かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(21)家庭を平和に保つ

かんなままさんの執筆記事第21弾です。 
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家庭を平和に保つ
 とても夫婦仲が睦まじくて、平和な家庭を築ける人にとって、経営は簡単です。何をどうしたらいいか、自然にわかるからです。
世界中に経営で成功している人はいくらでもいます。大金持ちになっている人も、世界中にいくらでもいます。しかし、そのような人でも家庭が崩壊していることは多々あります。
だから明らかに経営よりも家庭を平和に保つ方が、はるかに知恵がいるのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と 3」竹下雅敏(著)



夫40歳、私32歳で開業した小さな小児科医院


小さな小児科医院を経営しています。開業して30年になりますが、経営者としては全くの素人で、よくここまで来られたなあと思います。

開業した当初、夫は40歳、私は32歳で、小児科医の仕事は子どもの病気を治すのではなく、子ども自身が治すのを助けてあげる事だというポリシーを持っていました。そして、子どもの病気だけではなく、総合的な子育てを応援する小児科医院を作りたいと思っていました。でも田舎は小児科など関係なく、早く熱を下げてください、早く咳を止めてください、注射を打ってくださいという要望が多くて、理解してもらうのに苦労しました。必要に迫られて月に一回母親教室も開いていました。

私も子育て真最中でしたので、公私ともに興味は子どもの健やかな成長でした。だから子育て情報を発信したり、待合室で病気の子どもがママとふれあえるように絵本を置き、貸し出しもしました。

第2のベビーブームの時期で、子どもの数は今の2倍。小児科専門としてという事でだんだん認知されるようになって、待合室は患者さんで溢れていました。最高記録は1日450人!私まで駆り出されて受け付けに立ったり、介助をしたり、駐車場係になったりしました。経営は順調でした。でも、問題が・・・。

pixabay[CC0]




怒涛のように押し寄せてきた問題の数々


外で働いたこともなく、電卓もまともに打てない私が、いきなり労働基準?就労規約?給料計算?税金?銀行の借金?薬の支払い?レセプト?・・・そして従業員や患者さんとの対応応対。すべて私に任され、自分が何をやっているのかわからないまま走り出しました。そして、臨月。出産。産休などあるはずもなく、休んでいる間の仕事は溜まるばかり。

その上、義母からは「従業員の給料はこれくらい」「自分たちの給料はこれくらい」義父からは「製薬会社には10%払えばいい」等、昔のやり方で指示されました。毎月の出納帳をつけて、わからないことを税理士さんに相談していると「私ぬきで話してケシカラン」と、お叱りを受け、第一線を退いた義父が寂しい心境を義母に漏らすと「あんたたちのせいで落ち込んでいる」と怒られ・・・、今思えば、若い世代を育てるよりも自分達の老後が不安で余裕がなかだったんだなあと理解できます。

従業員も内科医だった義父の代からの引継ぎで、新しい従業員へのいじめやトラブルも多く、頭を抱えました。ただ、経営の知識がないので、自分の常識で目の前の問題に一生懸命向き合う事しかできませんでした。いじめられている人の話を聞き、励ましました。患者さんから苦情が来たら、体当たりで訪ねて行って話を聞きました。

やがて合わない従業員は自然に辞めていき、新しく雇い入れる時はスキルや経験よりも人間性など総合的な目で選びました。と同時に働きやすい職場を心がけました。時間外など1分から計上。週休2日や有給は100%確保できるように従業員を増やしました。全員子育て中なので子育て手当を設け、授業参観など行けるように配慮しました。

毎月のミーティングで誰でも対等に発言できるようにして、決めたことはすぐに実行しました。不思議な事に、怒ったことは1度もなく、子育てより冷静になれました(笑)。お蔭で徐々に信頼関係ができて、個人的にピンチの時も相談に来てくれるようになりました。


経営は順調なのにお金が残らない現実、、なぜ?


ただ、借金では苦労しました。経営は順調ですがお金が残らないのです。銀行の仕組みを知って愕然としました。当時はローン金利が8.0の時代。最初の年は利子返済だけの元金据え置きで、翌年からも元金返済は僅かな設定でした。借金も財産のうちなど言い含められて利子ばかり払い続けていたのです。それだけでも相当な額になりましたが、20年近くになっても半分も返していないことに気づかされました。返済予定表を見ると80歳になって完済、総額では3倍ほど返済することになっています。

社会の人口減と共に患者さんの数も減り、夫は走り続けた仕事に疲れ、大病を患い、子どもの学資は増えるのに、いつまでたっても完済にならない借金が重くのしかかってきました。

いい方法はないものかと知恵を絞りました。不思議な事に、フッと閃いたのです!
銀行ではなくて優良企業である小児科に借金したら?と。
きちんと契約書を交わして、返済するのですが、もし返済できないことがあっても誰にも迷惑はかけません。もちろん全額は無理ですので、返済の保障のために加入していた高額の夫の生命保険、退職金積み立てなども見直しました。

早速税理士さんに相談しました。可能という事で即実行!銀行に完済しますと言いに行ったときは気持ちよかったあ!夫と2人で乾杯しました。

pixabay[CC0]



借金解消だけでは手に入れることができなかった、今


今では、小児科への返済も終わり、子ども達もほぼ独立し、母も7月からグループホームに入所でき、少しずつ安心が増えていきました。まさに子育てと同じで、何をどうしていいのかわからない状態から、無我夢中で切り抜けてきた感じです。

でも、竹下先生の講座で生き方や銀行の仕組みを教えていただいていなかったら、今の私はいません。特に、経営者としての「正直」や「不貪」は脳天を叩かれたような衝撃を受けました。初め、節税は経営者の仕事と教えられ、家計の雑貨まで努力して経費にあげていた時期がありました。支払いは渋れと教えられていました。生き方の話を聞いているうちに、これではいけない、すべてに徳を積んで正直に生きていきたいと思うようになりました。1つ1つ洗い出しました。経費は減り、支払いは増えましたが、その何倍も気持ち良さが残りました。

今では従業員も家族のような気持ちです。悩みを抱えていないか?明るい顔で仕事しているか?が一番気になります。未だに経営のノウハウなど知らないし、経理も、ああ・・超苦手だけど、家庭を築く事と同じで、生き方の王道を目指してやってきたから、この私でもやれたんだと思います。

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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