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じいじが作った小さなおうち
息子が週に一度、代診をしてくれるようになりました。お嫁ちゃんも医者ですが、4人目の子どもを産んで育休中。それを利用して、息子と一緒に来て小児科の研修をしています。
という事で、ばあばの所に孫が来てくれるという訳です。上3人は幼稚園や学校なので、1歳1か月の孫だけ来るはずなのですが・・・、なぜかその日だけ体の調子が悪くなって誰かが付いてきます。先週は幼稚園のお兄ちゃん。今週は、2年生のお姉ちゃんです。
しばらく、ばあばが忙しくしていたので、お姉ちゃんが赤ちゃん用のテレビ番組をつけてくれました。主人公のかわいい女の子が派手な衣装で、元気に明るく踊ってお話しをしています。次は歌のお姉さんとお兄さんが出てきました。これまた、派手な衣装、アップテンポのリズムで、どちらを向いても満面の笑みで踊ったり歌ったりしています。全てがオーバーリアクションです。
見ていて疲れるし、違和感を持ちました。本当に赤ちゃんは喜んで見ているのでしょうか?強い刺激で、赤ちゃんが惹きつけられて反応しているだけのような気がします。
ちなみに外国に住む孫達はPeppa Pigが大好きです。
もう少し大きくなると恐竜のアドベンチャー番組のAndy’s Dinosaur Adventuresがお気に入りのようです。
テレビを消して、「さあ、遊ぼう!」と孫達を誘いました。お姉ちゃんは、急いでチビちゃんの靴を持ってきました。ああ、やっぱりお外よね!! 寒いなあ~と思いながらお付き合いをさせていただくことにしました。
ただ歩くだけで楽しいチビちゃん。犬も猫も一緒に出ました。庭がバリアフリーではないのでつまずくポイントがたくさんあります。それが楽しいらしくて何度も転びながら歩きます。
お姉ちゃんは、お正月に落ち葉掻きをしたのが楽しかったので、ほうきと塵取りを持ってきました。大きな葉っぱ。小さな葉っぱ。赤や黄色、木の実もたくさん落ちています。
チビちゃんは、みんなと同じようにほうきを持ちたくなりました。私が小さいほうきを渡したらそれを持ってお散歩です。もっと危なくなりましたが、離しません。
庭の真ん中に、じいじが作った小さなおうちがあります。チビちゃんの背丈にちょうどいいサイズです。中には子どもが遊べる台所とテーブルがあります。9人の孫を遊ばせてくれたおうちですが、もう古くなって床が危なくなりました。これが最後かなあ?
小さな家 photo by かんなまま
このおうちはレイキモッキ(Leikkimökki)と言って、フィンランドではパパが子どものために作ってあげるそうです。じいじは得意になって、子育て広場にも作ってしまいました。
歩き始めたチビちゃんは、入り口のスロープがお気に入り。傾斜がちょうどいいのです。滑り止めが付いているので踏み込みが弱くてもちゃんと支えてくれます。ばあばは降りてくるチビちゃんを手を広げて受け止めればいいのです。何度も何度もばあばの胸に飛び込んできてくれます。そのたびに胸がキュンとなります。100回でもOKよ!という気分です。
だって、歩くだけで幸せ、坂を下るだけでこんなに幸せそうなのです。幸せの原点を思い出させてくれます。
そうこうしていると、お姉ちゃんが庭の材料でご馳走を作ってくれたようです。「ごはんよー」と呼んでいます。あったかそうなスープもあります。フーフーして食べていたら、チビちゃんもフーフーと真似っこします。もう、その感覚がわかっているようです。
想像の世界で遊べるなんて素敵!賢い子です。色々な味を体験するたびに甘い、しょっぱい、すっぱい、にがいを表情でも表しますが、万人が同じような顔をするので面白いなあと思います。
食べるって、生きていくためにとても大事な事です。どこまでが本能で、どこからが自分で経験していくものなのでしょうか?
