注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
(中略)
なんでここに来たかというと、もともとの思想はどうあれ、人権を侵害されている人たちだと思ったからだ。
(中略)
実際、居候させてもらって感じるのは、驚くほどのイメージのズレだった。
(中略)
めちゃくちゃ、真面目な人だった。遊びのない夫婦だった。古くさい人だった。昭和の人たちだった。全力で教育のことだけ考えて生きてきた人だった。
その純粋さやまっすぐさが、ゆえ、過去の差別発言や右翼思想など、あかんことにもつながったと思うし、全く許せないし、幼児教育に関わってはならんと思うけど、とにかく、すごく正直な人だった。裏表ない人、そこに驚いた。
(中略)
まあ、かつて国粋主義者と結びついていた頃の話を聞くと、きっと増長していたと思う。(中略)…でも今は、社会的に制裁された、お金も、プライバシーも人権もすべて奪われつつある。だから、お母さんなりに反省した姿が、僕の目の前にはあった。
(中略)
今、自分たちをギリギリ守ってくれているのは何か、国体でも教育勅語でもなく、日本国憲法と民主主義なのだ。
それに気づき始めている、変わり始めている。
(中略)
お母さんは口走る。
「今まではずっと、谷口先生(生長の家)の言うことさえ聞いてればよかった、
でももう違うんやな。人間は何歳からでも変われるんやで太郎くん
(中略)
極右思想の持ち主、差別主義者というより、新興宗教の信者なのである。
生長の家の根っからの信者。だからこそ、その生真面目さやまっすぐさが、
差別思想さえも迷いなく受け入れてしまうのだと気づいた。
(中略)
「すべてのことは砥石や、自分を磨いてくれてる砥石やおもてんねん」
それが昨日僕とお母さんが交わした最後の言葉になった。
(以下略)
籠池佳茂さんに、
— 大袈裟太郎 (@oogesatarou) 2017年8月1日
沖縄の高江では、座り込みした住民の小学生の子どもまで国が訴えたということを伝えました。
眼を丸くして驚いてはりました。
やっぱり、まだまだ知らない人がたくさんいますね。
沖縄のこと、高江、辺野古のこと。
籠池夫妻、お父さんもお母さんも拘置所で接見(面会)禁止。手紙も禁止。
— 大袈裟太郎 (@oogesatarou) 2017年8月1日
罪状に対して意味不明な厳しさ。
沖縄と同じ。
不当逮捕だよ。
明日にも接見禁止が予想されるため、籠池氏のご令嬢と大阪拘置所へ面会に行ったが、「検事の指示により不可」と言われる。「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」が認められない籠池夫妻を逮捕するだけでも行き過ぎなのに、肉親のたった一日の面会すら公権力で圧殺する大阪地検特捜部の冷酷無比さに驚愕
— 赤澤 竜也 (@tatsu_a) 2017年8月1日
籠池夫妻は逮捕を予期して法律家のアドバイスも得ているだろうし、今だけでなくメディアに出るようになった頃から法的なアドバイスだけじゃなくメディアの利用についてもプロの助言を活用しているのだろう。そういう情報処理能力のある夫妻がああいう差別と人権蹂躙をやってきたことがいまさら怖い。
— Mami Tanaka (@mami_tanaka) 2017年8月2日
宗教だけやないけどね。むしろ「情報処理能力」より「自己顕示欲」がキーワードでしょうなぁ。
— 菅野完 (@noiehoie) 2017年8月2日
この国で、自己顕示欲を最もコストパフォーマンスよく発露しようとすると、レイシストになるわけです。 https://t.co/lXHfhyq5US
居候の人も言うてはりましたが、基本的にあの人たちは生長の家の信者でその世界観を一歩も踏み出すことのない人たちだったのだと思います。
— ウサギ (@nekotausagi) 2017年8月2日
本当に背筋が寒くなる。磯崎、まずは自分と自分の家族の基本的人権を返上して、手本を示してくれ。人権のない状態を教えてくれ。国民はそれから考える。→「憲法から基本的人権を削除します」自民党礒崎陽輔『国民の権利没収改憲』YouTube - https://t.co/lOHtzXascR
— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2017年7月28日
これを読むと、籠池夫妻の素顔がよくわかります。私がテレビ画面から想像していた2人の姿とぴったり重なるもので、やはり籠池夫妻は、“すごく正直な…表裏ない人”でした。逆に言うと、何も計算できない人なので、籠池氏が国から補助金をだまし取るというようなこともできないはずなのです。もともと、そういう頭がありません。
籠池夫妻が悲願とする小学校建設の話に巧みに取り入って、土地転がしビジネスで儲けようとした人たちに巻き込まれたというのが、真相ではないかと思います。安倍政権の思惑とすれば、籠池氏が目指す愛国教育は、国のために喜んで命を投げ出す子供たちを作る上で、非常に都合が良かったのだと思います。
これは、およそ人権とは無縁のもので、“国家の利益のためには国民は命を投げ出すことが最も尊い”という、権力者に甚だ都合の良い概念で、国民を洗脳することになってしまいます。これに一役も二役も買っているのが、新興宗教ということでしょうか。
私が宗教を嫌うのは、まさにこの点にあります。様々な宗教が植え付けている選民思想は、悪の根源です。多くの人が、自分たちのグループのみが世を受け継ぎ、他の者たちは、皆地獄に落ちると信じきっています。多少意識の開いているチャネリング系の人たちは、自分たちが選ばれた存在であり、いずれ時が来れば、高次元にアセンションすると信じています。自分たち以外の意識水準の低い者は、地球と共に滅ぼされると考えている人たちもいます。要するに、宗教というのは、実に見事に人々の自己顕示欲をくすぐるのです。“自分は選ばれた存在だ”と信じることほど、自己顕示欲を満たすものはないでしょう。組織の中で重要な地位に居れば、なおさらのことです。この馬鹿げたエゴを自ら破壊しない限り、その人は幸福とは一切無縁です。
それだけではなく、こうした自己顕示欲は、菅野完氏が指摘しているように、他者への差別意識を生み出します。その隠れた差別意識が、言葉や態度の暴力となって、世界にネガティブな影響を与えます。ところが、本人はその自覚が全くありません。こうした歪んだ人間関係が、教育や躾(しつけ)の中で表現された時、この世界は混乱したものになります。今我々が取り組まなければならないのは、まさにここの部分です。
“続きはこちらから”以降のツイートをご覧になると、とんでもない連中が支配層として君臨しており、世界の混乱を一層ひどいものにしようとしているのがわかると思います。大袈裟太郎氏の通信を読むと、籠池夫妻も、このような間違った世界観に取り込まれていたことがわかります。夫妻にとっては、まるでこれまでのカルマが一気に返っているような感じではないでしょうか。籠池夫妻が、これまで躾と称して行ってきた幼児教育は、どう見ても幼児の人権を無視した虐待です。それが今、不当逮捕と言う形で夫妻に返ってきているかに見えます。
ですが、籠池夫妻の“純粋さ”と、夫人の“すべてのことは砥石や、自分を磨いてくれてる砥石やおもてんねん”という言葉を見ると、籠池夫妻はこの苦難を見事に乗り越え、真の幸福をつかめる人たちではないかと思います。