"福島第一原発から200キロ離れた"千葉県柏市から避難してきたYさん
あの原発事故から、来年の春で、かれこれ8年かあ〜。

8年も経ったのに、
状況はいまだに深刻なまんまだね。

そして、
まるで何事もなかったかのように、平気でオリンピックに浮かれてる人たちは、放射能で頭がおかしくなったのかな。
原発は全然、収束なんかしてないし、今だに元の生活に戻れない人たちも大勢いる。
ついこないだ、関東から子ども連れで、避難してきたお母さん(Yさん)に会ったよ。

Yさん 、どっから来たの?
福島第一原発から、約200キロ離れた千葉県柏市。
福島じゃないのに、なんで逃げなきゃならなかったのかな?

いわゆる、
「ホットスポット」だよ。
柏市の線量は、毎時0.3〜0.4マイクロシーベルトで、福島県いわき市(毎時0.2マイクロ)を上回っていたんだよ。
(
柏市地域の放射能汚染の深刻さの露呈)

そりゃ大変だったな!

「3.11まで原発の恐ろしさを知らなかった」、Yさんはポツリと言った。
原発事故以前は、家は新築したばかりで、主人と子ども2人の平和な暮らし。
ところが
事故以来、自分も家族も、大きな変化に飲みこまれることになった。

千葉なら、福島からは離れてるし、それほど深刻には考えないよなあ。
事故から4日め、3月15日、その日はもっとも高い濃度の放射能が降った日だったけど、
下の子を小児科に連れて行き、2種類のワクチンを同時接種させたって。

おいおい、いいんか? 2種類・同時接種って??

しようがないよ、
その頃のYさんは、まだワクチンの怖さも知らなかったからね。
その晩、その子は高熱とけいれん、意識消失で救急入院。
実は
その3月15日、静岡で震度6強の地震があったんだよ。
「日本、終わっちゃうんじゃないか?」って、思ったそうだ。

原発事故、子どもの入院、そしてまた大きな地震かあ。
病院で子どもの付き添いをしながら、Yさんは原発事故について調べ始めた。
そしたら、
テレビの情報とツイッターの情報が、全然違うことに唖然としたと言う。
調べれば
調べるほどに、「子供と家族は大丈夫か?」と不安になったそうだよ。
「半径200km圏内は、みんな死ぬ」という文句に、「え?!」って感じ。
柏市ってのは、福島原発から200km圏内だったのか?
197.4km、ギリギリ入ってる。
子どもが無事に
退院して家に帰ると、今度は主人が腹痛で入院。
同じころ、
体調を崩した友人もけっこういたし、肌が痛いという人も。
Yさんも、のどがヒリヒリしたと言う。

やっぱ何らかの、
体の異常を感じるもんなんだな。

Yさん、
原発事故について主人に話したけど、とり合ってもらえなかった。

ああ、
やっぱ男はダメだわあ〜、女性の英知をジャマするわ。

そして
4月、上の子が幼稚園に入園。
Yさんは、そこの園長に、園内の放射線量を測ってほしいと頼んだ。
親として、当然の義務だな。
そしたら、怒られたって。
「それは、行政がやること。」と言われたそうだよ。

なんだと?!
「測ってなくてすみません」ってのがスジじゃねえのか?
そんなヤツに、
子どもを預かる資格はねえな。

Yさん、「 わかりました、けっこうです。」と答えたのはいいけど、
今度は話を聞いてくれる市議さんがいない。
結局、共産党の人しかいなかった。
Yさん「べつに私は、共産党じゃないんですが。」

他の議員たちは、何のためにいるんだ?
YさんはSNSで知り合った、もう1人のお母さんと一緒に、署名を集めたんだが、
それが
2週間で、1万筆以上も集まったんだよ。

すんげえな!!
やるじゃねえかよ!!

やっぱ、何か
重要なことを始めるのは女性だな。

「
首都圏のホットスポットになってしまった柏市・・・すでに、
2011年5月頃までに柏市などの汚染状況については認識され、市民の声につきあげられながら、・・・
独自の放射線量測定や、除染作業を行うようになっていた。」(
柏市地域の放射能汚染の深刻さの露呈)

この
「市民の声」は、Yさんたちが奔走して集めた署名のことだな。
そんなに深刻な状況だったのか。
3万7千ベクレル/㎡以上は、放射線・管理区域に当たるはずだ。

そう。必要のない人の
立ち入りは許されず、飲食も許されない区域だよ。
柏市内の農産物、ブルーベリーからも高濃度のセシウムが検知されて、
牛肉からも、1kgあたり500ベクレルとかで、あわてて学校給食も検査することになったんだ。
(
柏市における放射性物質対策と柏市民の自発性)
相当降ったんだな、
セシウム。

