アーカイブ: ユダヤ問題

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第14話 ― 統一通貨「圓」

 「虫の目」的に特務機関と、それぞれが夜の満洲の帝王、阿片王とも称された甘粕正彦と里見甫にスポットを当てて、民間の阿片事業特務機関が生み出した莫大な収益が関東軍に流れていたのを見ました。
 ただし、関東軍の活動資金は、この阿片事業の収益以外の主力となる資金がありました。かつてNHKスペシャル「圓の戦争」などで「関東軍は朝鮮銀行に通貨を発行させて軍資金を賄っていた」と指摘されています。
 関東軍が独自に朝鮮銀行から資金調達していた、これは大変なことで、実質的に関東軍は「通貨発行権」を駆使していたことになります。日本帝国陸軍の一部門に過ぎないはずの関東軍が、なぜこのような超国家的な権限を駆使できたのか? 関東軍単独で眺めたならばありえないことです。
 しかし、関東軍を含め、そのルーツとも言える満鉄などもひと塊のものとして見たならば、様相が変わります。満洲地域を植民地経営する目的で設立の満鉄が範としたのが、麻薬貿易独占と外国との宣戦布告・交戦権の他に通貨発行権も有していたイギリス東インド会社でした。イギリス東インド会社に倣って、満洲を植民地経営する満鉄や関東軍などの一つの塊としてのグループが、外国へ軍事攻撃を仕掛け、阿片事業を展開し、通貨発行権を駆使していたと見れば、関東軍の振る舞いなどに合点がいきます。
 言うまでもありません、この一つの塊グループは裏天皇グループです。彼らは満洲だけではなく満洲に先立って日本領となっていた台湾、そして韓国(朝鮮)の植民地経営も担っていたのでしょう。だからこそ朝鮮銀行が同じグループの関東軍に資金調達できたのです。
 今回は整理の意味もあってある程度の歴史も踏まえて、「鳥の目」的に日中戦争あたりまでの流れを見ていきます。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第14話 ― 統一通貨「圓」


満洲地域の植民地経営機関


この数回、裏天皇の実働部隊だと見なせる特務機関について、そして特務機関の中でも民間人による阿片取引の主役であった甘粕正彦と里見甫にスポットを当ててみました。

阿片売買事業は関東軍の傀儡国家であった満洲国の国策であり、その阿片売買事業の収益は関東軍に流れていたのです。ただし、阿片はその性格上、国や軍を表に出した事業展開はできないので、民間人である甘粕正彦や里見甫などが阿片事業を担当していたのでした。

満洲国北部の芥子畑
Wikimedia Commons [Public Domain]

甘粕も里見も同じ経緯を経て阿片事業を担当しています。即ち、中国大陸に渡った後に満鉄に勤め、その後に関東軍の要請によって阿片事業を展開しているのです。そして彼らの阿片事業の莫大な収益は関東軍に、また満洲国の行政を司っていた岸信介などにも渡っています。

満洲国設立後にこれを実質支配したのは関東軍ですが、関東軍はその傀儡国家である満洲国政府はもちろんですが、満鉄とは分かちがたい関係にありました。関東軍のウィキペディア記事に次のようにある通りです。

関東都督府陸軍部が前身1919年(大正8年)に関東都督府が関東庁に改組されると同時に、台湾軍・朝鮮軍・支那駐屯軍などと同じ軍たる関東軍として独立した。

また関東軍のもとになった「関東総督府」とは、ウィキペディアで次のようなっています。

日露戦争後、ロシアより譲り受けた関東州と長春・旅順間の鉄道(後の南満州鉄道を防衛するため、1905年9月26日に公布された「関東総督府勤務令」により天皇直属の機関である関東総督府が設置された。

先に南満州鉄道(満鉄)の存在があり、それを防衛するために関東都督府、そしてその陸軍部(関東軍の前身)が設置されているのです。満鉄が優先上位的な位置づけで、それに付随して関東総督府そして関東軍が設置されているので、元来は満鉄と関東総督府、そして関東軍はひと塊のものともいえるのです。

