広瀬隆氏の「テレビ報道の深刻な事態」韓国の民主化運動を経た今の文在寅政権を批判する日本のメディアの見当はずれ 〜 朴正煕独裁政権の背後を知れば日本の理不尽が分かる

竹下雅敏氏からの情報です。
 8月29日時事ブログでYutikaさんが広瀬隆氏の「テレビ報道の深刻な事態」というシリーズを紹介されました。その中の韓国に関する連載は元々今年3月にネット上で発信された知る人ぞ知るレポートでしたが、反響が大きく大手メディアのAERAが記事に取り上げてくれました。嫌韓一辺倒の大手メディアの中で、このように反論の余地のない歴史の経緯を明らかに伝え、まずは報道する者が知るべきと厳しく述べておられますが、報道陣だけでなくメディアに安易に流される私たちも知らねばならない隣国の事実でした。
 5回シリーズの要点をまとめてみました。ぜひ、元記事でもご覧下さい。

初めの記事では「タクシー運転手」「弁護人」「1987、ある闘いの真実」の3本の映画を紹介されています。これらは韓国の民主化への史実に基づいて描かれたもので、広瀬氏は、現在までの朝鮮半島の流れを知るためにも、ぜひ観てほしい、史実の核心を突く名作だと述べてます。
 以前に時事ブログでも取り上げたことのある「タクシー運転手」は、1980年の光州事件を扱っていますが、実はこの後、全斗煥の独裁政権は、民主化への凄まじいまでの弾圧を開始しました。
「アメリアのCIAやソ連のKGBから民衆弾圧法を学び、(中略)日本の特別高等警察(特高)からは拷問の技術を受け継いだ」国家安全企画部(KCIAが改称)は、思想犯罪を裁く「国家保安法」によって独裁政権に反対する人を全て犯罪人にしていったと言います。この時、何の罪もない多くの学生が逮捕、拷問の末、冤罪により有罪とされ投獄されました。

 そうして起きた1981年の「学林事件」「釜林事件」を取り上げた「弁護人」、さらにその後1987年、学生が警察の取り調べ中に拷問死したことをきっかけに湧き上がった民主化運動を取り上げたのが「1987、ある闘いの真実」でした。この映画の中で、盧武鉉と文在寅の両弁護士が、どのように市民とともに闘い、市民とともに独裁政権に攻撃されたか描かれています。しかし、これらの映画の主人公はあくまでも独裁政権に対して「殺されても殺されてもなお刃向かった」韓国国民であり、それを忠実に描いているが故の迫力と観客の支持があるのでしょう。

広瀬氏は、この3本の映画を「当時人権弁護士だった盧武鉉元大統領と共同事務所の弁護士だった文在寅大統領(中略)二人とも投獄されながら、国民のためにどれほど身を挺して戦ってきたかを再確認させる作品群であった」と総評しています。
北朝鮮を存在してはならない国とし、拷問を駆使し思想を裁く「国家保安法」廃絶のために、軍事政権政治を終わらせるために戦ってきた二人の大統領でした。
 この「国家保安法」は、韓国初代大統領が、日本の「治安維持法」をまねて施行し「平和主義者を全て犯罪人にした」とあります。
盧武鉉大統領時代から文在寅政権の今に至るまで、国家保安法を廃止させようとしながらも朴槿恵ら保守派の抵抗で未だに存在している法律です。つまり文在寅大統領は軍事独裁政権を拒否して、南北の戦争状態を終えさせようとしていることを、日本のテレビ報道界はまずは理解すべきだと言っています。

日本のテレビ界は、2018年10月30日韓国大法院の判決が出て以降、一斉に「賠償の必要なし」という論調で文在寅批判をスタートさせました。これについても広瀬氏は明確に「日本のテレビ報道界が歴史を知らなさすぎる」と批判しています。

韓国大法院の判決に対するテレビ報道界の不勉強の最たるものが「日韓請求権協定」で、日本が韓国に経済協力資金を支払いながらも植民地支配への罪は認めず、強制連行、強制労働への賠償は全くしていません。国際的には「アウシュビッツ強制収容所にユダヤ人を送り込んだこととなんら違わない」、そのような被害者が日本に賠償を求めるのは当然で、1965年の国会で、当時の椎名外相も日本の支払ったお金は賠償ではなく「独立祝い金」だったと明言し、日本は1991年の参議院予算委員会でも個人の請求権を認めています。
にもかかわらず、韓国批判を始めるテレビ報道界について、広瀬氏は、軍事独裁政権だった朴正煕大統領について知らないせいではないかと疑います。

