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出発前のあわただしかったこと!
留守中の家業や子育て支援のスケジュールを調整し、認知症の義母の介護を施設にお願いして、銀行にも行ったことのない夫に経理の仕方や愛犬の世話、料理の段取りを伝授して、夫の自立と協力に声援と感謝を送りながら・・・ドタバタと出発の日を迎えました。
1人で搭乗手続きを済ませて、パスポートとチケットを持って成田空港の国際線ターミナルに立った時、今まで味わったことのない不思議な解放感に包まれました。
えっ!?私って1人?自分の事だけすればいいの?
今まで夢にも思っていなかった日常からの解放!
その上、会えないとあきらめていた娘(次女)の傍にいて、まだ見ぬ孫の誕生に立ち会い、娘の幸せな瞬間を肌で味わえる!赤ちゃんと暮らせる!と思うだけで無上の喜びが湧いてきました。まさに神様からのプレゼント!それは私にとって、どんな豪華な旅行より幸せな時間です。期限付きですが、そのことだけに専念できる時間も久しぶりです。
11時間、順調にフライトしてオーストラリアにつきました。一番に出国ゲートをくぐり抜け、大きなおなかを抱えて待っている娘たちを探しました。
・・・いません。
空港のWi-Fiを繋いで連絡しようとしたのですがうまくいきません。もしかしたら陣痛が始まった?私の予感で、今日生まれるという気がしていたのです。
私は孫が6人いますが、今までは何となく孫が生まれる日を検知して心の準備をしていました。家族には冗談のように生まれる日を宣告して泊まり込み、夜中に陣痛が始まって病院に行くのを想定して上の子ども達には洋服を着たまま眠らせ、お産バックを枕元に置いてスタンバイしていました。もちろん生まれる日は赤ちゃんに任せるのですが、いつも予想した日に生まれてきてくれました。
でも今回は娘がフライトのチケットを取ってくれたので、流れに任せました。でも私の予感は今日。オーストラリアに着いて、やはりそうだったか!と思ったものの、さて、私はどうしたらいいのでしょう?
その時、娘から電話がかかってきて、タクシーで病院に来てとのこと。のっけからスリリングです。タクシーの中でオーストラリアの眩しい朝日を浴びながらお産の無事を祈りました。
赤ちゃんを抱いた、満面の笑みの娘
病院に着いたら、赤ちゃんを抱いた娘が満面の笑みで迎えてくれました。初産なのに、なんと4150グラム、53センチの大きな男の赤ちゃんでした。生まれ出るエネルギーがすごくて、死ぬほど痛かったそうです。赤ちゃんも自然に頭が変形していました。二人ともお疲れ様!そして、ようこそ、赤ちゃん!!
部屋は広い静かな個室で、ブラインドで薄暗くしてありました。テレビはありません。赤ちゃんは最初から同室なのでパパがかいがいしく赤ちゃんや娘のお世話をしてくれていました。まずは安心しました。
まだ母乳は出ませんが、助産師さんが何度も来て母乳の指導をしてくれます。赤ちゃんは授乳の時は裸にされてママの胸に抱かれます。肌と肌を触れ合った方が安心するし、いろいろな常在菌が自然についていいとのこと。
日本のように乳首の消毒やママの手洗いなど言われません。もちろん母乳をあげる前後で体重を計って何グラム飲んだなどのチェックもありません。まずは安心して母乳が出るようにするのが大切なことで、飲んだ量に執着するのはナンセンスです。
とにかく何度も飲ませたほうが母体の回復にもいいということで、泣いたらおむつをチェックしておっぱいです。産直後でママが疲れているから添い乳の仕方も教えてくれました。そのたびに「ゴージャス!」「エクセレント!」「ビューティフル!」の褒め言葉のシャワーです。
娘を見ていて、お産を成し遂げた安堵感と同時に、赤ちゃんと対面して子育てを体ごと受け入れ始めた臨場感と高揚したエネルギーを感じました。この湧き上がるエネルギーに便乗して我が身に起こる子育てドラマが始まるのです。パパもお産に立ち会い、我が子を抱きながら娘と同じエネルギーに包まれていました。このすべてが愛おしいと同時に、それに向き合おうとしている親子3人を誇らしく思いました。
残念なことに、日本ではこの湧き上がってくる親としてのエネルギーを無視して、母親の安静と、赤ちゃんの健康管理のために別室にしてしまうところがほとんどです。
さて、その日は、娘がベッドから起き上がらなくていいように私が病室に泊まり込むことにしました。リクライニングシートを用意してもらい、2日間続けてフライトしている状態でしたが気持ちはホッとして幸せでした。
これから始まる記事は、そんな「ままぴよ」で感じたことを日記のように綴りたいと思います。
まずは、オーストラリアで感じた「心のお土産話」から書き始めます。どうぞよろしくお願いいたします。