1905年9月5日に、ロシア相手にこの満鉄の利権を得ることになるポーツマス条約調印に漕ぎつけたのが、当時の外務大臣の小村壽太郎であり、この小村外交の中心を担ったのが玄洋社(白龍会)の山座円次郎でした。

小村寿太郎
Wikimedia Commons
[Public Domain]
玄洋社 山座円次郎
Wikimedia Commons
[Public Domain]
杉山茂丸
JapaneseClass.jp
[Public Domain]

ポーツマス条約の前に、既に南満州鉄道利権をもとにした満洲植民地経営の絵図を描いていたのが、白龍会初代総裁の杉山茂丸であったことは、明治編 第33話で見た通りです。

ポーツマス条約調印の僅か3週間後に満鉄の利権を防衛するため「天皇直属の機関である関東総督府が設置された。」のです。杉山茂丸たちは日露戦争前から半官半民の巨大鉄道会社による満洲地域の植民地経営の構想を練っていたのは間違いないでしょう。

明治編 第32話でも見たように、この杉山茂丸と盟友関係にあったのが桂太郎であり、児玉源太郎でした。

桂太郎
Wikimedia Commons
[Public Domain]
児玉源太郎
Wikimedia Commons
[Public Domain]

一方で、この海外軍事進出による植民地拡大路線に真っ向から反対していたのが伊藤博文であり、その伊藤博文は1909年に暗殺されます。この伊藤博文暗殺の背後には杉山茂丸たちの関与が強く疑われるのです。

平成の松下村塾 [Public Domain]
平成の松下村塾 [Public Domain]
セリフはこちらを参考

» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第13話 ― 阿片王と称された男

 電通の前身の満洲国通信社の初代社長兼主筆であり、「阿片王」と称されたのが里見甫です。里見甫の墓は千葉県にあり、その墓石には「里見家之霊位」と刻まれ、側面には「岸信介書」とあるとのことです。里見甫の墓に安倍前首相の祖父である岸信介が揮毫しているということで、里見甫と岸信介の繋がりの深さがここにも窺われます。
 「結局のところは人脈が物を言うことになります。ただし人脈には“黒い人脈”と“白い人脈”がありますが……」、どこかで竹下さんはこのように語られていました。
 里見甫は留学生として上海に渡り、一旦帰国するも再度中国に渡っています。中国語が堪能であった里見甫は中国人名を持ってもいました。里見甫は中国にて日本人側とも中国側とも広く深く人脈を形成していきます。そうやって大規模に事業を展開していったのでした。
 事業を成立させるにはどうであれ、人脈形成ができなければなりません。里見甫の事業は大規模な阿片事業であったので、その人脈は、多くは青幇や紅幇など地下組織のものでした。その意味で里見甫の人脈は“黒い人脈”に概ねは分類できるでしょう。
 ただし、欲望丸出しで獰猛な弱肉強食の地下世界で人脈を築き、地下の住人たちを取り仕切っていくには、それ相応の力と魅力がその人間に備わっていなくてはなりません。阿片事業を展開し「阿片王」とも称された里見甫は、それだけのものを持ってはいたということなのでしょう。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第13話 ― 阿片王と称された男

メディアを取り仕切る電通 〜里見甫の人脈形成の原点


随分以前のことになりますが、IWJ代表の岩上安身氏が当方に来訪されたことがあります。その時面談させていただいた中で、メディアは、テレビはもちろん、新聞や雑誌にしてもその新聞代金などではなく、広告料の収入で経済的には成立していることを語られていました。

これは業界では当然のことのようです。広告なしにはメディアは経済的に成立しないので、メディアは必然的に広告を取り仕切る存在に依存し、コントロールもされることになります。

「広告界のガリバー」と称され、その世界で圧倒的なシェアを占めていたのが「電通」です。巨大広告代理店だった「電通」が日本メディアを支配しているのは当然のことであったのです。

