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母の命日
以前に時事ブログで、私の父の超老老介護について書きましたように、私の母は、2015年2月11日にくも膜下出血で倒れて、脳動脈の手術後、ある程度回復したようになり、自宅に戻り生活をしていたのですが、2年後の2017年9月に脳梗塞になり、寝たきりで経管栄養の状態になりました。最初は介護病院に入院して、父が毎日病院に通う生活をしていたのですが、コロナ時代もあって、父は母の介護を自宅でするようになりました。(経管栄養も父が自分で作業できるようになり、素晴らしかったです・・)ちょうど、自宅での介護をはじめたのが、2021年7月ですので、2年5ヶ月経過後のこと・・・
2023年12月24日 ドイツ時間20時ごろ(日本時間25日午前4時ごろ)、なぜか私はPie Jesuの曲を聞いていたところ、、、30分ほど経ってからかな・・、父からのスカイプの呼び出しが突然なりました!!日本ではこんな早朝に、どうしたんだろう・・と思っていると・・
「ママが死んだ・・!」
えっ、と息を飲みましたが、とっさに私は、「大丈夫よ!ママはそこにいるよ!」と父に伝えました。父は、安心したように、「そうだね・・」と言ったのです。「医者に連絡した?」と聞くと、「今、呼んでる・・」とのこと。私は、その後、スカイプにて、医者や看護師、介護士が家に来て最後の処置をしている様子をずっと見ていました。
思い返せば、2週間前ごろから、母の腕などが柔らかく軽くなっている・・と父が言っていたのです。前日は、酸素濃度が低くなっているので、医者を呼んだのに、大丈夫だと言ったらしいのです。
ということで、2023年日本時間の12月25日・・が母の命日になりました。母の命日・・これはきっと神さまのお導きなのかもしれません。父も老老介護で2年5ヶ月を過ぎて疲れてきているし、最適な日を選んでくれたのだと感じています。
今後は、12月25日をクリスマスという名のニムロデの誕生日としてではなく、母の命日として・・毎年ケーキを食べることにします🤣
死後3日間は気絶している・・
『(人が亡くなってから)3日間は火葬しない方がいい。(中略)...霊は肉体の心臓の所に入り込んでいて、そこに3日間留まっているので、本当は(死後3日間は)燃やさない方がいい(引用:宗教学 初級コース第251回秘密伝承(スウェデンボルグの霊界1)』と、私は映像配信で学んでいたので、それを父にも伝えていました。
父が葬儀屋に連絡すると、とてもアクションが早いらしく、すぐにものすごい量のドライアイスを持ってきて、設置したそうです。
冬なのに、そんなにいるのかな??と私は思いましたし、冷たすぎるのでは・・とも思いました。そして、調べてみると、ドライアイスの二酸化炭素中毒事件がありましたので、すぐに父に伝えると、父もすぐに連絡して、葬儀屋はドライアイスを密閉するように処置してくれたのです。その間に、父は、母の頭のあたりから、もやーーーんとした湯気のようなものが見えたと言っていました。それって、母の魂が肉体から抜け出すのが見えたんじゃないかな??と思いました。(母が寝ていた部屋には、アジュナー・チャートがあったから✨かもしれません・・)
3日を過ぎてから、父と妹で母の火葬をしました。私は母に赤い薔薇の花束を送ったので、薔薇を母の上に散りばめて一緒に火葬したそうです。(普通は白い薔薇が常識かもしれませんが、私は赤い薔薇の方が母に似合うと思ったので・・)
死後3日間は気絶していること、魂が抜けていくことは、下記で学ぶことができます。
死後3日間は気絶していることについて
・「おそらく、3日後に中村哲氏の霊体が目覚めた時に、天界から迎えの馬車が降りてくる手はずになっているのではないかと思います。」
・「翁長氏は偉大な人物で、魂が残っている稀有な政治家の1人です。なので、死後3日間は気絶していますが、3日後に蘇ります。」
魂が抜けていくことについて
・初級第277回神智学(進化段階と光線構造)より(30:07より解説)
私の思い
多くの方が私の行動が変だと思うかもしれません。
「お父さんが在宅老老介護している間、帰国しなかったの?」
私は母が2015年にくも膜下出血で倒れてからも毎日スカイプを繋いできましたし、そして、ずっと前の私が結婚して実家を離れてからも、実家にもよく帰りましたし、スカイプのない時代は母に毎日電話していたし・・・物理的に離れていたとしても、母といつも話をしてきたし、全てを見てきた確信のようなものがありました。なので、急いで現場へ直行する必要はないと考えました。今から思うと、母の『愛』は深かった・・と感じています。だからこそ、母はいつも私と共に今もいると感じています。だからこそ、私にとって、そんな儀式や行事のようなものは関係ないのです!
