独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第72楽章 小さきものをいじめないで、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争、ナゴルノ=カラバフ問題

 ドイツのベルリンでは、10月10日より秋休みに入りました。ベルリンでは、コロナ感染者が増加していて、ベルリン中心部は汚染地域と指定されています。秋休みには、多くのドイツ人が動かずに静かにしているようです。どこかに宿泊する際にも、感染していないかの証明書が必要らしく、大使館から送付されたメールでは、『直近48時間以内に実施した新型コロナウイルスに感染していないことを示す陰性証明書を提示できない場合、宿泊禁止の措置がとられます』 このように書かれていました。もちろん、我が家もベルリンにて、明るい引きこもり生活を満喫・・私は引きこもり生活・・好きですけどね・・。日本の主人は、週1回の出社だそうです。毎日出社しなくても、リモートワークで仕事ができるわけですね。出社しない方が、いろいろと勉強ができる・・と言っていましたよ。Zoomを使用しての監視もあるようですね・・。会社は、働く人間を監視するのですね・・。

 第72楽章は、小さきものをいじめないで、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争、ナゴルノ=カラバフ問題です。
(ユリシス)
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小さき者はかわいい


日本の小学校でもいじめ問題・・あると思います。ドイツのベルリンでも、移民背景のある生徒、少数派のイスラム教や有色人種に対して差別がもちろんあります。この構造は、多数派が少数派をいじめる、差別する構図になっています。息子が言っていました。小学校1年生くらいだと、背の高い男子は背の小さい男子をいじめる傾向にあると、スポーツをするときでも、どけ、邪魔だ・・となるようです。小さき者はかわいいのに・・。




新疆ウィグル自治区の児童労働問題


世界を見回してみると、いじめられてきた、侵略されてきた国や民族、パレスチナ人、台湾、ネイティブインディアン、アボリジニ、クルド人、アフリカ、中東などなど。もちろん、極東島国である日本も入っていると思います・・。こちらは、新疆ウィグル自治区の問題・・

ベルリンにも数軒出店していて、ベルリン在住の日本の方たちが喜び勇んで購入していますが、なんとなく下の2軒の有名店・・・うっ!という感じで、ほとんど手が伸びなかったのです。息子もなんとなくいやだ・・と言っておりました。ウィグル自治区の少年・・児童労働、見ていられない・・、守ってあげたいものです。




こちらの会社のまだ、ヒット商品が出る前、1995年ごろは、よくある幹線道路の脇にあるお店だったのを記憶しています。大きな旅行会社HXXだって、1983年ごろに、電信柱に小さな広告、秀インターナショナルと貼り付けてあるのを発見し、当時は、航空券もまだ高かった時代なので、『格安航空券だって・・』と母に教えたこともあったのです。事業を拡大してはいけない、正しいことを知らないと、悪い道に入ってしまう・・の内容を映像配信で学んだことを思い出します。

シャンティ・フーラの講座では、野心をもってはいけない、ヤマ・ニヤマの霊律が大事であると学びます。しかし、多くの方が、権威や名声がないと、人になめられてしまう、ばかにされてしまうので、それを恐れて、人より先に一歩でも二歩でも出ようとします。人になめられないように、権威風に見せるために、腕組みポーズをしてプロフィール写真を撮影したりもします。(日本の写真では腕組みポーズが非常に多いと感じています!逆に自信がないのかな・・と思ってしまいます・・)戦争でも、小さな国を下に見て、支配しようとしている様子がわかります。


アルメニアとアゼルバイジャンの紛争問題


9月末ごろから、アルメニアとアゼルバイジャンの間で、アゼルバイジャン領土のアルメニア人が多いナゴルノ=カラバフ自治区にて紛争がはじまりました。アルメニアの国はとても小さな国で、世界ではじめてのカトリックが国教となった国です。

Wikimedia_Commons[Public Domain]
アルメニアの地図

アルメニアの歴史の問題はこちらです。

19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ。

Wikimedia_Commons[Public Domain]
20世紀初頭のアルメニア人の居住地域(濃い水色)


今回の問題の発端は1988年ごろに遡ります。

ロシア革命後に民族主義者によりアルメニア第一共和国が樹立されるが、赤軍の侵攻により崩壊し、1920年にアルメニア社会主義ソビエト共和国が成立した。1936年まではザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を構成していた。
1988年にアゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起こり、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突し、両国の本格的な民族紛争(ナゴルノ・カラバフ戦争)に発展した。