前回に見たように、この電通の前身が満洲国通信社であり、その初代社長および主筆だったのが里見甫でありました。


そして、里見甫は「阿片王」とも称された男でもあります。里見甫が「阿片王」と称されるようになったのは、里見には卓越した中国語の語学力と、培われた人脈という資質があったからです。

里見は中国に留学してその語学力を身につけています。ウィキペディアの彼の記事には、

1913年、福岡県立中学修猷館を卒業し、同年9月、玄洋社第二代社長進藤喜平太の助力により、福岡市からの留学生として上海の東亜同文書院に入学する。

とあります。

里見甫は「修猷館」では柔道部の猛者だったようです。明治編 第33話で見たように、「修猷館」は福岡黒田藩の藩校がその始まりですが、玄洋社(白龍会)とは非常に縁が深い学校です。卒業生には、玄洋社社員であった明石元二郎や山座円次郎、広田弘毅などなど玄洋社関係者が多数います。

そして、里見は「玄洋社第二代社長進藤喜平太の助力」にて「上海の東亜同文書院に入学」とありますので「里見は玄洋社(白龍会)から上海に留学生として送り込まれていた」と言ってもさほど間違ってはいないでしょう。

上海にて留学生の里見は卓越した語学力を獲得し、その後も中国で人脈を形成していきますが、その背景の原点には玄洋社(白龍会)の存在があったと見て間違いないでしょう。

ウィキペディア記事によれば、里見は 東亜同文書院を卒業後一旦は帰国していますが、再度中国に渡り新聞記者として活動、ここで関東軍、そして中国側の人物たちとも人脈を形成したとあります。

続いて記事では、里見は1928年には満鉄の南京事務所の嘱託として活動、1931年9月の満州事変勃発に際しては、関東軍担当部署からの嘱託辞令を受けて奉天に移り、「奉天特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で、甘粕正彦と共に諜報・宣伝・宣撫活動を担当する。これらの活動を通じ、中国の地下組織との人脈が形成された。」となっています。

こういう経緯から1932年12月、里見は、設立された満洲国通信社の初代主幹(事実上の社長)兼主筆に就任しているわけです。里見はゆく先々で人脈を築き、成果を挙げているのが分かります。里見は「使える男」「使い勝手のいい男」であったことが窺われます。

» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第12話 ― 満洲の「影の皇帝」

 戦争は企業にとって「大儲け」のチャンスです。様々な企業が関与しますが、中でも「ぬれ手に粟」の代表は言うまでもなく大銀行、それに併せてすぐ想起するのは武器商人、いわゆる「死の商人」です。
 911テロの後のアメリカを見ていて、驚愕し呆れ果てたことがあります。私人がアメリカという国家の名を利用して、犯罪行為で莫大な利益を手にして欲望を遂行していくこと、そのあからさまさにです。これは謀などと呼べず、謀というべきなのか……。
 911テロ時の政権はW.ブッシュ政権でしたが、その閣僚中枢は私有企業から送り込まれた人物たちで占められ、その関係、私有企業へのあからさまな利益誘導を行っていました。最もわかりやすいのが、当時の副大統領のディック・チェイニーとハリバートン社です。
 チェイニーはハリバートン社の1995年から2000年まで、つまり政権に入る直前までの最高経営責任者だったのです。
 ハリバートン社は国防省と石油開発・施設建設の請負契約をしており、また軍需企業でもあります。911テロの直後に言いがかりで攻め込んだアフガニスタン戦争、明らかな国際法違犯の犯罪である2003年イラク戦争、これで莫大な収益をあげたのがハリバートン社です。
 私有企業が犯罪行為でも何であろうとも、「儲けるため」自分たちのやりたいことを「国家事業」としてしまえば、最も確実で効率よく収益を挙げられます。
 私人が国家を利用するのですが、これはアメリカだけの話ではありませんでした。現在の「電通」や竹中平蔵氏の「パソナ」など見れば、日本でも同じようなことが進行しているのが分るでしょう。そしてこれは最近に始まったことではなさそうです。
 日本が大陸に軍事進出する「国策」、この国策に群がる企業群がありました。この背景に何があったのか……、
満洲の「影の皇帝」と呼ばれた男にスポットを当ててみます。見えてくるものがあります。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第12話 ― 満洲の「影の皇帝」