ママ達と、食の始まりである離乳食の話をすると、今どきのママ達の子育て観が見えてきます。おっぱいは本能で飲めるけど、離乳食は5ヶ月頃になったらドロドロの流動食をスプーンを使って、ママ主体で食べさせながら教えるものと思い込んでいるようです。だから責任重大です。
でも、離乳食も赤ちゃんが主体のはずです。親は、赤ちゃんが食べたいか?その準備が整っているか?を見極めながら、おっぱいから食べ物に移行するお手伝いをするのです。ママ達はそれを無視して教科書通りに進めようとするので、うまく食べてくれないと悩むのです。
赤ちゃんは食べるのが嫌なのではなくて、その進め方が嫌なのかもしれません。
最近、推奨され始めたのは「手づかみ食べ」です。(手づかみ離乳食 田角勝著)ドロドロ状態だと自分で食べる事はできません。でも、柔らかいスティック状にしてあげると、4ヶ月頃から手でつまんで食べる事ができるというのです。つまり、赤ちゃんは自分の意思で食べ始めるのです。
手づかみ離乳食;離乳食に悩んでいるママ達へ 田角勝先生ご講演(2021.9.13)
ただし、この動画の赤ちゃんは4ヶ月なので、やっと首が座ったばかりです。この椅子はそんな赤ちゃんも1人で座ることができますが、首、背中、腰にかなり負担がかかると思います。この姿勢で飲みこむのも大変です。個人的には、このタイプの椅子は食事には使わない方がいいと思っています。
そして、この時期の赤ちゃんは、これが食べ物であるという認識はありません。なんでもお口に入れるので、偶然食べるという感覚でしょう。あくまでも主食は母乳です。
6ヶ月頃には新生児の吸啜反射がなくなり、指しゃぶりや喃語などで舌の動きが前後上下に動かせるようになり、顎も発達してきます。よだれが出て消化する準備ができる、歯が生えてくる、食べ物を口の中でモグモグしてゴックンできる、自分の意思で手と口の協調運動ができる、お座りができて体幹が整うなどの、食べるための準備を赤ちゃん自らが進めているのです。
やがて、親の真似をして目の前のものをつまんで口に入れるようになります。これが自然な姿なのかもしれません。
食べさせようとすると嫌がるけれど、スプーンを取り上げて自分で食べようとする。スプーンは左手に持って、右手で手づかみで食べる。などの話を良く聞きます。一生懸命食べさせようとするママにとっては、言う事を聞かない子、周りを汚す問題児です。
でも、それが本来の子どもの姿です。やる気が一番!子どもの要求を満たしてあげたいと思います。
そうなると、今までの離乳食指導は何だったのだろうと考えてしまいます。そもそも、スプーンで重湯から始めなければならない、という発想は与える側の勝手な思い込みだったのかもしれません。
さて、チビちゃんを観察していたら、どんぐりでも、木の実でもお口に入れようとします。おお、意欲はある!と感動しながら見守ります。
木の実をパクっと口に入れたので、無理やりお口を開けてつまみ出そうとすると口を閉じて抵抗します。でも、おいしくないものは飲みこもうとしません。やがてペッと吐き出します。遊びは練習でもあります。
ただ、危険と紙一重。それで歩き回られたら転んだ勢いでのどに詰まるかもしれません。
そんな遊びに飽きたお姉ちゃんが、ブランコを作りたいと言い出しました。以前、庭の木にブランコを作っていたのです。材料になりそうな板が目に留まりました。私は「設計図を書いてごらん」と促します。
お姉ちゃんは何をどう書けばいいのかわかりません。じいじのスケッチブックを見せて、先ず、作る前に完成図を描くのよ。そして、必要な板の長さや、穴をどこに開けるか?ロープをどうするか?どの木のどの枝に作るのか?を考えながら書いてごらんと言いました。
いきなり難易度が高くて、どこからどう書き始めていいのか、わからないようでしたが、何通りか書いて持ってきました。今度はじいじの出番です。じいじと相談しながら一緒に作って、完成させました。ご機嫌です。
これだから、学校より面白いのかなあ?私達にとっても、孫と過ごす時間は宝物です。親は生活に忙しくて気持ちのゆとりがありません。しかも、才能開発の○○育児には興味を示すけれど、自分自身がただ子どものそばに居て、子どもに浸りながら過ごすという発想がないかもしれません。