また、母が亡くなり、すぐに父がスカイプで連絡してくれたので、医者が到着するよりも早く母のことを見ていたからでもあります。
( •᷄ •᷅ ).。oஇ(でも、本当は後悔していることがあります。もし、私がもっと早く、2001年ごろにシャンティ・フーラに出会っていて、大切なことを母に伝えていたら。。もしかして、くも膜下出血を避けることができたかもしれない・・ということです。私がシャンティ・フーラに初めて出会ったのが2013年ですが、本格的に気づきを得たのが2015年以降、ドイツに来てからなので、母に大事なことを伝えることが不足していたのです・・)
本当は、父が老老介護している間、日本に行って、介護の助けをした方が、もしかして、父は楽だったかもしれませんが、思うに、父は単独でやることが好きなネジレ体癖(8-3)、私が日本に帰国するのは、毎日の生活のリズムが変わってきて、きっと邪魔になるであろう・・・意外にも負担になるであろう・・私はそんなふうに考えたのです。
父には、毎日の生活ペースを守り、身体を維持してほしいと思いました。12月25日に母が亡くなってからは、3日間安置して、父も気落ちすることなく、今後やること、することを進めていきました。
これは、本当におかげさまで、父もガヤトリー・マントラの祈りの3マラをしていましたし、(今では、1日に3回も、5回もしているようで・・)愛しています、ありがとうのマントラも唱えていたからだと思います。
私もおかげさまで、母の死を悲しいとは微塵も思わず、父に介護されていた母の気持ちは幸せに満ち満ちていると感じました。不思議なことに、私は明け方ごろだったか・・、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のような風景が見えました。そして、母が12月31日に出発する銀河鉄道の切符も・・。光に溢れて、素敵な光景だったような気がしました。
死後の行事は火葬のみのミニマルで
生前の母は、世の中の風潮に流されて、お墓なども用意していたようですが、父と私は映像配信で言われていたことを通していろいろと検討して、ミニマルなものにしようと決めました。
火葬の依頼だけをすれば、とてもミニマルで、火葬の後は、遺骨を布の袋に入れて、桐の箱に入れてくれるので、それだけで十分です。(父によると、壺に入れると重たいので、布の袋が良いそうです。)母の遺骨は、桐の箱に入れて、実家のリビングに置いてあります。私は、桐の箱の上に母が好きだった帽子を載せました。これでいい、他は何もいらないな・・と思いました。
面倒な行事などは、もう必要のない時代に来ているのかもしれません。火葬でお別れをしてそれで十分だと思いました。建前的な儀式よりももっと大切なことがありそうです。
死後の行事はミニマルでよいと決めることで、何も心配などをせずに、生きている間に、ヤマ・ニヤマを守り正しく生きて、心を浄化していくことの方こそを大事にしたいな・・と思った次第です。
多くの方が、死を忌み嫌い、恐怖を持っているように感じますが、毎日ヤマ・ニヤマを遵守して、毎日ガヤトリー・マントラの除霊と浄化の祈りをすることで、神への全託へ導かれて、怖さなどがなくなるのではないかな・・と経験から感じました。
おまけ
ドイツのベルリンの大学では、息子と同世代(少し上なのかな・・)ピアニストの藤田真央さんが学ばれているそうです。それを知ってから、なんと藤田真央さんが弾くラフマニノフの曲はロシア人よりも素敵なことに気づいて・・藤田真央さんのピアノの音色は、ラフマニノフの難解で重厚な音をがなり立てずに弾くところがとても気に入っています・・
母と一緒に聴きたい曲🎵好きなメロディー満載のラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴く毎日です・・
※動画は配信元でご覧ください(画像をクリックすると配信元へ飛びます)
そして、✼••┈┈┈┈••✼暑中お見舞い申し上げます🌻✼••┈┈┈┈••✼
ユリシスさん・・どうしたのかしら??と思われていないかな・・と、ずっと気に掛かっていましたが・・ドイツで活動しながら・・変わらずに平穏な毎日を過ごしておりました♩.•¨•.¸¸♩
ドイツは実は色々と真実を書くことができない国でして、(書くのなら英国で書いて!みたいな・・)、ドイツではタブーと言われる内容の映像配信をドイツで楽しんでいる私も笑える、ウフフ♩.•と思いつつ、祈りを中心としたシャンティ・フーラ的生活だけに絞ったミニマルな生活を構築していました♩.•¨•.¸¸♩
愛を拡大すること、期待せずに見守ること・・という映像配信や時事ブログなどの教えを守りつつ、息子も成長していき・・見守ることは忍耐だー、日本だと就職する時期なのに、ドイツは学生の間は25歳まで子供手当も支給されて、まだまだ最終子育て続行中で・・・♩.•¨•.¸¸♩
お休みしていた期間には、悲しい出来事もありましたが、おかげさまで、悲しいと思うことなしに平穏な心でいられたこともあり、それをお伝えしたいと思ったことを前半に、また、6月にはなんと10年ぶりに東京に一時帰国したので、(2013年の東京の家をダウンサイズするために引越しの準備をしたのが最後でしたので・・)感じたことを後半に書き留めたいと思っています♩.•¨•.¸¸♩.•*¨*•.¸¸