「満洲の夜を支配する」と言われた男


日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧
名称 説明
(前略)
甘粕機関(※②) 陸軍大尉の甘粕正彦によって設立された民間の特務機関で、満州国と関東軍をバックに付け、 満州国の国策であった阿片(アヘン)の中国国内での密売を茂川機関や松機関と共に行っていました。
茂川機関(※②) 茂川秀和少佐が設立した機関で、天津陸軍機関に所属していました。
主に阿片(アヘン)の中国国内での密売を行った他、盧溝橋事件での工作を行ったとも言われています。
松機関(※②) 上海に本部が置かれた特務機関で、現地の情報収集や阿片(アヘン)の中国国内での密売や、「杉工作」と命名された偽札の中国国内への流通工作を行っていました。
里見機関(※②) 里見甫によって設立された民間の特務機関で、関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
興亜機関(※②) 関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
(中略)
昭和通商(※②) 三井物産、大倉商事、高田商会の三社から出資された泰平組合を元とする、日本陸軍の特務機関です。
表見は商社ですが、中国国内での阿片(アヘン)の密売や、情報収集、物資や兵器調達などを行っていました。
また、里見機関や興亜機関などの特務機関とも連携を取っていたとされています。
(以下略)
いちらん屋より引用
※註:名称の後の(※②)は「阿片の取引に関するもの」として、前回、シャンティ・フーラで独自に分類したものの一つ。

東京大学教授 伊藤隆氏の「目で見る議会政治百十年史」がネット上で公開されています。その昭和期(I)に「満州某重大事件」があります。そこに次の記述があります。

田中首相は天皇に「張作霖横死事件には遺憾ながら帝国軍人関係せるものある如く、もし事実であれば法に照らして厳然たる処分を行うべく・・・」と奏上した。陸軍中央の調査によって真相は判明したが、陸軍はこれをかくそうとした。村岡長太郎関東軍司令官・荒木貞夫参謀本部作戦部長・小畑敏四郎作戦課長ら上原勇作元帥系のグループが強力に動いて真相隠蔽(ぺい)をはかった。河本大佐もこのグループに属していた。

1928年(昭和3年)満洲の覇王と称された張作霖が爆殺される事件がありました。この張作霖爆殺事件は、現在では関東軍の河本大作大佐が主犯とされています。

関東軍参謀
河本大作大佐
Wikimedia Commons
[Public Domain]
赤龍会初代総裁・
帝国陸軍元帥 上原勇作
Wikimedia Commons
[Public Domain]

この張作霖爆殺事件から満洲国設立に至るいわゆる関東軍の暴走、これを背後で操っていたのが、赤龍会初代総裁にて帝国陸軍元帥であった上原勇作であったことが上の記述から窺われます。帝国陸軍のトップ、元帥である上原勇作が、関東軍に密かに司令を出していたのは全く自然なことです。

また、満洲への軍事的進出だけでなく、日本が満洲でも罌粟を栽培し、中国大陸で阿片事業を展開していくのを導いていたのが上原勇作であったことも前回に見ました。

この関東軍の動きに合わせるように、阿片事業を展開していく人物群が満洲に集結していきました。その代表格の一人が「甘粕機関」の甘粕正彦です。上に「いちらん屋」の特務機関一覧から、阿片事業の特務機関を抜粋していますのでご覧ください。

満州国時代の甘粕正彦
Wikimedia Commons [Public Domain]

甘粕正彦は、阿片より1939年に就任した満洲映画協会(満映)の理事長としてのほうが有名で、「満州は、昼は関東軍が支配し、夜は甘粕が支配する」と囁かれてもいたようです。

ただし、このように甘粕正彦が満州で「影の皇帝」といわれるほどの権勢をふるえた、その元にあったのが、阿片取引による莫大な収益でしょう。ウィキペディアには甘粕機関の設立の経緯は次のように記載されています。

