白姫龍王神大神様を祀っている、とても重要な龍神総宮社 / 高野山の「奥の院」にして、”裏高野の中核”である根来寺

竹下雅敏氏からの情報です。
 これまでずっと秘密にしていたのですが、この龍神総宮社は、とても重要な神社なのです。貴乃花部屋の大阪場所宿舎としても有名なところです。この神社の御祭神である白姫龍王神大神様は、2007年以降に始まった天界の改革の初期の頃から、絶大なご尽力をいただいている女神様なのです。龍神総宮社の説明に「天上王神様」という言葉が出てきます。これはフトマニ図で示される五十一神のことです。
 龍神総宮社は当初、シリウスシステム天津神第五レベル三十二(ミソフ)神を祀っていたようです。しかし、白姫龍王神大神様は現在は、シリウスシステム天津神第五レベルのアウワ三神の「ウ」の神で、最高神の一柱でいらっしゃいます。
 かつて300人委員会といえば、イルミナティの中核組織でした。しかし、300人委員会は分裂し、今は世界平和を目指すゴールドマン・ファミリーズ・グループ(200人委員会)に変わっています。このような大きな変化は、姫様のご尽力の一部です。こうした経緯もあって、龍神総宮社はゴールドマン・ファミリーズ・グループにとって重要な神社になっているのです。
 “続きはこちらから”以降は、高野山の「奥の院」である根来寺(ねごろじ)に関する記述です。密教の僧侶が「遠隔透視」の能力を持っているのは十分に頷けます。そして、そうした能力の故に権力と結びついているということも。
 根来寺が裏高野の中核の寺であることを、私はずいぶん前に突き止めていましたが、この記事でその裏が取れた形になりました。Wikipediaの記述を見ると、寺の由来からもそのことがわかると思います。
 裏高野はこれまで天皇を守護してきたと思っているのですが、最近ではゴールドマン・ファミリーズ・グループに従っているように見えます。
 ネット上では、統一教会を支配しているのはCIAということになっているのですが、トランプ政権によってCIAは解体されてきており、現在、統一教会を支配しているのは裏高野だと思います。最近、統一教会と統一教会が支配している日本会議が寝返ったという噂があるのは、裏高野の影響だと考えています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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龍神総宮社

龍神総宮社
設立年  1963年
設立者  辻本源冶郎
本部  京都府宇治市五ケ庄字広岡谷2-332 
代表者  辻本公俊

龍神総宮社(りゅうじんそうぐうしゃ)は、京都府宇治市に総本部を置く宗教団体である。1963年(昭和38年)、辻本源冶郎により結成された。1974年(昭和49年)宗教法人認可。
正式名称は宗教法人庚申会龍神総宮社
(中略)
本部は京都府宇治市で、他に東京/千葉/新潟にも支部が存在する。 会の目標は、自然の調和をはかり、豊かな人間性を養うこと。
(以下略)
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龍神総宮社について
引用元)
(前略)
それぞれの御神族の中から、主だった神々様が御参集され、神界の運営、仏界・菩薩界の擁護、人間界の御守護を行っておられます。そこにお集まりになられた神々様のことを、特に「天上王神様」とお呼び致します。その天上王神様の頂点に立っていらっしゃるのが天主天帝様であらせられます。
(中略)
■御祭神■ 
白姫龍王神大神様 
(しらひめりゅうおうじんおおがみさま) 
天上王神様であられ、天主天帝様の御長女であらせられます。
 
■御神徳■ 
海国安泰・航海安全・家運隆盛・家内安全・病魔平癒、特に婦人病に関する御神徳は絶大なものがあり、安産の神様とも呼ばれていらっしゃいます。また知恵の神様でもあらせられ、学問の向上に御神徳を発揮されます。


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原田武夫氏が主張する、そろそろ私達が知るべき「本当の日本」とは何か?
引用元)
(前略)
高野山は真言宗の開祖である空海が設立した寺院である。原田武夫氏の英文ブログ記事によると高野山と和歌山市の間の岩出市にある真言宗の根来寺(根來寺)が高野山の「真の奥の院」に相当しており、天台宗などの他の宗派を含めた日本の高位の僧侶達が根来寺に多数集まって討議を行っているという。そして何と、真言宗では僧侶が宗教的な修行によって「遠隔透視(remote viewing)」の能力を持ち、遠隔地にいる人々の身に起きた出来事やその未来まで予知可能なのだという。それこそが、真言宗が日本のあらゆる国家指導者と密接な関係を維持し続けてきた理由なのだという。そして、関西新空港は根来寺に東京など日本全国から僧侶が集まるのに便利なように根来寺の近くに作られ、その結果大阪市からのアクセスが不良となっているのだという。根来寺座主の関根眞教大僧正も和歌山県ではなく実は東京に住んでいるという。
(以下略)
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根来寺

根来寺(根來寺)(ねごろじ)は、和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院。山号を一乗山と称し、詳しくは乗山大伝法院根来寺と号する。本尊は大日如来、開山は覚鑁(興教大師)である。

歴史
平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁が大治5年(1130年)に高野山内に一堂を建て、伝法院と称したことに始まる。鳥羽上皇は覚鑁に帰依し、荘園を寄進するなど手厚く保護した。2年後の長承元年(1132年)、覚鑁は鳥羽上皇の院宣を得て、高野山に大伝法院と密厳院(みつごんいん)を建立した。さらに2年後の長承3年(1134年)、覚鑁は金剛峯寺座主に就任し、高野山全体を統轄する強大な勢力をもつに至る。覚鑁は当時堕落していた高野山の信仰を建て直し、宗祖・空海の教義を復興しようと努めたが、高野山内の衆徒はこれに反発し、覚鑁一門と反対派は対立しあうようになった。保延6年(1140年)には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件が発生。覚鑁一門は高野山を下りて、大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移した。さらに新たに円明寺を建て伝法会道場とする。豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成される。覚鑁は3年後の康治2年(1143年)、円明寺で没する。それから1世紀以上後の正応元年(1288年)、大伝法院の学頭であった頼瑜は大伝法院の寺籍を根来に移し、この頃から大伝法院の本拠地は高野山から根来(現在地)に移った。

室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した。また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られた。
(以下略)

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