画像の出典: Wikimedia [CC BY] エックハルト・トール氏の体験より:多くの人が自己と同一視する虚構ーエゴ(自我)と、それを超えた真我 2017/07/02 9:00 PM *霊的世界, 竹下氏からの情報, 霊的世界 ツイート Facebook 印刷 English コメントのみ転載OK( 条件はこちら ) 竹下雅敏氏からの情報です。 この動画で語られていることは、エゴ(自我)の本質に関する最も重要なものです。動画で指摘されている通り、エゴ(自我)は虚構であり、想念に過ぎません。 では、エゴに気づいている「私は誰か?」。 その「気づいている私」は、想念ではなく、“ただ見ている”存在なのです。この「疑う余地のない存在」を、宗教では真我(プルシャ)と呼びます。多くの人は、私(エゴ)を肉体、感情、思考と同一視します。しかし、真我はこれらを超えたところにある“気づき”です。 動画では、その真我の光がエゴを粉砕する様子が語られています。以前の記事のコメントで、“我々の内なる悪を「気づき」によって解放しない限り、世界に平和をもたらす術がない”としたのは、こういう意味です。 (竹下雅敏) ———————————————————————— 「自殺をする前に~エゴの死がやってきた!」エックハルト・トール 配信元) YouTube 17/6/11 この記事には英語版があります: » English version of this article "エックハルト・トール氏の体験より:多くの人が自己と同一視する虚構ーエゴ(自我)と、それを超えた真我"
では、エゴに気づいている「私は誰か?」。
その「気づいている私」は、想念ではなく、“ただ見ている”存在なのです。この「疑う余地のない存在」を、宗教では真我(プルシャ)と呼びます。多くの人は、私(エゴ)を肉体、感情、思考と同一視します。しかし、真我はこれらを超えたところにある“気づき”です。
動画では、その真我の光がエゴを粉砕する様子が語られています。以前の記事のコメントで、“我々の内なる悪を「気づき」によって解放しない限り、世界に平和をもたらす術がない”としたのは、こういう意味です。