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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第12話 ― 満洲の「影の皇帝」
「満洲の夜を支配する」と言われた男
日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧
名称 | 説明 |
甘粕機関(※②) | 陸軍大尉の甘粕正彦によって設立された民間の特務機関で、満州国と関東軍をバックに付け、 満州国の国策であった阿片(アヘン)の中国国内での密売を茂川機関や松機関と共に行っていました。 |
茂川機関(※②) | 茂川秀和少佐が設立した機関で、天津陸軍機関に所属していました。
主に阿片(アヘン)の中国国内での密売を行った他、盧溝橋事件での工作を行ったとも言われています。
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松機関(※②) | 上海に本部が置かれた特務機関で、現地の情報収集や阿片(アヘン)の中国国内での密売や、「杉工作」と命名された偽札の中国国内への流通工作を行っていました。 |
里見機関(※②) | 里見甫によって設立された民間の特務機関で、関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。 |
興亜機関(※②) | 関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。 |
昭和通商(※②) | 三井物産、大倉商事、高田商会の三社から出資された泰平組合を元とする、日本陸軍の特務機関です。
表見は商社ですが、中国国内での阿片(アヘン)の密売や、情報収集、物資や兵器調達などを行っていました。
また、里見機関や興亜機関などの特務機関とも連携を取っていたとされています。 |
いちらん屋より引用
※註:名称の後の(※②)は「阿片の取引に関するもの」として、前回、シャンティ・フーラで独自に分類したものの一つ。
東京大学教授 伊藤隆氏の「目で見る議会政治百十年史」がネット上で公開されています。その昭和期(I)に「満州某重大事件」があります。そこに次の記述があります。
田中首相は天皇に「張作霖横死事件には遺憾ながら帝国軍人関係せるものある如く、もし事実であれば法に照らして厳然たる処分を行うべく・・・」と奏上した。陸軍中央の調査によって真相は判明したが、陸軍はこれをかくそうとした。村岡長太郎関東軍司令官・荒木貞夫参謀本部作戦部長・小畑敏四郎作戦課長ら上原勇作元帥系のグループが強力に動いて真相隠蔽(ぺい)をはかった。河本大佐もこのグループに属していた。
1928年(昭和3年)満洲の覇王と称された張作霖が爆殺される事件がありました。この張作霖爆殺事件は、現在では関東軍の河本大作大佐が主犯とされています。
この張作霖爆殺事件から満洲国設立に至るいわゆる関東軍の暴走、これを背後で操っていたのが、赤龍会初代総裁にて帝国陸軍元帥であった上原勇作であったことが上の記述から窺われます。帝国陸軍のトップ、元帥である上原勇作が、関東軍に密かに司令を出していたのは全く自然なことです。
また、満洲への軍事的進出だけでなく、日本が満洲でも罌粟を栽培し、中国大陸で阿片事業を展開していくのを導いていたのが上原勇作であったことも前回に見ました。
この関東軍の動きに合わせるように、阿片事業を展開していく人物群が満洲に集結していきました。その代表格の一人が「甘粕機関」の甘粕正彦です。上に「いちらん屋」の特務機関一覧から、阿片事業の特務機関を抜粋していますのでご覧ください。
満州国時代の甘粕正彦
Wikimedia Commons [Public Domain]
甘粕正彦は、阿片より1939年に就任した満洲映画協会(満映)の理事長としてのほうが有名で、「満州は、昼は関東軍が支配し、夜は甘粕が支配する」と囁かれてもいたようです。