1930年(昭和5年)、フランスから帰国後、すぐに満州に渡り、南満州鉄道東亜経済調査局奉天主任となり、さらに奉天の関東軍特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で情報・謀略工作を行うようになる。大川周明を通じて後に柳条湖事件や自治指導部などで満州国建国に重要な役割を果たす右翼団体大雄峯会に入る。そのメンバーの一部を子分にして甘粕機関という民間の特務機関を設立。

» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第11話 ― 裏天皇の実働部隊

 アヘン、アヘン戦争によって中国が蹂躙されたのは誰しもが知るところです。アヘンは植物の罌粟から作られる薬品です。
 アヘンは人間を廃人にする有害な薬品として知られますが、これと異なる側面の見方もあります。落合莞爾氏の『國體アヘンの正体』には、アヘンにも種類があり使い方次第では大変な薬効があること、「罌粟と黄金が真の本位財」という表現で、アヘン(罌粟)に黄金に匹敵かそれ以上の価値があるとの見方を示しています。
 この真偽の判断は私にはできませんが、ともあれ黄金とアヘン(罌粟)は地上の歴史を動かしてきたのは紛れもない事実です。そして、この黄金とアヘンという視点から歴史を見ないと、この地上世界の動きが捉えられないのも事実です。

 堀川辰吉郎の裏天皇グループは、地域としては満洲を新エルサレムとする日本中心のNWOを見越して動いていたでしょう。そして、その日本中心のNWO実現に必須なのが莫大な黄金であり、黄金奪取のためにも、軍や人々を動かしていくために必要としたのがアヘンの製造と売買だったのが見えています。
 この裏天皇の計画を実現していくためには当然ながらその実働部隊が必要です。日本が日清戦争以降に大陸進出に伴い数々設立されていったのが「特務機関」でした。この「特務機関」こそが裏天皇の実働部隊だったでしょう。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第11話 ― 裏天皇の実働部隊

特務機関の役割 〜特務機関の一覧とその始まり


正確な詳細は、『いちらん屋』さんというサイトの「日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧」に目を通して見て下さればいいのですが、その情報から特務機関の一覧を下記のようにしました。出されている特務機関の名称全てと、説明の一部を抜粋させていただきました。それをこちら側で3つに大別・分類しています。

日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧
名称 説明
梅機関(※①) (中略)
土肥原機関(※①) (中略)
ゼスフィールド機関
(※①)
(中略)
甘粕機関(※②) 陸軍大尉の甘粕正彦によって設立された民間の特務機関で、満州国と関東軍をバックに付け、 満州国の国策であった阿片(アヘン)の中国国内での密売を茂川機関や松機関と共に行っていました。
茂川機関(※②) (中略)
松機関(※②) (中略)
里見機関(※②) 里見甫によって設立された民間の特務機関で、関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
興亜機関(※②) (中略)
児玉機関(※②) 児玉誉士夫によって上海で設立された特務機関で、軍事物資などを海軍航空本部に納めていました。(中略)...
水田機関(※②) (中略)
昭和通商(※②) (中略)
明石機関(※①) 陸軍大将の明石元二郎が日露戦争中に創設した特務機関です。
日露戦争中にロシアを内部から弱体化させるために、(中略)...ロシア革命を支援する工作を行いました。
F機関(※①) (中略)
岩畔機関(※①) (中略)
光機関(※①) (中略)
南機関(※①) (中略)
板西機関(※①) (中略)
ハルビン特務機関
(※①②)
...(中略)ハルビン特務機関は後に関東軍配下に入り、関東軍情報部へと改編されました。
関東軍情報部
(※①②)
ハルビン特務機関を改編した組織で、天津特務機関、奉天特務機関、大連特務機関、アパカ機関など多くの特務機関が属していました。
アパカ機関(※①) (中略)
蚌埠特務機関
東機関(※①) (中略)
河辺機関(※③) (中略)
有末機関(※③) (中略)
辰巳機関(※③) (中略)
服部機関(※③) (中略)
山崎機関(※③) (中略)
野村機関(※③) (以下略)
いちらん屋より引用
※註:名称の後の(※①)(※②)(※③)はシャンティ・フーラで独自に分類したものです。

