————————————————————————
子ども達の姿が変わってきた、この10年
全国で同じように子育て支援をしている仲間や地域の保育園、幼稚園、学校の先生などとつながっていますが、みんな口を揃えて子ども達の姿が変わってきたと話しています。この10年の間にです!
まだ首も座っていないのに縦抱きの赤ちゃんが増えました。赤ちゃんの頭の重さは体重の3割以上もあります。うまく手を添えて赤ちゃんの頭を支えてあげれば問題ないのですが、ほとんどの赤ちゃんはママの胸のところでぐにゃっと頭を傾けて抱かれています。最近は抱っこひもに首の座らない赤ちゃんを固定するパッドが付いています。外を見ることもできない満身装備!です。取り外し式カーシートに寝せたまま一度も抱かれることなく荷物のように運ばれている赤ちゃんも増えました。これではお互いを感じあうことも、顔を見て笑うことも、しがみつく能力も育ちません。
なぜそうなったのでしょう?
最近のママは赤ちゃんは素手で抱くのではなく、道具を使って抱くものだと思っているのかもしれません。みんなもそうしているからという理由のほかに、手でずっと抱き続けるための体力、背筋力がないのです。手だけで抱こうとするからきつくなるし腱鞘炎になってしまいます。赤ちゃんをずっと抱き続けることがこんなに大変だとは思わなかったでしょう。
抱っこは世界中どこでもしていることですがアジア地方は布を上手に使ってラップする文化があるようです。インドネシアのカインゲンドンという布の巻き方を教えてもらったのですが、布をママの体に巻いて赤ちゃんをその中に包み、最後にママの背中でくるくるとねじって留めるだけのものでした。面白いのは赤ちゃんに沿える手を白鳥のようにはばたかせてまるで羽で赤ちゃんを包むように抱くのです。こうすると手ではなく腕全体で赤ちゃんを抱くことができます。
これを見た時「はぐくむ」という言葉を思い出しました。親鳥がひなを羽の中に含む(羽含む)行為が語源であると聞いたことがあります。そして、カインゲンドンは赤ちゃんを片手で支えながらもう一方の手を背中に回して布をねじって留めなければいけません。このしなやかな体が子どもを育てるのに必要なのかもしれません。
体の堅い赤ちゃんも増えました。寝せるとブリッジのように反ったり、まあるく横抱きしようとしても反るのです。子宮の中にいる時の姿を忘れたのでしょうか?だから縦抱きになるのかもしれません。原因は何だろうといろいろな人が探っているのですが、生活環境で思い当たる節があります。
抱き方がぎこちないので赤ちゃんが緊張している。おろしたら泣くから、泣いたらあやせないから・・・という理由で長時間抱っこひもの中に固定。ますます体が凝るので泣いて悪循環になります。外出時は長時間ベビーシートやベビーカーに固定。おとなしく座らせるためにお菓子やジュース、スマホを握らされています。
そして赤ちゃんは一日何十回も抱かれますが、何にも告げずにいきなり抱き上げられ、それも脇をつかんで首を支えないで抱き上げられるので短時間でもむち打ちのようになるし、びっくりして緊張してしまいます。「抱っこしてもいい?」「オムツ替えようか?」「今から洋服脱ぐよ」などの声掛けをしながらお世話されるのと、黙っていきなりお世話をされるのでは全く違います。先日の木下ゆーきさんの動画はサイコー!でした。
ベビーマッサージで触ろうとするだけで緊張する赤ちゃんもいます。そんな時は声をかけながら触るか触らないかの優しさで触れていきます。後頭部を手でまあるく包むだけ。仙骨を揺らすだけでも効果があります。
他に家の中の刺すような照明の光、刺激の強い音楽、ゲーム音、ずっとついているテレビからのけたたましい音・・・赤ちゃんは超敏感期です。もしも若い親が自分たちのリズム感で刺激の強い生活をしているなら赤ちゃんは繊細な感覚を遮断するしかありません。体が緊張したら感覚も閉じます。
そして、職場復帰が早くなったので親の生活リズムにつき合わされて遅寝。乳児検診時の調査では夜の11時過ぎに寝る子が珍しくありません。又、保育園に行くために、朝早く起こされて移動。見知らぬ場所に連れていかれるという緊張の連続です。そして病気になったら困るので予防注射、熱が出たら解熱剤、咳止め、鼻水止め・・・。体の自然治癒力を無視して免疫力を下げます。
赤ちゃんの育ちを知らない不適切な子育て環境のもとで体が硬くなり、大人の都合で成長の芽を摘んでしまったら・・。生活全般で愛着形成ができなかったら・・。メディア漬けに陥ったら・・。子どもの姿に異変が起きても不思議はありません。
増え続ける発達障害の児童たち
そして、そんな子育ての延長として気になるのが発達障害の問題です。
