ニューヨークのカトリック司教が聖職者によるレイプを擁護「子供たちが求めている」「男の子に責任がある」

竹下雅敏氏からの情報です。
 2つの記事は、ニューヨークのカトリック司教ロバート・カニンガムが、レイプされた子供も共犯者であり、“罪を犯した”のだと主張したとのこと。7歳の男児について話しながら、 「この男の子に責任があるのです。」という、気が狂いそうなレイプ魔擁護の詭弁です。
 何とかこの司教の言い分を理解しようとすれば、次の例えがわかりやすいかも知れません。女性にレイプ被害を訴えられた男性が、“合意の上での性交渉だった”と釈明している状況です。合意の上でホテルに入りそこで関係を持って、何年も経ってから、あれはレイプだったと女性から告訴されたというわけです。要するに、男性の言い分は、自分が被害者であるというものです。
 この司教が言っているのはそれに近いことで、7歳の男児と性交渉を持った司教は、合意の上での性交渉であり、このような罪を犯したとすれば、それはすでに分別のある7歳の男児もまた共犯である、というものでしょう。要は、合意のもとでの行為であり、レイプではないと言いたいわけです。 
 ただ、この司教は犠牲者となった男児達たちを「共犯者」と呼んでいることから、ペドファイル聖職者側にも罪がある事は、認めているように思えます。
 インドでは、今でも時々、幼児婚のニュースが出て来ます。悪魔崇拝者の最終目標は、小児性愛を合法化することだと思いますが、将来、どこかの国の大統領が自分は小児性愛者であることを告白し、民衆は勇気ある告白としてそれを讃えるというような、胸が悪くなるような未来を予感させます。このような暴挙に敢然と立ち向かっているのが、プーチン大統領だということは、理解しておいてください。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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カトリック司祭:“子供たちはレイプを求めている”!
ペド僧侶の犠牲者は、性的虐待を受けた罪があると主張
転載元)
(前略)
  
Jay Greenberg, www.neonnettle.com
September 17, 2017  
 
    
ニューヨークのあるカトリック司教は、ペドファイル聖職者の犠牲者たちは、「子供たちがレイプを求めている」のだから、自分自身を責めるよりほかないと主張したことで、ごうごうたる怒りを買っている。
http://www.neonnettles.com/tags/pedophile

Robert Cunningham 司教は、ある子供が、シラキュース教区の何人かの聖職者たちによって、性的に襲われたと主張した訴訟における証言で、ショッキングなコメントをした。
 
カニンガムは、この非難を犠牲者に押し返そうとし、教会の会衆を前にして、聖職者によってレイプされたその子供は“罪を犯した”のだと主張した。
 
問題の 7 歳の男児について話しながら、彼は言った——

この男の子に責任があるのです。
 
この証言の中で、カニンガムは「この男の子に責任がある」と言っただけでなく、犠牲者たちを「共犯者」だと呼び、「 それは彼らが望んでいること」で、彼らが「それを求めたのだ」と言った。
 
Patheos によれば、カニンガム司教は、シラキュース教区の聖職者たちに、子供のとき性的に虐待されたというある男性の起こした、連邦訴訟に対する 2011 年の証言でも、この嫌悪すべき主張を行った。 http://www.patheos.com/

しかしこの見下げ果てた発言が公表されたのは、今月初めになってからだった。
(中略)
“聖職者による虐待経験者ネットワーク”の会長 David Clohessy はこう言った——
「子供時代の性的暴行の犠牲者に対して、彼または彼女がトラウマをもっているのは自分のせいだと主張することは、私が一人の人間から想像しうる、最も非人間的なことだ。 殊にそれが司教のような、十分に教育を受けた者であればなおさらだ。」
Cohessy は付け加えた——
法廷の証言というものは、とっさにする発言とは正反対のものであることを、覚えておくことが重要だ。
(中略)
事ここに至れば、カトリック聖職者のメンバーが言ったりしたりする、どんなことにも、驚くべきではなくなる。

関連資料:「 30 人の子供をレイプした HIV 感染のペドファイル聖職者が、教会によって赦免される」
http://www.neonnettles.com/features/891-pedophile-priest-with-hiv-whoraped-30-children-forgiven-by-church

戦慄すべき犯罪が、弁護され、教会僧職者メンバーによって罪を問われなかった事例は、数えきれないほど存在する。
 
そして、いつものように被害者は子供である
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ペドゲイト:司教が合意年齢を 7 歳にすべきだと主張
——子供たちはペドファイル聖職者と責任を共有すべきだ  
転載元)
(前略)
Jay Greenberg
May 2, 2017, www.neonnettle.org
 
   
ニューヨークのカトリック司教が、ペドファイル聖職者は、7歳以上の子供をレイプしても、責任を問われるべきではない——なぜなら、幼い少年たちは自分自身の行為に対して“責任がある”(culpable)と考えるからだ、と主張した。
 
ニューヨーク、シラキュース教区の Robert Cunningham 司教は、聖職者たちが何世紀も昔から、少年に対する性的虐待を非難されてきたのは間違いだと言明し、「7歳になれば、子供たちは自分が何をしているかわかっている、だからそれはレイプではない」と言った。
http://www.syracusediocese.org/about-us/bishop-robert-j-cunningham/

カニンガム司教がこのショッキングな言明をしたのは、最近、公表された彼の証言においてであり、ペドファイル聖職者たちによる集団子供虐待に対する、連邦訴訟における証言の中での発言だった。 http://www.thenewcivilrightsmovement.com/uncucumbered/new_york_bishop_says_victims_of_predatory_priests_also_committed_a_sin

http://www.neonnettle.com/tags/pedogate
(中略)
教会の方針によれば、7歳という年齢は、子供が、正しいか間違っているかの違いを理解すべき年齢である。それはまた、子供の“聖体拝領”が有効とされる年齢でもある。
(中略)
「私の言うのはですね、その時の状況は全く分からないわけだから、少年にその気があったのか、何らかの調子を合わせたのかどうか、ということですよ」と、カニンガムは言った。
弁護士は、カニンガムにこう訊ねた——いったいある聖職者が、14 から 15 歳の少年をセックスに引き込もうとするとき、教会の目から見て、その子に責任が生ずるような状況が、想像できますか?
 
「明らかに、その聖職者のやったことは悪いことでした」と、カニンガムは言った。「あなたは私に、少年に責任が少しでもあったかと訊ねておられる。そしてそれは、私には判断できないのです。」
 
実は、それは判断できる。誰でもそれは判断できる。
 
起こったことは、聖職者たちが、“神のみ使い”という彼らの立場と権力を利用して、子供たちを彼らの歪んだ性の欲望に応じさせた、ということである。最も控えめに言っても、子供たちは、自分にそんな能力の全くない、大人の決断をするように強制された、ということだ。
 
この司教と、彼が馬鹿げた理屈を用いて弁護したすべての聖職者たちは、教区民の信頼、特にシラキュース教区の子供たちの信頼を裏切ったのである。
(以下略)

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