 被害者個人への補償を定めないまま日韓国交正常化条約を結んだ朴正煕は、日本の軍人教育を受け、植民地支配を正当化してきた、韓国国民からすれば言わば親日的「売国奴」でした。
1965年日韓国交正常化交渉では、侵略者日本への賠償を全く求めないもので、当然、韓国民は激怒、抗議行動も起こりますが、これを当時の軍事独裁政権、朴正煕大統領は戒厳令で人々を圧殺しておいて、無理やり日韓条約を締結しました。つまり、韓国国民にとっては日本のために締結された今の日韓基本条約も請求権協定も、そもそも認められないという経緯があります。

 徴用工に関する韓国大法院の判決を韓国与野党問わず支持したことは、こうした歴史的な経緯を見れば当然で、文在寅政権とは関係ないにもかかわらず、見当外れに文政権批判をしているのが日本のテレビ報道界という構図です。

 韓国の戦後の「植民地化」のさらなる背景として、広瀬氏は、1945年以降の東西冷戦を示します。
日本の植民地化に成功したアメリカ軍政が、朴正煕のような「親日派」を利用し、国民を無視する形で韓国という国を創り、共産主義撲滅という戦争の前線にしました。
未だに利用される安倍政権、いや、積極的に韓国に敵対的な安倍政権ですが、北朝鮮にしてみれば、韓国の強制連行者に対し日本企業から賠償金を払わせない安倍政権とは、まともに国交正常化は望めないと判断されても仕方ない。

 日本人が、特にテレビ報道界がこの歴史を認識し、南北朝鮮の平和統一への足を引っ張っているのが実は安倍政権だと自覚を持たなければなりません。
もっとも、テレビ報道界が自ら「官邸の広報部」に成り下がっていては望むべくもないのですが。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「韓国の民主化闘争の軌跡とは?」 連載「テレビ報道の深刻な事態」
引用元)

(前略) 改めて言っておくと、韓国には、現在も人間の思想を裁くおそろしい「国家保安法」という法律があって、この法は、北朝鮮を「反国家組織」、つまりこの世に存在してはならないものと規定し、韓国の国民が許可なく(家族であっても)北朝鮮の人間や資料に接することを禁じ、最高刑は死刑という時代錯誤の法律である。国家保安法が公布されてから、1年間で逮捕者が11万人に達したことを、日本のテレビ報道界の何人が知っているだろうか

 この法を廃絶するため闘ってきたのが盧武鉉と文在寅なのである。それが、韓国の民主化闘争、つまり軍事独裁政治を終わらせた闘いだったのである

 では、拷問を駆使するこの国家保安法を生み出したのが誰か知っていますか? 悲しいかな、日本人なのである。大正時代の日本で、反政府思想を取り締まるために制定した治安維持法が生みの親であった。作家の小林多喜二たちを拷問によって虐殺した日本の特高警察をそっくりまねて、韓国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)が、1948年に国家保安法を施行して、「米軍の撤退と南北朝鮮の統一」を主張する平和主義者をすべて犯罪者にしたのだ。

加えて、日本のテレビ報道界は、歴史を知らなすぎる。ここまでは、韓国の国内事情を中心に話を進めてきたが、そもそも、日本のテレビ報道界が文在寅批判をスタートしたのは、昨年2018年10月30日に、日本の植民地統治時代に日本企業が朝鮮人に強制労働をさせたことに対して、韓国大法院(最高裁判所)が賠償を命じる判決を出してからだ。その時、テレビ報道界は一斉に「賠償する必要はない」というトーンで、韓国を非難した




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「キム・ヨナが歌った『3456』の意味」連載「テレビ報道の深刻な事態」
引用元)
みなさん、キム・ヨナを知ってますよね
(中略)
 彼女は、もともと音楽の才能が抜群だからフィギュアの女王になったので、歌唱力も一流で、反政府ブラックリストを作成した朴槿恵(パク・クネ)前大統領とは“犬猿の仲”だった。今年3月1日、韓国民にとって一世紀の歴史を振り返る重要な記念日に「3456(スリー・フォー・ファイヴ・シックス)」という曲を彼女が素敵な声で歌ったのはそのためだ。