発達障害とは「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」とされて普通学校の中に6%はいると言われているものです。知的障害や精神病とは区分されていて、むしろ能力に個性、偏りがあり、素晴らしい才能を秘めていたりします。そんな子ども達が適切な支援を受けながら安心して能力を伸ばせるように学校の中に特別支援学級が作られました。
それが最近、児童数は減っているにもかかわらず、特別支援が必要な児童が増え続けているのです。乳幼児健診や子育て広場、保育園などで子どもの様子を見ていても発達障害ではないかと疑われるケースが増えました。たいてい保健師や医師は「様子みましょうね」と言うのですが、それがママたちを苦しめています。
何をどう様子見ればいいのか?その対応策がわかりません。本当にうちの子は発達に問題があるのか?もしも…と不安がどんどん募ります。違いが目立つし迷惑をかけるから人前に行きたくなくなります。家に籠るとまた心配が膨らみ、些細なことにこだわる我が子にイライラして叱ってしまうという悪循環に陥るのです。子どもは叱られてばかりです。
絶えず動き回る我が子に手を焼き、やっと保育園、幼稚園に行ってくれたとホッとしたのもつかの間、今度は他の子と遊べない、同じ事ができない、落ち着かないということで園でも問題児になっていきます。そして冒頭のママのように「お宅のお子さんは発達に問題があるようです。診断を受けてください」と告げられます。私立の園なら退園を勧められたりします。
こんな時、親は見放された気持ちになります。相談できる人が身近にいるでしょうか?相談できる市の相談窓口、児童相談所はあるのですが自分から行くのは勇気がいります。乳幼児の発達支援教室もあるのですが、どこも満杯で専門スタッフも足りません。療育センターなどの発達外来は1年待ち。子どものこころ相談医もニーズはあるのに病院がその必要性を把握していなくて機能していません。子どもの姿に対応できる体制が全く整っていないのです。
もう一つ気になることがあります。
本来、人は人の中で育ち合うものです。ところが、それを忘れて学力向上という競争に走っている学校が特別支援という名のもとに子ども達を選別、分断していないか?
今は育てにくさ、関わり方の未熟さ、支援不足の3点セットで問題を抱えたまま孤立して子どもの姿が発達障害のようになるケースも多いように思います。それが2次障害を起こしてどんどん増え続けたら?別の教室で特別に支援し続けていれば?多様な人がいる中で暮らすためのソーシャルスキルが両方とも育たないままです。社会も又、多様性をしなやかに受け入れて共に生きていく寛容さと知恵を育て合っていかなければいけないと思います。
「実は発達障害だったかも」という大人はたくさんいます。際立った個性が多様な人間関係の中で交流しながら薄まって逆に花開き、AIも負けるほどの才能を発揮している人は多いものです。
今はまず、赤ちゃんの頃からの支援が急務です。そんな親を孤立させてはいけません。早期に親の不安を受け止めて相談に乗りながら、子どもの感覚や体幹を育てる関わり方を教えたり見守ったりする場が必要です。これだけで落ち着いていく子もたくさんいます。そうでなくてもみんなで育てればいい。助け合えばいい。むしろ子ども同士は自然にそれができます。
福祉の先進国では公園に障がいのある子も一緒に遊べるようなユニバーサルデザインの遊具を設置する動きが進んでいます。学校もしかりです。社会の意識が変われば自動的に障害という言葉も消えていくのかもしれません。
◆かんなままの推薦本◆
「いい子に育つ6000回のおむつかえ」 子育てを一から見直すプロジェクト著 主婦の友社
2歳でおむつが取れるとして6000回オムツ替えるということは6000回も親子の触れ合いができるということ!
読んでみてください。
「でもママとしては気になるのね?」と聞いたら涙がぽろぽろ出てきました。「一人でよく頑張ったね。でも、気になって子どもを叱ったりしていない?」と聞いたら「そうなんです!わかっているけど、子どもの行動が気になって、どうしてじっとできないの!って叱ってばかりです」と話してくれました。「ママを支える人が必要だね。人に頼っていいのよ。今は心配しているくせに何もできないから余計に不安が膨らんでいるのよ」「勇気を出して行ってらっしゃい。ただし、病院は診断してもらうために行くのではなく、子どものためにどうしたらいいかを一緒に考えてもらうために行くのよ」と言いました。ママは銀行の待合室で涙をボロボロ出して、すっきりした強い顔になって帰っていきました。私は切なくてママの後ろ姿に「強くなれ!」と思いました。今回は発達障害のお話です。