ままぴよ日記 96 「今、目の前の事に専念するだけの日々」

 新緑がきれいです。本当にきれい!
 毎日、目の前の事をしているだけで過ぎていきますが、確実に季節は変わろうとしています。
(かんなまま)
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愛犬の具合


愛犬の具合が悪くなって一か月。
夜中と、朝起きた時の容態でその日一日の過ごし方が変わります。相変わらずおしっこは黄色。胆のう嚢腫はそう簡単には治ってくれないようです。肝臓も一進一退でしょうか、便の色が白くなる時は要注意です。

朝からじっとうずくまって何も食べない日、やっと食べてもすぐに吐き戻す、と思えば庭を軽快に歩く日もあります。犬は自分の体に正直です。


ただ、とても甘えん坊になりました。私の姿が見えないと探し回って啼きます。玄関で帰りをずっと待っている時もありました。毎日病院に預けられて点滴を受けていたので一人ぼっちになるのが嫌なのでしょう。病気も心配ですが、総合的に見て、家にいる方が元気になるので、もう病院に預けるのをやめました。

そして、愛犬の状態に一喜一憂するのにも疲れました。私の気分が変わるだけです。それより、私のそばに居たいだけ居てくれたらいい、その刹那を大切にしようと思うようになりました。選ぶのは愛犬自身ですからお任せするしかありません。

でも、愛犬が離れなくなったので母の所に泊まりに行く事ができなくなりました。


母を見舞うのは私のため


母は比較的落ち着いています。健康で薬も飲んでいません。これが老衰というものなのでしょうか、ウトウト眠っている時間が長くなり、自分で食べなくなり、起き上がれなくなりました。

寝返りができないので、皆で体位変換をしていたのですが尾骨近くを痛がるようになりました。よく見ると赤くなっています。褥瘡ができると厄介なので、ケアマネージャーさんに相談して電動エアーマットをリースする事にしました。



高額なマットレスですが、要介護5なので安く利用できました。ありがたい事に赤みが取れて痛いと言わなくなりました。電磁波などの問題があると思いますが、褥瘡予防と、兄夫婦の負担軽減のために選択しました。

問題は、睡眠のリズムが3日おきになったことです。3日しゃべり続け、3日ぐっすり寝る日が続き、兄夫婦が万年睡眠不足になってしまいました。

しゃべっている時は独り言が多いのですが、時々「今から実家に帰ります」と、信じられない勢いでふとんを蹴落とし、起き上がろうとします。それで日中も目を離せなくなりました。

もともと明るく穏やかな性格の母。こんな状態になっても「ありがとう」「さいこう!」「ばんざーい」と言って、おむつ交換や清拭、リハビリの方たちの人気者です。

目を覚ました途端、にこっと笑えるなんて素敵です。時々「あーびっくりした!雀がいっぱい遊びに来たよ」と、かわいらしい妄想を話してくれます。そして、「来てくれてありがとう。何か食べていきなさい。早く帰りなさい」と言う母。

義姉も疲れているけど、「かわいい」「私はこんな状態で、こんなに笑っていられるだろうか」と言いながら介護してくれています。

でも、兄夫婦の体力、気力にも限界があります。私が思うように行けなくなったのと同時に2番目の兄も糖尿病、3番目の義姉が手術をすることになったのです。介護も長期戦になると色々な事情で助け合えなくなってしまいます。

現実、自宅で介護するのは思った以上に大変です。付きっ切りではないにしても、自分の自由がない、オフの日がない、それがいつまで続くのかわからないのがストレスです。とうとう、兄夫婦が今後の事を皆で話し合いたいと言ってきました。

話し合った結果、お試しに2泊3日のショートステイをする事になりました。ただ、心配なのはコロナで思うように面会できない事です。

そして、母の立場になれば、いつも誰かが会いに来て、母なりに語らって心穏やかに過ごしていたのが、いきなり知らない部屋で1人ぼっち。想像しただけで胸が詰まりそうでした。


でも兄夫婦の事を思うと、少し楽にしてあげたいとも思います。こんな時は一番困っている人に合わせるしかありません。

その日がやってきました。せめて、次の日に面会に行こうと思っていたのですが、息子が代診に来る日と重なってしまいました。1歳5か月の孫も5月から保育園に預けられて毎日泣いているそうです。「休ませて連れて行っていい?」と電話がありました。「もちろんよ!」と、また優先順位が変わりました。

孫を連れて子育て広場に行く事にしました。でも、保育園と勘違いしたのか、着くなり体が緊張して顔が引きつっています。私にしがみついて離れません。いつも保育園で、こんなに緊張しているのかと思うと胸が痛くなりました。ぎゅっと抱きしめて、ばあばとだけ遊びました。

その後、家では落ち着いていたので、タイミングを図りながら愛犬と孫のお守を夫に頼んで、ダッシュで母の所に行きました。

母は呼びかけても目を開けません。でも私に気が付くと嬉しそうに「あるがまま」と言いました。スタッフの方の話によると、気持ちよさそうにお風呂も入って、流動食も完食して「ばんざーい」と言ったそうです。


手を握ると「はあ~肉厚であったかいね(笑)きもちいい~」と言いながら母の体が緩んでいくのがわかりました。その時、私は母に長生きしてほしいというより、恩返しをしたいのだと確信しました。母を見舞うのは私のためであり、私のやりたい仕事だと思いました。もちろん、義姉にもゆっくり休んでほしいと願っています。