自分の子育てで「幸せだったなあ~」と思い出すのは、こんな何気ない日常のゆったりした触れ合いの時間なのです。
早く気が付かないと、もったいない!こんな幸せな時間は一瞬で過ぎ去っていきます。後になって、この時間がとても大切だったと思い知ります。子どもにとっても、生きる土台を作ってくれる大事な時間なのです。
社会がこの事を認識して子ども時代を豊かなものにしてあげて欲しいのですが、今は合理的、効率的、便利を重視しています。子育てなんて、その真逆の世界です。
働いている親が無理なら、せめて私のような祖父母世代が関わってくれたらいいのにと思います。高齢者と子どもはエネルギー的にも補い合えるのでうまくいくのではないでしょうか。そのためには地域のジジババ講座が必要です。
さあ、孫達が帰る時間が来ました。チビちゃんはもう瞼が閉じかけています。車の中でぐっすり寝るでしょう。お姉ちゃんは満足そうに車に乗って「バイバイ」と手を振ってくれました。
何て、かわいい孫達でしょう。今日もお付き合いありがとうね。猫は孫がいるのでしばらく家出をしていましたが、静かになったところを見計らって帰ってきました。犬は耳やしっぽをいきなり掴まれて疲れ果て、ぐっすり寝ています。私達にはこの静かな日常も必要です。
暖炉の上のヤカンがシューシュー音を立てています。私はとっておきのヒマラヤ紅茶をいれて、孫と過ごした幸せなひと時の余韻を楽しみました。
家の中に居ても豊かです。
だって、歩くだけで幸せ、坂を下るだけでこんなに幸せそうなのです。幸せの原点を思い出させてくれます。
推奨され始めた「手づかみ食べ」
そうこうしていると、お姉ちゃんが庭の材料でご馳走を作ってくれたようです。「ごはんよー」と呼んでいます。あったかそうなスープもあります。フーフーして食べていたら、チビちゃんもフーフーと真似っこします。もう、その感覚がわかっているようです。
葉っぱのご馳走 photo by かんなまま
想像の世界で遊べるなんて素敵!賢い子です。色々な味を体験するたびに甘い、しょっぱい、すっぱい、にがいを表情でも表しますが、万人が同じような顔をするので面白いなあと思います。
食べるって、生きていくためにとても大事な事です。どこまでが本能で、どこからが自分で経験していくものなのでしょうか?
ママ達と、食の始まりである離乳食の話をすると、今どきのママ達の子育て観が見えてきます。おっぱいは本能で飲めるけど、離乳食は5ヶ月頃になったらドロドロの流動食をスプーンを使って、ママ主体で食べさせながら教えるものと思い込んでいるようです。だから責任重大です。
でも、離乳食も赤ちゃんが主体のはずです。親は、赤ちゃんが食べたいか?その準備が整っているか?を見極めながら、おっぱいから食べ物に移行するお手伝いをするのです。ママ達はそれを無視して教科書通りに進めようとするので、うまく食べてくれないと悩むのです。
赤ちゃんは食べるのが嫌なのではなくて、その進め方が嫌なのかもしれません。
最近、推奨され始めたのは「手づかみ食べ」です。(手づかみ離乳食 田角勝著)ドロドロ状態だと自分で食べる事はできません。でも、柔らかいスティック状にしてあげると、4ヶ月頃から手でつまんで食べる事ができるというのです。つまり、赤ちゃんは自分の意思で食べ始めるのです。
ただし、この動画の赤ちゃんは4ヶ月なので、やっと首が座ったばかりです。この椅子はそんな赤ちゃんも1人で座ることができますが、首、背中、腰にかなり負担がかかると思います。この姿勢で飲みこむのも大変です。個人的には、このタイプの椅子は食事には使わない方がいいと思っています。
そして、この時期の赤ちゃんは、これが食べ物であるという認識はありません。なんでもお口に入れるので、偶然食べるという感覚でしょう。あくまでも主食は母乳です。
6ヶ月頃には新生児の吸啜反射がなくなり、指しゃぶりや喃語などで舌の動きが前後上下に動かせるようになり、顎も発達してきます。よだれが出て消化する準備ができる、歯が生えてくる、食べ物を口の中でモグモグしてゴックンできる、自分の意思で手と口の協調運動ができる、お座りができて体幹が整うなどの、食べるための準備を赤ちゃん自らが進めているのです。
