ままぴよ日記 89 「母を送る決意」

 99歳になる私の母がトイレで転んで、一気に寝たきりになってしまいました。
 できるだけ毎日そばに居てあげようと思っていますが、流動食を食べさせたり、おむつを替えたり、寝返りをさせたりしていると愛しい母であっても疲れます。

 でもお嫁ちゃんが小児科の研修に来てくれる時は、1歳の孫のお世話をします。年の差98!

 可愛いお口に歯が6本!私の長い箸を取り上げてポテトサラダを混ぜ混ぜしながら味見をしてくれます。散らかります。仕事が進みません。でも、何をしてもかわいい。孫をずっと見ていたい。私のエネルギーをチャージしてくれる存在です。

 お尻もかわいい!プワプワ。母はしわしわ(笑)。その存在を同時に見ると、それぞれの愛しさが募ります。

 みんな来た道、そして行く道ですね。
(かんなまま)
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今、99歳の母の介護のために実家に来ています

    
郵便局から続く小さな小道。一歩踏み入れた途端、あの頃の情景が蘇ってきました。時が止まったかのような、今も変わらぬ砂利道。小さな草花が道を覆い、春を告げる準備をしています。

60年前の私も草花に目をやり、隣の家のネコに挨拶をして、3軒先の京子ちゃんの家に「あ~そ~ぼ!」と大きな声で誘いに行ってたっけ。急に懐かしくなって胸がキュンとしました。

今、私は99歳の母の介護のために実家に来ています。母の代わりに郵便局のATMに行ったのですが、母から聞いていた暗証番号が違っていたのでブロックがかかってしまいました。



それを解除するには本人の委任状が必要だと冷たく言われました。もう母は筆圧が弱くなり、手も震えて委任状など書けません。困ったなと思いながら踏み入れた小道でした。

何だかそんな気分が一瞬で変わりました!「そんなことでくよくよするなよ!母との時間を愛で満たすために来たのよ」と、思い出の小道が我に返らせてくれました。

1週間ほど前、トイレで倒れて動けなくなった母。便座から立ち上がる力がなくてよろけたのでしょう。おむつを半分下ろした状態で何時間も倒れたままだったらしいのです。


「私はこのまま死ぬのだろうか?」トイレで死ぬ覚悟をしたそうです。気が遠くなりかけた時、兄が来てくれて事なきに至りましたが、母は失禁していたので着ていた服を全部脱がされました。事の成り行きに感情がついて行けずに「やめて!何という事をするの!」と兄を怒ったらしいのです。

母はそのすべてがショックでした。

その日を境に食欲がなくなり、立ち上がることもできなくなってしまいました。テレビも付けなくなり、大好きな新聞も開きません。

それまでは毎朝自分で起きて、よろける足で居間に行き、椅子に座ってテレビを大音量でつけて、自分で朝ごはんを食べていました。どんなにきつくても日中は横にならずに椅子に座っていました。

そして一日中、椅子に座ったままウトウトしていました。それを見かねて皆が「ベッドに寝たらいいのに」と言うのですが受けつけません。母は起きて椅子に座る事で自分の気力を保っていたのでしょう。

椅子から1人で立ち上がるのも大変です。途中の廊下はバリアアリー。床が抜けそうになっています。家も母と一心同体で年を重ねてきました。


そんな母が一夜にして顔つきが変わり、生きるために頑張るのをやめたのがわかりました。

「何かしてほしい事はない?」と聞くと「何もしないでいい。眠らせて」と言います。私はせめて口にできる物はないかと探しまわって経腸栄養ドリンクを買ってきました。義姉も同じことを考えて買って来てくれていました。同じ気持ちでお店を探し回った姿を想像して2人で笑いました。

母も一口飲んで「おいしい」と言ってくれました。熟成ジャンボ黒ニンニク入りの特製サムゲタンも作って持って行くのですが、ほんの一口食べるだけです。人は食欲がなくなり、口から入らなくなったら意識がもうろうとしていくそうです。死に行くために守られた体の仕組みです。

随分前に癌があるのがわかった時も、母は治療を拒否しました。幸い大きくなっていないようで、全く薬を飲んでいません。


ろうそくの灯が自然に燃え尽きるように


兄と話し合って母には点滴もしないで自然に見送ろうと確認し合いました。点滴をしても栄養が摂れないし、水分ばかりが増えて逆に体の負担になります。母はそれを望まないと思います。

ある葬儀屋さんが、昔のご遺体は枯れて軽かったのに、今のご遺体は水太りで重たい、と言われていました。点滴のせいでしょうか?

さて、母はその日から「今日は疲れたから居間に行かない」と言うようになりました。私達は自分で決めてくれたことにホッとしました。そして母の寝室に居間のテーブルセットを運びました。これで、みんな母のそばに居る事ができます。

これからも母の声を聞いて1つずつ母仕様に変えていきたいと思います。母の身口意が一致できたのか「ありがとう」とつぶやいてホッとした様子でした。

家具を動かしながら義姉が「何があっても救急車を呼ばないから」と言いました。「うん、ありがとう。救急車を読んだら蘇生されるものね。挿管しなくていいよ。苦しいだけだから。それより、私を呼んで!」と頼みました。

そう言いながら、2人して涙がポロポロ・・・。

このコロナの時期に、老人施設に入所したり、病院に入院したら会いに行けなくなります。それより、最期は自宅で自然に逝けるようにしてあげたいと思います。ろうそくの灯が自然に燃え尽きるように・・・。


幸い、兄が隣で内科医院を開業しています。兄も医師会の会長を辞めて母を自宅で介護すると言い出しました。優しい兄です。

家に帰って、夫に母の容態や兄の覚悟の話をしたら、夫までぽろぽろ泣き出しました。夫が泣くなんてびっくりするやらおかしいやら悲しいやら・・・。2人で泣き笑いをしました。

そして「娘として後悔しないようにね。毎日お母さんのところに行ってあげたらいい」と言ってくれました。幸い、私はコロナで失業中。明るい引きこもりをしているところです。できるだけ母のそばに居てあげようと思いました。

という事で、この原稿も母のところで書いています。隣で小さな寝息が聞こえます。かと思えば突然鼻歌が聞こえてきます。母が目を覚ました合図です。母は歌が好きで起きている間中歌っているのです。

母がふと、気が付いてカレンダーに目をやりました。「今日は1日?7日?」1の字が7に見えたのでしょう。「1日よ」と私が言うと「もう2月の1日?いい日だね~」だって。何がいい日なのでしょう、母にとって毎日がいい日なのです。幸せな人です。


神様、どうか、このまま自然に母を逝かせてください。願わくば、母の最期を私の腕の中で見送りたいと思います。かつて、私の祖母が母の腕の中で亡くなったように・・・。

母との別れまでの豊かな時間を与えてくださってありがとうございます。


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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