— 1点目 —————————————
NATOも緊急理事会開催へ!NATO条約4条に基づく要請!国連安保理では非難応酬!米大統領は懸念を表明
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
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ウクライナの南部にあるクリミア半島では、地元政府の要請を受けてロシア軍が入ったという情報が流れている。キエフを中心とする西部地区でファシストがクーデターを始めた段階でウクライナが分裂すると予想した人は多く、今のところ、その通りの展開になっている。
西部と東部/南部の対立が始まったのは第2次世界大戦の前。現在のウクライナ西部にはファシストと結びついた人が多く、そうした状況を懸念して戦後、ソ連はロシア領だったクリミアなどをウクライナ領にしてロシア人の比率を高めようとしたと言われている。
ナチの歴史は1919年に始まるのだが、その前年、ロシア革命の翌年にドイツで貴族が中心になって「トゥーレ協会」という秘密結社が創設されたことも忘れてはならない。
その結社が母体になって1919年に「ドイツ労働者党」が生まれ、その翌年、党名は
「国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」に改称される。
1920年代の後半になるとドイツだけでなく
アメリカの巨大資本から支援を受け、1932年には国会で第1党になった。この年の2月に議会が放火され、それを口実にしてコミュニストは非合法化され、社会民主党も解散させられる。この放火はナチが実行した可能性が高い。
一方、1920年代の半ばからアメリカやイギリスはヨーロッパのナショナリストを組織化、
ウクライナではOUN(ウクライナ民族主義者機構)が作られた。そのOUNをイギリスの情報機関MI6が雇う。
ドイツ軍がウクライナを占領する頃に
バンデラ派はナチと手を組み、ユダヤ人など少数民族90万人を殺したとも言われている。
OUNの中で強硬派の中心になったのがステファン・バンデラ。ウクライナでクーデターの主力になったネオ・ナチはバンデラの流れである。
バンデラ派は1943年に「反ボルシェビキ戦線」を設立、大戦後の46年にABN(反ボルシェビキ国家連合)になり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともに
WACL(世界反共連盟)の母体になった。WACL創設の黒幕はCIAである。
OUNなどファシストのネットワークをアメリカは大戦後も維持、拡大し、ソ連との戦争に使おうとしていた。
このネットワークと結びつくのがイタリアのグラディオをはじめとする
NATOの秘密部隊。これがNATOがバルト3国でウクライナのネオ・ナチを訓練した背景だ。
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第1次、第2次大戦は、背後でハイアラーキーが世界戦争になるように霊導していたのです。彼らは最終的に第3次大戦を霊導していたわけですが、すでに完全にこのような連中は滅ぼされて消滅しており、現在は第3次大戦を絶対に起こさせない方向で霊導されています。2007年の天界の改革以降、完全に流れが逆転しており、表面上似たような出来事でもその流れの方向が逆になっているため、悪人が過去のパターンに従って行動を起こすと、自らを滅ぼす形で作用してしまうわけです。