やがて、親の真似をして目の前のものをつまんで口に入れるようになります。これが自然な姿なのかもしれません。
食べさせようとすると嫌がるけれど、スプーンを取り上げて自分で食べようとする。スプーンは左手に持って、右手で手づかみで食べる。などの話を良く聞きます。一生懸命食べさせようとするママにとっては、言う事を聞かない子、周りを汚す問題児です。
でも、それが本来の子どもの姿です。やる気が一番!子どもの要求を満たしてあげたいと思います。
そうなると、今までの離乳食指導は何だったのだろうと考えてしまいます。そもそも、スプーンで重湯から始めなければならない、という発想は与える側の勝手な思い込みだったのかもしれません。
さて、チビちゃんを観察していたら、どんぐりでも、木の実でもお口に入れようとします。おお、意欲はある!と感動しながら見守ります。
木の実をパクっと口に入れたので、無理やりお口を開けてつまみ出そうとすると口を閉じて抵抗します。でも、おいしくないものは飲みこもうとしません。やがてペッと吐き出します。遊びは練習でもあります。
ただ、危険と紙一重。それで歩き回られたら転んだ勢いでのどに詰まるかもしれません。
ただ子どものそばに居て、子どもに浸りながら過ごす
そんな遊びに飽きたお姉ちゃんが、ブランコを作りたいと言い出しました。以前、庭の木にブランコを作っていたのです。材料になりそうな板が目に留まりました。私は「設計図を書いてごらん」と促します。
お姉ちゃんは何をどう書けばいいのかわかりません。じいじのスケッチブックを見せて、先ず、作る前に完成図を描くのよ。そして、必要な板の長さや、穴をどこに開けるか?ロープをどうするか?どの木のどの枝に作るのか?を考えながら書いてごらんと言いました。
いきなり難易度が高くて、どこからどう書き始めていいのか、わからないようでしたが、何通りか書いて持ってきました。今度はじいじの出番です。じいじと相談しながら一緒に作って、完成させました。ご機嫌です。
これだから、学校より面白いのかなあ?私達にとっても、孫と過ごす時間は宝物です。親は生活に忙しくて気持ちのゆとりがありません。しかも、才能開発の○○育児には興味を示すけれど、自分自身がただ子どものそばに居て、子どもに浸りながら過ごすという発想がないかもしれません。
自分の子育てで「幸せだったなあ~」と思い出すのは、こんな何気ない日常のゆったりした触れ合いの時間なのです。
早く気が付かないと、もったいない!こんな幸せな時間は一瞬で過ぎ去っていきます。後になって、この時間がとても大切だったと思い知ります。子どもにとっても、生きる土台を作ってくれる大事な時間なのです。
社会がこの事を認識して子ども時代を豊かなものにしてあげて欲しいのですが、今は合理的、効率的、便利を重視しています。子育てなんて、その真逆の世界です。
働いている親が無理なら、せめて私のような祖父母世代が関わってくれたらいいのにと思います。高齢者と子どもはエネルギー的にも補い合えるのでうまくいくのではないでしょうか。そのためには地域のジジババ講座が必要です。
さあ、孫達が帰る時間が来ました。チビちゃんはもう瞼が閉じかけています。車の中でぐっすり寝るでしょう。お姉ちゃんは満足そうに車に乗って「バイバイ」と手を振ってくれました。
何て、かわいい孫達でしょう。今日もお付き合いありがとうね。猫は孫がいるのでしばらく家出をしていましたが、静かになったところを見計らって帰ってきました。犬は耳やしっぽをいきなり掴まれて疲れ果て、ぐっすり寝ています。私達にはこの静かな日常も必要です。
暖炉の上のヤカンがシューシュー音を立てています。私はとっておきのヒマラヤ紅茶をいれて、孫と過ごした幸せなひと時の余韻を楽しみました。
家の中に居ても豊かです。
アメリカでは、家族の誰かがいつも濃厚接触者になっているようです。でも、ワクチンを打っていれば検査も受けなくていい。症状がなければ学校にも行っていいそうです。
逆に、ワクチンを打っていなければ、検査、検査、待機、で職場や学校にも行けないそうです。
何が何でもワクチンを打たせたいのでしょう。
外に目を向ければ苦しくなりますが、私はおうちに居て幸せな時間を大切にしています。
さあ、今日は孫達がやってきます。