覚えてない?
「柏の空き地、57.5マイクロシーベルト」ってニュース。(朝日新聞2011年10月22日)
これは市民が測定した数値なんだよ。
柏市が見つけたんじゃない。
だって、ニュースが出た
当初、柏市は、原発のせいじゃないって言ったんだから。
「この、
高濃度地点の発見は、行政サイドではなく、市民側の自主的な測定による通報の結果であった。私たちは、
行政に依拠せず、自らを守らなくてはならないのである。
・・・行政に対して、
自己主張しなければ、行政自体は動かない。」
(
柏市地域の放射能汚染の深刻さの露呈)

はあ??
行政ってのは、市民から給料もらって雇われてる召使いだろ?
ご主人さまである市民に働かして、召使いが結果を否定するってどうなんだ?

尻たたかないと働かない行政や政府、
それを先頭に立ってお尻たたいたYさん。
線量計を買って周りを測った結果、「ここにいてはいけない!」と判断した。
そっからのストーリーは、朝ドラをはるかに凌ぐ、スリリングなものだった。

苦労したんだな。
知り合いを頼って、一家そろって静岡、北海道、岡山に移住先を探した。

主人も、理解してくれたんだ。

その時までは、ね。
子どもは幼稚園を休ませていたが、ある日先生が家に来て、
遠回しに辞めてくれと言われ、幼稚園を辞めた。
Yさんの存在が邪魔だったんだろう。

そうなの。
Yさん、けっこう有名人になってたから。
署名を市長に提出する映像が、全国ネットで流れたり、取材がいっぱい来たり、目ざわりな存在に見られてたみたい。
不動産屋の同級生からも、Yさんたちが騒いだせいで、売上が落ちたと文句言われたそうだよ。
正しいことをしてるのに、その温度差はキツかっただろうな。

ホットスポットに住んでる、
自分たちにも関わることなのにね。
とにかく
脱出を急ぐYさんは、子どもたちを避難させるべく、九州に移住を試みる。
幸い、
K市が手厚く受け入れてくれた。

九州に、知り合いでもいたんかな?

いいや
Yさん、九州に、来たこともなかったそうだ。

しかし
子供二人を連れて、まったく知らない土地で生活するって、大変だぞ。
その通り、2〜3ヶ月で自律神経が壊れて、実家にもどることになった。

だよな。
小さな子ども2人抱えて、すべてが彼女の肩に掛かってくるわけだ。

こういう所を見ても、
男が仕切る社会って冷たいね。
受け入れ先も、移住者の心のケアまでは手が回らないしね。
竹下先生がよく、政治に半数は女性が参加するべき、とおっしゃる意味がわかるよ。

そういう繊細な配慮は、おっちゃん連中じゃ、まず無理だ。

しかし、
羽田空港に降り立ったとき、空気が重く、「ちがうんじゃない?」と感じたそうだ。

放射能のせいか? 九州の空気がきれいだったからか?
帰宅後、Yさんは体調を崩してしまった。
マメにできてた
家事もろくにできず、ヒマがあれば横になるような状態が2〜3ヶ月続いて、とうとう「だめだ、帰ろう」と思った。

女性1人でフル回転してきたんだ、
よほど疲れてたんだろう。
多くの女性はここであきらめるか、突っ走ってぶっ倒れるかという岐路に立たされる。
主人の両親に、「九州に帰りたい」と打ち明けると、ひどく怒られて・・・。

ふう〜ん、単なる、嫁のわがまま話じゃないんだが。

お姑さんからは、「孫の運動会にも行けない、孫と一緒に遊べない、息子も1人でかわいそうだ」とか、「近所から、大変なお嫁さんをもらって大変ですねと言われた」とか。

どんなに
仲のいい家族でも、近所でも、こういう事態に、本物かどうか試されるな。
主人や、姑と話し合いの末、Yさんは離婚した。
そして
仕事を始め、1人で子供2人を育てている。

原発事故がきっかけで離婚した人って、どのくらいいるんだろう?

きっと、相当数に上るんじゃないかな。
女性が逃げたいと訴えても、主人がダメというケースがほとんどだろう。
しかしYさん は、いろいろな人に支えられていると言う。
Yさんと同じように、
母子で避難した同志たちが、世界中に散らばってる。
熊本地震の時は、
うちに来たら?、北海道地震の時は、九州においでとか、
海外からもお声がかかる。
同じ苦労をしたもの同士の、強い絆ができてるんだな。

身内では、
実家の母はよき理解者だ。
父は、Yさんが何を言っても聞かないのを知ってるので、あきらめてると。
しかし、
娘のせいで主人に迷惑かけたと思っている。
Yさんが実家に子どもたちを預けたとき、父はこっそり、元の主人と会わせているようだ。

それは、感覚的にカチンと来ないか?