このような整理されたまとまった情報が出されてあるのはありがたいことです。

これほど多くの特務機関が表に情報として明かされている(表に現れていない特務機関はまだ多く隠れているでしょうが)のには少々驚きますが、この一覧に目を通してみれば「特務機関」の任務が大まかに見えてきます。

特務機関は秘密の部隊で特殊業務に携わっていますから、どの特務機関でも「諜報活動」は必須です。この上で一覧の特務機関を見ていくと、次のように大別して分類できるのが分るでしょう。

独立支援などの特殊軍事活動。
阿片の取引に関するもの
③戦後に設立されたもので、主にはGHQやCIAに協力

表された特務機関一覧を見ていけば、③は戦後に設立されたものなのでこれを除くと、日本の特務機関はそのほとんどが満洲を中心として、中国大陸そしてアジアで活動していた事実が浮かんできます。

「関東軍情報部」そのものが特務機関の一つとして一覧の中にありますが、特務機関の全般と関東軍は密接な関係にあったでしょう。

無論、関東軍とそうであるならば、特務機関全般は満鉄とも密接な関係にあった、というよりも満鉄には調査部があり重要な活動をしており、この満鉄の調査部が特務機関全般の元締め的な位置づけにあったようにも思われます。巨大国策企業であった満鉄、その満鉄の調査部こそが「特務機関」そのものだったでしょう。

満鉄調査部の活動を支えた奉天の満鉄公所(絵はがき)
Wikimedia Commons [Public Domain]

» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第10話 ― 日中・日米戦争への道程

 北朝勢力と南朝勢力の争い、…北朝勢力が善で南朝勢力が悪、などとは言えません。またはその逆だったとも言えません。ただ、天皇家の血筋で言えば、北朝が天照大神の血筋を引き、南朝は古代イスラエル系だとのことです。
 また、日中・日米戦争への道を主に積極的につけていったのは南朝勢力側だということです。昭和天皇は北朝勢力がたてた天皇のようです。ただ昭和天皇は表に出る政体天皇であって、本気で英米との戦争など進めようもないのです。なぜか?政体天皇は英国女王に従う身なのです。
 これは事実としてほとんど認識されていませんが、表情報でもウィキペディアの「陸軍元帥(イギリス)」記事に次のようにあるとおりです。

「1918年に大正天皇が英国陸軍元帥に、昭和天皇は1928年6月26日に英国陸軍元帥に就任。」

 この元帥は外交上のお飾りとの説もありますが、違う情報では、英国官報ガゼット紙より、昭和天皇が元帥として就任した英国陸軍は正規兵としての名称のようです。英国元帥でもあった昭和天皇は、大戦をその立場上、そして個人的にも避けたかったようです。
 しかし、昭和天皇が恐れていたことがあります。日本での軍事クーデターからの軍事的な内乱・内戦です。当時は世界大恐慌の影響で、日本の軍部の中に「怒りエネルギー」が渦巻く危険な状態にあり、「革命前夜」の様相を示していたのです。さらにはそれ以前に、表の天皇と裏天皇という見えない二重構造は、日本社会全体の統制運営の根本問題であり、軍部にも構造的な問題を与えていたと言え、軍部は大混乱の混迷の危険な状態にあったのです。

 暴力装置である軍隊にはもとより、厳しい規律による統制が求められます。しかし実際には、天皇が陸軍・海軍の統帥権を憲法上は有しているのですが、それは利用されるだけの名ばかりのもので、正常に機能などしていませんでした。最上部のはずの天皇の統帥権が有名無実であるならば、軍の統制は大混乱となるのは必然でもあります。一糸乱れぬ統制などとは程遠く、軍隊の暴走や暴発、暴力テロ、軍事クーデター騒ぎが巻き起こるのはある意味で当然でもあったのです。
 この大混乱の背景が、表の天皇の実際には上位にある裏天皇の存在(南朝勢力)です。ただし、騒乱の背景に南朝勢力があったといっても現場は大混乱ですから、逆に暴力の刃が裏天皇側に向く場合もあります。しかし全体としては、こういった暴力の恐怖と大混乱の混迷も、全てが引っ組められて大戦争への道順として利用もされます。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第10話 ― 日中・日米戦争への道程

