90歳のおじいさんは15歳から山仕事を始めた。朝明ける前にわらじを作り、それを履いていくつもの峠を越えて仕事場に着く。木々の中に一人ぼっち、斧で木を斬る。カーンカーン、という音。歌を歌うということはなかった。この木一本でどれだけ家族が飯を食えるか。そう考えながら斧を振る。
— seonatsumi (@seonatsumi) September 19, 2022
帰り道、峠の上り下りは沈んでゆく太陽との追いかけっこのよう。日が暮れる頃に家に戻るとわらじは雪で固まっているので、木槌で叩くと、その結晶がきらきらと飛び散る。ぱさり、ぱさり。
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青年期には斬った木を運搬する橇引きに転職する。唐鍬で道を引き、山のヒダには丸太で桟橋をかけて橇を通す。山を出来るだけ傷つけないように仕事するのは、山は水の神様であり田の神様であるから、みな当然のようにそうした。重い木々を重ねて運ぶ橇を操るのは命懸けの作業だが、それが日常だった。
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ある日山で作業していると、どこからかエンジン音が聞こえてくる。なんだろうと見に行くと、チェーンソーで木を斬る人。人力だと2ヶ月かかった作業が、チェーンソーだと3週間でできるという。それから一気に山仕事の回転が速くなり、賃金は大暴落、山は見る間に禿山になっていく。
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橇引きの仕事はしばらく続いたが、その後トラック運搬が主流になる。大きな車を通すために山を伐ってジグザグと太い道を作る。雨になるとそこへ水が滑り落ち、砂利が流れるために川が汚れる。山の保水力が落ちて災害のリスクが上がり、里山の農業から海にまで影響が出る。
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ジグザグとイナズマみでに傷付けられた山肌を見っと、おれ、まるで自分の身体傷つけられてるようだった。おじいさんはそうつぶやく。
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機械化が進み、山仕事の賃金が暴落したためにおじいさんは町内に誘致された工場に転職する。家族を養うために背に腹は変えられない。仲間たちと植えた木々は外国材の輸入によって値段がつかなくなった。手入れする価値も見出せず、みなサラリーマンになって、山に人が寄り付かなくなり、荒れてゆく。
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3年前の台風によって山から土砂が流れ込み、おじいさんの集落は埋まってしまった。避難所でひとり、なぜ山が崩れたのか、おじいさんは考え続けた。
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山の恵みをいただくけれど、また再生するように山を労わりながら、循環を促しながら、長いこと山と付き合ってきた人びと。たった数十年前に始まった機械化によって、その信仰、山と村人たちの暮らしの物語さえも消えてしまいつつあったという事実。
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自然と一体となって守り守られていた山仕事が、破壊行為になっていく過程は、日本人が自らを傷つける姿だったのかもしれません。おじいさんの失った生き方は、日本人が失った環境だったように見えます。
自然と共に生きてきた体験と知恵を、今ならまだ次世代に繋ぐことができるかもしれません。寄ってたかって破壊してきたものを正しく認識して、再生に転換する時期がきているような気がします。