ジョージア(以前はグルジア)が1年間のビザなしで滞在できるようになってから、こちらに滞在している日本人も方も多いようで、周辺国に移住している方も多いとも聞いています。

こちらのBBCの報道は、アゼルバイジャン寄りで書かれているのかな。


アルメニアとアゼルバイジャンの紛争の原因は、シリア問題と同じで、やはりパイプラインのための領土争いなのですね。


下記によると、トルコがアゼルバイジャンを支援しているようですね・・。
https://www.bbc.com/russian/news-54470557


紛争の国の関係はこんな感じですね。


アルメニアの教会や歴史的遺産をあえて攻撃しているようですね・・


アルメニアは、過去、オスマントルコから大虐殺を受けた、最初のカトリックの国ですね。ナゴルノ=カラバフ問題とは、アゼルバイジャンのナゴルノ=カラバフ自治区といわれ、もともとはアゼルバイジャンにアルメニア人が多く住んでいる地域で、独立を目指している地域です。


アルメニア在住の日本人の方が今回の問題について書かれています。ナゴルノ=カラバフ問題をアルメニアに在住されている現地の目線で書かれています。この紛争は日本で報道されているような領土問題だけでなく、アルメニア人のアイデンティティにまで関する重要な問題であると指摘されています。悪党スターリン時代から・・とも書いてありますね。最後にご紹介するアルメニアクラシックの父については、こちらのブログから知ることができました。
http://armeniajapan.blog54.fc2.com/blog-entry-1143.html

戦争となると、18歳以上男子は、徴兵に召集されるのですね・・




アルメニア人が多く住む、今回の問題のカラバフ・・素敵な場所ですね・・


アルメニアの教会は素敵ですね・・。個人的には好きです・・



アゼルバイジャンのバクーといえば、油田・・。


油田とF1グランプリは関係があるのですね・・


拝火教、ゾロアスター教か・・白檀らしく・・


このようなことを映像で流す国って・・


やはり、欧州の支配者が原因ですね・・


当時のドイツにも責任があるわけです・・


やはり、ここにたどりつきましたか・・


個人的には、寄らば大樹の陰ではなく、小さき者応援派なので、アルメニアがんばれ!!と思ってしまいます。息子の友達にアルメニア出身の生徒がいますし・・。アララト山は、現在はトルコ領ですが、アルメニア人の故郷で、つまりは、トルコに奪われたわけです。山近辺は、ノアの箱舟が到着した場所で、人類の再出発の場所、文明の発祥地、メソポタミアの肥沃な地域で、スペルト小麦などの穀物の発祥地でもあり、赤ぶどうが生産できるそうです。(アルメニアといえば、コニャックが有名ですしね・・)

アルメニアの首都エレバン市内から見たアララト山

おかしなもので、ドイツでは、トルコ人は、アドバンテージがとれなくて、アルメニア人に対しては、アドバンテージをとっているわけですね。ドイツ人は、きっと、イギリスやアメリカやスイス・・あたりにおいては、アドバンテージがとれないわけで、どっちが上とか、小学校1年生のいじめごっごと同じことが世界中で行われています・・日本の会社でも、本部長、部長、課長、課長補佐とかの順番でのパワハラなども同じですかね・・

アルメニア人の故郷のアララト山、シアトルのタコマ山(マウントレーニアー)、インドネシアバリ島のアグン山など、日本の富士山の形に似ていますね・・

Author:Nileguide.com[CC BY]
アグン山


本日の音楽は・・


アルメニアの首都エレバンにて、学生のカーヌーンの演奏と、アルメニアクラシック音楽の父の曲です。
こちらの楽器は、日本の琴に似ていて、カーヌーンという楽器だそうです。



アルメニアクラシック音楽の父 コミタスの曲です。こちらに詳しく書かれています。



Writer

ユリシス

311を機に息子と共に、東京からシアトル、2012年ケアンズ、2015年ベルリンへと移住。
ユリシスの名前は、ケアンズ近郊でみられる見ると幸せになると言われる青い蝶から命名。
幸運にもケアンズの家の近くでペアのユリシスに遭遇したので、それを思い出し・・。
映像配信、東洋医学セミナーなどシャンティフーラでの学びが大好きです。
体癖1-3 



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