大本教事件 〜北朝勢力の攻撃


満洲国設立の頃は、暴力支配と大混乱の時代であり、この背景には禁裡内における北朝勢力と南朝勢力の争いがあったであろうことを前回に見ました。南朝勢力は「いわゆる右翼」という強力な暴力装置を有しており、それで北朝勢力がたてたであろう昭和天皇が重大な危惧に縛られていた模様を確認もしました。

しかし一方では、基本的には北朝勢力からの南朝勢力への攻撃と見るのが自然な大事件も当時に発生してもいます。大本教事件です。

南朝勢力となる裏天皇(八咫烏)直属の五龍会、その五龍会の中の緑龍会の主たる大組織である宗教団体が大本教です。

大本教の創始者は出口ナオ、そして出口ナオの養子に入った出口王仁三郎によって教団は大拡大しています。

「上田家系図」を見れば、出口ナオは緑龍会初代総裁・上田音吉(吉松)の愛人であり、出口王仁三郎はもとの名は上田鬼三郎で緑龍会初代総裁・上田音吉(吉松)の孫です。また出口王仁三郎は有栖川熾仁親王の息子でもあるようです。


大本教は大正編 第4話で見たように、堀川辰吉郎が総裁となった世界紅卍字会と実質は同一団体でもあります。そして大本教には、陸・海軍の大物たちが多く入信してもいましたし、何よりも玄洋社(白龍会)の頭山満や内田良平たちとは密接な関係を結んでいました。大本教関係者たちが玄洋社(白龍会)関係者と協力して大陸に進出もしていました。

左側から大本教主輔 出口王仁三郎、玄洋社総帥 頭山満、
黒龍会主幹 内田良平。
Wikimedia Commons [Public Domain]

この大本教が、日本政府・内務省から1921年の第1次大本教事件の弾圧に引き続き、1935年には不敬罪・治安維持法違反にて徹底的な弾圧攻撃を受け、本部教団施設などは完全な破壊が実行されてもいます。第2次大本教事件です。

この第2次大本教事件では、出口王仁三郎自身も6年余の獄中生活を送ることになりました。南朝勢力である裏天皇直属の五龍会の主要組織とも言えるであろう大本教が、徹底的な弾圧からの破壊攻撃を受けた。これは基本的には北朝勢力による南朝勢力への攻撃と見るのが妥当と思えます。

他方、当時の1932年には三井財団総帥の團琢磨が殺害される事件が発生しています。同年には犬養首相が殺害された5.15事件と、民政党幹事長の井上準之助射殺(血盟団事件)も発生していました。

ミレニアム」からのこの情報を見れば、五龍会の下には秦氏系の企業群があり、その企業群のトップは三井氏であることは明瞭です。その三井財団総帥の團琢磨が殺害されたのです。

また、同年の5.15事件で殺害された犬養首相は陸軍(関東軍)の暴走を危惧しこれを止めようとはしていましたが、裏天皇グループと近い関係にあった人物でもあったのです。

頭山満(左)、犬養毅(中央)、蒋介石(右から2人目)
「昭和4年 蒋介石氏が頭山満、犬養毅両翁を訪れる」
呉竹会_頭山満 [Public Domain]

南朝勢力のはずの三井財団総帥の團琢磨を殺害したのは、(井上準之助を射殺した)1931年に創設された血盟団のメンバーでした。

ただし、南朝勢力の人物が(5.15事件を含め)殺害されたといっても、これは北朝勢力からの攻撃であろう大本教事件とは異なります。これらの殺害テロは当時の大混乱が生み出した事件と見受けられます。

» 続きはこちらから
1 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 62