犬が亡くなる1か月くらい前だったか、まだ散歩ができている頃のこと、お気に入りの山際に水路のある木々に挟まれた道を歩いていた。すると不意に「お別れです」とテレパシーが聞こえた。その時は犬の言葉とは気がつかなかった。
犬には死期が迫っていることがわかっていたのですね。
満月の夜、血を吐いて、まぁの腕の中で死んだ。
お月様が導きますとおっしゃった。
捨てられていたのを保護した犬だったのだけど、亡くなってみて、こんなにこの犬のことが好きだったんだなぁと思った。猫がすでにいたことで、不自由な思いをさせて、かなりストレスを与えていたと思う。キャンプでテントに一緒に寝た時に、随分喜んで、帰りたがらなかったな。実はまぁもあのまま山の中で一緒に暮したいくらいだった。
猫は今もいますが、すでに何匹か亡くなっているのですね。
猫は死ぬ時は姿を隠すといわれていますが・・・。
確かに3匹目に亡くなった雌猫は姿を隠しかけたようだけど、夕方になって姿が見えないので、家の周りで名前を呼びながら探していたら、帰ってきてくれて、数日後にコタツの中で亡くなった。結局ほとんどの猫が死ぬ姿を見せてくれた。
最初の猫は病院で点滴中に亡くなった。その次の雄猫は、仲良しの野良猫から疥癬をうつされて、治療してもらい完治したのだけど、嬉しそうに出かけてそのまま帰ってこなかった。1週間後、その猫が亡くなった瞬間に「あ〜楽になった」といってまぁの足元にきた感じがした。おそらく、体力が弱っていたところに、近所の喧嘩が強い野良猫に襲われて、どこかで身動きできない状態になっていたのかな。
猫は1週間食べないと死ぬのですね。
そう、4匹目に亡くなった猫も食べなくなって1週間で死んだよ。あの猫はだれとも喧嘩をしない猫で、弱いわけではなくて、喧嘩しようとする猫を気で制圧する感じで、平和主義者だった。急に餌を食べなくなった時に
「僕の愛した◯○(雌猫)や◯○(独立して家を出た家族)がみんないなくなったから、僕もいなくなる」
そうテレパシーで言って、1週間、水しか飲まなくなって死んだんだ。
年齢的なこともあったのでしょうが、自分の意思で死んだのですね。
霊界で他の猫たちと幸せに暮らしているようだよ。家の猫たちは人間に生まれ変わるのかもしれないね。
5匹目に亡くなった雄猫は亡くなる1か月前くらいから、母屋には帰らなくなって、駐車場横の薪小屋にずっといるようになった。屋根は瓦でも3面だけが板囲で隙間だらけの簡素な小屋で、坂道を登ってくる車や周りの様子がよく見えて、お気に入りの場所だった。
亡くなりそうだった時、あの猫をよく可愛がっていた家族が、知らせを聞いて帰ってくるのを待っていたね。
家族が帰って来て、車の下に潜り込んでいた猫を引っ張り出すと同時くらいに家族とまぁの腕の中で死んだ。家族が「あっ死んだ!!」と叫んだ。
あの猫は人間と同じように布団の中で頭を出して寝る猫で、よくまぁの腕枕で寝ていたんだ。
ある日夢の中で、まぁが腕枕して寝ているのは小学生くらいの人間の男の子だった。
犬や猫は自分が死ぬ1か月前くらいには、死期が近いことをわかっているようですね。
最初の猫だけで、他は死にそうだからといって病院には連れて行かなかったのですね。
最初の猫が入院中に亡くなったことで、心細かったかもしれないし、弱っているところに注射針をたてられたり、他の猫のように最後は何も食べずに死ぬ方が自然で楽だったかもと思うと、二度と病院へ連れて行こうとは思わなかったよ。
親戚の高齢の男性が亡くなった時、病院へかけつけると、居合わせた家族は最後は楽な死に方だったと話したのに、わたしには、亡くなった男性がテレパシーで「苦しかった」と聞こえた。それは、死にかけて電気ショックを何度もかけられたことが、大変な苦痛だったらしい。
高齢で弱っていて、もう死ぬ寸前という時に、電気ショックで回復させようとすることは、本人には大変な苦痛なのですね。まさに死人に口無しで、不自然な延命治療が本人を苦しめている可能性は大きいですね。
今回の大西つねきさんのお話は、正にこういった問題についての発言だったようだから、同感だよ。
食事ができなくなって、次第に衰弱して眠るように死ねるかもしれないのに、無理に流動食や点滴を身体に入れるのは不自然な気がするよ。
最近は最後は看取りだけで治療はしないという病院があるのを聞いたことがあります。
それでも入院はしなければならないようですね。本人としてはどうなのでしょう。
ひいおじいさんが家で亡くなった時のことをお祖母さんが話していたけど、末期の水(まつごのみず)を三口飲んで息を引き取ったそうだ。ひいおじいさんは侍の死に方だったと話していたよ。
今回の大西つねきさんのお話をきっかけに、死を自分のこととして考えて、人生最後の死に場所や死に方を病院任せにしていることの違和感を感じることができたよ。
確かに悪人が多い社会では、死は不幸なこと恐ろしいことにつながりそうですが、良い人ばかりになった社会では死はおめでたいこと、肉体の卒業に感じられそうです。
今の病院に自分の死を任せることは怖い面があるよ。保険証とかに臓器提供の意思表示をすることになってるけど、もしもだけど助かる命も助けないで臓器を取り出すって可能性もあるよ。
知った人が退院するその日に点滴のスピードが速くて亡くなったんだ。故意でなくても点滴のスピードが速いだけで簡単に死んでしまうようだね。
大西つねきさんの会見で質問者の人とのやりとりがとても興味深かった。質問する人も自分なりのしっかりした考えをもっておられて、お話の中身がどんどん明確になっていく。
れいわ新選組ができたこと、大西つねきさんのお話、この機会に命についてみんなが真剣に議論することが時代の要求かもしれない。
さて、今時の野草をちょっとご紹介します。ヒメムカシヨモギがぐんぐん伸びてきて、先端10センチくらいをいただいています。春菊のような香りが強く、アクがなくて重宝しています。今日はシロザ(アカザ)の先端と一緒に下茹でして、胡麻和えにしました。おいしかったですよ。
これまで家族として暮らしてきた犬や猫の天晴れな死に方を思い出しています。