ただし、このように甘粕正彦が満州で「影の皇帝」といわれるほどの権勢をふるえた、その元にあったのが、阿片取引による莫大な収益でしょう。ウィキペディアには甘粕機関の設立の経緯は次のように記載されています。
1930年(昭和5年)、フランスから帰国後、すぐに満州に渡り、南満州鉄道東亜経済調査局奉天主任となり、さらに奉天の関東軍特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で情報・謀略工作を行うようになる。大川周明を通じて後に柳条湖事件や自治指導部などで満州国建国に重要な役割を果たす右翼団体大雄峯会に入る。そのメンバーの一部を子分にして甘粕機関という民間の特務機関を設立。
甘粕正彦の背後に上原勇作 〜「甘粕事件」の実態
「影の皇帝」といわれるほどの甘粕正彦の満州での権勢の背景には阿片取引がありますが、岸信介の存在もあったでしょう。甘粕正彦の満洲映画協会(満映)理事長就任には岸信介の尽力があったとウィキペディア記事では出ています。満洲で甘粕正彦と岸信介とは、常に近い関係を持っていたのです。
「表の帝王が岸であれば、裏の帝王は甘粕」野望の実験場・満州国で暗躍した2人の対照的な最期とは
— 文春オンライン (@bunshun_online) November 3, 2019
ラストエンペラー溥儀の数奇な運命の裏側 #満洲皇帝擁立事件 #昭和の35大事件 #甘粕事件 https://t.co/6e4IzGPek9
また、東條英機ともごく近い関係でした。そして甘粕正彦の背景にはもう一人重要人物がいるようです。上原勇作です。
甘粕正彦は満洲に渡る前は仏国にいました。甘粕正彦は1923年の「甘粕事件」によって有罪となり、出所後に仏国に渡っていたのです。
「甘粕事件」は無政府主義者の大杉栄と内縁の妻の伊藤野枝、そして大杉栄の幼い甥までの3名が憲兵隊に連行され殺害され、甘粕正彦が軍法会議で有罪となった事件です。しかし、現在でも甘粕正彦が実行犯であったのか?など謎が多い事件とされています。
甘粕事件を報じる毎日新聞の号外
Wikimedia Commons [Public Domain]
この「甘粕事件」を実行させたのが上原勇作である、と落合莞爾氏は語っています。
大杉暗殺の真相は「上原と甘粕が共謀し、震災下のドサクサを利用し、憲兵隊を使って大杉を殺らせた」のである。その理由は、「大杉が後藤新平の依頼を受けて渡仏し、両人(執筆者註:上原勇作と甘粕正彦)の秘密結社関係を調べて帰国してきた」ことに尽きる。昭和四年別紙記載によれば、伊藤野枝も、大杉の指令で青山教会に潜入してポンピドー牧師を洗っていたというから、単なる巻き添えではなく、標的であったのである。
(読書日記「疑史(第57回)甘粕正彦の暗号解読」より)
落合氏によれば、甘粕正彦は上原勇作の部下であり、同時にそれ以上の特別な関係にあったとしています。
ともあれ、上原勇作の「草」となった吉薗周蔵が幾度も甘粕正彦と同席した様子が「周蔵日記」にあり、甘粕正彦が上原勇作と緊密な関係にあった部下であったことは間違いないでしょう。
「いちらん屋」の甘粕機関の解説には「民間の特務機関で、満州国と関東軍をバックに付け」とありますが、常識的には 民間人でましてや殺人罪で有罪となっていた甘粕正彦が、「満州国と関東軍をバックに付け」などは考えにくいものです。しかし、上原勇作が甘粕正彦の背景にあったと見れば、これも「なるほど」と納得がいく次第でもあります。
なお、これは話の筋から外れますが、「甘粕事件」は複雑なところがあり、裏天皇グループでの「内輪もめ」の部分があります。なぜなら大杉栄を雇っていたのは初代満鉄総裁で、事件当時は内相であった後藤新平であり、後藤新平はそのバックに玄洋社(白龍会)の杉山茂丸、頭山満がいたからです。後藤新平は裏天皇グループの一員だったのです。
頭山満と殺害された大杉たちの関係は、ウィキペディア記事には、頭山満が「遠縁のアナキストの伊藤野枝や大杉栄とも交流があった。」ともある通りです。
甘粕正彦と里見甫の共同作戦 〜国策事業の背後の存在
甘粕正彦は満州事変の際、天津に幽閉されていた愛新覚羅溥儀の極秘裡の連れ出しに成功するなどの活躍を見せています。そして甘粕正彦は、この満州事変の際には民間人阿片事業の主役である里見甫とも共同で作戦を実行してもいます。里見甫のウィキペディア記事には次のようにある通りです。
