アーカイブ: かんなまま

ままぴよ日記 16

幼稚園バスを待っている間に孫とお歌を歌います。「今、幼稚園で何を歌っているの?」と聞いたら「どんぐりころころ」と言いました。
そういえば昨日、幼稚園の森からどんぐりを拾って持って帰ってきていたなあ。

「ね、どんぐりの歌を歌って!」と頼みました。孫が大きな声で歌い始めました。

  「どんぐりころころ どんぶりこ
おいけにはまって さあたいへん
おじょうがでてきて こんにちは
おっちゃん いっしょに あそびましょう!」

思わず孫の顔を見て、大笑い!
幼稚園バスが来てご挨拶する時も、ばあばは可笑しくて下を向いたまま肩を震わせ、顔をあげられませんでした。
(かんなまま)
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じっと耳を澄ます


孫のかわいい勘違いは別として、今の子ども達は「じっと耳を澄ます」とか「集中して人の話を聞く」などの習慣を身に付けていません。身の周りのあらゆる情報をキャッチできる最高の感受性を持っている乳幼児期に刺激の強いゲームの電子音、ビートの効いた音楽を聞かされ、おまけにテレビは一日中つけっぱなしの生活環境です。子育て中のママ達自体がテレビの音がないと落ち着かないと話していました。

それに比べて昔の子どもが遊んだ「かくれんぼ」は素晴らしい遊びでした。隠れることが出来る場所を瞬時に選び、息を潜めて隠れます。鬼が近くに来ていないか耳を澄ませます。見つかりそうになったらダッシュで走る!!これは5感を使った高度な遊びです。日常生活でも様々な音を体験とともに聞き分ける耳を育てていました。静寂の時間もありました。


静寂といえば・・・オーストラリアの湖畔のコテージに泊まった時のことです。朝早く目が覚めてデッキに出ると、靄の匂いがしました。湖全体に低く朝靄が垂れていて私の足元もベールがかかっているようでした。まだ暗く、空には星が瞬いていました。人工の明かりもありません。シーンと張りつめた静寂の世界。

しばらく佇んでいると朝日が昇り始めて東の空が明るくなり始めました。突然、ざわっと空気が動いたと思った瞬間、鳥たちが一斉に羽ばたきました。何とたくさんの鳥が寝ていたのでしょう!羽音と鳥の鳴き声が消えていくと、今度は静けさの中にも生き物が動き始めた音がしてきました。野兎が朝日の中をピョンピョンと跳ねていく様のかわいい事!

pixabay[CC0]


私はその光景に魅了されて、胸いっぱい空気を吸って、何て幸せな朝なのだろうと思いました。人間だけではない、ここに暮らす全ての生き物が同じ朝を迎えて1日を始めようとしている!私もその中の小さな一員なのだという事を感じました。こんな一体感を子ども達にも体験させてあげたい!と心から思いました。

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ままぴよ日記 15

 そもそも学校って何?将来のために役立つ知識を半ば強制的に身に付けるために行くところ?それはいい仕事に就き、立派な社会人になるため?つまり、子どもにとって学校とは、今したいわけではない事を、あまりよくわからない将来のためにとりあえず学んで準備しなくては立派な社会人になれないから、今を犠牲にして勉強するところ?そもそも子どもって今しか実感できないのに!その上、今を楽しめる体験活動が減らされ、空想にふけったり、夢中で遊び呆けるゆとりもない。それって子どもの本性なのに!

 現実、学校に行くことで規則に縛られ、一方的に指導され、評価され、自信を失くす子、同調圧力で考えることを辞める子、いじめられる子、いじめたくなる子が増えていないか?その証拠に学校で覇気のない子どもをどれだけ見て来たか?先生が計画書、報告書マシーンになり、鬱になる姿をどれだけ見て来たか?おかしくない?そもそも、育つ過程を無視して結果に囚われていない?

 子どもの魂を尊重し、子どもの「今」を丸ごと愛でて、子どもの好奇心を引き出し、チャレンジする環境を作り、指導者ではなく伴走者として失敗を供に笑い、悔しがり、どうしたらいいかを一緒に考え、「今を真剣に生きる過程」を大切にしながら結果は後からついてくるという価値観の学校や先生はいないものか?