今年の100年前、1919年3月1日に、朝鮮を植民地化する日本に憤激する「三・一独立運動」が起こって、この日が現在の韓国の実質的建国記念日とみなされているのである。3月1日から5月まで激烈な反日運動が朝鮮全土に拡大したのだが、日本の原敬(はら・たかし)内閣が軍隊を派遣して徹底的に弾圧し、7509人が大量虐殺されて独立運動は鎮圧されてしまった。朝鮮人死者は、朝鮮各地の記録を合計した正確な数字である。日本人は、実におそろしいことをした民族だ。
(中略)
つまり3456の数字は、韓国の独立運動と、本稿で紹介してきた民主化を実現するために韓国民が命を懸けて闘った貴重な歴史を物語っていた

 そのような完全に政治的な歌をフィギュアスケート界の女王が歌うところに、韓国人の反骨精神を感じるのは、私だけではあるまい。

(中略)
戦後におこなわれた日韓国交正常化という外交事業は、1965年6月22日に日韓請求権協定が締結されて、日本は韓国に経済協力資金を支払いながら、35年の長きにわたって朝鮮を植民地支配したことを罪と認めなかった
その間、日本は、70万人以上という朝鮮人を主に農村地帯で強制的に拉致(らち)して、炭鉱や金属鉱山での採掘、道路やトンネル建設の土建業、鉄鋼業などの重労働に駆り出しておきながら、今日現在まで、大被害に遭って人生をめちゃくちゃにされた朝鮮人労働者個人に対して、まったく賠償してこなかった
(中略)
韓国大法院判決が日本企業に賠償を命じたのは、当たり前も当たり前の経過である

 ところが、日本の首相・安倍晋三と外相・河野太郎が日本企業に「賠償金を払うな」と指導してきたのだ。それはおかしいと批判すべきテレビ報道界が、あべこべに率先して韓国批判をスタートしたわけである。
(以下略)

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「なぜ朝鮮戦争が起こったか」連載「テレビ報道の深刻な事態」
引用元)
(前略)1965年の日韓国交正常化がどのようにおこなわれたかを説明する。当時、日韓国交正常化の交渉内容が発表されると、植民地支配時代の侵略者・日本に対してまったく賠償を求めていない日韓条約に、韓国民は激怒し、「日本との屈辱外交に反対する全国民闘争委員会」が結成され、ソウル大学では多くの学生が断食闘争に突入するなど、反対の声が爆発的に韓国全土に広がった
(中略)
当時の大統領・朴正熙(パク・チョンヒ)は、この世論に追いつめられたので、非常戒厳令を発布して、学生をはじめ1000人以上を逮捕し、内乱罪などで弾圧を続けて、反対の声を鎮圧したのだ。

 このように軍事独裁者・朴正熙が戒厳令下に強権をふるって、韓国民の声を圧殺して日韓条約を締結したのだから、そもそも、ほとんどの韓国民は、日韓基本条約も請求権協定も認めていなかったのである。

日本のテレビ報道界が叫んだ文在寅批判はまったくの見当違いであった。1965年から現在まで、韓国民の意見が変わっていないことは明白である。これまで日本と韓国の民衆は仲良くしていたが、こうして日本のテレビ報道界の恥ずべき間違いによって日韓関係が悪化したのである。
(中略)
朴正熙は、こうして出世街道を直進し、朝鮮人から見れば売国奴の日本軍人だったので、1945年8月15日に日本が降伏した時、朝鮮人が解放されるという災難に見舞われてしまった。そこで戦後は、自分の過去を隠して寝返り、軍事クーデターを起こして1963年に大統領となった“親日派”であったのだ。彼の娘が2013年に大統領となった朴槿恵(パク・クネ)であった。

 かような戦時中の売国奴であれば、「個人に対する賠償を日本に請求する権利など認める必要はない」という日韓条約を結んだ経過は、必然と言えば必然の結果である

 では責任者は誰なのか。

 どうしてこのような戦後の韓国史が生まれたかと言えば、1945年に米軍が南朝鮮に進駐して以来、北朝鮮に進駐した共産主義国家・ソ連とのイデオロギーの対立から冷戦が始まり、その時アメリカ軍政がアジアでの共産主義撲滅のために“親日派”を採用して韓国という国家を創ったからなのである

(以下略)

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