1931年9月に満州事変が勃発すると、翌10月に関東軍で対満政策を担当する司令部第4課の嘱託辞令を受けて奉天に移り、奉天特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で、甘粕正彦と共に諜報・宣伝・宣撫活動を担当する。これらの活動を通じ、中国の地下組織との人脈が形成された。
満州事変の際に、甘粕正彦と里見甫は「共に諜報・宣伝・宣撫活動を担当する」のですが、こういった活動が1932年12月の満洲国通信社の設立につながり、里見甫は満洲国通信社の初代主幹(事実上の社長)兼主筆に就任となります。里見甫は次回にでも取り上げますが、玄洋社(白龍会)関係者です。
現在日本でメディア支配をしているのが「電通」であるのは承知の事実です。この電通の創業者は光永星郎ですが、現在の巨大企業電通の実質的な前身、それがこの国策会社である満洲国通信社なのです。
この満洲国通信社(電通)の姉妹企業として1936年1月に設立されたのが同盟通信社で、同盟通信社に満洲国通信社(電通)の通信部門は吸収されます。発足の経緯から同盟通信社が「諜報・宣伝・宣撫活動を担当する」のは必然で、同盟通信は大本営発表を流し続けました。
国策会社満洲国通信社の設立に甘粕正彦も関連していたのですが、甘粕正彦が理事長に就任した満映も元来は「諜報・宣伝・宣撫活動を担当する」企業です。
満映が製作した李香蘭主演の映画
「迎春花」ポスター(1942年)
「迎春花」ポスター(1942年)
Wikimedia Commons [Public Domain]
満映は李香蘭が看板女優として知れますが、満映の株主は満洲国と満鉄でそれぞれ50%、50%の出資です。ようは満映は満鉄のプロパガンダ宣伝部門として設立されているのです。戦意高揚を図る国策のプロパガンダ映画が多く作成されたのは当然でもあります。
満洲から中国大陸、アジア諸国への軍事的進出とそれに伴う「諜報・宣伝・宣撫活動」、そして大規模な阿片売買事業、これらは全てが当時の国策事業で種々の企業が参入してもいました。
そして刮目すべきなのは、これらの国策事業が展開していくその背後には裏天皇グループがあったということです。当時の国策事業に参入した企業は「秦氏系企業」だったということでしょうか。
裏天皇に仕える五龍会直属の秦氏系企業(一部)
911テロの後のアメリカを見ていて、驚愕し呆れ果てたことがあります。私人がアメリカという国家の名を利用して、犯罪行為で莫大な利益を手にして欲望を遂行していくこと、そのあからさまさにです。これは陰謀などと呼べず、明謀というべきなのか……。
911テロ時の政権はW.ブッシュ政権でしたが、その閣僚中枢は私有企業から送り込まれた人物たちで占められ、その関係、私有企業へのあからさまな利益誘導を行っていました。最もわかりやすいのが、当時の副大統領のディック・チェイニーとハリバートン社です。
チェイニーはハリバートン社の1995年から2000年まで、つまり政権に入る直前までの最高経営責任者だったのです。
ハリバートン社は国防省と石油開発・施設建設の請負契約をしており、また軍需企業でもあります。911テロの直後に言いがかりで攻め込んだアフガニスタン戦争、明らかな国際法違犯の犯罪である2003年イラク戦争、これで莫大な収益をあげたのがハリバートン社です。
私有企業が犯罪行為でも何であろうとも、「儲けるため」自分たちのやりたいことを「国家事業」としてしまえば、最も確実で効率よく収益を挙げられます。
私人が国家を利用するのですが、これはアメリカだけの話ではありませんでした。現在の「電通」や竹中平蔵氏の「パソナ」など見れば、日本でも同じようなことが進行しているのが分るでしょう。そしてこれは最近に始まったことではなさそうです。
日本が大陸に軍事進出する「国策」、この国策に群がる企業群がありました。この背景に何があったのか……、
満洲の「影の皇帝」と呼ばれた男にスポットを当ててみます。見えてくるものがあります。