 でも、この事は家庭でも同じ。子どもの自らの育ちを応援するという原点を家庭も学校も社会も忘れてはいけないと思います
(かんなまま)
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朝のお手伝い


赤ちゃんが生まれて1ヶ月経ちました。
その間、なるべく娘の所に泊まって手伝おうと思ったのですが、通えない事はない距離なので我が家と娘の所を必要に応じて行ったり来たりする生活になりました。

娘が手伝ってほしいのは家事です。特に朝、子ども達が学校や幼稚園に行くまでは赤ちゃんが泣いていても構ってあげられません。だから首が座っていませんがボバラップでギュッと抱っこして動き回っています。

パパは深夜に帰ってきて早朝に出かけます。脳神経外科医は家庭人としての時間は与えられていません。娘もそれを理解して自分が家庭人として仕事を辞めました。でも、朝ごはんだけは一緒に食べます。みんな自分で起きてきますが、お姉ちゃんはパッと目が覚めない体質でパジャマを着たままぐずぐずします。弟はスッと寝てスッと起きますが、起きると同時に画用紙を持ってきます。食事前に何枚も絵を描いて落ち着きます。3歳の幼稚園さんはゆっくり起きてきます。目が覚めないままよろよろしながら立っておしっこをします。見ていると手も添えないで怖いなあ~。

学校組が行ってしまうと少し静かになるのですが、幼稚園バスが9時15分。まだ時間があるので遊びだします。これが問題です。遊びだしたら途中でやめてバスに乗りたくなくなります。ただでさえ、赤ちゃんがお家にいるのに何で僕だけ行くの?と疑問が出てきます。バスの先生からメールで「もうすぐ着きます」という知らせが来たらバス通りまで送っていかなければいけません。赤ちゃん1人を寝せたままにするのも心配なので抱っこして連れて行きます。

pixabay[CC0]


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ままぴよ日記 14

 相手を尊重すれば「待つ」のは当たり前。でも待つにはエネルギーがいります。複数の人が待たされていたら複数の人の都合が重なって期待となり、あたかも正論のような圧力にもなりかねません。

 でも、赤ちゃんは立派!動じません。待っている方が勝手に期待して、がっかりしてイライラしてケンカになって自滅しそう!まさに苦行です(笑)。

 そもそも、「待つ」こと自体に期待が見え隠れ。「待つ」より「任せる」方がはるかにレベルが高い!などと思っていたら突然「まつのき小唄」を思い出しました。

 古い!セピア色の思い出です。かわいい小学4年生のかんなままが学校の掃除の時間にほうきで掃きながら「まつのきばかりがまつじゃない。時計を見ながらただ一人 今か今かと気をもんであなた待つのもまつのうち~」と歌っていたのを思い出しました。意味も分からず大声で歌っていたなあ~!(笑)。
(かんなまま)
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早く出ておいで!



もう娘の出産が秒読み段階になりました。いつもはもっと落ち着いてその日を迎えていたのですが、今回は上に3人の子どもがいて、しかも夏休み。

理想は8月初めに出産して実家に帰るというものでした。そうすれば娘も少し体を休めますし、子ども達も夏休みなので気が楽です。

口ではおなかの赤ちゃんに向かって「いつでも好きな時に生まれて来てね!」と言いながら心では「夏休みだよ!早く出ておいで!」と都合のいい事を願っていました。邪念があると正確な検知ができません。今までは何となく生まれる日が予測できたのですが、今回ばかりはダメダメです。孫達と家庭内台風に巻き込まれながら・・・赤ちゃんの誕生を今か今かと気をもんで待っていました。

不思議な事に娘家族は全員、1.2.8の数字の日に生まれています。だから今回も候補の日が何日かありました。そして超安産の体質なので産科医から「墜落分娩の恐れがあるから産気づいたらすぐに来てください」と言われていました。だから遠くにも行けません。その上、家族中でお産に立ち会う予定なので夜中に一気に生まれてくるのを想定して全員の荷物を玄関に置いて、洋服を着たまま寝ます。まるで夜勤の救急隊みたい!


