ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝84 ― 「対テロ戦争」の始まり

 日本時間では9月10日夜、午後9時46分に、ニューヨークのワールド・トレード・センター北棟に旅客機が突っ込んだとの報道が流れました。同日、帰宅したテレビからは、幾度も幾度も次の午後10時過ぎにワールド・トレード・センター南棟に旅客機が突っ込む映像が飛び込んできました。「911テロ」の発生です。
 最初の報道から私の頭の中ではアラーム音が響き、「何かおかしい、変だ、違うぞ」との違和感が渦巻いていました。その感覚は正しいものでした。実際に911テロから1日経過するぐらいから、ネット世界の掲示板では「自作自演説」が駆け巡るようになっていたのです。
 それはそうなのです。当時でもニューヨークなどはびっしりと監視衛星に囲まれている中だったので、「少なくとも米軍は意図的にテロの発生を見逃したはずだ。」 911テロ発生から間もなくに私は思っていました。当時からの報道で伝えられているような「テロリストのアラブ人グループが旅客機をハイジャックし、操縦してワールド・トレード・センター、そしてペンタゴンへ突入」などありえないと思ったのでした。
 ただし、あれから20年以上経過した現在でも、この当初報道が911テロの通説になっています。ネット世界での常識とは全く異なるこの911テロ通説を未だに信じている人びとは、どうやら「裸の王様」のありもしない「見えない衣装」が見えてしまっているようです。マーヤ(幻想)の中にあると言えるでしょう。
 「裸の王様」物語で、王様や家来そして民衆を騙した二人の詐欺師は、布織り職人とふれこみ「ばか者には見えない布を織る」と言ったのでした。二人の詐欺師とメディアが重なります。「ばか者には見えない布(事実の報道)」とのメディアの喧伝に振り回され、「見えない衣装」=「ありもしない 対テロ戦争」のウソによって世界は破壊されていきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝84 ― 「対テロ戦争」の始まり

不正疑惑選挙でブッシュJr. が大統領に


2000年11月の米国大統領選挙はその後に大きな影響を与えるのですが、この大統領選は共和党のブッシュJr. と民主党前副大統領のアル・ゴアとによる大接戦でした。

アル・ゴアとブッシュJr. の第1回大統領選挙討論会
Wikimedia Commons [Public Domain]

ただしこれ以前の段階で、この二人以外に本来ならば本命となるはずの大統領候補があったことを『櫻井ジャーナル』では度々指摘しています。誰あろうあの暗殺(公開処刑)されたケネディ大統領の息子であるケネディ・ジュニアです。2018.09.11記事に以下にあるような通りです。

本人は出馬の意志を示していなかったが、1999年前半に実施された支持率の世論調査ではブッシュとゴアをケネディ・ジュニアは5ポイントほどリードしていたのだ。もし、JFKジュニアが出馬するならば2大政党以外の候補が大統領に選ばれる可能性があった。
勿論、そうした展開にはならなかった。1999年7月16日、ケネディ・ジュニアが操縦する単発のパイパー・サラトガが墜落、同乗していた妻のキャロラインとその姉、ローレン・ベッセッテとともに死亡したのである。

死亡したとされたJFKジュニア夫妻は、実は生き残っていたことが時事ブログ内では伝えられていますが、ともあれ2000年の米国大統領選には、1999年7月をもってJFKジュニアはその候補者としての姿を消しました。

激しい争いとなったブッシュJr. とアル・ゴアとの2000年大統領選、そしてこの大統領選の結果を巡っては更に揉めに揉めました。11月7日開票の大統領選は、最後はフロリダ州の結果しだいとなります。

獲得選挙人:ブッシュJr. 271アル・ゴア 266
Wikimedia Commons [Public Domain]

11月8日、一旦はブッシュJr. 勝利の報が流れ、ゴアが敗北宣言を出すも得票差が少なく、ゴアが宣言を取り消し再集計に。機械での再集計は不可解なものとなっていたので、ゴア側は手作業による集計を要求します。

これにブッシュ陣営は反対。とうとう州最高裁を巻き込む訴訟合戦に発展。州最高裁が手作業による再集計を命じると、ブッシュ陣営が連邦最高裁に提訴。連邦最高裁は12月12日、州最高裁の判決を破棄。この結果ゴアは敗北を認め、大統領選はブッシュJr. の勝利に。

開票の結果や方法を巡って法廷闘争の応酬にも陥った大統領選が、選挙当日以降に1か月以上も経過してようやくの決着となりました。

この選挙は自動開票機が問題となり、この投票マシーンで容易に開票不正が行われることから、当時において『★阿修羅♪掲示板』などを中心としたネット世界では、この機械による自動開票機が日本でも適用されることへの危惧が話題になっていました。

投票マシーンの不正だけでなく、この2000年大統領選について『櫻井ジャーナル』2016.02.09記事では以下の指摘もあります。

ゴアへの投票を減らすため、怪しげなブラック・リストや正体不明の「選挙監視員」による投票妨害が報告されている。正当な選挙権を行使できなかった市民が少なからずいたと報告されている。集計の過程でゴアの得票が減っていると指摘する報道もあった。


