かんなままさんの執筆記事第2弾です。
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心の清らかさ
神様は、神、人間、妖精、動物といった区別には全然関係がなく、心が清らかかどうかを見ています。
もちろん、学歴や知識を持っているかどうかも関係がありません。
知識とは、それを使って世の中を豊かにするためにあるのです。
それよりもっと大事なのは、心がきれいかどうかです。
姿形は、本質ではないのです。
もちろん、学歴や知識を持っているかどうかも関係がありません。
知識とは、それを使って世の中を豊かにするためにあるのです。
それよりもっと大事なのは、心がきれいかどうかです。
姿形は、本質ではないのです。
出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)
神様が与えてくださった犬
我が家で一番心が清らかなのは愛犬のルナかもしれません。
もともと動物好きの私はペットを飼いたかったのですが、その頃の我が家は夫婦の危機でそれどころではない状態でした。
子ども達はみんな独立して二人だけの生活。見かねた娘が犬でも飼ったら?と提案してくれたのです。でも夫は乗り気ではありません。強行するわけもいかず保留にしていました。
そんなある日、何だか気晴らしに外出したくなり、知り合いのお店に行ってコーヒーを飲んでいました。すると友人がやってきていきなり「ねえ、犬いらない?」というのです。聞くと「まだお腹の中にいるんだけど、初産で1匹しか生まれないらしいの。予定日が○月○日。飼ってくれる人を探してるんだって」という事でした。
私は思わず、「えっ?」と息をのみました。予定日が夫の還暦の誕生日だったのです!ペットショップで買う気が無い私にとって、これこそが神様が与えてくださった犬だと直感しました。帰ってすぐに夫に話しました。「あなたにとって運命の犬が向こうから来てくれたのよ」と。
乗り気でなかった夫も、なぜか「早くしなきゃ!」とOKを出しました。
誰からも期待されていない愛犬ルナとの生活〜その不思議な力
それからが不思議です。何も楽しいことがないと言っていた夫が得意のDIYで犬小屋を作り始め、まだ性別もわからないのに名前を付けたり、やる気が出てきたのです。
お乳が離れるまではママの傍にいた方がいいとのことで、我が家に来たのは3ヶ月ごろでした。真っ白でかわいいトイプードルでした。その日から9年間。我が家でかけがえのない存在になりました。
「おすわり、待て」しかできないけど、いつも穏やかで私達のどちらかの膝に乗ってじっと瞑想にふけっています。吠えることもなく、孫に遊ばれても耐えています。お手伝いもしない。学力も知識もありません。そんなこと誰からも期待されていません。
でもいつも愛くるしくて存在そのものに胸がキュンとなるのです。感情も豊かです。何かが欲しい時、甘えるとき、ごめんなさいの時、体全体と目で表現します。話さなくてもちゃんと伝わります。
ある寒い夜、オシッコをさせるために庭に出したのですが、すっかり忘れてしまい1時間くらい出したままにしたことがありました。気がついたら窓からこちらを見ながらブルブル震えています。しまった!と思い、すぐに開けたのですが・・・その喜びよう!飛び込んできて体中で嬉しさを表現するのです。「ありがとう!」って。何と清らかな子だろうと思いました。私ならドアを開けた途端、怒り心頭で「何で忘れたのよ!ひどい!」と怒鳴ったことでしょう。喜びに満ち溢れて「ありがとう!」なんて気分になれません。
その時の態度を見て、ルナの清らかさは私より格段上だと思いました。この清らかさと愛くるしさで私達の心を癒してくれたのです。その力は絶大でした。
人間の悲しい勘違い〜いったいどこで間違ったのか?
私達人間は悲しいことに、高学歴をめざし、得た知識を使って、人より出世して、いい生活をするのが幸せだと勘違いしています。でも、それを得たら今度は失うのが怖くて執着します。いつまでたっても心の平安は訪れず、満たされず、人を蹴落とし、挙句の果ては正義や研究開発の名のもとに兵器さえ作ろうとしています。何と浅はかな…。
子どもに対しても成功して幸せになってほしいからと叱咤激励ばかり。ペットには無条件で優しくなれるのに…。一体全体どこで間違ったのでしょう。
無条件に受け入れられ優しくされた人は躾けなくてもそんな人になります。無条件に尊重された人は全てのものを尊重できる人になります。あなたのままではいけないのよと叱咤激励したら自分ではない人になります。
一旦立ち止まって仕切り直した方がよさそうです。