外が明るくなって娘が「おはよう!」とカーテンを開けたら「あ~、今日も生まれなかったねえ~」があいさつになっていました。出産予定日も過ぎました。結局どこにも出かけられなかったし、緊張しながら夏休みが終わってしまいました。みんな待ちくたびれて、娘までもが「もう生まれんような気がしてきた」と言い出す始末です(笑)

小学校の2学期は8月27日に始まります。前日の夜、忘れ物はないか?宿題はしたか?何度も確かめながら気持ちが落ち込んでいきます。毎年始業式の日は子どもの自殺者が一番多い日です。死ぬくらいなら学校に行かなくていいと思うのですが、抜け道が見つからないのでしょう。その子のせいではないのにと・・・悲しいです。

さて、始業式の日、家の中は少し静かになりました。でも幼稚園は9月からです。その日は産科の健診日でしたので孫と2人で留守番をしました。BIRD BINGOというゲームがお気に入りで、毎回「ばあば、ビンゴしよう」と誘ってくるのですがお兄ちゃんが邪魔をしてまともにできません。やっとこの子のペースで出来ました。とてもきれいなゲームです。

検診の結果、赤ちゃんはお産の段階に入っているとのこと。いつ生まれてもおかしくないということで早めに昼ご飯を食べました。夕方、お姉ちゃん達が帰ってくるまで待ってくれるといいね、など勝手なことを話していたら「お産前の腰痛かも」と言い出して慌てて産科に行きました。

「診察しますから待合室でお待ちください」と言われて孫と遊んでいたら「入院しましょう。部屋に案内します」と言われ部屋に入ったら「お産が始まりました。立ち会われますか?」と言われ、「オシッコ!」という孫のおちんちんを「早く!早く!」と出しながら戦闘態勢に入りました。

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ままぴよ日記 13

 宿題って何だろう?そもそも、宿題を出さないと勉強しない?勉強って強いること?そもそも興味のないことを強いられてもやる気が出ないのは当たり前。無理やりやらされるとますます嫌になるというおまけ付き。親もその片棒を担いでる?みんな子ども心を忘れたの?宿題さえなければ天国だって思っていたことを!
(かんなまま)
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失敗は恥ずかしいこと?


かつて、子どもは自然の中で遊び、邪気を浄化してもらいながらエネルギーを発散・吸収していました。私も子どもの頃、家の庭先で花や虫、自分の中の誰かさんと遊んでいました。それは誰に制限されることもない手持ちの世界観で遊んでいたのですが、人間も自然の一部であることを体感的にわかっていたのだろうと思います。その時親はいませんでした。何て自由で豊かな時代だったのでしょう!

pxhere[CC0]


日常生活も多様な人がいて、教えられるというより、暮らしの様々な営みの中で人の仕草や心の動きを肌に沁み込ませるように吸収して成長しました。結果ではなく、その過程を丸ごと学んでいたのだと思います。やっと話し始めた3歳の孫が「そういえば・・」と思い出した素振りで話しだしたのには吹き出しました。

やがて真似てみたくなり、やってみます。靴を履く、洋服を着る、お兄ちゃんのように立っておしっこをする・・・初めからできるはずはありません。最初は失敗ばかり。何度も何度もやってみるうちにコツをつかんできます。突然できるようになります。


失敗は当たり前。みんなも身に覚えがあり、1人前になる準備期間だという事を誰でも知っていました。

今の子ども達は多様な人間関係が少ない上に、何をやるにもお膳立てしてもらって限られた時間で効率的に成功することを求められます。結果、失敗は恥ずかしい事になり、学校では好奇心で学ぶのではなく、恥をかかないためにはどうしたらいいかを肌で学んでいます。

そして、主体的な発言や行動を封印してしまい、体の感覚も閉じます。実感がわきません。自分は何をしたいのかもわからなくなります。

今の子ども達の数少ない手持ちの言葉で言えば「まじヤバい!」です。子どもを「効率」の世界観で育ててはいけません。


宿題は魔界への入り口


さて、魔界へと舵を切り始めた孫たちは・・・

忘れているふりをしていた宿題が気になってきました。毎日の音読、漢字の書き取り、算数のドリル、一言日記はもちろん、自由研究、思い出の絵、読書感想文などです。そして、親が見直しをして採点をします。そこまでが宿題です。ママが入院するので早めに終えておきたいのです。