911同時多発テロの発生


2001年1月、ネオコン/シオニストに担がれた共和党のブッシュJr. 大統領が誕生しました。その2001年の9月11日、あの「911同時多発テロ」が発生しました。次の事柄が起こされたとなっています。
  • 4機の旅客機がハイジャックされ、そのうちの2機はニューヨークに向かいワールド・トレード・センターのツインタワーにそれぞれ激突。
  • 別の2機のうちの1機はペンタゴンへ激突、最後の1機はワシントンD.C.に向かうが失敗し墜落。
公的と言おうか表の世界では未だに911テロは、イスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃とされています。


この状態はバカバカしい限りではありますが、先ずはその直後のブッシュJr. 大統領の言動を確認してみましょう。以下は2009年1月18日AFPニュース「ブッシュ米大統領の名言・迷言を振り返る」記事からです。

「これらの行為をしたテロリストと彼らをかくまう者たちを、われわれは区別しない」-2001年9月11日、米同時多発テロ当日の談話、ワシントンで。
「昨日わが国に対して実行された入念な、そして破壊的な攻撃は、単なるテロ行為ではない。これは戦争だ」-2001年9月12日、ワシントンで。
「わたしは正義を求める。古い西部劇のポスターにあったのを思い出す。『お尋ね者:生死を問わず』」(米同時多発テロの犯人に触れて)-2001年9月17日、ワシントンで。
「すべての地域のすべての国が今、下さなければならない決断がある。われわれの側につくか、テロリストの側につくかだ」-2001年9月20日、ワシントンで。

当時この事件の勃発で、米国内は大パニックの様相を見せていました。なんともタイミング良くと言うべきか、待ち構えていたと言うべきか、映像を用意していたと言うべきか、当日生中継という形態として、ワールド・トレード・センターに旅客機が突っ込む映像が、世界に大々的に流されてもいました。

その大パニックの中で、ブッシュ大統領は「対テロ戦争」を宣言。地上世界すべての国家と民衆に対し「われわれの側につくか、テロリストの側につくか」の選択を迫りました。これに「いの一番」で「あなたについていきます」と態度を鮮明にしたのが日本の小泉首相でした。

そして、9月11日の攻撃から1カ月もたたない10月7日、ブッシュJr. 政権はアフガニスタン空爆を開始したのです。当時アフガニスタンのほとんどを支配していたイスラム原理主義武装勢力のタリバンが、アルカイダやオサマ・ビン・ラディン容疑者をかくまっていると、ブッシュ政権は主張したのでした。その主張の根拠は全く不明でしたが…。

Wikimedia Commons [Public Domain]


ビジネスパートナーだったブッシュ家とビン・ラディン家


911テロ発生からすぐにブッシュJr. 政権は、アルカイダおよびアルカイダの首領であるオサマ・ビン・ラディンが、911テロの犯人だと指定し、メディアが大々的に発表しました。

ウサマ・ビン・ラディン(左)とアイマン・ザワヒリ(右)
Author:Hamid Mir [CC BY-SA]

アルカイダおよびオサマ・ビン・ラディンの正体については、外伝78ですでに見ています。

アメリカ側の稀代の戦略家ズビグネフ・ブレジンスキーが1979年のイラン-イスラム革命を利して、アフガニスタンの当時の共産主義政権の転覆、およびソ連のアフガニスタンへの軍事介入への引き込みのために生み出したのが「ジハード(聖戦士)団」でした。「ジハード団」はサウジアラビアに雇われた傭兵団でもあり、これに軍事訓練を施し、戦闘集団に仕立てたのがCIAでした。

アルカイダはジハード傭兵団の派生といおうか、ジハード傭兵団のデータベースが「アル・カイダ」だったとされます。ビン・ラディンは「ムスリム同胞団」からスカウトされ、ジハード傭兵戦闘員をアフガニスタンへ送り込む仕事をしていたと『櫻井ジャーナル』で指摘されていました。アルカイダの源流を辿っていけば、サバタイ・ツヴィの弟子団に行き当たりもします。

ともあれ、ジハード団であるアルカイダなどはアメリカ側の「お仲間」であり、手駒だったのです。そもそも911テロの犯人とされたビン・ラディン一族は、ブッシュ一族とのビジネスパートナーだったのです。ブッシュ一族とビジネスパートナーだったビン・ラディン」ぐらいで検索すればその情報が続々と出てきます。他にもありますが以下のような内容です。
  • ★ ブッシュSr. が顧問を務める軍事投資会社のカーライル社にビン・ラディン一族は投資。911テロで軍事株が跳ね上がりブッシュとビン・ラディンともに大儲け。
  • ★ ブッシュJr. が70年代に石油・ガス採掘会社「アルブスト・エネルギー」を設立、ここにオサマ・ビン・ラディンの兄サレム・ビン・ラディンが出資、事実上の共同経営者だった。
ブッシュJr. とサレム・ビン・ラディンが「アルブスト・エネルギー社」の 事実上の共同経営者だったことは、2001年9月25日に朝日新聞も報じていました。欧米の多少の知識層であれば「ブッシュ一族とビン・ラディン一族はビジネスパートナーだ。」は常識だったでしょう。

ところがさて、このオサマ・ビン・ラディン、911テロ後の報道上では米軍特殊部隊などに追い回されて、幾度か殺害されたのを記憶しています。「ビン・ラディンは何度死ぬんだ?」と思ったものです。それ以上に報道上で幾度も殺されたのは、アルカイダ副官とされたザワヒリでしたが…。



Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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