それでもいいと、
Yさんは言う。
「私に何かあったときのために、子どもたちが父親に会えるようにしておいた方がいいので。」
すごく大人だな。
Yさんは、打ち明けてくれた。
「
原発事故の直後に避難しない人、特に赤ちゃんや子どもがいても避難しない人はバカだと思ってた。
だけど、何が幸せなのかわからない。
家族に病人がいて、移住できない人。家のローンがあって、
移住できない人。
九州に移住してボロボロになって、自殺した人もいる。
私は、健康が一番大事じゃないかと思ったが、
7年も経つと、何が幸せとは言えないと思う。」
本当にその時その時を、真剣に生きてきた人の言葉だな。
しかし本来は、
そういう逃げたくても逃げられない事情の人たちを、資金的に援助して助けるのが、国の役割じゃねえのか?
潰れかけた東電には、せっせと援助したのにね。
7年前のYさんの写真を見つけたけど、当然、今よりも若い。
でも・・・
今の方がずっときれいなんだよ。
ずっとずっと、清々しい、凛々しい顔になってるんだよ。
自分の心を殺して、波風立てずに関東に残っていたら、そんな顔したYさんには会えなかったろうな。

ぼくもそう思うよ。
"避難指示対象外だった"いわき市から東京に「自主避難」したFさん
もうひとつ、Yさんと
同じような、母子避難の例があるんだ。
Fさんは、福島県いわき市から東京に「自主避難」したお母さん。
今年の3月、2人の子どもと共に、ドイツのアーヘン市(隣国ベルギーの原発を停めるために訴訟中)が「緑の党」と共催した講演会に招かれた。
(
alterna)
いわき市は、避難指示対象外だったな?

そう。
でも、Fさんちのベランダに積もっていた土は1万ベクレル/kgを超えてた。
Yさんのように、
避難対象にならなくても、自主測定で避難した母子は多いんだよ。
(
alterna)
1万ベクレル/kgだと?! それでも、
避難対象外か? おかしいぞ。

「
100万人に1人といわれていた子どもの甲状腺がんは190人を超え、その多くが避難の必要がないといわれた地域から発症している。」
(
alterna)
「
いわき市の家庭の掃除機や換気扇フィルターのセシウムは、事故から5年以上経っても数千~数万ベクレル/kg。」(
alterna)
行政を信じてたら、ヤバいってことか?
Fさん、「吹き出すような鼻血がいつまでも止まらない子どもを見て、何かとんでもないことが起きているのではないかという母親の勘で、子どもを抱えて夢中で逃げてきた」。

母親の勘だよ!
東電のオヤジや、政治家、官僚のおっちゃんたちの利権よりも、母親の愛だよ!
Fさんのご主人(教師)は、学校で2人の生徒の突然死を経験したし、他にも
福島県内では突然死の話をよく耳にするそうだ。
そりゃ、心筋梗塞だろ。放射性セシウムは心筋に蓄積するからな。

Fさん「私は、
放射能汚染が無い所からなぜか避難している頭の悪い人間。
放射能が恐いというと過激派か?と言われる。
でも、
私は母親として遺伝子を傷つけるような被ばくをさせたくないだけ。
戦争でも同じで、子どもたちを母親が守ることは絶対に正しいこと。
それだけのことでバッシングを受けるのが日本の現状です」
(
alterna)

Yさんたちのように、
体を張って子どもを守った母親たちが、この腐れた日本の救いだな。
子どもの健康を一番に考えて逃げた、勇敢なお母さんたち、それを支えるのが国の役目じゃないの?

元はと言えば、
たくさんの原発を作らせた国に責任がある。

でも、
主犯の東電には責任を取らせず、逆に血税を湯水のごとく注いで救済した。
こんな現状でオリンピック? 笑わせんな!!
Writer
ぴょんぴょん
1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)
それぞれに、それぞれのドラマがあると思いますが、その中のお一人、Yさんに、お話を聞かせていただきました。
Yさんは2人の幼い子どもたちを連れて、関東から九州に移住されましたが、慣れない土地での苦労、家族との葛藤、自身の体調不良など、聞けば聞くほど、壮絶なドラマでした。
自分もいつ、同じような岐路に立たされるかわからない、と思いながら聞きました。