Takamorry[CC BY-SA]


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ままぴよ日記 12

 子どもへのまなざしを忘れた社会の中で子ども達がストレスを募らせ、言葉にならない感情をぶつけ合っています。政治家は子育て支援を掲げ、大人社会も子どもは宝だと言いながら、子どもの時間、空間(遊び場)、仲間を奪い、代わりに預かり支援、塾やおけいこ事、宿題、電子メディアが相手をしてくれています。そして子どもの行動がおかしくなったのはなぜだろうと考えるゆとりも無くしています。イギリスやカナダでは子どものためのアドボケイトという役割の人が活躍しています。子どもの最善の利益のために子どもの立場になって州や社会に対して代弁、擁護する人です。そう、その人材が日本でも必要です!
(かんなまま)
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3人集まるとまるで台風一家


オーストラリアで一生懸命子育てを始めた娘夫婦の姿を見た後に、4人目の子どもを授かる長女の出産が待っていました。8月が予定日です。8人目の孫です!

その娘は第1子が1歳になった時に小児科医として仕事復帰しましたが、親子で辛い思いをしたので子育てに専念しようと専業主婦を選んで7年が過ぎたところです。その間、2人の男の子を授かり、やっと4年生、1年生、幼稚園の年少組になったところで又妊娠。まだまだ仕事復帰はできないようです。

1人ひとりはとてもいい子なのですが、3人集まるとまるで台風一家(笑)。落ち着いて赤ちゃんのお世話などできるかしら?その生活を想像しただけでクラクラしそうです。


娘の産後の肥立ちの大切さを思うと実家である我が家でゆっくり過ごさせたいと思うのですが、かかりつけの産婦人科が遠くなる事と、学校があるので無理です。私の方が娘の家に行って世話をすることにしました。想定外も想定して頑張るぞ!と覚悟をしました。

8月、夏休みになりました。
当然、臨月の娘が1人で子どもの世話をしています。専業主婦なので学童保育も利用していません。幼稚園も夏休みの預かり保育があるのですが本人が「ママがいい」というのでお休みさせています。

30年前なら外で遊んできなさい!と言える環境がありましたが、今は命に係わる猛暑ほとんどの子どもは学童か保育園か家の中で過ごして外も歩いていません。夏休み中の運動場開放もプールも熱中症対策で禁止。行くところがないから家の中でエネルギーを持て余しています。

娘は臨月のおなかで自分の体を動かすのも苦しそうです。どこかに連れ出す元気もありません。日常生活も大変な時に、ほんものの台風がやって来ました。そんな時娘が「家の中も台風通過中。おもちゃが散乱して片付かない!ケンカが始まった。あー夏休みいらない!!」とメールしてきました。

pixabay[CC0]


私は娘の気持ちはわかるけど「子どもってそんなものよ」と返信しました。すると速攻で「わかっているけど嫌だ!」「怒っても仕方ないよ」「怒ってない!!見ているだけ。そして愚痴っただけ。笑い飛ばしてもらえれば結構!」と怒りの矢がこちらに飛んできました。

9種の娘です。わかっていることを言われるのが嫌いです。娘も最大限我慢して、愚痴っただけなのに私が正論を書いたのでイラッとしたのでしょう。そう、聞いてあげるだけでよかった!と反省しました。そして、余裕のない娘の顔が浮かんできて、助けに行ってあげなきゃ!と思いました。

早速、娘の家に泊まりに行きました。早起き家族で6時半には起きます。家族全員で朝食を食べてパパが7時に出勤します。

その頃からお布団の上で恐竜が動き始めます。小1と年少の男の子たちです。なりきったティラノサウルスとアンキロサウルスが威嚇したり、戦ったり!色々な恐竜に変身して啼き方も動きも素早く変わります。時々ばあばも匂いを嗅がれます。それを蹴散らせてお布団をあげます。枕を片付けようとすると今度はパキケファサウルスが頭突きして邪魔をします。

pixabay[CC0]


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