アットホームな施設で幸せそうにしている義母


そうこうしていると、今度は94歳になる義母の具合が悪くなりました。認知症なのでグループホームにお世話になっています。コロナで面会が制限されていたので主治医の夫だけが行って、私は2ヶ月ほど会っていませんでした。

夜中から胆のう周辺を痛がっているので検査をするために病院に連れていく事になりました。ずいぶん前に胆管が詰まって入院したことがあります。久しぶりの義母は私を見て大喜び。

不思議なことに今の事はすぐに忘れるけど、昔の事はよく覚えています。待ち時間に家族のアルバムを見せました。いろいろ話すうちに「私は何でここにいるの?」と言い出しました。


「お腹が痛いんでしょう?」と聞くと「どこも痛くないよ」と言う義母。「ここは?そこは?」と押さえても痛がりません。もうすぐ診察です。母が真剣な顔をして「先生に何て言おうか?」「どこも痛くありません、と言って帰ろう!」と嬉しそうに言うので、おかしくなって笑いが止まらなくなりました。

色々なことが重なり、心配していただけに、この義母の言葉が私の笑いのツボにハマったようです。こんなことで笑っている自分が又おかしくて・・・笑いすぎて涙が出てきました。

何だか本当に楽しくなってきました。義母も嬉しそうに笑っています。まるで子どもみたい!

そう、起こってもいない心配事に囚われないで、子どものように今を生きればいい。笑っているうちに、いっぱい、いっぱいの気持ちが軽くなっていきました。私は義母のおかげで涙まで流して、ため込んでいた気持ちを流させてもらいました。

結局、体は大丈夫でした。義母は入所している事をすっかり忘れています。施設の方が迎えに来たのを見てキョトンとしていましたが「大丈夫、自分の部屋があって、お友達も待っていますよ」と言ったら「あら、そうなの?」とケロッと帰っていきました。でも、私の手をぎゅっと握り「もう帰るの?」と言ったときは胸が詰まりました。

「ごめんね」そして「ありがとう」の気持ちでした。

若いころ、義母から言われた言葉に何度も傷ついた事があります。認知がひどくなって7年間、翻弄され、悩んだ日々。施設に入所する時も、これでよかったのかと涙が出ました。

幸い、小さいけれどアットホームな施設で幸せそうにしている義母。コロナになって会えなくなっても、そのこと自体を忘れている義母。でも、夫や私の顔を見ると嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれます。

もしかして義母は私達の為に認知になってくれたのではないかと思うほどです。


おかげで今に専念できる日々


それにしても私は、家庭の中にいるだけなのに、家族が多い分、目の前にやってくることも多いようです。夫は世に言う定年をはるかに超えた年齢になり、仕事に疲れています。若者のワクチン接種が進まないので国からの通達で休日返上で働いています。

夫は「ウイルス学者の責任」の本を読みながら大きくうなずき、ワクチン政策の矛盾を感じて更にストレスを溜めているようです。


結局、5歳からのワクチンは6%以下でした。先日、患者さんから「HPを見て子どものワクチン接種をやめました」と言われた時は嬉しかった!

成人のワクチンも、今や24人分枠で予約は3~4人の事も。残りはすべて廃棄です。打つのもストレス。お金(税金)のことを考えたら捨てるもストレスです。

私は愛のマントラありがとうのマントラで怒りを変換しています。夫の事を考えたら、せめて旬のおいしいものを食べさせてあげたい!

息子の住むフィンランドが軍事的中立をやめてNATOに加盟する?平和であってほしいと思います。祈るしかありません。夏休みをとって一時帰国をするようですが、ロシア経由で帰れなくなったので8時間だったのが20時間もかかるそうです。

オーストラリアの娘家族は家賃がどんどん値上がりしているので、いよいよ家を買う決心をしたようです。ところが中国の富裕層が家を買い占めているので東京よりも高くなっているとの事。大丈夫でしょうか?

アメリカの娘家族は帰国に向けて準備を始めました。家族6人が暮らしながら荷物を振り分けて日本に送ったり、現地で処分する作業は大変です。アメリカと日本の学校の手配、親の仕事先を見つけるのも一苦労です。娘は一人で全部引き受けているので倒れないかと心配です。祈るしかありません。

こんな日々で、毎日何をしたかも思い出せないし、明日何をするのか想像もできません。全て家族の動きに合わせます。

では「私はないの?」と聞かれたら、「私があるからできる仕事です」と答えます。私の大事にする軸があるから、ぶれずにやれるのだと思います。それは竹下先生やシャンティ・フーラの情報から学びました。

最近、同年代の友人が「この年になって、過去の過ちばかり思い出される。自分の言動で人を傷つけたこともあるし、あんなことしなければよかったと思う」と言いました。それを聞いていた他の友人も「そうそう、すぐ考えるよね」と。

私はそれが全くない事に気が付いてびっくりしました。なぜないのでしょうか?穴に入りたいほどの過ちは山ほどあります。人を傷つけたこともあります。今でも、毎日至らない事ばかりです。

でも、長年、それに向き合ってきたなあと思います。いつの間にか、心がざわつく時は内省するようになりました。それは全て自分の問題だからです。時間がたっていても謝れるときは謝ります。相手に届けられない時は心の中で真剣に謝罪します。もっとひどい時はカルマ軽減の祈りをします。

そして、過ちも学びだと思い、その時の自分を許します。同じように自分が傷つけられたと思った人に対しても許す作業をしてきました。おかげで今に専念できる日々です。

最近、雀が小雀を連れてきて餌をせっせと運んでいます。かわいいです。明日も食べられる保障はないけど、今一生懸命に子育てしている姿を見ると、「これだよな!」と思います。



Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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